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アメリカと戦争に関するnicoyouのブックマーク (8)

  • スミソニアン事件|ブースカちゃん

    当初の企画広島に原爆を投下したB-29「エノラ・ゲイ」は、その知名度とは裏腹に、戦後永らく空軍基地に放置されていました。機体の劣化が進む中、退役軍人会などから復元を望む声が上がり続け、スミソニアン航空宇宙博物館で復元が行われました。 スミソニアンでは、たいへんな苦労とともに「エノラ・ゲイ」復元を進め、終戦から50年の機会に「分岐点…第二次世界大戦の終結、原爆と冷戦の起源」という展示を計画しました。 この展示の眼目は、原爆を投下した「エノラ・ゲイ」の実機とともに、世界を変えてしまった兵器がもたらしたものについて、来場者に問いかけることでした。 企画を考案したマーティン・ハーウィット館長たちは、この展示のために広島や長崎も訪れ、原爆被害を物語る資料の貸し出しや、展示への理解を求めました。日側には、あの「エノラ・ゲイ」が博物館に展示されることへの抵抗もありましたが、原爆被害の悲惨さを伝えること

    スミソニアン事件|ブースカちゃん
  • バーベンハイマーの原爆ミームへの抗議は、アメリカ人側となぜ全く噛み合っていなかったのか|THE MAINSTREAM(沢田太陽)

    どうも。 なんか日で話題になってましたね。 このブログでも7月20日の週あたりから報じていました「バーベンハイマー」。「バービー」と「オッペンハイマー」、この2つの批評的評価の高い映画で、アヴェンジャーズの「エンドゲーム」以来の興行的大成功を得たという話。続編映画しか当たらないハリウッドの状況に一石を投じるすごくポジティヴなものとして世界の映画ファンの間ではかなり好意的な感じで受け止められてました。 ところが こうした原爆を茶化しているのかと思えるミームが出回りまして、これに対してワーナーの「バービー」の公式が「忘れられない夏になる」、あるいはキノコ雲を髪型にして「いかしたスタイリスト」なるレスをやっちゃったんですね。 これが日人の逆鱗に触れて猛抗議が起きまして、「バービー」の公式が日人の投稿で荒れまして、日の公式、さらにアメリカのワーナー社が謝罪するという事態に出て、 こういう

    バーベンハイマーの原爆ミームへの抗議は、アメリカ人側となぜ全く噛み合っていなかったのか|THE MAINSTREAM(沢田太陽)
  • 太平洋戦争80年 真珠湾攻撃の爪痕 今なお深く | NHK | WEB特集

    真っ青な空と、透き通る海。 楽園のようなハワイの光景とあまりにもかけ離れた“異形”の物体が、海底に無残な姿をさらしている。 アメリカの戦艦アリゾナ。 80年前、日軍によるハワイ・真珠湾への奇襲攻撃で、アリゾナは1000人を超す兵士とともに沈められた。 今も真珠湾一帯は、アメリカ軍の重要な拠点となっており、取材や撮影のハードルは高いが、今回、特別の許可を得て撮影を敢行した。 80年の時が流れているにもかかわらず、激しい戦闘の傷痕が、そこかしこに生々しく残されていた。 (NHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争」取材班/在米ジャーナリスト 野口修司) 1941年12月8日(現地時間7日)、日アメリカは4年近くに及ぶ戦争へと突入した。 太平洋戦争である。 緒戦こそ日軍の勝利に終わったが、アメリカ軍の反転攻勢以降、日は終始劣勢を強いられ、最終的には300万近い死者を出し、国土は灰じん

    太平洋戦争80年 真珠湾攻撃の爪痕 今なお深く | NHK | WEB特集
  • 米国は第3の原爆投下を計画していた

    テニアン島に到着した巨大なプルトニウム爆弾「ファットマン」。1945年8月9日に長崎へ投下された。(UNIVERSAL HISTORY ARCHIVE/GETTY IMAGES) 1945年の夏、米国が世界で最初の原子爆弾を投下したとき、戦争は永久に変わった。たった1個の爆弾が、都市とその住民を丸ごと消し去ってしまう時代が訪れたのだ。 米国は、7月にニューメキシコ州の砂漠で原子爆弾の爆発実験を行った後、8月に日の広島と長崎に原爆を投下した。だが、長崎への投下から日が降伏するまでの6日間、米国はこれで終わりとはまだ考えていなかった。次の原爆投下は間近に迫っていた。 長崎への投下で米国は原爆を使い果たしており、降伏しなければさらに原爆を落とすというのはハリー・トルーマン大統領の脅しだったとする主張が根強くある。しかし、それは決して単なる脅しではなかった。 第二次世界大戦末期、米国はできる限

