JASRAC許諾第9009285055Y45038号 JASRAC許諾第9009285050Y45038号 JASRAC許諾第9009285049Y43128号 許諾番号 ID000002929 ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号 第6091713号)です。
(追記) なんかすごいブコメがついていて驚き。 一部に「不幸を嘆いてばかりじゃだめだ」という「正しい意見」が散見されるけど、日本には生まれた世代や環境を嘆く自由もないの?「前を向いて挑戦し続ける」人間以外を見下す社会って、どんだけ息苦しい社会なんだろうね。団塊世代以上の、高度成長期までの元気活発な日本人のほうが、自分の不遇や不幸をもっと政府や経営者や社会のせいにしていたと思うよ。 (以下元記事) anond:20230615113223 全然違う。いわゆるそれに相当する「氷河期世代」とは、 「人間は生まれたからには結婚して家庭をつくるのが当たり前という社会観念が強く残っていたが、実際はできない人が大量に出現した世代」 でもあるんだよな。「人間として当たり前のことができなかった」という劣等感を背負ったからこそ、不幸感がめちゃくちゃ強いわけ。 かつてに比べて恋愛が圧倒的に自由競争化し、雇用も不
岩崎光明 プロフィール 1982年よりフジテレビタイトルデザイン室でタイトルデザイン、イラストなどの制作を担当。 代表作は「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」 「ダウンタウンのごっつええ感じ」「世にも奇妙な物語」など。 この連載では主にアナログ時代のタイトルデザインについてご紹介します。 題名の“美術タイトル”(略称は美タイ)は河田町フジテレビ時代の名称。美術タイトルは報道以外の全番組を担当していました。 報道番組の写植などを制作する“報道タイトル”は報道部にあり、役割は全く違っていました。 フジテレビタイトルデザイナーのレジェンド紹介第二弾はあの国民的番組のタイトルデザインを担当した高柳義信さんです。 代表作は『笑っていいとも!』 高柳さんのデザインの特徴は、なんと言ってもわかりやすいデザイン。イラストやグラフィカルなシンボルを取り入れたデザイ
第1世代は真空管、第2世代はトランジスタ、第3世代はIC、第4世代はLSIとなります。ちなみに第5世代プロジェクトは並列推論マシンの開発を目指しました。 世界初のコンピュータ(電子計算機)は1942(昭和17)年、アメリカ・アイオワ州立大学で開発されたABCですが、これは実用機ではありませんでした。続いて1943(昭和18)年、イギリスで開発された暗号解読用のコロッサス。実用第1号として有名なのは1946(昭和21)年に弾道計算用として開発されたエニアックです。1万8800本の真空管を使用し、重さ30トン、面積は165平方メートル(50坪)あり、これまでの計算機で24時間かかっていた計算を30秒でできるというものでした。 日本では1956(昭和31)年にレンズ設計用として富士写真フィルムの「FUJIC」が開発されていますが、電子計算機の先駆けともいえる国産初のリレー式計算機を1953(昭和
玉音放送、わかりやすく現代語訳してみた。「戦争を継続すれば我が民族の滅亡を招くだけでなく、人類の文明も破壊される」太平洋戦争の終結を告げた昭和天皇のメッセージ。麗澤大学の川上和久教授の監修で、わかりやすい現代文にしてみました。 8月15日は「終戦の日」。1945年8月15日正午、昭和天皇が話す声の録音がラジオで流れ、ポツダム宣言を受諾することを国民に告げました。太平洋戦争の終結をアナウンスした「玉音放送」です。 この玉音放送で昭和天皇が読み上げた「終戦の詔書」は漢文調で難解な文章だったため、当日、その放送を聞いた国民の多くはその内容がほとんど理解できなかったとも言われています。現代を生きる私たちなら、なおさらわかりません。 そこでBuzzFeed Japan編集部では、「終戦の詔書」をなるべくわかりやすい文章で現代語訳しました。現代語訳するにあたっては、『【永久保存版】CDブック 昭和天皇
