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自由に関するnamawakariのブックマーク (35)

  • リバタリアンが集まる町を作ったら、そこは熊の巣窟になった──『リバタリアンが社会実験してみた町の話:自由至上主義者のユートピアは実現できたのか』 - 基本読書

    リバタリアンが社会実験してみた町の話:自由至上主義者のユートピアは実現できたのか 作者:マシュー・ホンゴルツ・ヘトリング原書房Amazon はじめに どのように人々は集まってきたのか? 自由な町にヤバいやつらが集まってくる。 リバタリアンらは町を良い方向に変えたのか? おわりに はじめに 他者の身体や私的財産を侵害しない限り、各人が望むすべての行動は自由であると主張する、リバタリアンと呼ばれる人たちがいる。すべてを自由にすべきと考える原理的な人から、条件的に制約を認める人まで無数の思想的内実があるわけだが、そうした思想を持つ人々にとっては多くの国家・地域は制約だらけにみえるだろう。 自分たちの思想を社会に反映させるためには、民主主義の場合にはリバタリアン的思想を持つ候補者に票を投じたり、自分自身が立候補して国の方針を地道に変えていかなければいけないわけだが、それは当然ながらなかなかに大変な

    リバタリアンが集まる町を作ったら、そこは熊の巣窟になった──『リバタリアンが社会実験してみた町の話:自由至上主義者のユートピアは実現できたのか』 - 基本読書
    namawakari
    namawakari 2022/02/27
    “この4人は現存する町の力とインフラを利用することにした。"この辺りがリバタリアニズムに対して疑いを持つところで、彼らは結局、リバタリアニズム思想の外で作られたインフラにただ乗りしているだけではないかと
  • コロナが去った後に残るのは自由か、それとも・・・? - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~

    そういえば昨日は憲法記念日だったな、ということに今日になってから気付き、昨年暮れに衝動買いしていたことを思い出して読んだのが、以下の一冊だった。 リベラル・デモクラシーの現在: 「ネオリベラル」と「イリベラル」のはざまで (岩波新書) 作者:陽一, 樋口発売日: 2019/12/22メディア: 新書 日憲法学の泰斗、樋口陽一東大名誉教授が書かれたこの一冊は、一般読者向けの新書らしく分かりやすい語り口で書かれているものの、いざ読んでみると、そう簡単に読み解ける代物ではない。 元々テーマの異なる複数の講演の内容を口述調で編集したものだから、一見すると章ごとに大きく話の中身が変わっているように思えるし、テクニカルな用語が定義の説明なく次々と飛び出してくるくだりもある。 元々岩波の新書は、新書といってもある程度の素養・教養のある人向け、ということは承知の上なのだが、それにしても骨っぽいな、という

  • 逆になぜ自由意志が存在しうるんだ

    行動を決めるのってざっくり ・環境 ・生まれもった性質 じゃない?これどっちも変えようがないじゃん 環境を変えようとする努力をするかどうかも環境と生まれてもった気質で決まるわけで、質的に「自分の意思で決められること」って存在しなくない? するのか?自由意志は存在するって言ってる人にとって自由意志ってなんなんだ

    逆になぜ自由意志が存在しうるんだ
    namawakari
    namawakari 2019/11/27
    じゃあスピノザを読もう(適当)
  • 佐々木俊尚さんのツイート: "なぜ抗議されて廃刊が良くないのかと言えば、党派同士の闘争の材料になってしまうからです。「気に食わない相手を潰せ」という抗議が有用性を持ってしまう危険性をはらんでいるからです。"

    なぜ抗議されて廃刊が良くないのかと言えば、党派同士の闘争の材料になってしまうからです。「気にわない相手を潰せ」という抗議が有用性を持ってしまう危険性をはらんでいるからです。

    佐々木俊尚さんのツイート: "なぜ抗議されて廃刊が良くないのかと言えば、党派同士の闘争の材料になってしまうからです。「気に食わない相手を潰せ」という抗議が有用性を持ってしまう危険性をはらんでいるからです。"
    namawakari
    namawakari 2018/09/23
    この手の「中立的ポジション」を確保したがる人は、「党派性」を批判する自分の党派性になんで無自覚かね。世に中立的立場なんて存在せんよ。
  • 「私には敵はいない」と語った劉暁波は、「私利私欲」を捨てた人だったのか、それとも「私利私欲」を貫いた人だったのか - 梶ピエールのブログ

