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小野ほりでいの検索結果1 - 40 件 / 106件

  • 無思想はなぜヤバいのか|小野ほりでい

    ヤバい思想、と言われると皆さんが思い浮かべるのはなんでしょうか。ファシズムや全体主義?差別主義?優性思想?それとも宗教的原理主義? この世に数多ある危険思想のなかで、ユダヤ人哲学者・思想家のハンナ・アーレントが最も重大視したのは「無思想」でした。 無思想、ノンポリ、無宗教…という「無属性」なステータスを自認していることは私たちの国では取り立てて珍しいものではありません。実際、多くの人は自分は「偏った考え方」に染まっておらず、「普通の感覚を持った/普通の日本人」であるというふうに考えています。よく異文化から揶揄されるように私たちは、「他の人と違う」ことに漠然とした恐怖を持っており、「普通であること」、そして「特定の立場や意見を主張しないこと」によって他の人たちとの温かい連帯関係の中に存在できます。 しかし実のところ、この「自分は普通の感覚を持っている」という自認こそが危険な状態だ、というのが

      無思想はなぜヤバいのか|小野ほりでい
    • 「自分が我慢していることをお前も我慢しろ」という心理|小野ほりでい

      人間が備えている認知バイアスのうちもっとも凶悪なものは、自分の経験した苦労はそれがどれほど無意味なものであろうと有益だったと考えたがる傾向だろう。生が本質的に不合理なものである以上、僕たちは不可避的に全く無意味な労苦や不幸に見舞われる―――しかもこれといった理由もなく。人は、そういった不合理が耐えがたいために、自分の経験した不幸や労苦には何らかの意味があったと正当化することで精神の平衡を保とうとするのだ。 たとえば、ある会社の新入社員は毎年全く根拠のない精神論的訓練で構成された研修で人格否定を受けるのが習わしになっているとしよう。罵倒されたり大声を出したり走り回ったりわけのわからない文言を復唱させられたりする。これらの経験はその時ばかりは耐えがたい屈辱、無意味な苦行に過ぎないが、時間を経るほどに記憶に対してはこの経験を正当化しなければならないという力がはたらく。すると、これらの苦痛の経験が

        「自分が我慢していることをお前も我慢しろ」という心理|小野ほりでい
      • 【コロナ】怖がってくれない人たちについて|小野ほりでい

        今回のコロナ禍では、世界中で「どうしてそうなるの?」と疑問に思うようなできごとがたくさん起きていますね。記憶に新しいのは、テキサスで「ウイルスはデマだ」と考えていた30歳の男性が罹患者と触れ合ういわゆる「コロナパーティ」に参加し、死亡したというニュース(付記:このニュース自体がデマではないかという指摘もあります)です。 人間は何らかのリスクに直面すると(生命でなく)精神を防衛するためにさまざまな策をめぐらすのですが、この性質についてよく知っておくと今起きていること、今後起こるであろうことに対する理解が深まるかもしれません。今から書く見方は仮定を多分に含みますが、身近な考える足がかりにしていただければと思います。 頑なにリスクを認めない人 さて、まず問題になるのはどんなに説得してもリスクを認めようとしない人々のことです。コロナは単なる風邪だとか、昔からある病気だから今までどおりに過ごすべきだ

          【コロナ】怖がってくれない人たちについて|小野ほりでい
        • 炎上マーケティングしたときに起こること|小野ほりでい

          Go Toでちょっと高い旅館に泊まったら、大失敗。出てきた夕食がこれ。さらに天麩羅とごはん、お吸い物。多すぎて到底食べきれない。シニア層がメインターゲットのはずなので、つまり廃棄前提(としか思えないし、実際にかなりの廃棄が出ているはず)。不味くはないけど、体験価値としては…… pic.twitter.com/hw3xsCQTfM — よりかね けいいち@子どもに伝えたいIT/メディアリテラシー(noteサークル) (@k_yorikane) August 10, 2020 先日、「旅館で出てきた料理が多すぎる」という苦言風のtweetが拡散し、結果的に宣伝効果があったこと、そして発信者のプロフィールに「田端大学」というキーワードがあったことから「炎上マーケティングではないか」と話題になりました。 この田端信太郎という方を調べてみると、以前にも「コロナ禍で同業者が倒産すれば競合が減るのだから

            炎上マーケティングしたときに起こること|小野ほりでい
          • 【小野ほりでい】要注意!現代人がソーシャルゲーム中毒になる“3つの罠” – おしえて!ゲームはかせ

            ユニークな絵とネットの鋭い考察がトゥギャッチなどで大人気のコラムニスト・小野ほりでいさん。実はSteamのゲームを漁るゲーマーであるという、そんな小野さんが電ファミニコゲーマーに登場! 天才ゲーム少年マサキチ君と、ゲームはかせなる人物が語り合ったテーマは「ソーシャルゲーム」。なぜかソーシャルゲームに並々ならぬ恨みを抱くゲームはかせは一体何を企んでいるのか…!? イラスト・文/小野ほりでい 登場人物