2000年に芸能界を引退した元タレントの上岡龍太郎さんが、5月19日に大阪市内の病院で肺癌と間質性肺炎のため死去した。81歳だった。2日に米朝事務所が報告した。 上岡さんは1942年3月20日生まれ、京都市出身。横山パンチの芸名で、60年に横山ノックさん、横山フックさんと「漫画トリオ」を結成。68年に解散後は、テレビやラジオ番組の司会などで、絶妙な笑いを交えたトークを繰り広げ、関西を中心に絶大な支持を誇った。 笑福亭鶴瓶と共演した『鶴瓶上岡パペポTV』や、初代探偵局長を務めた『探偵!ナイトスクープ』をはじめ、『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』などヒット番組多数。「東京嫌い」で知られたが、全国ネットの番組でも人気となった。 講談師としての顔や、劇団の主宰、さらに阪神タイガースのオーナーを気どるなど、幅広い知識を生かし、大阪文化をけん引。「芸能生活40周年で隠居する」と公言し、惜しまれながら2
鈴木邦男(すずき・くにお)さんは福島県出身で、大学在学中から民族主義運動に参加し、昭和47年に「一水会」を立ち上げ、「対米自立」などを主張して「新右翼」と呼ばれました。 また、幅広い人脈を生かしてイデオロギーの枠を越えて多くの討論番組で活躍したほか、作家としても数多くの作品を残して独自の言論活動を続けてきました。 「一水会」によりますと鈴木さんは4年ほど前から体調を崩して療養を続けてきましたが、1月11日、誤えん性肺炎のため東京都内の病院で亡くなりました。79歳でした。 (2023年1月11日死去) 高橋幸宏(たかはし・ゆきひろ)さんは東京出身で、1978年に、ミュージシャンの細野晴臣さんや坂本龍一さんとともに、音楽グループの「イエロー・マジック・オーケストラ」=「YMO」を結成しました。 YMOは、コンピューターやシンセサイザーといった当時最新の電子楽器を使った斬新な音楽性で“テクノポッ
11月15日、創価学会の池田大作名誉会長が東京都内の自宅で老衰のため死去した。95歳だった。日本最大規模の宗教団体を長年率い、1964年に公明党を創設してからは政界でも大きな影響力を発揮してきた。 宗教団体のありかたが問われた2023年、池田氏の死は今後にどんな影響を及ぼすのか。2010年に「週刊文春」に掲載された記事を期間限定で再公開する。 (初出:「週刊文春」2010年12月2日号/年齢・肩書等は公開当時のまま) ▼▼▼ 半年振りに近況が報じられた池田大作氏(82)だが、健康状態を危ぶむ声は尽きない。今では“王朝”の奥深く隠れ、幹部ですら会うことがままならない。かつて若い魅力的な宗教指導者として社会に登場した池田氏は、どこから、なぜ変わったのか。 今から47年前の『週刊文春』(昭和38年2月25日号)に、「折伏(しやくぶく)に生きる若き指導者・池田大作」と題したこんな記事がある。創価学
特攻隊がテーマといえば、『永遠の0』とかしょーもない話が目白押しだが、それにしてもこれは一線を越えてしまった感がすごい。 movies.shochiku.co.jp 公式サイト掲載のあらすじが以下。 親や学校、すべてにイライラして不満ばかりの高校生の百合(福原遥)。 ある日、進路をめぐって母親の幸恵(中嶋朋子)とぶつかり家出をし、近所の防空壕跡に逃げ込むが、朝目が覚めるとそこは1945年の6月…戦時中の日本だった。 偶然通りかかった彰(水上恒司)に助けられ、軍の指定食堂に連れていかれる百合。 そこで女将のツル(松坂慶子)や勤労学生の千代(出口夏希)、石丸(伊藤健太郎)、板倉(嶋﨑斗亜)、寺岡(上川周作)、加藤(小野塚勇人)たちと出会い、日々を過ごす中で、彰に何度も助けられ、その誠実さや優しさにどんどん惹かれていく百合。 だが彰は特攻隊員で、程なく命がけで戦地に飛ぶ運命だった−−− 。 時代
