レポート 泥にまみれた塚田九段が譲れなかったもの -『将棋電王戦』第四局 "棋士の意地"すら超えた、勝負への壮絶な執念 人間対コンピュータの戦い。このレポートも4回目を迎えるが、今回の戦いほど異様な勝負はこれまでの将棋界では見たことがないものだった。筆者は第三局のレポートの結びで「意地の勝負なら塚田九段はきっとやってくれる」と予想したが、塚田九段が見せたのは「棋士の意地」の範疇をすら超えた、勝負への壮絶な執念だった。泥にまみれることすらいとわない、なりふり構わぬ戦いぶりに対しては賛否両論もあるだろう。しかし、この戦いを称えるのか非難するのか、それは勝負を見た人間がそれぞれに決めればいい。ここでは、この日の盤上とそれを取り巻く人たちの間で何が起こっていたのか、その真実に迫ってみたい。 「第2回将棋電王戦」は、日本将棋連盟に所属する現役プロ棋士5人と、第22回世界コンピュータ将棋選手権で上位に
漫画家の赤松健さんは3月27日、文化庁が主催した「著作物の公開利用ルールの未来」に関するシンポジウムで、漫画の2次創作文化を守るための新ライセンスを、クリエイティブ・コモンズ(CC)に提案した。昨年にも同様な目的でライセンスを提案していたが、「コミケ準備会に突っ込まれた」そうで、新たに、コミケなど即売会当日に限定した新ライセンスを提案。「黙認」を意思表示するというユニークなものだ。 「クリエイティブ・コモンズを普及させるには、漫画ですよね」――赤松さんはそう切り出し、新マーク「CV」(connivance、黙認)を説明する。 「作者として、公式には2次創作は認められないが、従来までのような常識的な範囲内なら、同人誌即売会の当日だけ、無料で2次創作を黙認する」という意思を表示できるマーク。丸い円の中に黒色で人物マークが描かれ、その後ろにもグレーで人物が描かれている。前の人物が著作者で、後ろの
まず宣伝から。 最近、カフカ「変身」を翻訳して Kindle に出しました。 おかげさまで、ロイヤリティが缶ジュース一本分をちょうど越えたところです。 もう一人買ってくれたら自販機のペットボトルが買えるぐらいになります。 世の中ちょろいですね。 まあ、それはともかく。 Amazon に消された本を救出したいを読んで。 「変身」を訳す際に、著作権の切れた原田義人氏のバージョンを参考に訳し、訳し終わってからは誤訳がないかチェックするため、既訳をいくつか購入しました。 それで、手元には岩波文庫の 変身・他一篇(カフカ 作/山下 肇 訳) 変身・断食芸人(カフカ 作/山下 肇・山下 萬里 訳) があります。 上記記事を読んで、裏の ISBN を見てみました。 まったく同じです。 で、「変身・断食芸人」のほうの奥付を見てみると、 1958年1月7日 第1刷発行 2004年9月16日 改版第1刷発行と
大阪長居公園でのホームレス排除の件。 権利を主張する前に、義務をはたせ!! 人権団体が権利、権利と叫ぶが、義務を果たしてこその権利である。 基本的に権利を主張する前にまず義務を果たせと言いたい。 権利とは義務の遂行の結果に与えられる物でしょ? ホームレスと言うものは、一切の義務と責任、権利と自由を放棄しているのだから、公園に勝手に住む権利はない。 権利は、義務を満たしてこその権利であって、義務を果たさないものに権利は与えられない、表裏一体のものと考えられる。 権利と義務は反対語であるように、権利を主張するのであれば、義務は果たさないと駄目よ。 …類似の記述は他にいくらでも見つかります。どうも僕は、この種の言い回しが権力の行使を正当化する文脈で使われるのを見るたびにハラワタが煮えくりかえるようです。ホント頭きたので、権利と義務の構成についてはこれからちょっと勉強することにしようと思います。が