              【小野ほりでい】要注意!現代人がソーシャルゲーム中毒になる“3つの罠” – おしえて!ゲームはかせ
            • 政治の話をやめて、猫や犬の画像でも見ましょう|小野ほりでい

              cakesという媒体がこの2ヶ月で立て続けの炎上を経験している。3回目になる今回は、ざっくり言えば声優・文筆家のあさのますみさんが以前からcakesでの掲載に向けて準備していた友人の死にまつわる連載が、cakes1回目の炎上(DV被害を虚偽と決めつけた人生相談)、そして2回目の炎上(ホームレス取材記事)を受けて「センシティブな内容だから」という理由で反故にされ、掲載を拒否されてしまったというものだ。(詳しくは本人の記事を参照。) 言うまでもなく、この掲載拒否の動機は内容に関する倫理的な吟味によってではなく「炎上するかもしれないから、もう炎上したくないから」という消極的な理由によるもので、その判断が裏目に出てかえって炎上してしまった格好になる。 しかし、今回の件についてのcakes側の粗末な対応は、cakesが抱えている特別な問題ではなく、断言してもいいが、ほとんど全てのメディアで日常茶飯事

                政治の話をやめて、猫や犬の画像でも見ましょう|小野ほりでい
              • 被害者はなぜ”追撃”される? 冷笑系クラスタの仕組み|小野ほりでい

                皆さんは、自分の見ている前でいじめが起きているときに加害者と被害者のどちらに寄り添いたいと思いますか? 「当然、被害者だ」と答えたあなたは・・・たぶん、心の強い人です。世の中には、「加害者」と「被害者」が存在しているときに「加害者」のほうに加担することを選ぶ人が実は少なくありません。なぜそういうことになるのでしょうか? これには次のような理由があります。 △加害者と被害者、どっちに味方する? さて、世の中誰が本当の「加害者」で「被害者」なのかを見定めることは簡単ではありませんが・・・ここでは、単純に「いじめ」の加害者と被害者がいたとしましょう。 このとき、それを目撃したわたしたちは単純に図のAとBのように、「加害者側」に立ってそれを笑い飛ばすか、それとも「被害者側」に立って寄り添うかという選択を迫られます。 このとき、「加害者側」に立とうとするひとたちの動機はシンプルです。それは・・・ 被

                  被害者はなぜ”追撃”される? 冷笑系クラスタの仕組み|小野ほりでい
                • 非モテは不幸だという呪い|小野ほりでい

                  人間ははじめ無能の役立たずとして産声をあげ、そして遅かれ早かれ無能の役立たずになって死んでいくものである。人間の本質を有用さと無能さのどちらに置くかで迷ったら、まず後者と考えて間違いないだろう。したがって、私たち人間は大なり小なり自分の無能さを受け容れなければ立ち行かなくなる時がやってくる―――無能な自分に対する否定的感情は、自分自身に対してか、それを転嫁された他人に対する攻撃として結末するだろう。相模原障害者施設殺傷事件などはその結末の一例である。 無能で役立たずな自分に対する愛情を私は自己肯定感と呼んでいる。しかし、無能で役立たずな人間に対する愛情のまなざしを示すもっと普遍的な名前がある。人権である。人権は、どのような人にも変わらない条件で一様に存在している。私が人権を、ほかの何を差し置いても最も偉大な発明だと感じざるを得ないのは、それが存在するという主張なしには存在し得なかったものだ

                    非モテは不幸だという呪い|小野ほりでい
                  • リアリストはなぜ話が通じないのか?|小野ほりでい

                    どんな人も、何かを特別に重要だと考えることによって生きる糧にしています。その多くは、社会で成功してお金を稼ぐこととか、子供を育てることとか、あるいは信仰的なものかもしれませんが、もっと個人的なものに対する愛好を糧に生きている人はオタクなどと呼ばれたりしますね。 いずれにせよ、その「信じているものがある」から生きていける、という主観的な部分を取り沙汰すれば、どんな人もオタク的であるという言い方もできるかもしれません。 一方で、特別に個人的なものを糧にして生きている人にとって避けられないのは、「自分が信じている」ものの価値を冷笑されたり、否定されるという経験です。特に、趣味を持っている人は、以下のような物言いをする人たちに遭遇したことがあるかもしれません。 このような物言いをする人たちは、自分のことをリアリスト(現実主義者)だと言ったり、思っていたりするようです。リアリストにとって、自明に存在

                      リアリストはなぜ話が通じないのか?|小野ほりでい
                    • 【新型コロナウイルス】を軽視した2020年を振り返る|小野ほりでい

                      新型コロナウイルスとともにあった2020年に私たちが知ったただひとつの事実は、よく言われるように、たとえ人類共通の危機にあっても人々は協調するどころか分裂し、仲違いするということだった。私たちの敗因は、ウイルスという見えないリスクへの認識を統一し、それに立ち向かうための共同の文化を形成できなかった点にある。 ウイルスのリスクは、まずその多寡の評価において分裂しており、続いてその[責任]の所在―――発生源である外国にあるのか、対策を怠る政府にあるのか、身勝手な市民にあるのか、あるいは[騒ぎ立てるマスコミ]にあるのか、といった具合に分岐する。 しかし、これらの「イデオロギー的な対立」は表層的なものであり、むしろこのリスクを「イデオロギー的に見る」こと自体がひとつの罠にはまっている。この前提を得るためにそもそもの「文化」の意義を振り返ってみたい。 自然には、人間のいかなる強制もあざ笑うようなさま