藤島泰輔なんて作家の名前、知ってるのはかなりのジジイ・ババアだろうなあ。 今のジャニーズ事務所の社長はシャニー喜多川こと喜多川擴の姪である藤島ジュリー景子(日本人なのになんでミドルネームあるんだろ?アメリカうまれだから?戸籍上はどうなってるんだろ?)という女性だが、この人の父親である。 詳細はwikipediaを見ればわかるが、1933年うまれで小学校から大学まで学習院出身。現上皇のいわゆる御学友の一人。新聞記者時代に当時の御学友たちをモデルにした小説『孤獨の人』がベストセラーになり、その後、作家として独立。世の中まだまだ“進歩的文化人”が幅を利かせてきた時代に“保守派の文化人”として活躍した人である。 かつて、韓国の朴正煕独裁政権下で反体制作家として活躍し死刑判決を受けた金芝河という韓国人詩人がいたのだが、日本ペンクラブの要職にあった藤島泰輔は韓国政府を擁護する立場の発言を繰り返し、日本
社会は変わり続けているのに政治が「昭和」のまま (前編から続く) 私が政治家として過ごしてきた30年は、平成の30年間とほぼ一致します。この時代は戦後復興から高度成長という「昭和の社会」が変質してしまったのに、政治がそれについて行けず右往左往した時代でした。その状況は現在、さらに深刻になっています。「昭和」を終わらせないといけません。 平成の時代に社会はどう変わったのでしょうか。 まず国内では、人口が急激に増えた時代から、急激な人口減少社会に転換しました。国際的には、急激な気候変動と権威主義の台頭によって、私たちが国際社会の安定に依存することができなくなりました。 自民党も問題は認識していると思いますが、人口減少には人口問題、気候変動には温暖化問題というように、個別の課題ととらえてパッチワークのような対応しかしていません。 自民党は「見たくない現実」から目を背けている これらに加えてあと2
日本は今、「多様性」に戸惑っている 結婚生活のリアルを多くの人が知らない中で、それでも「結婚のイメージ」は独り歩きし、かつ固定化されてきたと言えるでしょう。 近年は世界的「多様性」の時代と呼ばれています。性自認や性的指向性、いわゆるLGBTQに関しても、広く語られるようになってきました。同性結婚やパートナーシップ制度を定める国も増えています(2023年6月現在、日本でも328自治体でパートナーシップ制度を設けています)。 しかし、だから「結婚も多様性の時代になった」と一概に評することはできません。むしろ日本は今、「多様性」に戸惑っていると言った方が近いのではないでしょうか。同性婚自体、日本の法律上ではいまだに認められていませんし、パートナーシップ制度も、病院で家族としての扱いがあり、公営住宅の入居が認められたりと一定の効果は発揮するものの、ある法学者に言わせれば、ほとんど法的効力はないそう
さくらこ🌸信~Believe~ @s_k_r_ko 私は「おばさんになったら、自分も演歌好きになるのかな」と思ってたけど、今好きなのはサカナクションやサンボマスター、Superfly等なんですよね。ちなみに演歌は、今だに好きになれません。 twitter.com/loira294/statu… 2023-12-31 22:42:40 へろへろฅ•ω•ฅ( ΦωΦ )ฅ^•ω•^ฅ @8O1KbCgXUsHIKn1 職場にDAMの端末あるけど 年区切りのヒットソング検索したら 1970年を境に演歌やムード歌謡からフォークソングや歌謡曲が台頭してるという 演歌とカテゴライズされる楽曲は細く長く売れるものだからそれなりに残っているけど 聴いて喜んでるのは 〜昭和初期生まれやで😅 twitter.com/loira294/statu… 2024-01-01 13:36:20 らいとげーじ56
