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概念と哲学に関するomega314のブックマーク (26)

  • Zero's World: Taxonomy - 類似性と「みにくいアヒルの子の定理」

    類似性と「みにくいアヒルの子の定理」 小野山 敬一 1.はじめに 類似性 similarity は対象間の関係を見るひとつの方法であり,しばしば分類における基準となるもので,それによって事物のグルーピングが行なわれたりするものである.一方,「みにくいアヒルの子の定理」(the theorem of the ugly duckling)は,形質を同等に評価した場合には類似性にもとづく分類がありえないこと,したがって客観的な分類がありえないことを示すものと解釈されている. 「みにくいアヒルの子の定理」はWatanabeが1961年にAAAS annual meetingで言及し,1962年ブラッセルでの講演で厳密な証明を与えた.後者はWatanabe (1965) に収録されている.その後,渡辺自身は,Watanabe (1969) や渡辺(1978,1986)で取り上げているが,他の著者が言

  • 直観 - Wikipedia

    直観(ちょっかん、英語: intuition)とは、知識の持ち主が熟知している知の領域で持つ、推論、類推など論理操作を差し挾まない直接的かつ即時的な認識の形式である。 なお、日語の直観(ちょっかん)は、仏教用語の「प्रज्ञा(プラジュニャー、般若)」の訳語の一つである直観智に由来する。直観智は分析的な理解である分別智に対する直接的かつ質的な理解を指し、無分別智とも呼ばれる。また、整理整頓などでも洞察力や判断力よりも直観を必要とされることが多い。 概要[編集] 直感とは感覚的に物事を感じとることで、勘(で答える)のような日常会話での用語を指すが、直観は、合理的かつ分析的な思考の結果に概念化された知識の実体が論理的に介在する(すなわち思考や、概念という仲介物が知識の持ち主と対象の間に論理的に置かれる)ようなすべての知識の形式、とは異なっている。 パースの言うアブダクションという仮説形成

  • 定言命法 - Wikipedia

    定言命法[1](ていげんめいほう、独: Kategorischer Imperativ[2]、英: categorical imperative)とは、カント倫理学における根的な原理であり、無条件に「~せよ」と命じる絶対的命法である[3]。 定言的命令(ていげんてきめいれい)とも言う。『人倫の形而上学の基礎づけ』 (Grundlegung zur Metaphysik der Sitten) において提出され、『実践理性批判』において理論的な位置づけが若干修正された。 概要[編集] 『実践理性批判』の§7において「純粋実践理性の根法則」として次のように定式化される。 「あなたの意志の格律が常に同時に普遍的な立法の原理として妥当しうるように行為せよ」 カントによれば、この根法則に合致しうる行為が義務として我々に妥当する行為であり、道徳的法則に従った者だけが良い意志を実現させるということ

    omega314
    omega314 2017/08/31
    「汝の信条が普遍的法則となることを、その信条を通して汝が同時に意欲できる、という信条に従ってのみ行為せよ」
  • 確率は観測可能なのか? - hiroyukikojima’s blog

    ぼくの新著『確率を攻略する ギャンブルから未来を決める最新理論まで』ブルーバックスが、そろそろ店頭に並んでいる頃なので、販促の追い打ちをかけておこう。 「まえがき」については、前回(来週に新著が出ます! 確率のです! - hiroyukikojimaの日記)に晒したし、それは『現代ビジネス』(数学者もギャンブラーも投資家も超夢中 世界は確率で動いている!(小島 寛之) | ブルーバックス | 講談社)にも掲載されたので、今回は、もうちょっと、このに込めたぼくの「個人的想い」のようなものを綴ってみようと想う。 確率を攻略する ギャンブルから未来を決める最新理論まで (ブルーバックス) 作者: 小島寛之出版社/メーカー: 講談社発売日: 2015/07/17メディア: 新書この商品を含むブログ (6件) を見るこのでぼくが問題提起したかったのは、「確率は観測可能なのか?」ということ、もっ

