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2023年、今年もあっという間に終わってしまう。 歳を重ねるごとに時の流れに追い立てられてるようだ。 365日、何か有益なものを残せただろうか? 1日1日を精一杯生きた覚えはない。 もうすぐ60歳にもなろうとしてる俺は未だ自分の殻を抜け出せないでもがいてる。 年の始まりは個展。 2月、描き溜めた絵を画集にし発表、それに合わせ個展を開催。 自分が描いた原画を初めて売った。 何とも言えない落ち着きのない心持ち。 東京滞在中に幾つかのライブで演奏する。 実験的に行なったアンビエントと即興演奏に可能性を感じる。 香川でも同様に個展を開催。 4月、尾道にて友人の画家白水麻也子と共演。 5月、京都にて鉄のアーティスト谷口和正と共演するはずが、公演間近に突然の急逝。 遺族の協力のもと残された作品と共演を果たす。 6月、アンビエントチームとレコーディング&ライブ 演るに連れて新鮮味を失っていくようにフェイ
怒涛の日々が終わりつつある。 アルバム『感覚は道標』の制作から発表、『くるりのえいが』の舞台挨拶やプロモーション、初の2日間開催となった京都音博、その後のイベント出演など。 もっくん含め、メンバーやスタッフも常にフル稼働で、数年分の仕事をここぞとばかりにやり込んだ感覚。 日々生きてるだけでなんやかんや色々あるから、ここに書く私たちの活動以外のところでも、なんだか色々あるから少し休みたいというか、いちど副交感神経優位にしてみたいところ。 映画を観てくれた方々、アルバムを聴いてくれた方々、音博やライブに来てくれた方々、日々応援いただいている方々、ほんとうにどうもありがとう。皆さんの励ましと期待、私たちにしっかり届いています。 BUCK-TICKというバンド、私が認識したのは30年少し前だったと記憶しています。 『JUPITER』という曲の演奏をTVの歌番組か何かで観て、サビのメロディがずっと頭
韓国のある出版社から「韓国オリジナルの本」を出すことになった。先方から質問を送ってもらって、それに僕が答えて、それで一冊にするという趣向である。 その中に面白い質問があった。「メンターはどうやって見つけたらいいのでしょう?」というものである。 「最近はオンラインでのコミュニケーションが活発になったおかげで物理的に遠く離れている人をメンターとする人もいたりします。 韓国では「オンライン先輩」「オンラインメンター」というような言葉もあります。良いメンターとメンティ、あるいは望ましい師匠と弟子の関係とはどのような形なのでしょうか?」 以下が私からの回答。 メンターにはいろいろな種類があります。生涯師として仰ぎ見て、ずっとその後についてゆく人もいるし、一時的にA地点からB地点まで移動するときの道案内をしれくれただけの人もいます。例えば、広い川の前に来た時に、渡し船が来て船頭さんに「乗るかい?」と誘
NHK ねほりんぱほりん @nhk_nehorin NHK「ねほりんぱほりん」公式アカウント。シーズン8の放送は終了しました。またお会いできる日を楽しみにしていますm(・*・)m(番組へのメッセージ、リクエストは引き続き募集中です) 利用規約→nhk.jp/rules フォローの考え方→nhk.jp/tw_f nhk.jp/nehorin リンク ねほりんぱほりん - NHK ねほりんぱほりん 顔出しNGのゲストはブタに、 聞き手の山里亮太とYOUはモグラの人形にふんすることで、 「そんなこと聞いちゃっていいの~?」という話を “ねほりはほり”聞き出す新感覚のトークショー。 作りに作り込んだEテレお得意の人形劇と、 聞いたこともないような人生の“裏話”が合体した 人形劇×赤裸々トークをお楽しみください! 90 users 1691
