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思想と労働に関するnamawakariのブックマーク (5)

  • 大塚久雄とナチスとユダヤ人 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    大塚久雄といえば、戦後日の進歩的文化人の代表格で、西洋経済史の権威で、日の封建性を口を極めて批判した人として知られていますが、その彼が戦時中に極めて反ユダヤ的な言辞を弄していたことは、中野敏男が暴露するまで知られていませんでした。 このことを詳細に検証したのが恒木健太郎の『「思想」としての大塚史学』です。 それは1943年に『経済学論集』に掲載された「マックス・ウェーバーと資主義の精神-近代社会における経済倫理と近代工業力」の一節で、 ユダヤ人のうちに、かの「寄生的」(非生産力的)な営利「慾」が純粋培養に近い姿で見出されることは、ヒットラーを待つまでもなく、すでにウェーバーが、むしろ彼こそが、強調してやまなかったところである。 と、露骨にナチス賛美、ユダヤ人排撃をあらわにしていますが、戦後こういう表現はすべて温和化されて繰り返し刊行され、戦後日における経済史学の中心に居続けました。

    大塚久雄とナチスとユダヤ人 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
    namawakari
    namawakari 2023/07/21
    “ナチスを礼賛するなどという莫迦なことをやるのはそれで目立ちたいチンピラライター位でしょうし、そんなものは無視しておいても大して実害もない”トランプ以前まではそう思った。でもゴミの蓄積も馬鹿にできん。
  • 麒麟も老いては・・・ - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    文春オンラインに伊藤隆氏のインタビュー(インタビュワー:辻田 真佐憲)が載っていて、あの(!)伊藤隆がこんなそこらのネトウヨじじいみたいなことばかり口走るようになったのか、といささか感慨深いものがありました。 https://bunshun.jp/articles/-/44645 というのも、彼の出世作ともいうべき伊藤隆『大正期「革新」派の成立』(塙書房、1978年)は、私にとっては近代日史を理解する基枠組みを与えてくれたであり、実を言えば私の『日の労働法政策』第1章で示している歴史観は、少なくともその戦前から戦中、戦争直後にかけての時代認識は、このによるインスピレーションを元に、ミクロな一つ一つの事実を積み上げて作り上げたものだからです。 おそらく今の若い人にとって伊藤隆という名前は「つくる会」の右翼じいさんというくらいの印象しかないかもしれませんが、それこそ当の意味で平板な

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    namawakari
    namawakari 2021/04/18
    石川淳の永井荷風追悼文「敗荷落日」に「肉体が滅びる前に精神が死んでいた」といったことが書いてあるが、まさにそれか。でも、なんでそんなに耄碌しちゃうんだろうなあと。ホントに不思議。
  • マルクスの労働思想(を取り上げない理由)@『労基旬報』2020年4月25日号 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    『労基旬報』2020年4月25日号に「マルクスの労働思想(を取り上げない理由)」を寄稿しました。 わたしは株式会社ニッチモが刊行する人事関係の季刊誌『HRmics』に、2015年8月号(第22号)から「原典回帰」という連載をしています(まだ続いています)。第一回のウェッブ夫の『産業民主制論』から始まって、取り上げたは既に英米独仏日5か国の12冊に及びます。ところで、この連載には、編集長の海老原嗣生さんのアイディアで「マルクスなんてワン・オブ・ゼム。労働イデオロギーの根源を探訪」という魅力的なサブタイトルがついていますが、これまでのところ、まだマルクスのもマルクス主義のも取り上げていません。正直言うと取り上げる気があまりしないのです。とはいえ、ワン・オブ・ゼムといいながらナン・オブ・ゼムではサブタイトルに反するではないかとか、もっとまじめに、マルクスこそ労働思想の最高峰なのに、それを

    マルクスの労働思想(を取り上げない理由)@『労基旬報』2020年4月25日号 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
  • ナショナリズムにかかる以前のエントリ - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-d7e2.html(「ネーション共同体」をまともに論ずるのなら) にかかわる過去のエントリを若干紹介しておきます。 http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-9819.html(ナショナリズムは国家を民衆のものにするか) >戦前の労働運動史を読めば、官憲が経営者の味方をして労働者を弾圧する繰り返しです。それが初めてそうでなくなった時代-官憲が労働運動の味方をしてむしろ経営者を締め付けるようになった時代というのが、まさに大日帝国がナショナリズムを振りかざして中国に侵略していった時代であるということの深刻さをまじめに考えたことがない人間だけが、脳天気に「自由も平等もnationがベースではないのは自明。《人は皆同じ》

    ナショナリズムにかかる以前のエントリ - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
  • 「ネーション共同体」をまともに論ずるのなら - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    松尾匡さんが、そのエッセイで、わたくしと田中秀臣氏を「ナショナリズム容認度高」に分類したことについて、わざわざ撤回しておられます。 http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__100821.html わたくしは、そもそもナショナリズムという、簡単に論ずるためだけにでも三重か四重の理論的道具立てを必要とするような代物を安易にウンコ投げゲームの道具に持ち出すこと自体に疑問を感じますが、現在のこの問題をめぐる議論の水準があまりにも低すぎることもあり、渦中の松尾さんがこういう対応をされること自体については、諒と致します。 ウンコ投げゲームにのみ関心をお持ちの諸氏は、以下の記述は極めて面白くないと思われますので、お読みにならないことをお薦めいたします。 わたくしなりに、近代社会システムにおけるナショナリズムの意味を簡単にまとめた記述が、6年前に出版した『労働法政策』の冒頭の

    「ネーション共同体」をまともに論ずるのなら - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
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