    今年7月に劉暁波が多臓器不全で亡くなった後は、日でも数多くの追悼文や、中国共産党を非難する文章が書かれた。一方で、劉の死については、SNS上も含め、それについて積極的に語ろうとする者と決して語らない者がはっきりと別れるという意味では、中国に関心を持つものにとってもある種の「分断」をもたらすものだった。私は、劉暁波の問題について、そのような「分断」を含め、表立っては語られることがない、いわば「隠された」問題の方が実は重要である、という漠然とした思いを抱いていた。ただ、どのようにしてその問題について語ればよいのか、言葉を探しあぐねてきた。 そんな中、たまたま目にした『週刊読書人』に掲載された「劉暁波の死をきっかけに」と題された羽根次郎氏の一文は、上に述べたような「隠れた問題」を明るみに出すという点では格好のテキストだった。発表後、それほど話題になっているとは言えないテキストだが、あえてここで

    「私には敵はいない」と語った劉暁波は、「私利私欲」を捨てた人だったのか、それとも「私利私欲」を貫いた人だったのか - 梶ピエールのブログ
    namawakari
    namawakari 2017/09/12
    何度も立ち返るべき重要な議論がなされていてすごい。
  • 独裁を完成させたら終わりだということを理解しない人たち - 読む・考える・書く

    憲法違反の秘密保護法、戦争法、共謀罪法をすべて強行採決で押し通し、さらに憲法改悪・緊急事態条項による独裁の完成へと暴走する極右安倍自民党政権。まさにこの国の未来を破滅へと導く国家的危機と言うべきなのだが、この事態に警鐘を鳴らす人々を訳知り顔で嘲笑する者たちがいる。 下のツイートなど、その典型だろう。 仕事でホテル暮らしが続いているのだが、昨日、ロビーで「安倍は独裁者」と騒いでいるおばちゃんたちがいた。サダム・フセイン時代のイラクを訪れたことがある私としては『当の独裁国ではそんなこと言えませんよ』と思う。安倍政権に自由を担保されている人たちが、安倍政権を独裁呼ばわりする喜劇。 — 早坂隆 (@dig_nonfiction) 2017年6月27日 「安倍政権に自由を担保されている」? この人にとって、自由とは権力者から恩恵として与えてもらうものなのか? 自由権は基的人権を支える要となる権利

    独裁を完成させたら終わりだということを理解しない人たち - 読む・考える・書く
  • ジョセフ・ヒース「一線を越えたカナダ保守党」(2015年10月5日) — 経済学101

    Joseph Heath, “Conservative Party Moves Beyond the Pale” (In Due Course, 5 October 2015) 現代民主主義政治にとって最も重要な概念のひとつは「妥当な不一致」である。我々のほとんどがある程度まで賛同する道義や価値観でも、それらがぶつかり合うような場合どちらを優先すべきなのかはっきりしないものが多くある。公共の利益は個人の自由より優先されるべきか。社会的平等を進めるためには公益の損失はどこまでなら許容されるのか。これらは現代政治の妥当な不一致の範囲にあると定義される論点の類だ。政党が左右のスペクトルのどこに位置するかが決まる主要な特徴は、これらの問題に異なる解決策を提示するところである。右派は個人の自由を、左派は平等を強調し、中道派は厚生の最大化を焦点にしている。これはそのまま社会における政府の役割についての

    ジョセフ・ヒース「一線を越えたカナダ保守党」(2015年10月5日) — 経済学101
    namawakari
    namawakari 2017/05/17
    “政府が普通のカナダ人にお互いに酷い仕打ちをし合うことを推奨していることになる。移民を疑い差別するように積極的に推進する政策に、国民から徴税した税金を使うと提案している”
  • かしこいはつくれるー来たるべき人文知のためのプログラム(大風呂敷)

    この文章は、おそらくコードや技術的文書を書く人たちならポエムと自嘲する類のものであるが、詩人に「舐めてんのか」と恫喝されるのも面倒なので、綱領のようなものだと言い張ってむしろプログラムと呼び、加えて大風呂敷とルビをふるつもりでいく。 第一に自分のような頭の悪い人間が何をやっているのかを知るために書いた。 第二にこれはネイティブ広告のつもりである。昔から人を引き寄せようとすればするほど遠ざける性分であるから、むしろ営業妨害となっている恐れがあるのだが、案の定「宣伝するのに考え込ませてどうする?敷居が高くなって失敗だ」とコメントをもらった。 自由への教養 以前「何故学ぶのか」という問いに、「自由になるため」と答えた。 この応答は、イソクラテス以来のあの定義、「教養とは、運命として与えられた生まれ育ちから自分を解放するもの」を念頭においたものである。 生まれと育ちは人を強く拘束している。その価値

