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掃除・片付け
morningrain.hatenablog.com
人によってさまざまな解釈ができる作品だと思いますが、自分は政治に興味を持ち、政治的手腕も持っていたが、本職の政治家にはなれなかった科学者の話という側面が印象に残りました。 オッペンハイマーは、原子爆弾という世界を変える兵器をつくってしまったことで政治の世界に引き入れられ、そして追放された人物だと言えます。 本作は、オッペンハイマーが戦後に共産主義との関係を疑われて公職追放されるときの査問会と、オッペンハイマーをアメリカ原子力委員会の委員長に引っ張ってきたストローズが商務長官に任命される際の公聴会の様子を中心に展開していきます。 査問会の様子からオッペンハイマーの半生が語られていくわけですが、若き日のオッペンハイマーは共産主義に興味を持ち、大学では組合の結成に動くなど、かなり政治的な人間です。 原爆の製造においても、オッペンハイマーは天才的なひらめきで活路を開いた人間ではなく、多くの科学者を
ちょっと変わったタイトルのように思えますが、まさに内容を表しているタイトルです。 第2次安倍政権がなぜ長期にわたって支持されたのかという問題について、その理由を探った本になります。 本書の出発点となているのは、谷口将紀『現代日本の代表制民主政治』の2pで示されている次のグラフです。 グラフのちょうど真ん中の山が有権者の左右イデオロギーの分布、少し右にある山が衆議院議員の分布、そしてその頂点より右に引かれた縦の点線が安倍首相のイデオロギー的な位置であり、安倍首相が位置が有権者よりもかなり右にずれていることがわかります。また、衆議院議員の位置が右にずれているのも自民党議員が右傾化したことの影響が大きいです。 では、なぜ有権者のイデオロギー位置からずれた政権が支持されたのでしょうか? 『現代日本の代表制民主政治』では、自民党の政党としての信用度、「財政・金融」、「教育・子育て」、「年金・医療」な
アルバム「Punisher」が素晴らしかったPhoebe Bridgers、「なかなか次が出ないなー」などと思っていたら、知らぬ間にboygeniusというバンドを作ってアルバムを出していた。音楽雑誌とかを読まなくなると、このあたりが抜けますね。 そして、このアルバムも素晴らしい。去年聴いていたら間違いなく去年のベスト3には入りましたね。 Phoebe Bridgersとさらに2人の女性、Julien Baker、Lucy Dacusによるバンドなのですが、メロディもいいし、それぞれの声もいい。 3曲目の”Emily I'm Sorry”はいかにもPhoebe Bridgersっぽい曲で、4曲目の”True Blue”はゆったりとした中に力強さも感じられるハーモニーが楽しめる曲、5曲目の”Cool About It”は最低限の伴奏に歌声が映える曲で、非常に良い流れで進んでいきます。 この流
明治憲法のはらんだ大きな問題点であり、日本を戦争の道へと導いたとされる「統帥権の独立」の問題。 タイトル通りに本書はこの問題を扱っているのですが、特徴は今まで注目されてきた陸軍の動きだけではなく海軍の動きも追っているところで、そこから「専門家集団としての軍」と政治の関係を描き出しています。 この問題について一通りの知識を持っている人にとってもいろいろな発見がある本で、なかなか面白いのではないかと思います。 目次は以下の通り。 第1章 統帥権独立の確立へ―一八七〇~九〇年代 第2章 政党政治の拡大のなかで―一九〇〇~二〇年代 第3部 軍部の政治的台頭―一九三〇年代 第4章 日中戦争の泥沼―一九三七~四〇年 第5章 アジア・太平洋戦争下の混乱―一九四一~四五年 明治になって近代的な軍の建設が始まったときに問題となったのが、出身藩への帰属意識と政治と軍事の未分化です。 1873年には徴兵令によっ