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                      • 反出生主義はやさしさの塊|小野ほりでい

                        どうやら、「反出生主義」と聞くと反射的に不快な感情を抱く人が多いようだ。確かに、内容をよく知らずに字面だけを見ると自分が不幸に暮らしているだけの人がその主観を人類全体に拡大して「産むな」と生命そのものを呪っているような印象を受けるかも知れないし、実際にそういう側面もあるだろう。生まれたこと、存在していることが幸福であるか苦痛であるかなんてその本人にしか決められないし、場合によっては本人にも分からない。しかしそれは逆に言えば、産んでおけば何がなんでも感謝してもらえるわけでもないということを示している。 それはともかくとして、どっちにしろこの反出生主義という考え方は時代にマッチしていてとても有用な側面があり、脊髄反射で否定するには勿体ない代物ではないかと思う。なにも反出生主義という立場に立って、その思想に同調しなくとも、視点として持っておくだけでよいのだから。 ”とりあえず”産むか産まないか

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                        • 「井戸に毒」のデマに見る、「2ちゃんねる的インターネット」を引きずる人々|小野ほりでい

                          2021年2月13日の地震後、Twitterなどで「~~が井戸に毒を入れた」というデマが多数投稿されました(現在は多数のアカウントが凍結済み)。これは1923年の関東大震災後の(虐殺の発端ともなった)悪質なデマが再生産されたものですが、なかでも一部は「匿名掲示板型のアイロニー」という文脈によってパロディされたものであり、擁護する立場の者の主張によれば、これは「パロディ(つまりパロディ元への批判的な笑い)」―――すなわち「ネタ」であるので問題ではない、とのことです。 このような書き込みが「なぜ問題なのか」については、もはや説明するまでもないほどに論じ尽くされているので、今回はむしろ「なぜこのような書き込みが起こったのか」について考えてみましょう。 アイロニーとしてのパロディ さて、先ほど触れたように、この「悪質なデマのパロディ」および「これは政権による人工地震だ」というような「パラノイア的な

                            「井戸に毒」のデマに見る、「2ちゃんねる的インターネット」を引きずる人々|小野ほりでい
                          • 紙とペンだけで4000円得する方法 - 小野ほりでいのシンプルなブログ

                            さて皆さん、節約において最も有効な方法は何かご存知でしょうか? それは「家を出ないこと」です。 というのは先日、某大きいモンスターを倒すゲームが発売され、そのプレイヤーたちがこぞって「家を出なくなって出費がだいぶ減った」と発言していたことの受け売りなのですが、これは自分も同じ現象に見舞われた口なので効果としては折り紙つきです。 しかし、ゲームばかりして家を出ないという不健全な生活の見返りとして多少の金が浮いたところでそこには幾許の虚無感が残りはしないでしょうか? かの中島らもは「教養とは自分一人で時間を潰す能力のことだ」と言ったそうですが、ここはひとつゲーム機を窓から投げ捨て、紙とペンさえあればできる暇つぶしで教養溢れる節約生活を送ろうではありませんか。 ということで、私が今回皆さんに提案するのは家で一人で、紙とペンさえあればできるモンスターハンターの8倍面白い暇潰しです。どうぞ最後までご

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                            • R・油さんの生活|小野ほりでい

                              2014年に「わいわいやろうよ」という同人誌に寄稿したアナログ漫画を公開します。 半年ぐらいお腹を下していて一生治らないのではないかと思っていた時期に描いたもので少し暗いですが最後までお読みいただけると幸いです。 *あとがき 全くどうでもいい話なのですがこの漫画を掲載してもらった時期はずっとお腹を下していておかゆのようなものしか食べられず、毎日定食屋やファストフード店のホームページを見に行ってはすすり泣くような生活をしていました。 謎のお腹下しはそれからしばらくして無事に収まって、今では天丼てんやでも牛タンねぎしでも好きなところに行けるのですが、消化器官の状態とは裏腹に金銭的にうどんぐらいしか食べられない状態になってはいます。 さて、この漫画を無料公開した理由ですがひとつギリギリの告知があります。 明日10/23コミティアにてけつのあなカラーボーイ様(様をつけたくない名前ですが)が販売する

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                              • 「ガールズ&パンツァー 劇場版」感想|小野ほりでい|note

                                超人が大暴れし、車が爆発する映画が映画だとうたわれる中で誰が車と爆発の映画を作りたがるでしょうか。 お金や人数、それに火薬の量でアメリカに勝てるはずもない日本という国で映画を作ろうとなれば車と爆発というメインストリームを避けて、「何をするか」という部分で個性を出して勝ちに行くのは必然だといえます。しかしこの「ガールズ&パンツァー 劇場版」は、車と爆発、すなわち戦車と砲撃で8割が構成されている、ハリウッドも真っ青の爆発映画でありました。しかしながら、その破壊と爆発のカタルシスは、私が飽き飽きしていた一部のアメリカ映画の、それじゃ大将ここで爆発一丁とばかりに間断なく車が爆発する類の映画における爆発とは一線を画す、文字通り心臓を震わせる爆発でした。  映画の冒頭でこのアニメーションがどういったものであるのか説明がなされますが、それはひとつの大嘘に簡略化されます。この世界には「華道」「茶道」と同じ