    かしこいはつくれるー来たるべき人文知のためのプログラム(大風呂敷)
  • サンフランシスコの住宅市場 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    サンフランシスコの住宅市場に関して、こんな記事を見かけた。 www.vox.com どうせ君たち読まないだろうから、何が書いてあるのか教えてあげると、サンフランシスコはいま、Uberが立地したりアレとかこれとかがきたり、ブルーボトルコーヒーが出てきたりで、すごく活況を呈していて、人々が流入してきているのに、建築規制がやたらに多くて、新しい住宅がほとんど市内にできず、賃料などが高騰しているよ、というお話。記事はオークランドの話だけど、ベイエリアの他の地区も状況は似たようなものだ。 これはまさに指摘の通り。サンフランシスコを筆頭に、カリフォルニア州はこの点で悪名高くて、やれ高さ制限だ、やれ立て替え制限だ、やれ環境規制だ、やれ緑地保護だと規制ばかりがうるさくて、新しいものが全然建てられない。これは、かのヒッピー文化とアップルを生んだ自由な文化の発露であり高い環境意識と保全意識を持った高度な市民性

    サンフランシスコの住宅市場 - 山形浩生の「経済のトリセツ」
  • タイラー・コーエン「リベラルならざる改革者たち:進歩派と優生学」

    [Tyler Cowen, “*Illiberal Reformers*, on Progressives and eugenics,” Marginal Revolution, January 28, 2016] トーマス・レナードがすぐれた新著を出した.副題は,ずばり『進歩派時代における人種・優生学・アメリカ経済』だ. もう読者は大方知っていることだと思うけど,これはかなりひどい話で,初期の進歩派たちも19世紀後半のアメリカ経済学者たちも,あきれるほどの人種差別者であり優生学の信奉者だった.しかも,そうした人種差別はかなり根深く経済学の職業的な構造に入り込んでいた.アメリカ経済学会 (AEA) にも人種差別は根付いていたし,他の学会も同様だった. ケヴィン・ドラムが,同書を読んで面白い指摘をしている(ぜひ,元記事を全文読んでほしい.下記のおてがるな抜粋以外にも大事なことがある): 20

    タイラー・コーエン「リベラルならざる改革者たち:進歩派と優生学」
  • 軽減税率:有害図書、出版業界で線引きを 菅官房長官 | 毎日新聞

    菅義偉官房長官は25日、2017年4月の消費増税と同時に導入する軽減税率の適用が検討されている書籍・雑誌について、出版業界が有害図書の線引きを自主的に決めたうえで、議員立法で対象に加えるべきだとの考えを示した。書籍・雑誌はポルノ雑誌などを対象から排除する仕組みが課題となっており、菅氏は「線引きは業界の中で決めていただく。政府が決めると表現の自由の問題が生じる」と述べた。 菅氏は書籍・雑誌に軽減税率を適用している欧州各国の例を挙げ、「活字文化は重要とされている」と指摘。そのうえで有害図書について「出版界が自主規制し、例えば議員立法という形で、国民から見てなるほどという線引きが必要だ」との考えを示した。BS朝日の番組収録で語った。

    軽減税率:有害図書、出版業界で線引きを 菅官房長官 | 毎日新聞
    namawakari
    namawakari 2015/12/26
    一度大きな無理を通したら、あとはもう歯止めはないよ。この政権はできることは何でもやる。自由と民主主義に関して、今の自民党に何を期待しても無駄。
  • 政治的デモンストレーションへの魔女狩りデモクラシー - 法華狼の日記

    ミュージシャンでジャーナリストというモーリー・ロバートソン氏*1の下記ツイートをはじめとして、リスクを負わないデモを気ではないとみなす意見がある。 当に言論が保障されているなら、日常ととなりあわせなデモを気軽におこなえるはずなのに、抑圧されていないことをもって参加者の気を否定する。 こうした意見に対して、日でも「転び公妨」をはじめとしたデモへの抑圧が見られると指摘するまでもない。比較的に言論が保障された諸外国でおこなわれているデモへの評価を問うまでもない。 ほんの少し前、安保法制反対デモに対して、参加すれば人生が失われるかのようなリスクが主張されていたばかり。 http://www.asahi.com/articles/ASH7W5SYRH7WUTIL03M.html 衆院の安保審議が大詰めを迎えた14日以降、「就職や結婚に響く可能性」などという大学生のデモ参加をめぐるツイートが次