    確率は観測可能なのか? - hiroyukikojima’s blog
  • 整数の公理

    整数論の分野で類体の基定理を証明した高木貞治は,同時に日近代の数学のために,『解析概論』[22]のように優れた一般書を書くとともに,また数の概念についても生涯研究し『新式算術講義』,『数学雑談』[23],『数の概念』[24]にその研鑽の跡を残している. 青空学園の『数論初歩』の「存在と構成」では自然数の公理から整数を構成した.自然数をすべての基礎とする考え方は,西洋の伝統である.これに対して,高木貞治の最後の著作となった『数の概念』では,整数の定義からはじまる.意識されていたのかどうかはわからないが,二つの方向の数を対等に扱う東洋的な数の世界をふまえた公理系が示されている.そして,それはより根底的で明晰である. 西洋数学では,あくまで自然数が基礎であり,負数や有理数は必要のために導かれるという立場である.つまり正の数こそ存在する第一のものであり,負数はそこから導かれるという立場である.

    omega314
    omega314 2014/09/21
    『高木貞治は「我々の整数は,物の数でもなく,物の順序を示すものでもない」(『数の概念』)という立場で整数を定義』 「数」とは何か。自然数から始めるのが「自然」に感じるのは、西洋的な数学を学んだ影響かも
  • 数とは何か

    数とは何か English 普通の人は「数とは何か」というようなことは考えずに生活しています。もしも「数とは何か」と問われたなら、多くの人は返答に窮すると思います。例えば一個の物体は、それは純粋な1そのものではなく、あくまで物体です。一人の人間も同様に人間であって、1そのものではありません。そうすると数そのもの、あるいは純粋な数とはどんなものなのでしょうか。 例を用いて純粋な数とはどんなものかを考えます。最初に3個のリンゴと3個の石を比較してみましょう。リンゴには味も臭いもありますが、石には味も臭いもありません。しかしどちらも3個という点では共通していますので、純粋な数には味も臭いもないということが分かります。ただ、どちらも触ることが出来て、見ることも出来、同じ一個の物体です。しかし、数は物体だけを表すものではありません。そこで、次は3個の石と3分間という時間の長さを比較してみます。石は見

  • 時空の哲学 - Wikipedia

    時間と空間の哲学(じくうのてつがく、英語:philosophy of space and time)とは、時間や空間についての哲学的な考察である。 時間と空間の哲学では以下のような問いが考察されている。 時間や空間はその中にある物体と独立に実在するのか、それともあくまで物体の関係としてしか存在しないのか。 時間の反実在論ではジョン・マクタガートが有名。空間の関係説を唱えた哲学者としてはゴットフリート・ライプニッツやエルンスト・マッハが知られる。 時空が存在するとして、それは実体を持つ存在なのか。 アインシュタインの一般相対性理論は時空を実体的に捉えるものと通常は理解され、もしそうならば実体説(substantivism)に立つことになる。時空の反実体説の側の論者としてジョン・アーマンなどがいる。 時空の構造がリーマン幾何学的であるというのは客観的事実なのか、それとも記述の仕方に相対的な単な

  • 霊魂 - Wikipedia

    この記事は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。そのため、中立的でない偏った観点から記事が構成されているおそれがあり、場合によっては記事の修正が必要です。議論はノートの「冒頭「想像上の」概念という記述について」節を参照してください。(2021年6月) この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "霊魂" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2014年4月) 魂は二人の天使によって天国に連れて行かれた (1878年)、ウィリアム・アドルフ・ブグローの絵画。 霊魂(れいこん、羅: anima、ギリシア語: Ψυχή)は、肉体とは別に精神的実体として存在すると考

    霊魂 - Wikipedia
  • 差延 - Wikipedia

    差延 (さえん、différance) とは、哲学者ジャック・デリダによって考案された「語でも概念でもない」とされる造語。 およそ何者かとして同定されうるものや、自己同一性が成り立つためには、必ずそれ自身との完全な一致からのズレや違い・逸脱などの、常に既にそれに先立っている他者との関係が必要である。このことを示すために、差延という方法が導入された。 論理を簡略に述べれば、同定や自己同一性は、主語になるものと述語になるものの二つの項を前提とする(「AはAである」)。そのため主体や対象は反復され得なければならない。「同じである」ということは二つの項の間の関係であり、自己同一性においてもその事情は変わらない。自己自身が差異化することによって初めてそれが複数の「同じ」であるが「別の」項として二重化しうる。そして初めて、同定や自己同一性が可能となる。 このことはそれ自身に完全に一致し、他を成立のため

