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中東情勢
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かつて、「大衆文化」と「サブカル」の間にははっきりと境界線があった。もともと日本では、漫画やアニメ、ヒップホップ音楽など一部の人たちが享受するコンテンツなどを指して(「サブカルチャー」の本来的な意味ではなく)「サブカル」と呼んでいたが、いまやすべて大衆文化となっている。サブカルは商業的な力学のもとに大衆文化へと同質化していく特性があるのだ。 だが、そこには数少ない例外がある。そのひとつが二次創作の世界だ。かつてサブカルだった、そしていまや大衆文化となった漫画やアニメ、ゲームなどの「原作」をベースに、ファンたちがつくりあげる二次創作。それらは大衆の目に触れにくい場所で、しかし計り知れないほどの規模と強度のコミュニティを形成し、今日も生み出され続けている。 二次創作は原作に対するファンアート的な立ち位置でつくられる文字どおり「二次的」なものだ。著作権的にも限りなくグレーな創作物であるがゆえに、
広告は“虚業”だと言われる。実体のないイカサマのような商売ということだ。筆者を含め関係者にとってうれしくない話だが、これは実話である。 なんとなくそうだと思っていた人も、ものは試しだ。「広告・虚業」で検索してみてほしい。耳の痛い情報が山ほどヒットするだろう。 読んでいくと興味深い。ある情報によれば、広告代理業は虚業どころか、世の中の“黒幕”なのだと言う。社会を裏側から牛耳っているらしい。 「そこまでの実力、あっただろうか?」 長年この業界に接している者なら首をかしげてしまう。もちろん、ネットに出てくる情報自体が“虚(フェイク)”である可能性もある。鵜呑みにするのは考えものだ。しかし、多くの人が広告を“虚業”だと考えている以上、そこにはなんらかの理由があるはずだろう。 本稿では、なぜ、広告は“虚業”なのか?(そう言われるのか?)。広告が“実業”へと反転する可能性はないのかを考察してみたい。広
「京都は日本の文化を代表している」というイメージは、国内のみならず国際的にも受け入れられている。京都市は「世界が憧れる観光文化都市」を標榜し、「京都が日本の財産、世界の宝であることをアピールする」京都創生PRポスター「日本に、京都があってよかった。」を2007年から発表している。 2007年に発表された最初の京都創生PRポスター。嵐山にある渡月橋の写真を使用 画像:「京都市情報館」ウェブサイトより筆者は、京都に暮らして20年以上になるが、このまちをPRするポスターを見るたびにもやもやしてしまう。かつて天皇が住む「みやこ」であったにしても、いまは日本の首都ではなく、いわば一地方都市に過ぎない。確かに、国宝や重要文化財は数あるが、それらをもって「日本の財産、世界の宝」とまで言い切るスタンスにはずっと違和感があった。だからこそ、あらためて「京都の文化的権威」と向き合ってみたいと思った。 このテー
「破壊」ではなく「前進」を目指すIT企業あるインタビューでのスティーブ・ジョブズの言葉がビル・ゲイツとの確執を深めた。 「マイクロソフトの唯一の問題は、彼らにセンスがないことだ。彼らにはまったくもってセンスが欠落している。些細なことを言っているのではない、広く全般的な話だ。彼らは独自のアイデアを持たず、自らの製品に文化をもたらしていない」 マイクロソフトについて言及したこのインタビューは、1995年夏、パソコンの誕生に関してのドキュメンタリーTVシリーズ「The Triumph of the Nerds: The Rise of Accidental Empires」として収録されたものだが、のちに、当時テレビではカットされた部分も含めて映画『スティーブ・ジョブズ1995〜失われたインタビュー〜』として公開された 画像:『スティーブ・ジョブズ1995〜失われたインタビュー〜』 販売元/ハピ