サリンジャーが亡くなりました。 ずっと隠遁生活を送っていたため、写真は相変わらず若いままで、何だか91歳と言われてもピン来ません。永遠の青春小説『ライ麦畑でつかまえて』のイメージに作者も殉じてしまったかのようです。 ただ、サリンジャーには第2次世界大戦への従軍経験があり、「エズミに捧ぐ」にも見られるように彼はまたいくつかの「戦争小説」を書いた作家でもあります。 そんな中で、サリンジャーの独特の倫理観を示しているのが「最後の休暇の最後の休日」という小説。 日本だと荒地出版の選集の第2巻に収録されている短編で、それほど有名な作品ではありません。僕はこの小説を加藤典洋の『敗戦後論』で知りました。 この作品は第2次大戦への出征を控えた若い兵士ベイブの休暇の最後の日を描いた作品で、『ライ麦畑』の主人公の名前であるホールデン・コールフィールドの名が友人のヴィンセントの弟の名前として初めて登場する作品で
本書の「あとがき」を読むと、この本を書き上げるまでの著者の経験が普通ではなかったことがわかります。 著者は2019年に中国で2ヶ月以上も拘束され、その後解放されました。そのため普通は恩師や同僚、編集者などが並ぶ謝辞において、安倍晋三元首相や菅義偉前首相、茂木敏充元外務大臣といった名前が並んでいます。 「軽井沢の別荘にて」みたいなことが書かれる最後の部分には、「競売にかけられるかもしれなかったまだローンの残る札幌の自宅にて」とあり、著者が大変な状況を切り抜けていたことがわかります。 では、なぜ中国当局は著者を拘束したのでしょうか? その理由については本書に書かれているわけではありませんし、ひょっとしたら著者が防衛省防衛研究所教官を勤めていたことなどが影響したのかもしれませんが、本書の内容も現在の中国政府からするとやや都合の悪いものだったのかもしれません。 本書は、日中のさまざまな史料をもとに
解説で深緑野分も書いてますけど、なかなか魅力を伝えることが難しい本。 ジャンルとしては短編小説になりますが、10ページにも満たない作品がほとんどで、3ページほどのものもあります。 この長さだといわゆるショート・ショート的なものを想像しますが、星新一のショート・ショートや、あるいは最近中高生に人気の「5分後」シリーズに比べると、最大の特徴はオチがないことです。 冒頭の作品は「一年一組一番と二組二番は、長雨の夏に渡り廊下のそばの植え込みできのこを発見し、卒業して2年後に再会したあと、十年経って、二十年経って、まだ会えていない話」と題されていますが、基本的にはこのタイトル通りのことが起こります。 もちろん単純に会えないだけではなく、そこには不思議なめぐり合わせもあるのですが、するすると時間が流れていきます。 この「時間の流れ」というのは本書の大きな特徴で、とにかく時間が流れます。 大河ドラマの「
今まで著作の評判を聞いてきて、これはいつか読まねばと思いつつ読んでいなかった渡辺浩の小文集が筑摩選書という手に取りやすい形で出たので読んできました。 非常に鋭い切り口がいくつもあり面白く読める本ですが、核心的な部分に関しては「続きは別の本で…」といったところもあり、やはり、主著である『日本政治思想史 十七〜十九世紀』、『明治革命・性・文明』といった本を読まねば、と思いました。 そういった意味では、渡辺浩の「入門書」というよりは「導入の書」みたいな位置づけになるのかと思います。 目次は以下の通り。 1 その通念に異議を唱える 2 日本思想史で考える 3 面白い本をお勧めする 4 思想史を楽しむ 5 丸山眞男を紹介する 6 挨拶と宣伝 冒頭には福沢諭吉の『学問のすゝめ』についての文章が置かれています。 私たちは、江戸時代は身分制の社会であり、それを支えたのが儒教で、そうした儒教に支えられた身分