                                  「ガールズ&パンツァー 劇場版」感想|小野ほりでい|note
                                • 小野ほりでいに関連する59件のまとめ

                                  「小野ほりでい」に関連する6件の画像・動画・ツイートやニュースのまとめをお届けします。

                                    小野ほりでいに関連する59件のまとめ
                                  • いやに吸いにくいタバコで節煙しよう! - 小野ほりでいのシンプルなブログ

                                    ゲーッホゲッホ! こんにちは、小野ほりでいです。 揺るぎない中毒性と容赦ない課税政策で低所得者の財政を圧迫してはばからない喫煙の習慣ですが、これを少しでも減らせば暮らしが豊かになるのに・・・と思いませんか? それがあなた自身であるにしろ家族であるにしろ、お金を節約できてなおかつ健康に良いとなれば節煙するに越したことはありません。 今日は、私自身が納得いくまで節煙法を実践してみたいと思います。 ・・・さて、「キャラ弁」というのをご存知でしょうか? 色とりどりの食材を使って弁当にキャラクターの絵を描き、作ってもらった人が「わ~、かわいくて食べられな~い☆」となるアレです。 私が最初に考えたのは、節煙するにあたって、もしタバコがすごくかわいかったら吸いにくいのでは?ということです。それではさっそくタバコをかわいくしてみましょう。 1.手足を生やす 顔を描いて手足を生やしてみました。う~ん、かわい

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                                    • 「傷つかない心」の危うさ|小野ほりでい

                                      メンタリストDaiGo 4年で変わってしまったな。 他人に人生をコントロールされてしまっている…。 pic.twitter.com/xXnoHzGmxK — こがねぃ (@koganeaki25) July 24, 2020 先日、Twitterで上のような発言が流れてきた。かつて悪口や批判に対して「相手にしなければ影響はない」「気にするのは他人に人生をコントロールされることだ」と表明していたメンタリストDaiGoさんが誹謗中傷に対する徹底抗戦の構えを見せたという、言ってみれば180°の方向転換について指摘するものだ。 「心の強さ」という概念に関しては私たちはまだ知らない部分が多いらしく、一定の持論や自負のある人がその「強さ」の秘訣についてレクチャーを試みたあとに何らかの方向転換を迫られるという事態は存外よく起こる。たとえば「死ぬこと以外かすり傷」という勇ましいタイトルの著者である箕輪厚介

                                        「傷つかない心」の危うさ|小野ほりでい
                                      • ブスという言葉が死に向かいつつあるね|小野ほりでい|note

                                        なんかのきっかけで昨年のお笑い芸人の好感度ランキングの一位がサンドウィッチマンだったということを知って、これほど素晴らしいことはないと思って触れ回っていた。そして彼らの好きなところを語る過程で「"ブス"みたいな言葉を使わない」という話になった。その後、別の芸人について「こいつらは優しそうな顔をして”ブス”で笑いを取るから嫌い、干されたらいいのに」と、別にそこまで思ってはいない悪口を言い始めたら本当にこの人たちのこと嫌いだなという気持ちになり始めて危ないと思ったので途中でやめた。 それで、後になってお笑い芸人がそれぞれ「ブス」という言葉を使うか使わないかという軸で考えたときに、見ていて「あ、好きな人が出てきた」と思う、好き中の好きな人と、面白いことを言ったら笑うけど積極的には見に行かない、中の上止まりの人を考えたときに、明確にこのあたりに差があることに気付いた。 誰かがブスという言葉を言い切

                                          ブスという言葉が死に向かいつつあるね|小野ほりでい|note
                                        • テレビゲームはいらない!?子どもたちが本当にクリスマスに求めているものとは - 小野ほりでいのシンプルなブログ

                                          さて、師走です。ご存知のとおり師走とは12月の異名であり、年老いたサンタクロースがトナカイを走らせている様子から名付けられたことで有名ですが、奔走するのはトナカイばかりではありません。私たち大人にとって師走は子供たちへのプレゼント代を捻出するためにあちらの消費者金融からこちらの闇金融へと地獄の行脚を強いられる苦悩と絶望の季節なのです。 そんな事情を知ってかあるいは足元を見てか、ゲーム業界も私たちを破産に陥れようとこの時期にこぞって新作を発表します。 しかし、子供がいくら欲しがってもこのようなゲームを買い与えることは情操教育上良くありません。ゲームばかりして育った子供は現実と虚構の区別がつかず、遊び感覚で万引きや強盗、婦女暴行をはたらいたり、ひどい時には一度死んだのに生き返ったりするというではありませんか。 さあ皆様、子守代わりに子供にテレビゲームを買い与えるのはやめにして、もっと創造性の溢