テキストユニット TVOD 『広告』文化特集号イベントレポート 去る5月15日、下北沢の書店「本屋B&B」にて『広告』文化特集号の発売記念のトークイベントを開催しました。テーマは「サブカルチャーと冷笑」。2010年代以降、SNSでの政治的や社会的な活動の盛り上がりとともに、たびたび話題となった「冷笑」というキーワード。ここ数十年における「サブカル」的な感性のなかで醸成されたものとも言われる冷笑的態度は、どのように生まれ、どこへ向かうのか。文化特集号で「120 SNS以降のサブカルチャーと政治」の記事を寄稿いただいたテキストユニットTVODのコメカ氏とパンス氏をゲストに迎え、『広告』編集長の小野も交えながら語り合ったイベントの模様をお届けいたします。 現代における「冷笑」とは何か小野:最初に、なぜ本日のテーマが「サブカルチャーと冷笑」となったのか。そこからお話しいただいてもいいですか。 コメ
日本から見ると、中国は世界でもっとも言論統制が厳しい国だと思われがちだが、そうではない。世界のそれぞれの国に事情があり、日本に比べて基準が厳しい、あるいは緩いという相対的なものでしかない。日本は世界で有数の基準が緩い、あるいは比較的作者が自由に作品を発表できる国だと感じる。もちろん出版社の判断は介在するが、国が出版物の内容をひとつひとつチェックすることはない。 実は中国も、出版段階で国がチェックしているわけではない。日本と同様に出版社が独自にチェックし、問題ないと判断するまで修正を行ない、出版する。出版後に、これは反中だ、反共産党だ、あるいは暴力的すぎる、性的すぎると騒がれてから、国が調査に乗り出すケースが多い。騒がれるラインは異なるが、実は中国と日本の出版時点での国の関与レベルは同程度なのである。 違いはペナルティの大きさにある。中国では出版管理規定により、出版社が1年に出版できる書籍に
“Culture”という言葉に「文化」「教養」両方の意味が含まれていることからも明らかだが、このふたつの概念は密接にかかわっている。「文化」がある種の「時代の空気」を表すのであれば、その空気によって規定される「時代における適切なふるまい」が「教養」ということになるだろうか。 「教養が大事」という言説は、いつの時代にも存在してきた。一方で、最近は「ビジネスやお金儲けに役立つものとして、教養が大事」といった考え方がいままで以上に力を増しつつある時代でもある。筆者は拙著『ファスト教養』(集英社)において、その事象を批判的な立場から分析しつつ、そんな状況が生まれた背景や想定されうる対案について論じた。 本稿は、『ファスト教養』で展開した「現代における教養のあり方」に関する議論をさらに深めていくものである。この大きなテーマと向き合うべく、『勉強の哲学』(文藝春秋)、『現代思想入門』(講談社)などの著
1. まじめな遊び・ホイジンガの遊びの理論 文化史家ヨハン・ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』は、文化と遊び(※1)の関係について、初めて深くまじめに論じた著作として名高い。とくに「遊びの相のもとに(sub specie ludi)」という標語のもとで、文化の様々な側面をある種の遊びとして理解しようと試みたことは、よく知られているだろう。 ホイジンガは、先行するいろいろな遊びの定義論をまとめて却下したうえで、自身の遊びの定義を提案している。先行する定義論はすべて、「生物学的機能」の観点から、つまり結局のところ遊びは何の役に立つものなのかという観点から、遊びを定義している。しかしそうしたアプローチでは、遊んでいる当人にとっての遊びの「意味」、遊びの「おもしろさ」、遊びの「本質」はまったく明らかにならない。というのも、遊びの実際のあり方を観察してみれば、それは何か別の事柄のために奉仕するものとし