政治好き @oien_w 地元の有権者「二階引退は本当に残念」 それ以外の有権者「クソジジイ、裏金から逃げるな」 この乖離は避けようがないけど、たとえ裏金を作るような議員だとしても地元に利益を持ってこられる政治家は支持されるんだってのを理解して欲しいな (逆に言えばクリーンでも利益を持ってこられないのはダメ) 2024-03-26 20:30:16 リンク Wikipedia 二階俊博 二階 俊博(にかい としひろ、1939年〈昭和14年〉2月17日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(13期)、志帥会会長(第5代)、自由民主党和歌山県支部連合会長、自由民主党政務調査会観光立国調査会最高顧問、自由民主党国土強靭化推進本部長、自由民主党2025年大阪・関西万博推進本部長、全国旅行業協会会長、日中友好議員連盟会長。 経済産業大臣(第6・9・10代)、運輸大臣(第75・76代)、
「昭和」が終わって三十数年。あなた自身が「昭和人間」の場合も、身近な「昭和人間」についても、取り扱い方にはちょっとしたコツが必要です。「昭和人間」ならではの持ち味や真価を存分に発揮したりさせたり、インストールされているOSの弱点をカバーしたりするために、有効で安全なトリセツを考えてみましょう。今回は日本に対する“セルフイメージ”について。 人は「過去の栄光」が、なかなか忘れられません。そして、漠然と抱いている「セルフイメージ」は、最も輝いていた時期をベースにしがち。今は「セルフイメージ」から遠くかけ離れていると分かってはいても、素直に認めるのは至難の業です。 いや、個々人の過去と現在の話ではありません。確かに昭和人間は、自分自身に関しても「セルフイメージ」と実態とのギャップを折に触れて感じさせられています。微妙に重なる話かもしれませんが、ここで考えたいのは、「日本」という国に対する認識につ
岩崎光明 プロフィール 1982年よりフジテレビタイトルデザイン室でタイトルデザイン、イラストなどの制作を担当。 代表作は「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」 「ダウンタウンのごっつええ感じ」「世にも奇妙な物語」など。 この連載では主にアナログ時代のタイトルデザインについてご紹介します。 題名の“美術タイトル”(略称は美タイ)は河田町フジテレビ時代の名称。美術タイトルは報道以外の全番組を担当していました。 報道番組の写植などを制作する“報道タイトル”は報道部にあり、役割は全く違っていました。 ① テロップ・フリップの種類と制作道具 テロップとは画面に表示される文字情報のことを言います。現在ほとんどのテロップ制作にはコンピューターを使ったテロップシステムが使われていますが、テレビ放送開始から'80年代までの約30年の間は手書きテロップが全盛でした。
小作制度と貧農 明治時代となり江戸時代の封建的な制度が次々と改廃されていった。 そんな中、農村においては江戸時代以前から続く小作制度が継続し、半封建的な支配関係が続いていた。 小作制度とは、農民が土地の所有者である地主から農地を借りて耕作する代わりに、年貢として小作料を収めたり、小作料の代わりに農奴のように働いたりする制度である。 小作制度が継続されただけでなく、明治政府は地租改正によって農民の負担を重くした。 その為、土地を手放して小作人に零落する農民が続出し、全耕地の約4割が小作地となり、地主制が確立された。 小作制度の問題点はその小作人の地主への従属関係を築いたところにある。 小作農はあくまで地主と小作人の契約であり、法律上は両者は対等な関係にある。 しかし、労働者であれば条件が合わなければ職場も住む場所すら変えられるが、小作人はその労働が土地に縛られる為に、どうしても特定の地主との
