JR東日本水戸支社は、5年前まで常磐線を走っていた特急用車両「E653系」を来春、旧国鉄時代の塗装を施し、臨時列車として復帰させると発表した。 E653系は1997~2013年、常磐線特急の「フレッシュひたち」として、上野-いわき間などで使われていた。現在は羽越線特急「いなほ」として新潟-酒田・秋…
JR東日本水戸支社は、5年前まで常磐線を走っていた特急用車両「E653系」を来春、旧国鉄時代の塗装を施し、臨時列車として復帰させると発表した。 E653系は1997~2013年、常磐線特急の「フレッシュひたち」として、上野-いわき間などで使われていた。現在は羽越線特急「いなほ」として新潟-酒田・秋…
1889(明治22)年2月1日、富士山を間近に望む御殿場の街外れ新橋(にいはし)地区に東海道線の御殿場停車場が設けられ、東京や静岡方面へと向かう汽車が走り始めました。 当時、富士登山の街として賑わっていた御殿場は、これにより周辺地域への貨物集散地としてさらなる発展をみる事になります。 やがてそんな状況に注目した地域の有力者が中心となり、御殿場駅と登山口である須走の間を結ぶ馬車鉄道を敷設する事となりました。 これが今回ご紹介する御殿場馬車鉄道、富士山の麓に広がる裾野をお馬に引かれてポクポクと登って行くこの鉄路には、あの竹久夢二も乗ったというのです。 年間で乗客4万7千人を運び、特に登山客の増える7~8月は通常に比べて2倍近い人数が利用したそうです。 客車15台、貨車65台も所有し、米穀類、魚介類など貨物を1万トン以上運んだ年もあったとの事。 ではまずその歴史について、年表を追って見てみましょ
森林鉄道は奥山までついていますが作業現場は更に奥地にあります。山の中腹にここにあるような山内軌道をつけそこからインクラインと呼ばれる軌道を荷貨車を降ろしていました。2台の貨車をワイヤーでつなぎ降りる力で空の貨車を上げていました。ここは機関車が上がりませんので勾配を利用して積んだ貨車を転ばしていました。大木伐り引っ張り出し貨車に積み込み飛び乗り制動棒をあやつりながら急勾配を走ったのです。機械のない時代すべて腕一本で運んだのです。雨も降れば雪も積む奥山の自然は苛酷です。この時代防寒する着物や道具はなく耐え苦労したことでしょう。この後に木を植えた人たちも同じように苦労したことでしょう。苗木を背負い坂を登り鍬を振ったことでしょう。見えない山の歴史を顧りみて先人たちを忘れないようにしましょう。
三江線をご存知でしょうか?島根県江津市の江津駅から広島県三次市の三次駅まで35の駅を繋ぐ路線です。その三江線は利用者が少なく、惜しまれながらも2018年3月末までの営業をもって廃線することになりました。そして全長100km以上もある廃線前の三江線を、あるライターがその大半を徒歩にて全駅を訪れ必死でレポートいたしました。 ライター : pato(@pato_numeri) 全区間をあわせた一日の平均利用客が、2008年の時点で370人という鉄道の路線がある。 「あれ?それってヤバくない?」と思ってしまいそうだが、実際にヤバくて圧倒的な赤字路線になってしまっている。 2014年以降は日本で最も輸送密度の低い路線にまでなってしまった。 島根県と広島県の県境にある三江線(さんこうせん)というローカル線がそれで、島根県の江津市(ごうつし)から広島県の三次市(みよしし)を結ぶ全長108キロにおよぶJR
鉛温泉に到着する上り鉄道線用広幅車 道路もここだけ若干広くバスとすれ違えるが 右のミゼットから奥は離合不能である 1960年3月18日 乙訓老人からチョッカイが出た。通常なら須磨から乙訓へ、やれコメントせよ、ソレ何か言えと迫るのに今回は逆だが、事花巻の、それも軌道(鉛)線とあらば、須磨老人が黙っているわけに参らない。早速挑発に乗り、シコシコとキーボードを叩き始めることに。 開業時の電車デハ1 窓数とモニター窓数は通常一致するものだがこれは後者が1個多い 花巻電気として開業以来、盛岡電気工業、花巻温泉電気鉄道、花巻電気鉄道、花巻温泉電鉄、最終が花巻電鉄(1953年6月1日)と社名を変えた。鉄道線は1925年8月1日盛岡電気工業として開業し、軌道線は1921年12月25日同社に合併されたのである。 軌道線は1913年8月3日特許、1915年9月16日西公園-松原間8.2kmを開業した。車両は2
▲新設された緑化軌道をゆく"チンチン電車"N電27号。EV化改造を施されてリチウムイオン電池で静々と走る。'14.3.8 P:高橋 修 クリックするとポップアップします。 これまでにもその概要をお伝えしてきた梅小路公園の「すざくゆめ広場」と「市電ひろば」(アーカイブ「梅小路公園に"市電ひろば"誕生へ」参照→こちら)が先週土曜日(8日)にオープン、動態を含めて8輌の歴代京都市電が一同に会する空間が誕生しました。 その目玉のひとつとも言えるのが、リチウムイオン電池を動力源にして生まれ変わった"N電"27号です。「すざくゆめ広場」に設けられた展示室を兼ねた乗り場から緑化軌道を「市電ひろば」へと走ります。景観に配慮して架線柱や架線は設けられていませんが、律儀にポール回しは行われており、かつての北野線の光景を偲ぶことができます。 ▲8日(土曜日)11時からは盛大にオープニングセレモニーが行われた。'
▲御嶽駅の休日 ED16の石灰列車が退避する御嶽駅の光景です。皆、思い思いに電車を待っていますね。休日の青梅線の雰囲気がよく出ていると思います。遠い昔の、二度と戻らない平和な光景です。'78.5.3 青梅線 御嶽 P:小林隆則 (『わが国鉄時代』vol.7より) クリックするとポップアップします。 『わが国鉄時代』vol.7が本日発売となりました。ブログ「わが国鉄時代」の秀作による"青春記"をということで、ご投稿いただいた皆さんの思い出や熱意をそのままに、一冊にまとめて出版してはや3年、埋もれていた作品の発表する場としてすっかり定着した感があります。そして今回7巻目のキャッチコピーは「あの日、あの瞬間こそが 原動力」! 今回も、東海道・山陽本線の蒸気機関車から国鉄廃止前日の201系まで、たいへん多くの作品が寄せられました。撮り手も、時代も、もちろん被写体も違う、そのさまざまな作品に一脈通じ
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