デザインエンジニア 緒方壽人 × 基礎情報学/表象文化論研究者 原島大輔 文化特集号トークイベントレポート ここ数カ月、世間を賑わせるChatGPTなどに代表される生成系AI。ものづくりを根幹から揺るがしかねないテクノロジーの進化は、はたしてわたしたちの文化にいかなる変化をもたらすのでしょうか。3月31日に発売された『広告』文化特集号の記事「110 文化と文明のあいだ」を寄稿いただいたTakramのデザインエンジニア緒方壽人さんと、基礎情報学や表象文化論の視点から人の営みやテクノロジーについて研究されている原島大輔さんをゲストにお迎えし、編集長の小野直紀とともに、生成系AIと文化が今後どのようにかかわっていくのかを語り合いました。5月12日に、松本市の本屋兼カフェ「栞日」で開催した『広告』文化特集号のトークイベントの模様を前後編の2回にわたってお届けいたします。(前編) 小野:みなさん、お
こんにちは。『広告』編集長の小野です。今月末で編集長を退任するので、これが編集長として最後の投稿になります。 去る6月9日〜18日に展覧会&トークイベント雑談『広告』を開催しました。 博報堂の会議室を会場とし、僕が編集長を務めた2019年〜2023年に刊行された『広告』の制作の裏側を展示するとともに、アーティストやデザイナー、哲学者や文化人類学者など総勢72名のゲストを迎えて10日間ほぼノンストップで全39回の「雑談」を行ないました。 事前登録なしで一般の方を博報堂社内に入れるというのは前例がなかったため、総務や広報、運営チームとの打ち合わせや懸念つぶしを重ねて臨みました。結果として、悪意ある来場者もおらず、怪我人、急病人も出ることなく、最後まで無事に開催することができました。 10日間の一般来場者は728名でした。 ※社員の来場人数を除く。入館の際に来場者に署名いただいた誓約書の枚数で換
社会学者 吉見俊哉 × 美学者 松永伸司 × 『広告』編集長 小野直紀 『広告』文化特集号イベントレポート 人々の営みのなかから生まれ、同時に人々の営みを規定する「文化」。そのあり方は時代によってつねに変化しているように見えます。特定の人間集団の間で共有される価値観や行動規範としての「文化」は、いったいどのように生成され、そして更新されていくのか。『広告』文化特集号の巻頭対談「108 文化とculture」に登場いただいた社会学者・吉見俊哉さんと、遊びと文化の関係についての論考「111 まじめな遊び、ふざけた遊び」を寄稿いただいた美学者・松永伸司さんを迎え、「文化の生成と更新」をテーマに、その構造と実態についてそれぞれの見地から語っていただきました。 底地から文化を見通す小野:本日のトークテーマは「文化の生成と更新」です。最近は文化の更新、言い方を変えると、価値観のアップデートについてよく
「culture」という語は英語においてもっとも複雑とされる言葉のひとつである。同様に日本語の「文化」も様々な場面で多義的に用いられる言葉だ。その複雑性や多義性はなぜ生まれたのか。そして近代から現代における「culture」や「文化」にまつわる議論はどのような広がりと変遷をたどってきたのか。長年、文化にまつわる幅広い研究・執筆を行なっている社会学者・吉見俊哉氏に、本誌編集長・小野直紀が「文化とculture」をテーマに疑問をぶつけ、その全容をひも解く。 「culture」とはカウンターだ小野:本誌にて「文化」を特集するにあたり、まず吉見さんの『現代文化論』(有斐閣アルマ)を拝読しました。よく使われるわりに、その意味がぼんやりとしていた「文化」という言葉の全体像をつかむヒントがたくさんありました。 吉見:この本の英題は『Introduction to Contemporary Cultura
グラフィックデザイナー 上西 祐理 × 加瀬透 × 牧寿次郎 『広告』文化特集号イベントレポート 去る2023年4月30日、『広告』文化特集号の発売を記念したトークイベントを開催しました。文化特集号は表紙に1冊1冊異なる「赤」のグラデーションを採用し、連動企画としてウェブサイト上で「赤から想起するもの世界100カ国調査」の結果を公開。どのようなプロセスを経て「赤」の表紙にたどり着き、連動企画の実施にいたったのか。2019年のリニューアル創刊以来、『広告』の装丁デザインを担当している上西祐理さん、加瀬透さん、牧寿次郎さんをお招きし、編集長の小野直紀とともに長い制作期間を振り返りました。今回はそのイベントレポートをお届けします。 「文化」をデザインとメッセージで体現する小野:今回のトークイベントのテーマは「『文化』をいかに体現するか」。文化特集号が完成するまで様々な試行錯誤を重ねたのですが、そ