    米国は第3の原爆投下を計画していた
  • 「日本に原爆を落とす必要なかった」米有力紙 異例の論説掲載 | NHKニュース

    75年前の広島と長崎への原爆投下についてアメリカでは「戦争を終わらせるために必要だった」とする意見が根強くありますが、有力紙ロサンゼルス・タイムズは「日に原爆を落とす必要はなかった」などと主張する異例の論説を掲載しました。 この中では、当時のアメリカのトルーマン大統領は、ソビエトが参戦すれば日の敗北が決定的になることを認識していたとしたうえで、「歴史的な資料は、原爆が使われなくても日が降伏したであろうことを示している。それをトルーマン大統領や側近たちも知っていたことは、文書から明らかだ」として、日に原爆を落とす必要はなかったと主張しています。 そして、アメリカで現在、人種差別が再び社会問題となっていることを踏まえ、「アメリカ人が自分たちの国の負の歴史を見直している今こそ、日の都市に対する核兵器の使用について、国民の間で率直な対話をするのにふさわしい時だ」と指摘しています。 アメリ

    「日本に原爆を落とす必要なかった」米有力紙 異例の論説掲載 | NHKニュース
  • 1からわかる!アメリカ vs. イラン(1)なぜ対立するの?|NHK就活応援ニュースゼミ

    資源が乏しい日にとって、重要な中東地域。オイルショックや湾岸戦争をはじめ、中東情勢は日の生活に大きな影響を及ぼしてきました。そして、今、中東の大国イランとアメリカの対立が深まっています。トランプ政権はなぜ、イランに強硬姿勢を取るのか?日への影響や、今後の見通しは?学生リポーターが緊急取材しました。(取材日2019年6月6日) 2011年から2014年までイランのテヘラン支局に駐在した禰津デスク。「イランは、行く前後で最も印象が変わる国のひとつ」。テヘラン駐在のあと2014年から2017年はアメリカ・ワシントンに駐在、イランとアメリカの両国の視点から教えてもらいました。

    1からわかる!アメリカ vs. イラン(1)なぜ対立するの?|NHK就活応援ニュースゼミ
  • パックンが広島で考えたこと

    アメリカの現職大統領として初めて広島を訪問したオバマは、その演説の中で原爆投下の是非論については触れなかった。しかし現場で演説を聞いたパックンは、戦争のない未来を目指そうと呼び掛けたオバマのメッセージを強く受け止めた> 第2次大戦のとき、僕の祖父は米陸軍航空隊の大佐だった。 の祖父は大日帝国軍特攻隊の教官だった。 僕の祖父はヨーロッパ上陸作戦で任務を終え、アジアに移動する準備をしていた。 の祖父は鹿児島の基地で最後の教え子を見送り、自分が飛び立つ番が来るのを待っていた。そして、1945年8月15日に戦争が終わり、僕の祖父もの祖父も家に帰ることになった。僕の祖父は87歳まで生き、の祖父は90歳になる前日に亡くなった。 僕は2人に、広島や長崎の原爆投下に関して話を聞いたことがある。 2人とも、「戦争が続いていたら自分もいつ死ぬかわからない状態だった」「戦争が早く終わってよかった」と

    パックンが広島で考えたこと
  • 「どこの国でもいいから助けてくれ!」 シリア国民の悲痛な叫びを聞いてほしい | JBpress (ジェイビープレス)

    化学兵器使用とアメリカの軍事介入への動きによって、日でも8月下旬からシリア情勢に関する報道が急に増えてきた。しかし、その論調にはおかしなところがいくつもある。 実は筆者は、シリアとはプライベートで長く深く関わってきた。20年前に結婚した元がシリア人で、その後、何度もかの国を訪問し、親族や友人を通じてシリア人社会を内側から見てきたのだ。 シリアは北朝鮮と同様の強権体制の独裁国家で、秘密警察が国中に監視網を構築し、不満分子は徹底的に弾圧する恐怖支配が行われている。言論統制も徹底され、もともと外国人記者が自由に取材できるような国ではないうえ、外国人と接する機会のあるシリア人も、秘密警察を恐れて外国人に迂闊にホンネを話すことはない。したがって、なかなかその真の姿が外国人には見えにくい。 筆者のような関わりは希少ケースと言っていいが(シリア人女性と結婚した日人は筆者が2人目らしい)、そのためシ

    「どこの国でもいいから助けてくれ!」 シリア国民の悲痛な叫びを聞いてほしい | JBpress (ジェイビープレス)
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