映像、音ともに隙のない映画。さすがドゥニ・ビルヌーブという感じですね。 前作に引き続き、砂の惑星やサンドワームの描き方はいいですし、ハルコネン家の兵士たちが崖の上へと浮き上がるように移動する動きとか、ハルコネン家のファシズム的な祭典のときに打ち上がる花火的なものとか、「おおっ!」となる映像がいろいろあります。 ストーリーとしては、けっこう前作の内容を忘れてしまっているところもあり、ベネ・ゲゼリットの設定とか忘れていた部分もありましたけど、見ていくうちにだんだんと思い出していくので、特に前作を復習してからじゃないというものでもないでしょう。 基本的には、救世主に祭り上げられようとする主人公が、あえて救世主を演じて敵を打ち破るという話ですが、ティモシー・シャラメがやるので説得力がでますね。「ひょっとしてこいつは?」と思わせるような魅力がある。 『レディ・バード』で見たときから、特別な存在感があ
初めて読む川上未映子作品。 いじめを受けている14歳の主人公は、ある日、〈わたしたちは仲間です〉との手紙をもらいます。 すぐにそれは同じクラスでいじめを受けている女子のコジマからのものだということがわかります。いじめを受けている二人は手紙をやり取りしたり、会ったりするような関係になっていきます。だんだんとこの関係が主人公にとっても支えになっていくわけです。 というわけで、「虐げられた者の連帯」という形で始まるこの小説ですが、徐々にそのフォーマットからは逸脱していきます。 まずはコジマです。コジマは「私たちのほうがいじめている奴らより正しい」という信念をもつ人間なのですが、その信念は次第に「傷こそがアイデンティティ」であるという形に高まっていきます。 主人公は斜視なのですが、斜視こそが君のアイデンティティだというわけです。 もう1つ、いじめグループにいて傍観者的な態度を取っている百瀬という人
『番号を創る権力』の羅芝賢と『市民を雇わない国家』の前田健太郎による政治学の教科書。普段は教科書的な本はあまり読まないのですが、2010年代の社会科学においても屈指の面白さの本を書いた2人の共著となれば、これは読みたくなりますね。 morningrain.hatenablog.com morningrain.hatenablog.com で、読んだ感想ですが、かなりユニークな本であり教科書としての使い勝手などはわかりませんが、面白い内容であることは確かです。 本書の、最近の教科書にしてはユニークな点は、序章の次の部分からも明らかでしょう。 この教科書ではマルクスを正面から取り上げることにしました。それは、マルクスの思想が正しいと考えるからではなく、それを生み出した西洋社会を理解することが、日本をよりよく知ることにつながると考えたからです。 20世紀以後の日本の政治学は、欧米の政治学の影響を
1972年生まれの韓国の女性作家の短編集。河出文庫に入ったのを機に読みましたが、面白いですね。 「優しい暴力の時代」という興味を惹かれるタイトルがつけられていますが、まさにこの短編集で描かれている世界をよく表していると思います。 「優しい暴力」の反対である「優しくない暴力」は80年代半ばくらいまでの韓国には吹き荒れていました。本書の訳者である斎藤真理子が訳した同じ河出文庫のチョ・セヒ『こびとが打ち上げた小さなボール』では、むき出しの直接的な暴力が描かれていました。 ところが、経済が成長し、民主化が進み、軍が民衆を弾圧するようなむき出しの暴力は鳴りを潜めました。 でも、「暴力」は社会の中にあって、ふとした瞬間に顔を見せているというのが、本書が描く世界です。 冒頭の「ミス・チョと亀と僕」は、父の恋人でもあったミス・チョことチョ・ウンジャさんと高齢者住宅で働く主人公の奇妙な関係を描いた作品で、ユ