3月31日に文化特集号が発売されてから2カ月と1週間。 現体制最後の号でもある今号の売れ行きは、ありがたいことにとても好調です。取り扱いのある販売店223店舗のうち、65店舗から追加発注をいただき、40店舗で完売(6月6日時点)。Amazonでは、発売後ほぼ1カ月間カテゴリーランキング1位(※アート・デザインの雑誌)をキープし、5月22日にAmazon販売分の2,300冊が完売しました。前号の虚実特集号は書店での売れ行きが不調だったのですが、今号は「文化」という比較的イメージしやすい特集や、赤くて分厚いインパクトのある装丁も後押しして、たくさんの書店から「よく売れています」という声をいただいてます。 『広告』編集部では毎号、書店とコミュニケーションをとりながら実売数を把握したり、SNSやネットをチェックしながら、最新号がどのように世の中に受け止められたかを振り返っています。このnoteでは
地球温暖化、経済格差、ジェンダー不平等など、多くの問題を抱える現代社会。現実に起こる不条理や不均衡に対して、フィクションとしての物語は何ができるのか。社会哲学者の稲葉振一郎氏へのインタビューをとおして、社会批評性のある物語の特性や世の中での受容のされ方について考察する。 「現実についての物語」と「リアリズムのフィクション」── 今回は「物語と社会批評」というテーマでお話を伺えればと思っています。 稲葉:初めに前提を整理させてください。まず「社会批評」について。これは社会に対する吟味、批判、論評ということですよね。つぎに「物語」とは具体的に何を指すかを確認しておくと、ここでは小説や映画、アニメといったもの、つまりフィクションですよね。だから、今回のテーマは社会に対する論評が、フィクションをとおして成しえるのか、ということですね。 また、「批評」と言った際、人が思いつくのは文芸批評や映画評論と
貸本から雑誌へ ── 日本の漫画流通のおこり映画や音楽などと同様に、漫画もまた、時代の変化とともに新しい流通の形が生まれ、それはときに作品の中身にも影響をおよぼしてきた。 日本の漫画の歴史を遡ると、そもそも販売ではなくレンタル用として制作された貸本漫画が始まりとなっている。貸本屋自体の誕生は漫画の誕生よりも前、江戸時代初期の17世紀頃と推測され、庶民の娯楽を支えてきた。貸本漫画が普及したのは第二次世界大戦後。当時は書籍がまだまだ高価であり、多くの人が「買う」よりも「借りる」ことによって本を読むのが一般的だった。 『ゲゲゲの鬼太郎』で知られる水木しげるももとは貸本漫画家であり、1958年に貸本漫画家としてデビュー、1960年からは『ゲゲゲの鬼太郎』の前身である『墓場鬼太郎』シリーズを貸本漫画として発表しはじめる。 その後、一般社会に書籍を購入する習慣が根付きはじめると、貸本は徐々に廃れ、入れ
この投稿は、博報堂広報室との話し合いのもと許可をとって公開しています。 『広告』編集長の小野です。 以下の矢野利裕氏のnote(3月31日公開)およびJ-CASTニュースの記事(4月3日公開)の内容について、編集責任を持つ『広告』編集長として経緯の報告と見解を書きたいと思います。 まず、上記のnoteおよび記事に書かれているとおり、3月31日に発刊された『広告』文化特集号に掲載された記事「ジャニーズは、いかに大衆文化たりうるのか」において、矢野氏の発言の一部が博報堂広報室長の判断により削除されたことは事実です。 当該記事の対談を実施したのは2022年12月1日。対談者両名の確認を経て原稿が完成したのは12月22日でした。すぐに広報室への確認を投げました。そして、そこから約1カ月後の2023年1月24日、ビジネスパートナーであるジャニーズ事務所への配慮を理由として、広報室長から一部表現の削除