【注意】この記事は筆者の誤解と思い込みが入って一部考証がおかしなところがあります。補足版を確認ください。 0.前振り 1996年、任天堂は自身の取引先問屋集団、初心会を一度編成しました。 ゲームをあまり扱っていない取引先の問屋に抜けてもらい、ゲーム中心の組織へと新たに再編しました。とはいえゲーム機戦争まっただ中の1996年の出来事ですから、これはちょっと遅すぎる構造改革で、あまり意味がありませんでした。結果、1997年の初心会解散へと繋がっていきます。 そのためあまり私はこの改革を深掘りしていないのですが、いくつかの資料でこの時、初心会の名称が「新・初心会」になった、という説や「一心会」になった、という説がちらちら見え隠れします。こうした名称の不安定さはまさしく当人たちの立場が透けて見えるようにえます。 ところでこう思いませんでしたか? なんでこう、初心会といい、一心会といい、ヤクザっぽい
前職、前前職に関して ベンチャー的な会社に所属。 男女比率同じぐらい。 SaasやらITに関するリテラシーは普通 平均年齢30歳ぐらい いわゆる、キラキラ企業に憧れるエセキラキラ系企業にいました。 今回、興味本位というか人生経験として小規模な昭和体質の会社(JTC)に転職して半年ぐらい経ったので思ったことを自戒の意味も込めて殴り書きします。 ※ぼやかしながら ・バックオフィス部署でもスーツ。理由は顧客先のボリューム層が高齢者で私服だとクレームが入るからとのこと。現場の営業さんたちは作業着で夏でも長袖長ズボン。以前、短パン的なものを着用していたら不健全だ!ってキレられたらしい。ちなみに入社して半年ぐらい経つがオフィスに顧客が来たことはない。今はクールビズ(ひさびさに聞いた)でネクタイ無し、ジャケット無しでもOK。 ある日上司に「そういえばなんでスーツ指定なんでしたっけ?お客さんとか来ないっす
以前、当サイトで取材した野ばら社が出版していた『児童年鑑』。 子供向けの統計年鑑だが、そこに掲載されている絵地図がめちゃくちゃよいので、紹介したい。 『児童年鑑』の絵地図とは 野ばら社に限らず、戦前から戦後の一時期までは、各出版社が「年鑑」という書籍を毎年発行していた。 なかでも野ばら社の『児童年鑑』はかなりの人気があり、野ばら社の経営を支えたといわれる。 筆者所有の野ばら社の児童向け年鑑 その児童向け年鑑の中に、各地の特産品や名物名所などを書き込んだカラーベージの絵地図があるのだが、ぼくはこの絵地図が大好きで、以前も記事内でいくつか紹介した。 こんな感じの絵地図が地域ごとに掲載されている この、児童年鑑の絵地図だが、野ばら社は現在、絵地図の部分だけを復刻して印刷し、イベントや通販で販売している。 先日行われたイベントで、そのなかのいくつかを購入したのだが、どれもめちゃくちゃおもしろい。
昭和49年から50年にかけて東京で企業が相次いで爆破された事件の容疑者の1人で、指名手配されていた「東アジア反日武装戦線」のメンバー、桐島聡容疑者(70)とみられる男の身柄が25日確保されていたことが捜査関係者への取材でわかりました。警視庁が確認を急ぐとともに男から事情を聴いています。 連続企業爆破事件は昭和49年から50年にかけて過激派の「東アジア反日武装戦線」が起こしたもので、三菱重工や三井物産、それに間組など海外に進出していた企業が次々と標的にされ、12件の爆弾事件が相次ぎました。 「東アジア反日武装戦線」のメンバーの1人、桐島聡容疑者(70)は、このうち昭和50年に東京・銀座にあった「韓国産業経済研究所」のビルに爆弾を仕掛けて爆発させた事件に関わったとして爆発物取締罰則違反の疑いで全国に指名手配されていました。 捜査関係者によりますと、容疑者とみられる男が25日、神奈川県内の病院に