今回はちょっと、主に漫画研究者へと向けた更新です。 泉信行の漫画研究ではたびたび言及され、中心的とも言えるのが「漫画に描かれたものの左右の向き」というテーマです。 泉信行(2005年〜) ネット上では2005年6月に発表、商業では同年12月から『ユリイカ』誌上で研究を展開してきました。 基礎原理の追究から応用法の発見、具体例の分析など、幅広く記述されています。 ネギま!で読む「ネームの文法」 - ネギま!で遊ぶ ユリイカ2006年1月号 特集=マンガ批評の最前線 青土社 2005-12 売り上げランキング : 406967 Amazonで詳しく見る by G-Tools ユリイカ2007年9月号 特集=安彦良和 『アリオン』から『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』まで 青土社 2007-08 売り上げランキング : 327445 Amazonで詳しく見る by G-Tools ユリイ
RuneFest, a convention run by the creators of RuneScape, is supposed to be an annual celebration of the fantasy MMO that came out in 2001 and has stayed improbably relevant in 2018 due to updates, iterations, and an active streaming community. This year, some attendees raised concerns about one streamer in particular,…
きっこのブログ: ついウッカリのベジタリアン いい記事ですね。きっこさんは、「牛や豚や鶏のお肉を食べることをやめ」ているそう。そして、「魚介類はOK」としているそう。で、その基準は なにかと いえば、「自分の手で殺せる生き物だけを食べよう」っていう「俺様ルール」。すてきです。いろいろ かんがえて、「「牛や豚や鶏などのお肉をできるだけ食べないようにする人」ってことを全面に押し出して、細かいことは気にしないことにした」というのも、共感できます。 それでは、「自分の手で殺せる生き物だけを食べよう」っていう「俺様ルール」について。これって、一部のあいだでは、よく いわれていることでも あります。けど、あんまり意識されていない。わたしは、「ベジタリアン宣言」していますので、ベジタリアンなわけですけれども、「かわいそう」という感情は あんまり ないんですね。 こどものころ、ザリガニとか、カエルとか、ム
Histories of Scientific Observation 作者: Lorraine Daston,Elizabeth Lunbeck出版社/メーカー: Univ of Chicago Pr発売日: 2011/02/01メディア: ペーパーバック購入: 2人 クリック: 25回この商品を含むブログを見る Gianna Pomata, "Observation Rising: Birth of an Epistemic Genre, 1500–1650," in Histories of Scientific Observation, ed. Lorraine Daston and Elizabeth Lunbeck (Chicago: University of Chicago Press, 2011), 45–80. 科学史の領域で強い関心を寄せられてきた実験ではなく観察に着
…開いた口がふさがらないニュースを見た。 <ルパン三世>27年ぶりにテレビシリーズ復活! 4月から日テレで | ニコニコニュース 多くの人が知ってるとおり、ルパン三世のテレビスペシャルは年々評判が落ちています。散々です。でも、これってアニメに限ったことじゃないんです。「食」をつかさどる企業は次々と「復刻版・復活」商品をだし、車の会社は一度受けたブランドを何度もリメイク。 すごく細かい論争になるので前書きします。メインは「違和感の指摘」です。私は20代のひよっこでその時代について何も知らんが、それなりに作品の数を見ることで「あれ、ルパンの雰囲気が何度かリニューアルしててるみたい。とりわけここの5年が酷いぞ。どうしてこうなったんだろう」という話がメイン。精密かつ、卓越したルパン論を期待する方はお帰りください。お出口はあなたのブラウザの戻るボタンです。 お品書き 公式から出すのに「二次創作」 ソ