  • 時間 - Wikipedia

    人類にとって、もともとは太陽や月の動きが時間そのものであった。原始共同体でも、古代ギリシアでも、時間は繰り返されるもの、円環するもの、として語られた[1]。 アイ・ハヌム(紀元前4世紀~紀元前1世紀の古代都市)で使われていた日時計。人々は日時計の時間で生きていた。 砂時計で砂の流れを利用して時間を計ることも行われるようになった。 スイス、ベルンのツィットグロッゲ。ツィットグロッゲには15世紀に天文時計が設置された。 時間(じかん、英: time)とは、出来事や変化を認識するための基礎的な概念である。芸術、哲学、自然科学、心理学などで重要なテーマとして扱われることもあり、分野ごとに定義が異なる。 「時間」という言葉・概念の基的な意味[編集] 「時間」という言葉は、以下のような意味で使われている。広辞苑[2]で挙げられている順に解説すると次のようになる。 時の流れの2点間の長さ[2]。時の長

    時間 - Wikipedia
  • 本質 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "質" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2022年12月) 質(ほんしつ、希: ουσια (ousia), 羅: substantia / essentia)とは、あるものをそれたらしめる自性、ないしそうした特性から成る真実在をいう場合もある。 概要[編集] ある何らかの対象を律する際に充てがうロゴスを「何性(性[要曖昧さ回避]とも)」などと呼び、この呼称を質と見做す事が慣習である。而して同一性ないし類型学種差はこれらの派生である。 これと対比して、付加されたり欠如されたりして、それをそれたらしめる(必然性の欠在)付帯

    omega314
    omega314 2013/09/05
    『対義語は現象。』
  • EMANの物理学・力学・実在の哲学

    omega314
    omega314 2013/04/26
    次の「私が運動量を擁護する理由」と合わせて。→http://homepage2.nifty.com/eman/dynamics/support.html
  • 概念 - Wikipedia

    この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2018年11月) 出典は脚注などを用いて記述と関連付けてください。(2018年12月) 独自研究が含まれているおそれがあります。(2009年8月) 正確性に疑問が呈されています。(2004年3月) 出典検索?: "概念" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL 概念(がいねん)とは、命題の要素となる項(ドイツ語: Konzept・コンツェプト)が表すもの、あるいは意味づけられたものであり、言い換えれば、それが言語で表現された場合に名辞(ドイツ語: Konzept)となるもの。人が認知した事象に対して、抽象化・ 普遍化し、思考の基礎とな

    omega314
    omega314 2012/12/13
    マドカァ!!
  • 心 - Wikipedia

    仏教の概念については「心 (仏教)」を、その他のこころについては「こころ」を、二十八宿の一つである心(しん)については「心宿」を、動物の内臓については「心臓」をご覧ください。 心(こころ)は、非常に多義的・抽象的な概念であり文脈に応じて多様な意味をもつ言葉であり、人間(や生き物)の精神的な作用や、それのもとになるものなどを指し、感情、意志、知識、思いやり[注釈 1]、情などを含みつつ指している。 多義的用法[編集] "心"の広がりは、深く、広く、 感じるままに、思うがままに、 哲学の海、心理の森を旅する。 広辞苑は以下のようなものを挙げている。 人間の精神作用のもとになるもの。 人間の精神の作用。 知識・感情・意思の総体。 おもわく。 気持ち。 思いやり、情け。 他に 趣き、趣向、意味、物の中心、等。 概説[編集] 歴史概観[編集] 古代中国では、心は心臓、腹部、胸部に宿っていると考えられ