最近「昭和」がバカにされすぎ。「昭和(笑)」とオチに使われるのをよく見かけるし、部下に注意したら「部長みたいな昭和の働き方はできません」と笑われた。「昭和はこんなものじゃないぞー」とやりすごしたが、僕は昭和を知らない。大卒で就職したのが1996年(平成8年)で、昭和は僕が中学3年生のときに終わっていた。つまり僕は昭和の働き方を知ってるマンの資格を満たしていないのだ。 「昭和」はいつからこんな扱いをされる存在になったのだろう。昭和は「あの頃は良かったね」といわれる憧憬の対象だったはず。昭和への郷愁を感じさせる映画「ALWAYS 三丁目の夕日」は大ヒットした(観たことないけど)。たしか「週刊/昭和時代」も刊行されて、初回は特別価格で、付録はタンツボ(白/陶器)だったと記憶している。 僕は、たぶん、昭和の働き方にどっぷり浸かっていた世代と、直接、十分な時間を一緒に働いた経験をもつ最後の世代だ。新
髪型の件が取りざたされたりしているが、慶應の子たちの自由な髪型はそれはそれで結構なことだと思うが、だからといって昔ながらの「丸刈り」の球児たちを「昭和」だとか「時代遅れ」呼ばわりするのは違うだろうと思う。誰かを否定しないと気が済まない界隈というのが相変わらずいるもんだ。どっちも頑張れでいいじゃねえかと思うよ。 決勝に進んだ両校には頑張ってもらいたいものだが、甲子園出場校49校のうち公立はわずか9校だそうだ。公立はたった18%しかいない。 昭和の話をして恐縮だが、かつて野球といえば、金田正一にしろ稲尾和久にしろ川上哲治にしろ野村克也にしろ江夏豊にしろ幼少期の実家はド貧乏から、野球の腕だけでのしあがったという話が多かったが(それこそ長嶋茂雄も王貞治も決して裕福な家の子ではない)、時代が違うといえばそれまでだが、むしろ裕福な家の子じゃなければ、学業だけではなくスポーツすら開眼できない時代になった
『仁義なき戦い』や『渡り鳥』シリーズで知られる銀幕スター・小林旭(85)。昭和芸能の熱量を肌で知る数少ないレジェンド俳優だが、テレビ、映画でその姿を見ることはほとんどなくなった。スクリーンに圧倒的な存在感を焼き付けてきた「マイトガイ」は、なぜ表舞台から距離を置いたのか──令和芸能界への怒りと失望を小林が語った。【全4回の第1回】 * * * 最近はほとんどテレビを観ないね。たまにつけるのはゴルフの中継くらいだ。 昨今のテレビは吉本興業をはじめとするお笑いばかりで、“安かろう悪かろう”の世界になってしまった。スッポンポンになってお盆で前だけ隠して笑いを取るような輩がいるけど、あれは芸でもなんでもない。ただの酔っ払いの腹踊りだ。それで金をもらおうなんて、恥ずべきことだ。 昔よりタレントのギャランティが安くて使い勝手がいいから、テレビはどんどん彼らを起用する。目立つことばかり考えて、人間性もなけ
「今クールのドラマで何がオススメですか? やっぱり『ふてほど』が面白いですよね!」 「『ふてほど』観てます? 面白いですよね~」 同業者のライターや友人知人から幾度もこの問いをされては、都度「面白いですよね。危うさはありますけど」と答えてきた。すると、ほとんどの人(主に40〜50代以上の男性だが、女性も少なからずいた)がポカンとするので、自分の気になる箇所を話すと、「そういう見方もあるんですね」と多くの人がテンションを下げて言う。KYが楽しさに水を差したといった顔をされるのは、少々しんどい。 これは、宮藤官九郎脚本×磯山晶プロデューサー×阿部サダヲ主演の『不適切にもほどがある!』(TBS系)、通称『ふてほど』の話だ。 舞台は1986年。中学校の体育教師で野球部顧問の小川市郎(阿部)は17歳の娘・純子(河合優実)と暮らすシングルファザーだが、ある日偶然乗ったバスがタイムマシンだったことから、