                                            テレビゲームはいらない!?子どもたちが本当にクリスマスに求めているものとは - 小野ほりでいのシンプルなブログ
                                          • ポリコレが抱える6つの脆弱性|小野ほりでい

                                            皆さん、ポリコレは好きですか?好きですよね、分かります。 ポリティカル・コレクトネスの主だった機能のひとつは端的に言えば善の普遍化、あるいはガイドライン化です。ご存知のように人間社会には、「上司の酒は断るな」とか「みんなが残業しているのに新人が帰ってはいけない」とか「無理にしなくてもよい、というのはしたほうがよいという意味だ」というような数々の不文律が存在し、私のように共感性に乏しい人間はこのような明文化されていないルールに翻弄されながら生活しています。 しかし、倫理的なルールを明文化する動きとしてのポリティカル・コレクトネスは基本的にこういった「空気」的な概念と対立するものであり、なかでも「男ならこうだ」「女はこうすべきだ」といった差別的なものであれば批判的に検討可能にしてくれます。このために、私のように「空気を読む」のが苦手なタイプの人間は「書かれていないルール」を「書かれたルール」に

                                              ポリコレが抱える6つの脆弱性|小野ほりでい
                                            • 毎日が小野ほりでい

                                              【あらすじ】 あらすじ: ホットコーヒーおじさんはいつものようにマクドナルドのキャラメルマキアートを飲んで一息つこうとしていた。誰にも邪魔されないリラックスしたひとときを過ごすつもりが.­..?

                                                毎日が小野ほりでい
                                              • HSPブームと”カジュアル”心理学|小野ほりでい

                                                恐れていたHSPブームが来てしまいました。 メディアを信じ、自分がそうなのかもと思ってしまう人に罪はありません。しかし存在しない病名や耳障りのいいことだけ呟き安心させる専門家は罪です。。(´・_・`) HSPに当てはまる気がする背景に、何か別の病気がないかをきちんと考える必要があります。 — 藤野智哉@精神科医 (@tomoyafujino) September 20, 2020 HSP<Highly Sensitive Person,とても敏感な人>という精神的カテゴリが脚光を浴びつつあります。 Wikipediaによればその定義は「五感が鋭く、精密な中枢神経系を持ち、良い刺激にも、悪い刺激にも強く反応する感受性の強い人達(テッド・ゼフ)」とのことで、ざっくりと受け容れられているように「繊細/敏感な人」という意味になるでしょう。 しかし、「あなたは繊細な人ですか、それとも鈍感なほうですか

                                                  HSPブームと”カジュアル”心理学|小野ほりでい
                                                • 「僕はもう通り魔みたいなもの。悪口を言えれば誰でもいい」小野ほりでいインタビュー | ダ・ヴィンチWeb

                                                  インターネットには何かとお作法が多い。振る舞い方を間違えると、自分のあずかり知らぬところで後ろ指をさされ、最悪の場合、炎上することもある。例えば、有名なネット用語で「半年ROMれ」というものがある。ROMとは、「Read Only Member=書き込まずに閲覧するだけのユーザー」。ネット上の空気を読んだ書き込みができるようになるまで、半年くらい閲覧だけしていろ、という意味である。 今ではライトなネットユーザーも多く、何も気にせずともネットライフを送れることもあるかとは思うが、基本的には今も昔も、インターネットの世界は他者を見る目が厳しい。こういったネットの世界、特にTwitterのお作法についてを解説しているのが、小野ほりでい氏の『ツイッターくらいはモテさせろ! ゆるカワWeb女子入門書』(一迅社)だ。氏が紹介するネットユーザーには例えば以下のようなものがある。 ・Twitterでモテよ

                                                    「僕はもう通り魔みたいなもの。悪口を言えれば誰でもいい」小野ほりでいインタビュー | ダ・ヴィンチWeb
                                                  • ”一発アウト”の文化 キャンセル・カルチャーに未来はあるか|小野ほりでい

                                                    「あなたを応援していましたが、今回の発言には失望しました。これでもうファンをやめさせて頂きます。」 アメリカでは有名人や影響力のある発信者の言動をめぐって公の場に引きずり出し、罰したり恥じ入らせたりする文化がコールアウト・カルチャーと呼ばれるが、なかでも発信側の個人や企業に「深く失望」し、「あなたは用済みだ」と再起不能の烙印を押すような文化はキャンセル・カルチャーと呼ばれる。 キャンセル・カルチャーの支持者の視点では、この文化は権力者やマジョリティに対する「弱者のカウンター」であり、キャンセル・カルチャーの有効性を問い直すことはそれ自体が「強者への加担」だということになる。 しかし、実のところキャンセル・カルチャーという手法はイデオロギーをまたいで日常的に利用されている。たとえば有力者の差別・偏見に基づいた発言、ハラスメントや搾取を発端としたキャンセルはリベラル的な立場と結び付けられるが、

                                                      ”一発アウト”の文化 キャンセル・カルチャーに未来はあるか|小野ほりでい
                                                    • サブカルはどこへ消えたか|小野ほりでい