  • Tanasinn - アンサイクロペディア

    tanasinnとは、全てを超越した世界で生まれ、全てを見下ろし、全てに不安、恐怖、絶望の感情を与える存在 それは終わりの向こう、始まりの手前に存在するが存在しない領域 tanasinnを目で見ることはできない 触れることもできず、聞くこともできず、逃れることもできない そして我々は誰一人としてtanasinnを地球上のどんな言語をもってしても表す術を知らない この世の全ての感情、記憶、事象、行為を使っても、tanasinnを知ることはできない 感じろ。ただこの瞬間を。 何も考えなくて良い 何も話さなくて良い 何も見なくて良い 何も聞かなくて良い 何も触れなくて良い 何もしなくてもいい 感じろ。ただ目の前に広がる世界を tanasinnを恐れてはいけない tanasinnが怖いからといって逃げていてはだめだ その恐怖こそが自分の心の弱さであると気づけ あなたがtanasinnを恐れるのはあ

    omega314
    omega314 2012/07/30
    『tanasinnとは、全てを超越した世界で生まれ、全てを見下ろし、全てに不安、恐怖、絶望の感情を与える存在』『Don't think. Feel and you'll be tanasinn. 』
  • 空 (仏教) - Wikipedia

    仏教における空(くう、梵: śūnya [シューニャ]または梵: śūnyatā [シューニャター]、巴: suññatā [スンニャター][1])とは、一切法は因縁によって生じたものだから我体・体・実体と称すべきものがなく空しい(むなしい)こと[2][注釈 1]。空は仏教全般に通じる基的な教理である[2]。 原語・原義[編集] 原語はサンスクリットの形容詞 シューニャ(śūnya)、名詞形はシューニャター(Śūnyatā) で、後者は「空なること」を意味するため、しばしば空性と漢訳される[3][2]。śūnya は舜若(しゅんにゃ)と音写し、 śūnyatā は舜若多(しゅんにゃた)と音写する[2]。 シューニャ(サンスクリット語: शून्य, śūnya)は、śū (= śvA, śvi、成長・繁栄を意味する動詞)からつくられた śūna から発展し、「…を欠いていること」という

  • 信念 - Wikipedia

    この項目では、英語での「Faith」や「Belief」の和訳の1つについて説明しています。他の類似語については「信条」、「信仰」をご覧ください。 この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "信念" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年8月) 真実と信念のベン図。重なり合う所が知識である。 灰から上昇するフェニックスの伝説は復活を信じているため、象徴的で文学的な面を通過した西洋文明に刷り込まれています。 信念(しんねん、英語:belief)とはある事柄について揺らぐことのない考え、確信をもつこと[1]。それを裏付ける証拠が有るか無いかは問われないが、客観的な証拠を

    信念 - Wikipedia
  • 思考 - Wikipedia

    この項目では、英語における「thought」の和訳の1つについて説明しています。他の類似語については「思想」をご覧ください。 ポンペイの壁画、「紙とペンを持つ女」 「思考」を表現するイラストレーション 思考(しこう、(英: thinking)は、考えや思いを巡らせる行動[1]であり、結論を導き出す[2]など何かしら一定の状態に達しようとする過程において、筋道や方法など模索する精神の活動である[3]。広義には人間が持つ知的作用を総称する言葉、狭義では概念・判断・推理を行うことを指す[1]。知的直感を含める場合もあるが、感性や意欲とは区別される[1]。哲学的には思惟(しい、しゆい)と同義[3]だが、大森荘蔵は『知の構築とその呪縛』(p152)にて思考と思惟の差について言及し、思惟とは思考を含みつつ感情なども包括した心の働きと定義している[4]。 論理学分野で研究されてきた思考の定義は定まってお

    思考 - Wikipedia
  • トポスとは 社会の人気・最新記事を集めました - はてな

  • 無限 - Wikipedia

    この項目では、概念について説明しています。 ホンダ系の自動車パーツメーカーについては「M-TEC」をご覧ください。 その他の用法については「Mugen」をご覧ください。 無限(むげん、infinity、∞)とは、限りの無いことである。 「限界を持たない」というだけの単純に理解できそうな概念である一方で、有限な世界しか知りえないと思われる人間にとって、無限というものが一体どういうことであるのかを厳密に理解することは非常に難しい問題を含んでいる。このことから、しばしば哲学、数学、論理学や自然科学などの一部の分野において考察の対象として無限という概念が取り上げられ、そして深い考察が得られている。 項では、数学などの学問分野において、無限がどのように捉えられ、どのように扱われるのかを記述する。 無限に関する様々な数学的概念[編集] ペアノ曲線の構成を三回反復したもの。無限に反復した極限で空間充填

    無限 - Wikipedia