ロックバンド・頭脳警察のボーカル&ギター・PANTAさんが肺がんによる呼吸不全と心不全のため、7日に亡くなった。73歳だった。 同バンドのオフィシャルツイッターでは「PANTA(本名・中村治雄)は2023年7月7日、10時44分、肺癌による呼吸不全と心不全のため、永眠いたしました。享年73歳。この数年、闘病の日々でした。闘病の中もROCK魂を貫き、最後の時まで現役の『ROCK屋』としての人生を全ういたしました。6月14日のライブが最後のステージとなりました」と伝えた。 続けて「多くのファン、友人知人、家族に支えられて、人生を全うすることが出来ました事をここに心よりお礼申し上げます。みなさまには生前のご厚誼に深く感謝するとともに、ここに謹んでお知らせいたします。 なお、葬儀は、近親者のみの家族葬で執り行われ、後日、お別れ会を執り行う予定です」と呼びかけた。 PANTAさんは、2月1日に体調不
イアン・ハッキングが亡くなってしまいました。トロント大学の記事によると以前から健康を害していたそうで、たしかにこの10年ほど、まともなアウトプットがなかったことからうすうす予期してはいたのですが、この5月10日に亡くなってしまったとのことです。残念です。また、今回あらためて、ハッキングから学んできたことの多さを感じてもいます。 ご存じのとおり広大な領域において、しかもユニークな手法で仕事をしてきた人です。なので私はそのほんのごく一部、精神障害の哲学の領域を中心に彼から学んできたにすぎません。にもかかわらず、学んだことはとても多く、そこからまた多くの課題を得てきたと感じています。 彼の精神障害の哲学を考えるさい、二つの大きな仕事があるように感じています。ひとつは神経症周辺の仕事で、もうひとつは自閉症に関係する仕事かな、と思います。そしてこうした二つの領域のいずれにおいても、精神医学などの人間
文:野田努 「彼らはついに、変化とは、改革を意味するものでも改善を意味するものでもないことに気がつくだろう」——フランツ・ファノンのこの予言通り、世界は変わらなくていいものが変えられ、変わって欲しいものは変わらない。憂鬱な曇り空に相応しい訃報がまた届いた。その少し前にはジャー・シャカの訃報があり、今朝はマーク・スチュワートだ。いったい、坂本龍一といい、シャカといいマークといい、あるいは昨年から続いている死者のリストを思い出すと、勇敢な戦士たちがあちら側の世界に招かれている理由がこの宇宙のどこかに存在しているのではないかという妄想にとらわれてしまう。ファノンはまた、「重要なのは世界を知ることではない、世界を変えることだ」と言ったが、その意味を音楽に込めた人がまたひとりいなくなるのは、胸に穴が空いたような気分にさせるものだ。 一般的に言えばマーク・スチュワートは、ブリストル・サウンドのゴッドフ
ザ・ポップ・グループ(The Pop Group)のマーク・スチュワート(Mark Stewart)が死去。ザ・ポップ・グループはSNSで発表。死因は明らかにされていません。62歳でした。 以下、公式声明より 「マーク・スチュワートは、2023年4月21日(金)の早朝に亡くなりました。 マークは愛と交感しています。スーフィーたちが言うように、死というものは存在せず、誰も死ぬことはないのですが、死はとても貴重なものなので、それは恐怖という金庫の中に隠されてきたのです。マークの家族と友人は、この困難な時期にスペースを与えてくれることを丁寧にお願いしています。 レーベルのボスで友人でもあるMuteのダニエル・ミラーはこう語っています: 「マークのことは、ザ・ポップ・グループのリード・シンガーだった頃から40年以上、友人として、また一緒に旅をする人として知っている。彼との素晴らしい思い出はたくさん