当人はラジオで「一切やってません」と語ったSNSは、「ファンやめた」「CD捨てた」「目が覚めた」「もう聞かない」という残念極まりない言葉の数々で埋め尽くされている。 音楽プロデューサーの松尾潔氏(55)がシンガー・ソングライター山下達郎(70)も所属する音楽プロダクション「スマイルカンパニー」との契約を6月末で中途解除になった一件。松尾氏がジャニーズ事務所の創業者であるジャニー喜多川氏の性加害や藤島ジュリー社長の対応についてメディアで言及したことが社内で問題視され、山下も契約解除について賛成したと松尾氏が今月1日にツイッターで明らかにした。 これに対して山下は自身のラジオ番組「山下達郎サンデー・ソングブック」(TOKYO FM系)の9日放送回で本件について“大切な報告”を行うと宣言していた。 ラジオで山下は開始30分ごろから、およそ7分間にわたって騒動について言及。契約解除については〈今回
くぼた・まさき/テレビ情報番組制作、週刊誌記者、新聞記者、月刊誌編集者を経て現在はノンフィクションライターとして週刊誌や月刊誌へ寄稿する傍ら、報道対策アドバイザーとしても活動。これまで200件以上の広報コンサルティングやメディアトレーニング(取材対応トレーニング)を行う。 著書は日本の政治や企業の広報戦略をテーマにした『スピンドクター "モミ消しのプロ"が駆使する「情報操作」の技術』(講談社α文庫)など。『14階段――検証 新潟少女9年2カ月監禁事件』(小学館)で第12回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。 新刊『潜入 旧統一教会 「解散命令請求」 取材NG最深部の全貌』が発売中。 情報戦の裏側 できれば起きてほしくない「不祥事」だが、起きてしまった後でも正しい広報戦略さえ取れば、傷を最小限に済ませることができる。企業不祥事はもちろん、政治家の選挙戦略、芸能人の不倫ネタまで、あらゆる事
1945年に日本は終戦を迎えました。その前から東京の「通勤ラッシュ」は限界に達していたため、国は復興とともにこれを解決しようと試みたのです。 「脱・通勤地獄」プランは終戦前から作られた 東京都心の鉄道は、地下鉄を除けば昭和戦前期には概ね現在のネットワークが完成していました。大正時代、第1次世界大戦、関東大震災後の郊外化を背景に郊外私鉄が次々と開業し、沿線開発と人口増加が続きました。 その結果、東京府(当時)の人口は、1920(大正9)年の約370万人から1930(昭和5)年には約541万人まで急増。戦時体制に入ると軍需景気でさらに人口集中が強まり、1940(昭和15)年には約735万人にまで達しました。鉄道各線は通勤客で大混雑し、日本初の「時差通勤」が行われたのも、実は戦時中のことです。 拡大画像 1963年当時、混雑する新宿駅ホームと電車(画像:新宿区)。 しかし戦争末期、東京への空襲が
日本軍由来の慣習? 先日、Twitterであるツイートが流れてきた。趣旨を要約すると次のとおり。(以後、強調部はすべて筆者によるもの) 昭和の学校体育では運動中に水を飲ませなかった 戦時中に日本軍が行軍中に不衛生な水を飲んで腹を下した その教訓が歪んで伝わったことが由来 概ねこんな感じ。何年か前から見ますよね、この趣旨のツイート。 調べてみると、おそらく最初に話題になったのは2016年8月のツイートが発端のようですが、現在はツイート主が削除している。だが、togetterまとめが残っていた。 togetterまとめでもツイート主が自分のツイートを削除してますが、タイトルがもろツイートまんまだったので内容は分かりますね。当時のツイートの反応については、引用RTの多さで分かります(下記URL)。 https://twitter.com/search?q=https%3A%2F%2Ftwitte
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く