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誰が読んでも面白い本というのがある。当然、ある程度大衆受け的な部分のトレードオフがあり、「ちょっと単純化しすぎるかな」「世俗的だな」という部分がデメリットになるものだ。これに対して、一部の人が読むとバカ受けに面白い本というのもある。痛快な本書「中国の大盗賊・完全版(高島俊男)」(参照)はどちらか。その中間くらいにある。誰が読んでも面白いとまではいえないし、一部の人にバカ受けということもないだろう。ただ、そこのトレードオフでいうなら、おそらく最適化された書籍だろうし、中国史の理解に自負がある人を除き、普通に中国史と中国文化に関心を持つ人なら、依然必読書だろう。「完全版」でない1989年版は多くの人に既読かもしれない。完全版は2004年に刊行された。何が「完全版」なのか。それは、筆者高島氏が本当に書きたかった終章が再現されていることだ。 1989年版つまり平成元年版が書かれたのはその前年か前々
書名に惹かれて偶然選んだ本だったが、「中国に夢を紡いだ日々 さらば「日中友好」(長島陽子)」(参照)は面白かったが、これを面白いと読める世代は、もしかすると昭和32(1957)年生まれの私が最後の世代かもしれない。いや、これをきちんと読み通せるのは、むしろ私より年長の団塊世代のほうが少ないのかもしれないとも思った。戦後の日本を冷静に見渡せるのはむしろ、ポスト団塊世代だろう。 私は、こういう本が読みたいと思っていたし、著者の長島氏のような、戦後日本の中国熱を相対化して見ることができる人が、団塊世代の上にかならずいることも知っている。ここにまた一人いたのだと本書を読み終えて奇妙な感動を覚えた。 長島陽子氏は、本書には1929年の生まれとある。昭和4年である。あとがきを読むと、昨年の9月に傘寿を迎えたとある。現在80歳であろうか。高齢であるが、改めて1929年の生まれを見れば、私の父よりも若く、
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