ヨーロッパの政治シーンにあって、日本の政治シーンではほぼ存在感がない政治勢力に「緑」があげられると思います。 その「緑」の中でも、特にドイツの緑の党は以前から存在感を持っており、現在のショルツ政権では与党の一角を担っています。 この緑の党の源流は? と言うと、70年代の新左翼の運動から生まれたエコロジー運動を思い起こす人が多いかもしれません。 資本主義への批判の1つがエコロジー運動としても盛り上がり、それが政治組織となったというわけです。 ところが、本書を読むと実際はもっと複雑な成り立ちをしていることがわかります。 戦後西ドイツにおいて、「自然環境保全を主張することは、容易にナチズムによる「血と土」のイデオロギーにミスリードされる危険があり、〜とりわけナチズムの過去の断罪に積極的であった左派陣営にとって、自然保護運動との接触は、ある種のタブー」(8p)でした。 こうした中で、エコロジーは単
この作品については以前アラスター・グレイによる原作小説を読んでいて、映画化という話を聞いたまず最初の感想は、「あの話を映画化できるの?」というものでした。 以前のブログ記事では、原作小説のあらすじを次のように紹介しています。 怪人的な容貌を持つ天才医師ゴドウィン・バクスターによってスコットランドのグラスゴーで創造されたベラ・バクスターは20代の女性の身体に幼児のような脳を持つ美貌の女性。その姿に一目惚れをしたマッキャンドレスは彼女に求婚、プロポーズは受け入れられるが彼女は弁護士のウェダバーンとヨーロッパ大陸に駆け落ちしてしまいます。 彼女の並外れた性欲が引き起こすドタバタ劇は、やがて貧富の差や女性差別といった19世紀の社会問題を取り込み、幼児のように無邪気だったベラは社会問題に関心を持つ一人の女性活動家へと成長していきます。 morningrain.hatenablog.com 以上の部分
著者の西川先生よりご恵贈いただきました。どうもありがとうございます。 本書は研究者のためのライフハック術を教えてくれる本で、「本書が想定している読者はどういった方々かというと、それはずばり、若手研究者、そして研究者を志望するポスドク・院生・学部生の方々です」(「はじめに」Ⅳ p)とあります。 ここでハッとします。自分は研究者でも若手でもない…と。 しかも、本書ではChatGPTや音声入力機器の活用術など、最新のデジタル技術をふんだんに取り入れたライフハック術が披露されているわけですが、自分はスマホも持っていないようなアナログ人間なんですよね…。 さらに、知的生産術的なものを特に取り入れていない人間で、過去に「在野に学問あり」のインタビューを受けたときも、役立つハウツーみたいなものを紹介できなくて申し訳なく感じていました。 というわけで、本書の内容と自分の間にはかなりのミスマッチが生じている
これは巧い小説。 設定だけを見ると、ありがちというか、どこかで誰かが思いついていそうな設定なんだけど、それをここまで読ませる小説に仕上げているのは、アンソニー・ドーアの恐るべき腕のなせる技。文庫で700ページを超える分量ですが、読ませますね。 カバー裏の紹介は次のように書かれています。 ドイツ軍の侵攻が迫るパリ。盲目の少女マリー=ロールは父に連れられ、大伯父の住む海辺の町サン・マロへと避難する。一方ドイツの孤児院で育ち、ヒトラーユーゲントに加わったヴェルナーは、ラジオ修理の技術を買われ、やがてレジスタンスの放送を傍受すべく占領下のフランスへ。戦争が時代を翻弄するなか、交差するはずのなかった二人の運命が“見えない光”を介して近づく―ピュリッツァー賞受賞の傑作小説を文庫化。 この紹介文からもわかるように、この小説は戦場におけるボーイ・ミーツ・ガールを描いています。 片や盲目の少女で、片やヒトラ
遅ればせながら見てきました。 評判通りウェルメイドな映画で、アニメの画も演出も非常にレベルが高い。 昭和の児童画などを参考にしたキャラクターデザインもいいですし、そのキャラがきちんと成長していくところもよくできています。何回かそれまでのトーンとはまったく違うタッチのアニメが差し込まれる演出も面白いですね。 そして、小林先生というトモエ学園の校長先生で、このストーリーで理想的な存在を演じる役所広司の声がいい。改めていい声をしています。 物語のスタートが日独伊三国同盟が決まった1940年で、ストーリーが進むに連れて戦争の影が濃くなっていくのですが、それを直接的な戦争のシーンなどではなく、子どもを取り巻く風景の変化で描いていることも上手いと思います。 また、この映画を見ると、日中戦争の開始から太平洋戦争の開始に至るまでの期間は、軍国主義に染まっていく時代であるとともに、トモエ学園のようにリベラル