ITMedia: 日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く(前編) を読んで雑感。 「元」はてな好きな人間的には、日本のwebが「残念」よりも、最近のはてなのほうが「残念」な印象なんだけどなぁ・・・ なんか海外留学時代を思い出す既視感。 「俺は日本で評価されないから海外に出るぜ!」とか、「英国でアーティストになりたい!」とか、熱い俺アート論とかかました人みたい。 それでいながら、4年後ぐらいしたら「いや日本人が海外で評価されるって難しいよね」とか「夢を持つのはいいけど現実は違うよ」とか語りだして、半分リタイヤしつつも正業につかづにバイト暮らしして酒場で若者に説教する人みたいな風景。 そもそも、はてなが日本で成功したのは、あくまでSBMにしろwiki的なオートリンクダイアリの仕組みにしろ、他所で流行した優れた概念をいち早くパクッって(輸入して)カスタマイズするタイムマシン商法のバランス感覚
不動産屋がなりふり構わず敷金を返そうとしない件について - 関内関外日記(跡地) 弁護士でも不動産屋でも賃貸不動産管理士でもない高卒の人間が書いた戯言を、何千人者もの人間が読みに来るというのは、なにかおかしいように思える。みんな、他人の喧嘩がおもしろいのだろうか? おもしろいのだろうが。あるいはみんな、不動産屋に騙されたくないと、損したくないと思っているのだろうか? 思っているのだろう。いずれにせよ、やはりすこしおかしいように思える。 さて、下書きは一部書き換えて、DTP的な体裁を整えた上で会社のファクシミリで送信した。翌日返送という速度を優先した。不動産屋は内容証明なんぞ慣れっこだろうし、返事がなければまたべつの手段を取るだけだろう。やれることをやるだけだろう。 ……さて、こんなやり取りをしている俺、先のことを考えている俺はどんな心境になっているのだろうか。精神的に問題があってひどく打た
人々それぞれに命の選択がなされた。 高倉剣山の家で暮らしている兄妹のふりをした他人を嗅ぎまわった週刊誌記者の覗木俊太郎は殺された。高倉冠葉は彼の命と高倉陽毬の安定を秤にかけて、覗木を殺す事を選択した。 「生存戦略、もう引き返せない」 高倉冠葉のやっている事は客観的には正しい事ではない。しかし、主観的には彼は陽毬を選ぶのが正しいと思ったのだろう。だって、好きだから。その愛が、人を殺す。人を殺してでも愛する事を辞められない。そんな人の美しさと醜さと悲しさを見た。だから、僕は泣けた。 冠葉の選んだ組織的殺人という選択肢は解決策としてはダメだ。だが、冠葉にはそれしか選ぶカードがなかったという事だ。他に助けやアドバイスを与える人がいなかった。冠葉に力を貸したのはKIGAの会の残党しかいなかった。悲しい事だ。 でも、選ばれた高倉陽毬は冠葉についていくと言いながら、高倉晶馬に、子供の時に妹には選ばれたけ
はてな最適化(という呼称もずいぶん古臭くなってしまったが)に関する諸問題をいち界面から見れば、ある時期以降に醸成された倫理観みたいなものが根底にある気がしている。「公開の場と非公開の場を使い分けるのはアンフェア!」みたいな…。で、たぶんこれ「リンクフリーはフェア!」みたいな謎の正論街宣車フリーライド願望と似てる気が。それらは当然、それらを声高に唱えるひとにとって必ずしも都合のよい倫理観であるとは限らない。そのうえでそれらは、多種多様でオプショナルな倫理観の中からわざわざ選び取られて実装される。「必ずしも自分を有利にしない正論(の中のひとつ)をあえて、しかも大した理由もなく支持しつつ緩慢に沈んでゆく現代人感覚」みたいなもののひとつ。 ただ、「公開の場と非公開の場を使い分けるのはアンフェア!」みたいな話に限れば、それっていはゆる論壇プロレス的な「どうせこいつら裏では仲良くやってんだろ」みたいな
普段あまり車に乗らない筆者だが、たまに乗るといつも感じるのは、車には独特の社会性があるなぁということである。例えば右折時に相手が譲ってくれるとき、またこっちは譲るときは、特に声など掛け合わなくても、阿吽(あうん)の呼吸でわかる。また、この交差点では対抗右折車を先に行かせた方が後々こっちも曲がりやすいとか、ここはよくトラックが出てくるから減速しとくとか、その地域ごとのローカルルールを飲み込むと、スムーズに走れる。 俗に「車社会」という言葉があるが、これは主要交通手段を車に依存している社会という意味で用いられる。しかしもっと狭義の意味で、「車上社会」というか「車道社会」というか、運転しているもの同士でのみ共有できる認識社会のようなものが存在するように思う。 ここで筆者が社会の定義について述べることはおこがましいのであるが、まあ一般的には秩序がある状態を広く指すということでいいのではないか。路上