「文化」に向き合うことは、「ものをつくること」を肯定すること──。 5年ほど前、本誌の編集長をやらないかと打診があり、なんでも好きにやっていいと言われて引き受けました。小さい頃からものをつくるのが好きで、これからもものをつくり続けたいと思っていた僕は、本誌の全体テーマを「いいものをつくる、とは何か?」にすることにしました。 ものをつくるときは、いつも「いいものをつくろう」と、つくることに没頭してきました。でも、「いいものをつくる」ということが何を意味しているのか、深く考えたことはありませんでした。その無自覚な無知を、つくり手としての伸びしろに置き換えて、このテーマを設定しました。 こうして、ごく個人的な動機から始まったのが現体制での『広告』なのですが、僕が編集長を務めるのは今号で最後になります。これまで「価値」「著作」「流通」「虚実」と4つの特集を組んできました。特集はすべて漢字2文字とし
こんにちは、『広告』編集長の小野です。 年度末の本日3月31日、『広告』最新号が発売となりました。 編集長を卒業するので、僕にとっては、最新号であり最終号でもあります。制作しているなかで、大学時代の卒業制作(建築)を思い出しました。まさか社会人になって卒業制作をするとは……。 ということで、今号は、僕が編集長をやることになってから約5年間の集大成の号になります。 特集は「文化」。全35記事、1100ページ2019年のリニューアル創刊以来、「価値」「著作」「流通」「虚実」と特集を組んできました。最後の特集は「文化」です。 「文化」はとても複雑で多義的な概念です。「文化」という言葉を発する側と受け取る側で異なる意味合いで解釈している場合もよくあるのではないでしょうか。 今号はこれまででいちばんの大作(←自分で言うものなのか不明ですが)で全部で35記事、1100ページ、44万字あります。数えてみ
スケールの大きい高予算の映画、でも観てみるとなんだかガッカリ……なんて経験をしたことがある方は多いのではないか。一方で、昨年の大ヒット作『カメラを止めるな!』のような低予算でおもしろい作品もたくさんある。そもそも低予算での製作は、どんな名監督もとおってきた道だ。それがなぜ高予算になった途端に、質が下がるケースが頻発してしまうのか? もしかするとそこには、高予算特有のネガティブな構造があるのではないか? 近年、河瀨直美監督作品をはじめ、上質な作品を製作し続けるキノフィルムズの社長・武部由実子氏に映画業界の実情を聞いた。キノフィルムズは、まだ業界内で忖度がはびこるなか、「新しい地図」の3人それぞれの主演映画を製作するなど話題はつきない。また武部氏はプロデューサーとしても現役で、最近では草彅剛主演作品『台風家族』を手がけたばかりだ。 企画決定のプロセスに、高予算の構造的な問題があった── 早速で
ポップ・ミュージックの世界にはたくさんの「虚実」が存在している。アイコンたるスターの誕生には、“実”から“虚”を生むことが不可欠だ。そして、幻想や妄想、あるいは勘違いが、いつしかリアルな表現やムーブメントを生むことも少なくない。本稿では、長年ポップ・ミュージックを観察し、その現場に立ち会ってきた編集者/音楽評論家の田中宗一郎氏と筆者・照沼健太が、ポップ・ミュージックの歴史を彩ったアイコンたちがどのようにつくられたのかを語り合い、“ポップ・ミュージックの虚実”についていくつかの視点を提示したい。 ポップ・アイコンの誕生は、“メディア”と密接な関係にある ── ビング・クロスビーとフランク・シナトラ照沼:ポップ・アイコンの歴史を辿るにあたり、当初はエルヴィス・プレスリーから語ろうと思っていましたが、田中さんから最初に名前を挙げていただいたのがビング・クロスビーでした。彼はフランク・シナトラが憧