                                                      たかだか十数年前まで、私たちはSNSやTwitterの「いいね」だの「フォロワー数」が何の意味もない幻だと”熟知”していた。しかし、そのたった十数年の間に、そこには信じられない速度で”意味”が付与され、一部ではもはやそれを除いては他に何も意味をなさないと言わんばかりに扱われるものになった。 意味のないものに意味が付与されるのに伴って、それまで意味を持っていた”何か”がその意味を喪失するという事態にも私たちは遭遇した。たとえば”サブカル”と略されるもの―――つまりかつてアニメやオタク文化までを含んで包括されていたメインストリームに抗う文化群のうちから、いまではメインストリームと化したアニメーオタク文化を除いたもの―――が表現されてきたコンテクストは急速に不可視化され、主流でない文化はそもそも何に抗っていたのか、どのような人々にどのような思いで支持されてきたかについて私たちは知る由もなくなりつ

                                                        サブカルはどこへ消えたか|小野ほりでい
                                                      • 最も残酷なのは、「誰でも幸せになれる世界」に住む人々|小野ほりでい

                                                        不幸や理不尽の存在を抹消することによってこの世を「肯定」しようとする試みはどれほど善意で取り繕っても暴力という本質を外れない。この世に回避不可能な不幸や理不尽はなく、みな平等の可能性のもとに暮らしているという思い込みを公正世界信念などと呼んだりするが、なかでも自己責任論(すべての不幸には“原因”がある)はその最も単純な表現だろう。 「自由意志」には「責任」が伴っているという合理主義的な世界観は、ともすれば合理の存在し得ないところに合理を見出そうとする不合理に帰結する。つまり、「自由意志」に基づいて判断したから「責任」が生じるのではなく、「責任」を追及したい事件に対して遡及的に「自由意志」とか「判断の余地」が生じるのだ。世の中で「理不尽」な「不幸」があれば、必ずそこに駆けつけて「責任」や「自由意志」の存在を見出し、世界の合理性を保とうと試みる者が存在するが、これが自己責任論者の一般的な倫理で

                                                          最も残酷なのは、「誰でも幸せになれる世界」に住む人々|小野ほりでい
                                                        • 性がゲーム化することとその弊害について|小野ほりでい

                                                          やはり僕らの社会においてセックスは、金銭とはまったく別の、もうひとつの差異化のシステムなのだ。そして金銭に劣らず、冷酷な差異化システムとして機能する。(中略)何割かの人間は毎日セックスする。何割かの人間は人生で五、六度セックスする。そして一度もセックスしない人間がいる。何割かの人間は何十人もの女性とセックスする。何割かの人間は誰ともセックスしない。これがいわゆる「市場の法則」である。(「闘争領域の拡大」、M・ウエルベック) 私たちの暮らしている社会は、「闘争領域の拡大」から四半世紀を経てもその世界観を寸分違わぬ形で再現しているばかりか、むしろその傾向を加速さえしている

                                                            性がゲーム化することとその弊害について|小野ほりでい
                                                          • 女はなぜ「攻撃」されるか?―ミソジニーと母性|小野ほりでい

                                                            「とにかく大勢の赤ん坊がイラついてるの―――ママがお乳をくれないからよ。お乳が欲しいと赤ん坊は泣き叫ぶ、ママが来たときには頭に来て乳首をかむ」 「ホント?」 「ええ 拒絶するの 空腹でもね」 「つまり母さんは大人も同じだと?望む物が得られず腹が立ち―――望む物がもらえたと思ったら今度は周りに八つ当たりを?」 「そうよ」(ミッドナイト・ゴスペル) 男はなぜ女を攻撃するのか、という疑問に答えられる人はいない。私たちが知っているのはその攻撃のパターン、たとえば構造的な差別や蔑視、アシッド・アタックのような直接的な暴力、それに言論による暴力、軽視、揶揄などである。 フェミニズムやジェンダー論のような体系だてられた議論は、これらの暴力の構造を分析してきたが、この「なぜ」という部分の問いに学術的な見地から「客観的な」答えを出すことは難しい。言ってみればこの問いは、小説を題材にした国語の問題がいう「この

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                                                            • 「若者が投票に行かないせいで社会が悪くなる」という論理|小野ほりでい|note

                                                              新型コロナウイルス感染症やコロナワクチンについては、必ず1次情報として厚生労働省や首相官邸のウェブサイトなど公的機関で発表されている発生状況やQ&A、相談窓口の情報もご確認ください。※非常時のため、すべての関連記事に本注意書きを一時的に出しています。 最近、コロナウィルスにまつわるドタバタ劇があったので、ふだんは滅多にそういうことを口にしない人物からも珍しく社会に対する不平不満というか、重い吐露のようなものが見受けられた。 そして、社会に対する不平不満に対しては最近では付き物になった例の口調、つまり個人の持っている不平不満の全ての原因はその張本人にあるのだという自己責任論的な調子で、「このように世の中が腐敗しているのは君たちが選挙に行かないからだ」と巡り巡って若者が責められているのを目にした。このような光景は珍しいものではないというか、誓って言うが、僕が物心ついたときから既に言われているの