(時事通信配信) 大江健三郎氏が亡くなられた。かつて谷崎潤一郎が死んだ時、三島由紀夫は、「谷崎朝時代」が終わったと評したが、私には、その少し前から始まっていた「大江朝時代」が今終わったと言いたいところである。大江氏は、東大五月祭賞を受賞し、「東京大学新聞」に発表された「奇妙な仕事」を、文芸評論家の平野謙が文芸時評で取り上げることによって、一躍有望な新人としてデビューし、ほどなく「飼育」で芥川賞を受賞したが、私には「奇妙な仕事」こそが初期大江において最も斬新な作品だと感じられる。当時、東大仏文科に在学中で、卒業とともにいきなり多忙な人気作家生活に入った大江氏には、苦しい時期が断続的に襲ってきた。高校時代からの年長の親友だった伊丹十三の妹と結婚し、精神的な安定をみたのもつかの間、浅沼稲次郎暗殺を題材にした「政治少年死す」を発表して右翼の脅迫に遭い、さらに脳に障碍のある男児・光が生まれ、彼ととも
現代日本を代表する小説家で、日本人として2人目のノーベル文学賞を受賞した、大江健三郎さんが、今月3日、老衰のため亡くなりました。88歳でした。 大江さんは、1935年、現在の愛媛県内子町で生まれ、東京大学在学中に発表した作品「奇妙な仕事」で注目を集めたあと、1958年には「飼育」で芥川賞を受賞しました。 そのあとも数々の文学賞を受賞し、新しい世代の作家として、戦後の日本文学界をリードしました。 そして1994年、川端康成に続いて、日本人としては2人目となるノーベル文学賞を受賞しました。 核兵器や平和の問題に対しても、文学者の立場から向き合い、広島で取材した被爆者や医師の姿を描いた「ヒロシマ・ノート」は、ベストセラーになりました。 また、憲法改正に反対する「九条の会」や、脱原発を訴えるデモの呼びかけ人として名を連ねるなど、社会問題に対しても積極的に取り組み、発言を続けてきました。 講談社によ
連日レジェンド級のアーティストたちの訃報が続き、堪えるなと思っていたところへまたひとり……シーナ&ロケッツの、そして日本を代表するロックンロール・ギタリストの鮎川誠が1月29日午前5時47分(シーナ!)に亡くなった。享年74歳。日本中のロックンロール・ファンがいま、悲しみに暮れている。 昨年5月に膵臓がんで余命5ヶ月を宣告されてからも「一本でも多くライヴをしたい」とツアーを続け、近年ではもっともライヴの多い一年になったという。最後までロックとライヴにこだわった生涯だった。 11月にはシーナ&ロケッツ45周年ワンマンを新宿ロフトで行った。ライヴ中にウィルコ・ジョンソンの訃報が入り、「ウィルコの分までロックするぜぃ!」と叫ぶ姿がYouTubeに投稿されている。 そんなウィルコ・ジョンソンやイギー・ポップといった鮎川とも交流のあったアーティストたちと同様に、鮎川はパンク以前とパンク以後、メジャー
1980年代にテクノブームを巻き起こした伝説のバンド「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」のメンバーで日本を代表するドラマーの高橋幸宏(たかはし・ゆきひろ)さんが亡くなったことが14日、分かった。70歳。東京都出身。死因や日時は明らかになっていない。2020年8月に脳腫瘍の摘出手術を受け、闘病中だった。高橋さんはYMOの音楽面だけでなく、赤い人民服など独特のファッションを打ち出すことで世界に衝撃を与えた。 【写真】昨年6月の誕生日翌日のインスタで公開した軽井沢で療養中の自身の姿 関係者によると、高橋さんは静養先の長野県軽井沢町で年明けに肺炎を患い、容体が悪化した。亡くなったのは今週とみられ、仕事仲間や親しかった人たちへの報告が始まっている。 20年初夏から断続的な頭痛に悩まされ、同年8月のMRI検査で脳腫瘍と判明。摘出手術は成功し、入院治療の全工程終了を報告した同10月のツイッター