東京大学出版会のU.P.plusシリーズの1冊でムック形式と言ってもいいようなスタイルの本です。 このシリーズからは池内恵、宇山智彦、川島真、小泉悠、鈴木一人、鶴岡路人、森聡『ウクライナ戦争と世界のゆくえ』が2022年に刊行されていますが、『ウクライナ戦争と世界のゆくえ』がウクライナ戦争の世界への影響を論じていたのに対して、本書はヨーロッパへの影響を論じたものになります。 morningrain.hatenablog.com どこまでを「ヨーロッパ」とするかは(特にロシアはヨーロッパなのか?)というのは議論が分かれるところでしょうが、ウクライナ戦争は「ヨーロッパ」で起こった戦争として認識され、それゆえに非常に大きなインパクトを世界に与えました。 そして、当然ながらヨーロッパ各国にはより大きなインパクトを与えているわけです。 本書はそんなヨーロッパへのインパクトを豪華執筆陣が解説したものにな
よく「政治と宗教の話はタブー」と言われます。一方で、市民として政治に関心を持つことは重要だと言われ、「政治についてもっと話し合うべきだ」とも言われます。一体、われわれは政治の話をどう扱えばいいのでしょうか? そして、そもそも「「政治の話」とは何なのか?」という問題もあります。 国会の動きについて話は「政治の話」でしょうが、景気の話や環境問題などはどうなのでしょうか? また、「政治の話」をすることで、政治についての知識が増えたり、政治に積極的に参加するようになったりするのでしょうか? 本書は、そうした問題に対して、まずは「政治の話」がどのようなものなのかを規定し、次いで身近な人(家族や親しい友人)との会話、ミニ・パブリックスのようなデザインされた議論も場に分けてその効果を分析しています。 その結果、親しい人の間では政治の話はタブーではないこと、ミニ・パブリックスのような場を設定すれば政治など
新年初日から能登半島で大きな地震があって、「今年はどうなってしまうのか…」という状況ですが、今できることをやるしかないので、毎年恒例の紅白歌合戦の振り返りを行いたいと思います。 今年の山場はなんといってもYOASOBIの「アイドル」における、「オールアイドル総進撃」で、しかも、その場に日本のアイドルシーンに君臨してきたジャニーズのタレントがいなかったということでしょう。 ジャニーズ勢が不在ということで「枠が埋まるのか?」という心配もありましたが、とりあえず枠は埋まった。ただし、ジャニーズ勢の不在がもたらす紅白の変質もあった。ここから「ジャニーズとは何だったのか?」という大きな問いが生まれていくることになるわけですが、その答えについては今後の研究の進展に期待したいと思います。 このYOASOBIの「アイドル」とジャニーズの問題については、さまざまなところですでに論じられていると思うので、ここ
今年は読むペースはまあまあだったのですが、ブログが書けなかった…。 基本的に新刊で買った本の感想はすべてブログに書くようにしていたのですが、今年は植杉威一郎『中小企業金融の経済学』(日本BP)、川島真・小嶋華津子編『習近平の中国』(東京大学出版会)、ウィリアム・ノードハウス『グリーン経済学』(みすず書房)、リチャード・カッツ、ピーター・メア『カルテル化する政党』(勁草書房)、黒田俊雄『王法と仏法』(法蔵館文庫)といった本は読んだにもかかわらず、ブログで感想を書くことができませんでした…。 このうち、植杉威一郎『中小企業金融の経済学』はけっこう面白かったので、どこかでメモ的なものでもいいので書いておきたいところですね。 この1つの原因は、秋以降、ピケティ『資本とイデオロギー』という巨大なスケールの本を読んでいたせいですが、それだけの価値はありました。 というわけで、最初に小説以外の本を読んだ