                                                                「若者が投票に行かないせいで社会が悪くなる」という論理|小野ほりでい|note
                                                              • 感覚派ヒューマニストの世界|小野ほりでい

                                                                インターネットによって席巻したポリティカル・コレクトネス的な善は、私たちが潜在的に持っていた性善説的な願望を打ち砕いた。ハラスメント、差別、偏見、ジェンダーバイアスといった議論が旧い世代にある種の衝撃と分断をもたらしたのは、これらが内包している「悪への無自覚」という視点のためである。これまで悪とはヒーロショー的な二元論によって管理されるもの―――つまり「悪人が・悪意を持って」なす所業とみなされ、「一般的な善人である私たち」と隔てられているものとして描写されてきた。 ポスト・ポリティカルコレクトネス時代の悪の議論は、「何も考えていなくても」なんとなく善人でいられた私たちに、これまで無自覚のうちに権威勾配の「上に」立っていたこと、知らないうちに差別や偏見を実践していたこと、あるいは階層的な構造に加担していることを自覚させ、悪が否認されたエデンの園から罪悪の蔓延る地上まで叩き落とした。ここで起こ

                                                                  感覚派ヒューマニストの世界|小野ほりでい
                                                                • 政治的な発言は誰でもしていいよって話|小野ほりでい

                                                                  こんにちは!小野ほりでいだよ。 最近、SNSやネット上で政治的な発言や意見を目にする機会が多くなったね。僕は基本的に、ネットでは「ネコの画像とか面白い漫画のほうが見たい!」と思っているのだが、それでもいろんな意見が活発に出されているのは良いことだと思うね。なぜなら、色んな意見が自然に出されていてどれも不当に抑圧されていないというのは民主主義で大事な前提だからだ! でも最近、「有名人や音楽家は政治的な発言するな」とか「内容によらずもう意見自体を言うな」みたいなことを言う人たちも沢山いるように見えるね。それは少しまずいと思うので、少し面倒ではあるが今から書くことについて考えてほしいと思います。 △意見が異なっていても「言うな」とはならないのが民主主義じゃんね まず民主主義の国では「みんなの意見が違う」ということが前提になっているね。みんなそれぞれ立場や意見が違うのは当然だから、話し合って最適な

                                                                    政治的な発言は誰でもしていいよって話|小野ほりでい
                                                                  • 小野ほりでいって本当に大丈夫か?

                                                                    この人マウンティング中毒かなんかなの? 昔はまだお笑いネットあるある小話みたいな範疇だったけど、最近はちょっと酷すぎるわ。 https://omocoro.jp/kiji/106933/ もはや正視に耐えない。 なんか色々とこじらせてわけがわからなくなってる状態なんじゃないのかなあ。 傍から見ても心配になってくるレベルだわ。 オモコロの人達は小野ほりでいを心配したりしないの? 基地外に基地外記事書かせてビューだけ稼ごうって肚なの? オモコロ(ていうかバーグハンバーグバーグ)さんはライターの事少しでも大事に思ってるなら、小野ほりでいに良いカウンセリングとか勧めたほうがいいよ。 まあ昔からちょっとおかしいっちゃおかしかったけどね。 書いた記事に対してkanose村長が「ちょっと違うんじゃないかなー」程度なツッコミを入れたら 小野ほりでいはツイッターで「はてな村から総攻撃されてる」とかなんとか発

                                                                      小野ほりでいって本当に大丈夫か?
                                                                    • 小野ほりでい on Twitter: "自分の場合ですけど、オモコロは漫画サイトじゃなくてネット記事サイトということは承知の上で原稿料と整合性保つならアイコン会話みたいな形式にしたりもしますし、それでも漫画を描くのは単に漫画描いて読んでほしいときなので「世にいう平均的な原稿料が払えないので漫画を禁止します」と言(続く)"

                                                                      自分の場合ですけど、オモコロは漫画サイトじゃなくてネット記事サイトということは承知の上で原稿料と整合性保つならアイコン会話みたいな形式にしたりもしますし、それでも漫画を描くのは単に漫画描いて読んでほしいときなので「世にいう平均的な原稿料が払えないので漫画を禁止します」と言(続く)

                                                                        小野ほりでい on Twitter: "自分の場合ですけど、オモコロは漫画サイトじゃなくてネット記事サイトということは承知の上で原稿料と整合性保つならアイコン会話みたいな形式にしたりもしますし、それでも漫画を描くのは単に漫画描いて読んでほしいときなので「世にいう平均的な原稿料が払えないので漫画を禁止します」と言(続く)"
                                                                      • 小野ほりでい on Twitter: "繊細チンピラ、この言葉を作ったのはもう4年くらい前で今とは情勢が違うし、真っ当な批判も「繊細チンピラ」でくくって撃退できる危険さがあって事実今ではヤバい人しか使ってない状態なので、ろくでもない言葉だと併せて伝えてほしいとお願いした… https://t.co/HtCLU6TQ7P"