元プロレスラーで、参議院議員を2期務めたアントニオ猪木(アントニオいのき、本名・猪木寛至=いのき・かんじ)さんが1日、自宅で死去した。79歳だった。横浜市出身。難病「全身性アミロイドーシス」で闘病中だった。 【写真】今年8月、24時間テレビに生出演したアントニオ猪木さん 2、3日前から低血糖で体調を崩し、自宅での療養生活が続いていた。前日持ち直したが、この日の朝、状態が悪化し自宅で息を引き取った。 1943年(昭和18年)生まれ。5歳で父親を亡くし、13歳で家族とともにブラジルへ渡り、コーヒー農場などで働く。現地の陸上競技大会の砲丸投げで優勝した際、ブラジル遠征中だった故力道山さんにスカウトされプロレスの道へ。日本プロレス入りし。60年9月30日、プロ野球からプロレスに転向した故ジャイアント馬場さんと同日デビューを果たし、62年からリングネーム「アントニオ猪木」を名乗る。 米国への武者修行
統合失調症研究や阪神大震災時の「こころのケア」の取り組み、随筆や翻訳など幅広い業績を残した精神科医、中井久夫さんが8月8日、肺炎のため88歳で死去した。「唯一の師」として敬慕してきたという精神科医の斎藤環さんが毎日新聞に追悼文を寄せた。 ◇ 血肉化された読書体験 中井久夫先生が亡くなられた。私は著書を通じて私淑してきた一ファンに過ぎないが、中井先生を唯一の師として敬慕してきた。 臨床1年目で手に取ったのが、今は絶版となった『中井久夫著作集』(岩崎学術出版社)の一冊『分裂病』だった。一読して圧倒された。とてつもない教養と繊細極まりない臨床眼、どんな作家にも似ていない、みずみずしくも重厚な文体。ただちに著作集全巻を買い求め、貪(むさぼ)るように読んだ。
阪神・淡路大震災などの被災者の精神的なケアに尽力し、文筆家としても多くの業績を残した精神科医で神戸大名誉教授、文化功労者の中井久夫(なかい・ひさお)さんが8日午前11時5分、肺炎のため神戸市の介護施設で死去した。88歳。奈良県出身。自宅は神戸市。 葬儀・告別式は近親者で行い、供花、弔電は辞退する。喪主は長男伸一(しんいち)氏。 京都大卒。東京大などを経て1980年、神戸大医学部教授に。統合失調症研究の第一人者で、先駆的な診療法で高く評価された。 95年の阪神・淡路大震災では、被災者の心のケアの必要性を早くから訴え、支援体制の構築や支援者の育成に注力。2004年に心的外傷後ストレス障害(PTSD)の研究や治療、相談などに当たる全国初の施設「兵庫県こころのケアセンター」が開設され、初代センター長に就任した。 1997年に神戸市須磨区で起きた連続児童殺傷事件の遺族らとも関わり、犯罪や災害の被害者
はっぴいえんどのアルバム『風街ろまん』のジャケット画も担当、『ライク ア ローリングストーン』『性蝕記』『肉弾時代』『人魚伝説』などで知られる、漫画家の宮谷一彦が死去。漫画家のいしかわじゅん、漫画批評家/漫画家の夏目房之介が訃報を伝えています。76歳でした。 宮谷一彦は大阪府生まれ。石ノ森章太郎の漫画に影響を受けて漫画家を目指し、高校卒業後、上京。石ノ森章太郎、永島慎二のアシスタントを務める。1967年『ねむりにつくとき』(『COM』月例新人賞受賞作)でデビュー。以後、『COM』をはじめとする青年誌を中心に活躍。代表作は私漫画作品の『ライク ア ローリング ストーン』、『性蝕記』『肉弾時代』『人魚伝説』など。大友克洋をはじめとするニューウエーブ漫画家に多大な影響を与えた。 ああ、宮谷一彦が亡くなった。「ライク ア ローリングストーン」を2017年に出して、その頃会ったのが最後だった。日本の
声優の滝沢久美子が6月11日に心臓麻痺のため、69歳で死去した。 これは本日6月20日に81プロデュースの公式サイトにて発表されたもの。同事務所は「葬送の儀につきましては、ご遺族の意向により親族のみにて執り行われました。ここに生前中の御厚誼を深謝し、謹んでお知らせ申し上げます」とコメントしている。 滝沢は8月21日生まれ、東京都出身。主な出演作にアニメ「ふしぎの海のナディア」グランディス・グランバァ役、「銀河漂流バイファム」ケイト/ルチーナ役、「超時空世紀オーガス」のシャイア役などがある。
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