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概念と思想に関するomega314のブックマーク (5)

  • 定言命法 - Wikipedia

    定言命法[1](ていげんめいほう、独: Kategorischer Imperativ[2]、英: categorical imperative)とは、カント倫理学における根的な原理であり、無条件に「~せよ」と命じる絶対的命法である[3]。 定言的命令(ていげんてきめいれい)とも言う。『人倫の形而上学の基礎づけ』 (Grundlegung zur Metaphysik der Sitten) において提出され、『実践理性批判』において理論的な位置づけが若干修正された。 概要[編集] 『実践理性批判』の§7において「純粋実践理性の根法則」として次のように定式化される。 「あなたの意志の格律が常に同時に普遍的な立法の原理として妥当しうるように行為せよ」 カントによれば、この根法則に合致しうる行為が義務として我々に妥当する行為であり、道徳的法則に従った者だけが良い意志を実現させるということ

    omega314
    omega314 2017/08/31
    「汝の信条が普遍的法則となることを、その信条を通して汝が同時に意欲できる、という信条に従ってのみ行為せよ」
  • 整数の公理

    整数論の分野で類体の基定理を証明した高木貞治は,同時に日近代の数学のために,『解析概論』[22]のように優れた一般書を書くとともに,また数の概念についても生涯研究し『新式算術講義』,『数学雑談』[23],『数の概念』[24]にその研鑽の跡を残している. 青空学園の『数論初歩』の「存在と構成」では自然数の公理から整数を構成した.自然数をすべての基礎とする考え方は,西洋の伝統である.これに対して,高木貞治の最後の著作となった『数の概念』では,整数の定義からはじまる.意識されていたのかどうかはわからないが,二つの方向の数を対等に扱う東洋的な数の世界をふまえた公理系が示されている.そして,それはより根底的で明晰である. 西洋数学では,あくまで自然数が基礎であり,負数や有理数は必要のために導かれるという立場である.つまり正の数こそ存在する第一のものであり,負数はそこから導かれるという立場である.

    omega314
    omega314 2014/09/21
    『高木貞治は「我々の整数は,物の数でもなく,物の順序を示すものでもない」(『数の概念』)という立場で整数を定義』 「数」とは何か。自然数から始めるのが「自然」に感じるのは、西洋的な数学を学んだ影響かも
  • 差延 - Wikipedia

    差延 (さえん、différance) とは、哲学者ジャック・デリダによって考案された「語でも概念でもない」とされる造語。 およそ何者かとして同定されうるものや、自己同一性が成り立つためには、必ずそれ自身との完全な一致からのズレや違い・逸脱などの、常に既にそれに先立っている他者との関係が必要である。このことを示すために、差延という方法が導入された。 論理を簡略に述べれば、同定や自己同一性は、主語になるものと述語になるものの二つの項を前提とする(「AはAである」)。そのため主体や対象は反復され得なければならない。「同じである」ということは二つの項の間の関係であり、自己同一性においてもその事情は変わらない。自己自身が差異化することによって初めてそれが複数の「同じ」であるが「別の」項として二重化しうる。そして初めて、同定や自己同一性が可能となる。 このことはそれ自身に完全に一致し、他を成立のため

  • 概念 - Wikipedia

    この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2018年11月) 出典は脚注などを用いて記述と関連付けてください。(2018年12月) 独自研究が含まれているおそれがあります。(2009年8月) 正確性に疑問が呈されています。(2004年3月) 出典検索?: "概念" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL 概念(がいねん)とは、命題の要素となる項(ドイツ語: Konzept・コンツェプト)が表すもの、あるいは意味づけられたものであり、言い換えれば、それが言語で表現された場合に名辞(ドイツ語: Konzept)となるもの。人が認知した事象に対して、抽象化・ 普遍化し、思考の基礎とな

    omega314
    omega314 2012/12/13
    マドカァ!!
  • 空 (仏教) - Wikipedia

    仏教における空(くう、梵: śūnya [シューニャ]または梵: śūnyatā [シューニャター]、巴: suññatā [スンニャター][1])とは、一切法は因縁によって生じたものだから我体・体・実体と称すべきものがなく空しい(むなしい)こと[2][注釈 1]。空は仏教全般に通じる基的な教理である[2]。 原語・原義[編集] 原語はサンスクリットの形容詞 シューニャ(śūnya)、名詞形はシューニャター(Śūnyatā) で、後者は「空なること」を意味するため、しばしば空性と漢訳される[3][2]。śūnya は舜若(しゅんにゃ)と音写し、 śūnyatā は舜若多(しゅんにゃた)と音写する[2]。 シューニャ(サンスクリット語: शून्य, śūnya)は、śū (= śvA, śvi、成長・繁栄を意味する動詞)からつくられた śūna から発展し、「…を欠いていること」という

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