                                                                        繊細チンピラ、この言葉を作ったのはもう4年くらい前で今とは情勢が違うし、真っ当な批判も「繊細チンピラ」でくくって撃退できる危険さがあって事実今ではヤバい人しか使ってない状態なので、ろくでもない言葉だと併せて伝えてほしいとお願いした… https://t.co/HtCLU6TQ7P

                                                                          小野ほりでい on Twitter: "繊細チンピラ、この言葉を作ったのはもう4年くらい前で今とは情勢が違うし、真っ当な批判も「繊細チンピラ」でくくって撃退できる危険さがあって事実今ではヤバい人しか使ってない状態なので、ろくでもない言葉だと併せて伝えてほしいとお願いした… https://t.co/HtCLU6TQ7P"
                                                                        • 憎悪は自分を苦しめますねって話|小野ほりでい

                                                                          現代は個性の時代です。どこもかしこも「ありのままの自分を受け入れよう」というメッセージで溢れかえっています。言われてそれができれば苦労はないのだが、と私たちは思います。実際には社会に受け入れられるのは「生産性のある」人間だけではないか、と。 「頑張らなくていいよ」と歌手が勝手に許してくれます。そうしたいのは山々だが、そうさせてくれないのは社会じゃないか、と私たちは思います。そう言うのは簡単かもしれないが、頑張らなかった責任を取らされるのは結局自分ではないか、と。そうです、誰になんと言われて行動を取ったとしても、最終的に責任を取るのは自分です。 「そうはいっても仕方ないのだから」という事情で、私たちは自分の願望ないし主体性を捻じ曲げ、しまいには他者の要請するままに自己を最適化してしまいます。何をそんなに頑張っているのか、と問われた私は「頑張るしかないからだ」と答えます。そうしたいと自分で感じ

                                                                            憎悪は自分を苦しめますねって話|小野ほりでい
                                                                          • 小野ほりでいの暮らせない手帖|「個性的でなければならない」という強迫観念 - 週刊アスキー

                                                                            小野ほりでい 『オモコロ』や『トゥギャッチ』などのサイトでイラスト入りのコラムを連載中。特に『トゥギャッチ』の連載に登場するエリコちゃんとミカ先輩はネットの人気者。 子供の頃はずっと、「あなたたちは個性的でなければならない、夢を持たなければならない」と脅迫を受けながら育った気がする。そして、大人になってみるとこんどは「捨てなさい、そんなものを大事にしていては生きていけないよ」と全く逆のことを言われ、混乱をきたすのだが、どっちが正しいのだろう。 私もまた、この「個性的でなければならない」という強迫観念を引きずったまま大人になったたちだ。この文章を読んでいる一部のあなたもそうだろう。この考えがいかに私を、私たちをまっとうに幸せな人生を歩むことから遠ざけたか、その罪を数えだしたらきりがない。 例えば、だ。幸せになるということは、就職して、結婚して、子供を育てて、年に二回海外旅行に行くことだろう。

                                                                              小野ほりでいの暮らせない手帖|「個性的でなければならない」という強迫観念 - 週刊アスキー
                                                                            • 『反出生主義はやさしさの塊|小野ほりでい』へのコメント

                                                                              ブックマークしました ここにツイート内容が記載されます https://b.hatena.ne.jp/URLはspanで囲んでください Twitterで共有

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                                                                              • 小野ほりでいの暮らせない手帖|悪口や毒舌について - 週刊アスキー

                                                                                小野ほりでい 『オモコロ』や『トゥギャッチ』などのサイトでイラスト入りのコラムを連載中。特に『トゥギャッチ』の連載に登場するエリコちゃんとミカ先輩はネットの人気者。 悪口だとか毒舌というのは会話のカードが尽きた者が使う切り札で、そればかり連発するのは人として内容がないからに他ならない。私がそうなのだから間違いない。 一時期はこれが嫌で「今日こそは悪口を言わない」と決心してから人に会うこともあった。しかし、色んなことに興味を持ち、色んなことをしている他人と会話しているとしだいに自分という人間のつまらなさに耐えられなくなり、中毒患者のように泣く泣く苛烈な言葉に手を出すはめになってしまうのだった。以前の個性の話にも繋がるが、知識や経験のバックグラウンドなしにいきなり面白い話をしようとすれば極端な言葉に頼らざるを得なくなり、結果として何かを否定することをユーモアとはき違えたようなたちの悪い物言いに

                                                                                  小野ほりでいの暮らせない手帖|悪口や毒舌について - 週刊アスキー
                                                                                • ピンフスキー on Twitter: "小野ほりでいさんも津田さんもそうだけど好き勝手インターネットやってきて今更自分だけ正しい世界に足抜けしようとしたら沼から手が出てきて足首掴んでくるんだよな"

                                                                                  小野ほりでいさんも津田さんもそうだけど好き勝手インターネットやってきて今更自分だけ正しい世界に足抜けしようとしたら沼から手が出てきて足首掴んでくるんだよな

                                                                                    ピンフスキー on Twitter: "小野ほりでいさんも津田さんもそうだけど好き勝手インターネットやってきて今更自分だけ正しい世界に足抜けしようとしたら沼から手が出てきて足首掴んでくるんだよな"