おそらく多くの人が、一人歩きしたルールのおかげで歯がゆい思いをした、という経験があることかと思います。 以前に id:jkondo が CNET で、ある図書館のエアコンの温度設定を具体例にした組織論を書いてました。この図書館には僕も一緒にいたのですが、まさにルールが一人歩きした具体例だなと思います。 図書館の話というのは、 今年の夏、猛暑の日、館内が蒸し暑い 館内のエアコンがあまりきいていないようだ 周囲の人はみな、汗だくになりながら本を読んでいる そもそも暑いのは、クールビズで28度設定に、というルールからっぽい 冷房をもう少しきかせてくれとお願いしても、いろいろ理由を聞かされて叶わない といった出来事です。 家でエアコンを28度に設定した場合だと、まあいつもよりは冷えてないけど、本を読むだけで汗を吹いたりはしないわけで、明らかにこの図書館のエアコンはききが悪かった様子でした。ですが、
おくればせながら、はてなのパパことid:kanoseさんのエントリARTIFACT@ハテナ系 :昔からいた電車の床に座り込む人たちに反応してみたいと思います。ロートルの語る昭和の昔、電車内の風景について。●ゴミは座席下にまず、列車内でゴミは座席下に捨てるのがマナーという話だけど、1950年代東海道本線で撮られたという下の写真を見て欲しい。「ええ! 昔の電車の床ってこんなに汚いの?」と思われるかも知れないけど、1970年頃の僕の記憶では、ある程度の長距離を走る電車では、定期的に車内清掃のひとがやってきた。なので、それに合わせてみんな弁当のゴミはもちろん、ポケットのちり紙や鞄の中の紙くずなども(わざわざ)取り出して床に捨てていた。その瞬間の写真だからとりわけ汚いのだと思う。(運行中の)車内清掃っていつなくなったのだろう。●電車内ではズボンを脱ぐ残念ながら写真は無いのだが、電車に乗るとおもむろに
機関銃が世の中に登場して、それはもちろん極めて効率的な道具だったから、 すぐに戦争で用いられるようになった。 異民族との戦争では、機関銃は、時に100倍もの戦力差を跳ね返す活躍を見せたから、 現場の兵士はその武器を大歓迎して、それでもなお、将官の人達は、機関銃の価値を認めようとしなかったのだという。 兵士が一列横隊で銃剣突撃して、騎兵隊が戦場最強の部隊だった時代。 戦争教則は、銃剣と騎兵とを最大に生かすように理論が組まれて、磨き上げられた理論を捨てるのは もったいないから、将軍は機関銃を捨てた。 それはたしかに「異民族」との戦いで活躍したかもしれないけれど、「人間同士」の戦いは、 あくまでもライフルと、銃剣突撃とで決着がつくものだから、そこに機関銃の出番はないのだと。 本当の戦争が始まって、ドイツが機関銃を採用して、横一文字に並んだ騎兵、「正しい戦場」での 最強部隊が、機関銃陣地に殺到した
明けて土曜日は学士会館で取材が二つ。 一つは旧友阿部安治くんの会社、教育開発出版株式会社の仕事で、教育問題について。 阿部くんはアゲイン店主石川 “針切りボーイ” 茂樹くんの青学仏文時代の友人の過激派文学青年で、私も二十歳頃からの長いおつきあいである。 夭逝した妻のみさぶーが「名前からして『治安』をひっくり返すんだから」と長嘆していたとおり、出版会社に入ってからも組合の委員長をやって経営者たちの心胆を寒からしめていたが、いつのまにかその会社の社長になっていた。 平川くんの跡を継いで、サンケイに「ビジネスアイ」というコラムを書いているので、名前をご存じのかたも多いであろう。 どうして子どもたちはこんなに学力が低下してしまったのでしょう? というインタビュアーの質問から始まって、1時間半ほど「学ばない子どもたち、働かない若者たち」の「モチベーションの崩壊」がどのようなダイナミックな構造をもって
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