    政治的デモンストレーションへの魔女狩りデモクラシー - 法華狼の日記
    namawakari
    namawakari 2015/09/22
    ″デモをさまたげるようにリスクが主張され、それが否定されるとリスクがないことをもってデモを否定する。自由の行使そのものを批判する理由にもちいれば、どう転んでもデモを否定することができる”
  • 壁 – sociologbook

    結婚とか夫婦とかの制度はたしかに面倒だし、個人の自由にとって抑圧的だから、ほんとうに、ないほうがいいとまでは言わないけど、できるだけそういうものを選ばない自由が保証され尊重されるべきだし、個人の自由な生き方がたくさんあったほうが、より良い世の中になる。 ただ、どうしてもある種の規範を持ち出してしまうときがある。たとえば、ふつうに結婚してて、でも仕事の都合とかで子どもをなかなかつくらない夫婦をみると、こちらから余計な口出しをすることはないけど、自分の体験から、やっぱりできるうちに作っておいたほうが、あとから欲しくなっても、と思ってしまう。 そういうときは、「夫婦であれば子どもがいたほうが幸せ」という規範に、無意識に自分も従ってしまっているんだろうか、と思う。 ほかにも、不倫している若い女の子の話をきくと、バカだなやめとけよ、って言ってしまうけど、でももしそれが、将来や現在のリスクをすべて理解

  • 「有権者は選挙のときだけ王様で、後は奴隷である」という言葉があるらしい。ルソーの言葉だと聞いているが... | レファレンス協同データベース

    「有権者は選挙のときだけ王様で、後は奴隷である」という言葉があるらしい。 ルソーの言葉だと聞いているが、正しいか。 また正確な文言がわかれば知りたい。 ルソーの「社会契約論」に 「イギリス人民は、自分たちは自由だと思っているが、それは大間違いである。 彼らが自由なのは、議員を選挙するあいだだけのことで、議員が選ばれてしまうと、彼らは奴隷となり、何ものでもなくなる。 自由であるこの短い期間に、彼らが自由をどう用いているかを見れば、自由を失うのも当然と思われる。」 という文がありました。 「自由」がどうして「王様」に変わったのかまではわかりませんでした。 名言集などにあるかと考え、R159の棚にあたる。 『世界名言事典』(明治書院 1988年) 『名言名句集成 欧米篇』(日実業出版社 1993年) 『東西名言辞典』(東京堂出版 1982年) などで、ルソーを検索するが該当するものなし。 イン

    「有権者は選挙のときだけ王様で、後は奴隷である」という言葉があるらしい。ルソーの言葉だと聞いているが... | レファレンス協同データベース
  • 【安保法案】SEALDs・奥田愛基さん「民主主義って何だ?問い続ける」(インタビュー)

    参院で審議中の安全保障関連法案に反対する学生グループ「自由と民主主義のための学生緊急行動」(SEALDs)が、毎週末に国会前などで抗議デモを繰り広げている。 ラップやヒップホップに乗せて「安倍は辞めろ」「勝手に決めるな」と繰り返すスタイルは、拳を突き上げる今までのデモとは明らかに一線を画している。メンバーの出身大学は明治学院、国際基督教(ICU)、上智など様々で、これまで学生運動の主流だった大学とも違う。

    【安保法案】SEALDs・奥田愛基さん「民主主義って何だ?問い続ける」(インタビュー)
    namawakari
    namawakari 2015/08/31
    ″学生デモなんて、ネガティブでマイナスイメージで、初めは反対する人もいっぱいいたんですけど、マイナスから挑戦してプラスに変えてみようぜ、という気持ちはありました”
  • デモ活動への警察撮影について - 桜丘便り

    昨日(2015年7月15日)、国会議事堂前で行われていた安保関連法案に反対するデモに、見守り弁護士として参加してきました。これぞ表現の自由という、素晴らしい場でした。 そこで散見されたのが、警察官によるデモ活動の撮影です。 弁護士が違法であることを告げてもなかなか辞めませんでしたが、粘り強く繰り返し抗議し、一人ずつ辞めさせました。 このような撮影行為は、憲法13条の趣旨に反し許されません。記録のためとか、今後のデモのためとか、違法行為が行われそうとか、色々言ってきますが全て許されません。 理由は、以下のとおりです。見かけたときは「撮影は辞めて下さい、判例を知らないんですか」と注意して、このブログを警察官に見せてください。 デモ活動を、【警察が撮影】する行為は、原則として憲法13条の趣旨に反し許されません。例外は、次の1~3の要件を全て満たした場合だけです( 最大判昭和44年12月24日)

