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人生と医療に関するpetronius7のブックマーク (6)

  • 今年外科には誰も入局者がいなかった

    嘘のような当の話だ。 俺は呼吸器外科を専門にしていて今年で医者19年目になる。 昨日の人気エントリーに入っていた研修医2年目の子の話https://anond.hatelabo.jp/20180630150652を読んで俺も書こうと思った。これは俺個人の意見だから、外科の先生みんながそう思っているわけじゃない。だから批判するなら俺だけにしてほしい。 俺のころはまず初期臨床研修制度ってものがなかった。2年間いろんな科をローテーションするってやつがなかった。だから当時俺たちは卒後すぐに診療科を決めなくちゃいけなかった。俺は家が病院ってわけでもなかったから、何科に行くのも自由だった。だからこそ悩んだよ。だってまだ俺その時25才だぜ?25才で一生やってく仕事なんてそんな簡単に決められねーよ。学生時代に2週間ぽっち診療科をグルグル見たってさ、たった2週間だぞ、そんなんで決められねーよ。 でさ、悩ん

    今年外科には誰も入局者がいなかった
    petronius7
    petronius7 2018/07/02
    俺が医学生だったとして、ジョン・ハンターのwikipediaを読んだ直後なら、すげぇ面白そうで外科にはいったかもしれん。
  • 元旦から祖父母とインスタントラーメンをすする悲しさ

    「あんたは、なにちゃんだったっけか?」 孫である僕の顔を覗き込む祖母。 まさか自分がこんな、ドラマのワンシーンのような状況に遭遇することになろうとは… 驚愕、混乱、不安、そして、悲しみ。 当に色々な感情を抱いた時、人はどんな表情も作れないのだと、23にして初めて知った。 年末年始、母方の実家に帰ったときのことである。 「けんちゃんだったかしら」 「・・・そうだよ」 引きつりながら笑って頷く。 なんだ、びっくりした。自分の年齢に乗っかった新手のネタか。 これは一わされた。はっはっは。 最初のやり取りはそんな感じだった。 これが当にネタだったなら、どんなに心穏やかに新年を迎えられたことだろう。 おばあちゃんがボケた。 これまでとは違い、決定的に。 名前を聞いてきたことが、冗談ではなく気の確認作業だったのだと気付くのに時間はかからなかった。 当にボケていたのだと最初に確信した時、今ま

    元旦から祖父母とインスタントラーメンをすする悲しさ
    petronius7
    petronius7 2017/01/02
    記憶が出来なくなるというのは、痴呆だけではなく、脳梗塞などの脳血管障害でも起こる。体に障害は無くても記憶がダメだと、どこかに出て行くと帰って来れないので世話をするのは本当に大変。
  • 42歳「脳が壊れた」ルポライターのその後〜私が障害を受容するまで(鈴木 大介) @gendai_biz

    先日、書籍『されど愛しきお様』を上梓したばかりの文筆家の鈴木大介さん。「大人の発達障害」な“お様”と、41歳で脳梗塞で倒れ、高次脳機能障害を背負った鈴木さんの、笑って泣ける、18年に渡る家庭再生の軌跡です。 記事は、『されど愛しきお様』執筆のきっかけとなった、病後間もない鈴木大介さんが高次脳機能障害を受容するまでの道のりです。 トイレでこっそりゼリーをべる 昨年初夏、41歳で脳梗塞に倒れた。 幸い一命は取り留め、血圧や血液の状態などを改善維持すれば再発リスクはそれほど高くないというが、左半身に軽度のマヒと、構音障害(呂律障害)、そして高次脳機能障害(以下「高次脳」)という聞きなれない後遺障害が残った。 リハビリを経て比較的短期間で回復したのは、身体や口回りなどフィジカル面のマヒ。ところが一方の高次脳については感情の抑制困難や注意障害・遂行機能障害が複雑に絡み合った形で残存し、結果

    42歳「脳が壊れた」ルポライターのその後〜私が障害を受容するまで(鈴木 大介) @gendai_biz
    petronius7
    petronius7 2016/12/01
    私も同じく半空間無視との闘病中なのでその気持ちは痛い程判る。正常に見られたいので、治ってる訳じゃ無いけど症状を隠したくなるんだよ。
  • 化学物質にちょっと敏感な私が貧困をどこまで「なにかのせいにするか」について色々思うこと。 - でくのぼうちゃんのブログ

    どうなんだ!! まいどです。でくのぼうちゃんです。 貧困の原因をどこまでまわりのせいにできるのだろう 色々なブログを読んでますと、貧困で子ども3人いて500円で作る材的な話題な話がありました。 選択的な回答だったんですが、いつも思うのが貧困な話題に「健康」な話がついていないなーと思うことです。 まあ、なぜ貧困になったかという話にも関係していますけど。 私の話をしますと、我が家はまあみごとな下流な家庭になっているわけですが、 その原因の一つに「私の化学物質に過敏なこと」が挙げられます。 出産して息子の湿疹をどうにかしてやりたいのと同時に自分のアレルギー問題に向かい合いまいました。 家に置いてある洗剤をすべて無香料にし、洗剤というものを見直しました。 も意識して息子の湿疹もなんとかして自分のアレルギーもなにがあるかがわかるようになりました。 私は歯に詰め物をして一気にイーストコネクションを

    化学物質にちょっと敏感な私が貧困をどこまで「なにかのせいにするか」について色々思うこと。 - でくのぼうちゃんのブログ
    petronius7
    petronius7 2015/12/22
    イーストコネクションってなんぞ?と調べてみると、胡散臭いというか警戒レベルを上げたくなるページしか見当たらない。救いを求めて悪徳業者の餌食になってる人が結構いる気が......
  • ある胃がん患者の生き様 | ヨミドクター(読売新聞)

    petronius7
    petronius7 2013/11/05
    抗がん剤に蝕まれるのが嫌で、がん細胞に蝕まれるのを選ぶのか……家族はどう思っていたんだろう?
  • 俺は発達障害だった

    小さい頃から無鉄砲で怪我ばかりしていた。生意気な子供で、えばりんぼうの年上の奴や教師を、「殴られる!」と頭で分かっていても、挑発して殴られまくった。母ちゃんは田舎の祖父ちゃんに「私にはあの子を育てる自信が無い」と言いながら泣いていたらしい。小・中学生時にテストで何度も1番を取っても、授業中に教師が言っていることに全然集中できなかったため、通信簿で「5」を取ったことが無い。通信簿には「窓の外ばかり見ている」と書かれた。クラスのアンケートでは、女子から「クラスで一番話しかけずらい人・変な人1位」で、男子から「1番面白い」と書かれた。その後、クソみたいな高校のビリから、何とか東京のBラン大学に滑り込んだ。ちなみに高校時代は、Zガンダムのカミーユ・ビダンのような性格で、ナイーブで切れやすかった。大学入学後は、切れやすい衝動もいくらか落ち着いたが、頭の中は常に洪水のように色々な葛藤が湧き上がってきて

    petronius7
    petronius7 2010/06/27
    そうか、あの「坊つちやん」は発達障害者なのか。
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