毎年やっているので一応やりますが、今年もあんま枚数聞けてない+11月末のチバユウスケの訃報で、そこからチバユウスケ追悼月間になってしまって、ブログでの紹介もできませんでした。 本当はMr.Children「miss you」やSufjan Stevens「Javelin」も買ったのですが、ブログに書けずに終わっています。 そんな感じであんまり参考にならないかもしれませんが、とりあえず5枚だけ紹介します(ただし5枚といっても結局全部ダウンロード)。 1位 Anjimile / The King The King [Explicit] 4AD Amazon マラウイ共和国にルーツをもつボストン出身のノンバイナリーのアーティスト、Anjimile(アンジマリ)の2ndアルバム。 本人が「Giver Takerが祈りのアルバムだとしたら、The Kingは呪いのアルバムだ」とプレリリースの時に述べ
本書を「『21世紀の資本』がベストセラーになったピケティが、現代の格差の問題とそれに対する処方箋を示した本」という形で理解している人もいるかもしれません。 それは決して間違いではないのですが、本書は、そのために人類社会で普遍的に見られる聖職者、貴族、平民の「三層社会」から説き始め、ヨーロッパだけではなく中国やインド、そしてイランやブラジルの歴史もとり上げるという壮大さで、参考文献とかも入れると1000ページを超えるボリュームになっています。 ここまでくるとなかなか通読することは難しいわけですが(自分も通勤時に持ち運べないので自宅のみで読んで3ヶ月近くかかった)、それでも読み通す価値のある1冊です。 本書で打ち出された有名な概念に「バラモン左翼」という、左派政党を支持し、そこに影響を与えている高学歴者を指し示すものがあるのですが、なぜそれが「バラモン」なのか? そして、本書のタイトルに「イデ
全長1マイルにも及ぶ巨大な巨竜グリオールを舞台にしたシリーズ最後の長編にして、ルーシャス・シェパードの遺作と思われる作品になります。 巨大な竜が出てくるということで、ジャンルとしてはファンタジーに分類されるのでしょうが、前作の『タボリンの鱗』に収録されていた「スカル」が現代のニカラグアをモデルにしたテマラグアという国を舞台にしていたように、この現実世界と、特に現実世界の暴力と密接に繋がっているのが、このグリオール・シリーズの世界です。 本作の主人公はリヒャルト・ロザッハーという若き医師であり、グリオールの血について研究しています。 しかし、ロザッハーは金銭トラブルからグリオールの血を大量に注射されてしまい意識を失います。そして、そのせいなのか、付き合っていた女性のルーディーは自分の理想を完璧に具現したかのような女性に見えるようになり、圧倒的な多幸感を味わいます。 ロザッハーはグリオールの血
副題は「死者はいかにして数値になったか」。 本書の序章の冒頭では、著者がボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争における死者を調べていて、20万人という数字と10万人という数字が出てきたというエピソードが紹介されています。 死者数というのは戦争の悲惨さを伝えるためのわかりやすいデータではありますが、それが倍近くも食い違っているのです。 特に文民の死者数となると、なかなか正確な数字は出ません。 しかし、実際に何人の兵士が死んだのか? 戦争によってどれだけの文民が犠牲になったのかというのは非常に重要なデータです。 本書はこうした戦争での死者がいかに数えられるようになったのか? 誰が数えているのか? どのようにカウントされているのか? といったことを過去に遡って明らかにしながら、戦争とデータの問題を考えています。 今まであまり光の当たっていなかった問題をとり上げた興味深い本です。 目次は以下の通り。 序章