    デモ活動への警察撮影について - 桜丘便り
    namawakari
    namawakari 2015/07/20
    重要。/※欄ひっでえ。しかし、これが日本のウェブ社会の現状でもある。
  • Apache2 Ubuntu Default Page: It works

    This is the default welcome page used to test the correct operation of the Apache2 server after installation on Ubuntu systems. It is based on the equivalent page on Debian, from which the Ubuntu Apache packaging is derived. If you can read this page, it means that the Apache HTTP server installed at this site is working properly. You should replace this file (located at /var/www/html/index.html)

  • 【コラム】憲法改正、地雷は9条以外の部分に埋められている - Bloomberg

    【コラムニスト:Noah Smith】  (ブルームバーグ・ビュー):政府が自由と人権から距離を置こうとする憂慮すべき傾向が世界的に見られるが、残念なことに日もこれに踊らされている。 安倍晋三首相率いる日政府が推進してきた政策には、女性の活用拡大や外国人労働者の受け入れ増支持などリベラル(自由主義的)なものが含まれる。裁判員制度の導入など、日社会は数十年前から全般的により自由主義的な方向に進んできた。しかし自民党の望み通りに憲法が改正されれば、これらのほとんどが意味を成さなくなる恐れがある。 自由民主党は英語リベラル・デモクラティック・パーティーと表記されるが、これほど実態とかけ離れた党名も珍しい。わずかな期間を除いて戦後ほぼ一貫して政権を握っている同党のかなりの部分は、思想的にも、組織面でも、さらに遺伝子的にも軍国主義時代の政治階層を引き継いでいる。これらの勢力は一時期党内で

    【コラム】憲法改正、地雷は9条以外の部分に埋められている - Bloomberg
    namawakari
    namawakari 2015/02/26
    ″日本国民も9条改正に気を取られ、人権を「責務」に置き換える部分を素通りしてしまう可能性がある。安倍政権が経済再生への最善の希望をもたらしている中で、野党の力が弱く、分裂状態でほとんど機能していない”
  • 魂を自ら鎖で繋いだ人間には、鎖で繋がれていない程度のことが「自由」に思えるのだろう - Apeman’s diary

    写真は『日経済新聞』朝刊の連載「熱風の日史」14年4月6日掲載分です。当時の公娼制における「廃業の自由」がいかなるものであったかの一端を示すエピソードです。 さて、「慰安婦」の廃業を「許可制」にすることの意味がわからないような人々は、残念ながら毎日新聞にもいるようです。法華狼さんからご教示いただいた記事より。 毎日新聞 2014年10月11日 東京朝刊 「従軍慰安婦問題:米国内はどう受け止めたか 「吉田証言のウソ」歴史修正主義者が利用 東アジア専門家、ラリー・ニクシュ氏」 インタビュアーは「−−ビルマ(現ミャンマー)の慰安所で、外出の自由や、兵士と結婚した例を記載した米公文書もあります」としてニクシュ氏の見解を質していますが、この「公文書」とはまず間違いなく「日人捕虜尋問報告 第49号」のことでしょう。そしてこの報告書を読んだ人間であれば、そこには「外出の自由」など書かれてはおらず、

    namawakari
    namawakari 2014/10/14
    ″「外出の許可が与えられた」ことを「外出の自由」と混同”
  • ララビアータ:丸山真男の緑会論文 - livedoor Blog(ブログ)

    秘密保護法について前に書いたが、補足しておこう。 政府自民党は、この法案で、自分たちの権力を強化できると思っているのだろう。それに反対する人たちも、多くは同様に思っているだろう。確かに、これによって国民の監視を逃れて、政府が好き勝手にやっても、秘密にされ保護されるということはあろう。それが人権の侵害を招くことは、言うまでもないことだ。 しかし、前に強調しておいたように、人権侵害などにはさほど留意しないような人々、人権感覚の鈍い国家主義者たちにとってさえ意外なことが、確実に生ずるということなのである。 反対する人の中には、これが戦争への道だと主張する人もいるが、私はそんな風には考えない。先日の反対デモにおいても、「戦争準備の秘密保護法反対!」というスローガンが叫ばれていた。しかし、アメリカの強力なイニシアティヴが、日政府にそんな事を許すはずがない。日近海における偶発的有事は、日の国益と

    namawakari
    namawakari 2013/11/28
    “ここで学ぶべき教訓は、我が国の権力機構の欠陥は、…権力集中が欠如していたことではなく、自由の欠如であった…戦前の体制が、およそ集権制の体をなしていなかった”