『ゲンロン0 観光客の哲学』の続編という位置づけで、第1部は『観光客の哲学』で提示された「家族」の問題を、本書で打ち出される「訂正可能性」という考えと繋げていく議論をしていきますが、第2部は『一般意志2.0』の続編ともいうべきもので、『一般意思2.0』で打ち出された考えが「訂正」されています。 第1部の議論については個人的には乗れないところもあります。 一番の大きな理由はクリプキが『ウィトゲンシュタインのパラドックス』で出してきたクワス算の例を使っているからです。本書の59pの註30でも書かれているように、クリプキの議論はウィトゲンシュタインの解釈としては不適当だと思いますし、たとえウィトゲンシュタイン解釈を別にしたとしても、クリプキの議論にはあまり意味があるとは思えないからです。 確かに根源的な疑問や懐疑論には否定し難いものがあります。例えば、「この世界は歴史やその他諸々含めて今朝つくら
『幕末社会』(岩波新書)の須田努と、『喧嘩両成敗の誕生』(講談社選書メチエ)や『戦国大名と分国法』(岩波新書)などの清水克行の2人が、縄文から現代に至るまでの「日本史」を語った本になります。 もともとは明治大学の文学部史学科以外の学生を対象にした「教養日本史」的な授業のテキストブックという形でつくられたものになります。 ですから、「歴史とはなんぞや?」「中世とはいかなる時代か?」といった大きな問いから入るのではなく、まずは歴史上の面白い事象を紹介し、そこから時代の特徴を探るような構成になっています。 歴史というと古い時代から順番に学んで、その変化を見ていくといった形になりやすいですが、本書では「流れ」よりも、当時の人々が生きた社会を直接つかみにいくようなスタイルです。 目次は以下の通り。 第0講〜第6講までを清水克行が、第7講〜第13講を須田努が担当しており、第14講が2人の手によるものに
『ジョン・ウィック』シリーズは第1作をレンタルで見た記憶しかなくて、今作も「どうしようかな?」と思っていたのですが、日本を舞台にしていて、ハリウッドが描くトンチキな日本の姿が出てくると知って観に行ってきました。 そうしたら、道頓堀のネオンから日本なんだか中国なんだかモンゴルなんだかよくわからない服を着ている真田広之が登場! 『ウルヴァリン: SAMURAI』、『47RONIN』、『ブレット・トレイン』と、真田広之はこの手の映画の皆勤賞ですね。でも、役としては今回はいい役だったのではないでしょうか。 相撲取りのボディガードにドスと弓矢で武装したボディガードたち、真田広之の娘はなぜかリナ・サワヤマで(全然気づかなかった)、弓矢を持ってくノ一+エルフみたいな感じで大奮闘。 鎧が展示してある謎の空間とか、屋上から見える「初志貫徹」のネオンとか、何から何まで間違っている感じで、ツボを抑えてます。 た
00年代のセカイ系とか10年代の深夜アニメの雰囲気を濃厚にたたえた作品で、さらに福島第一原発事故をモチーフにした作品でもあります。設定にはけっこう無理もありますが、それを含めて00〜10年代をギュッと濃縮した作品だという印象を持ちました。 ちなみに、セカイ系の影響というともちろん新海誠もそうですが、新海誠は『君の名は。』以降、セカイ系的なシチュエーションをウェットにしすぎない手法(RADWIMPSの歌とか奥寺先輩とか)を確立して幅広い層に訴求することに成功したのに対して、本作はそこを「ウェットさ上等!」という感じで突き抜けています。ラストに流れるテーマソングが中島みゆきですし、このウェットさは狙い通りでしょう。 また、本作は新海誠が『すずめの戸締まり』で避けた福島第一原発事故に向き合おうとした作品と言えるかもしれません(とは言っても放射能的なものはない)。 公式サイトに載っているストーリー
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