なぜ「真実を写す」と信じているのか?「おいふざけんな、地震のせいでうちの近くの動物園からライオン放たれたんだが 熊本」 これは、2016年の熊本地震発生直後に20代の男性が、ライオンが市街を歩く写真とともに投稿したツイートである。写真は南アフリカで撮影されたもので、熊本でライオンの脱走の事実はなかった。しかしツイッター上では広く拡散され、余震が続くなか動物園に問い合わせの電話が相次いだと言う。 2016年熊本地震発生時、デマのツイートが拡散された。実際の写真は、映画の撮影現場を写したもので、ライオンの名前はコロンブス。写真をよく見ると、信号など日本のものではないことがわかる 画像:「トゥギャッター」ウェブサイトより 2011年の正月には、通販サイトでおせちを購入したが、実際に届いたのはウェブサイトに掲載されていた写真とは似ても似つかないスカスカの商品だったとして、販売業者に多数のクレームが
グラフィックデザイナー 上西祐理 × 建築家 大野友資 × ウェブデザイナー 田中良治 『広告』虚実特集号イベントレポート 3月1日に発売された雑誌『広告』虚実特集号にかかわりの深い方々をお招きし、オンラインでのトークイベントを開催しました。今回は、3月16日にSHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS(SPBS)の主催で行なわれたイベントレポートをお届けします。建築やグラフィックをはじめ様々な領域のデザインにおいて、コンピューターで制作することがあたりまえになった現代。デジタルメディアや仮想空間のなかで、いかに物理的な体験や感覚をつくるか。反対に、物理的なものや空間に、いかに物理を超えた体験を生み出すか。グラフィックデザイナーの上西祐理さん、建築家の大野友資さん、ウェブデザイナーの田中良治さんをゲストに迎え、編集長の小野とともに、デザインにおける物理と非物理をどう捉
演劇や小説、映画など、フィクションを楽しむ娯楽や芸術は古くから多岐にわたって存在していた。1970年代後半以降に普及したビデオゲームは、プレイヤーの能動的な関与によるシステムとのインタラクションにより、フィクションの世界へより深く没入できる点に特徴があると言われている。本インタビューでは、美学の視点からビデオゲームを研究する松永伸司氏に、ビデオゲームの表象と受容における特色や、プレイヤーがどのような構造によって虚構と現実の狭間に存在するゲーム世界を体験するのかについて伺った。 美学の視点からビデオゲームを研究する理由── まず松永さんのご研究内容について伺えればと思います。また、美学についての解説も簡単にお願いしてよろしいでしょうか。 松永:私の専門分野は美学で、その視点からビデオゲームを中心とした現代のいろいろな文化の特徴を考えるということをやっています。美学は哲学の一分野ですが、扱う対
「SF」という物語のジャンルがある。一般的にはサイエンス・フィクションの略とされることが多いが、スペキュレイティブ・フィクション(思索的小説)の略であるとか、はたまた藤子・F・不二雄による「すこし・ふしぎ」の略であるとする説など、大喜利的にも様々に解釈されてきた言葉である。日本語では「科学小説」「空想科学小説」と翻訳されることもある。 SFと聞いてパッと思い浮かぶものと言えば何だろう。広大な宇宙だろうか、それとも車が空を飛ぶ未来都市だろうか、はたまた時間移動などの未知のテクノロジーだろうか。SFは様々な世界観を包含する厳密な定義が難しいジャンルだが、ひとつ言えるとすれば、完全に独立した空想上の異世界を描くファンタジーとは異なり、なんらかの現実的な価値観や概念から地続きの階段を登った先にある物語だということだ。現実にある技術、あるいは現実から一歩進んだ近未来、あるいはまだ星空のなかのひとつの
情報革命によって生活や社会のあり方が激変したいま、私たちは自分たちが生きる「世界」、そして道具や嗜好品、コンテンツなどのつくられた「もの」をどのように捉えているのだろうか。著書『実在への殺到』(水声社)で新たな哲学の地平を開拓した哲学者・清水高志氏を迎え、「虚実と世界」をテーマに、本誌編集長・小野直紀が素朴な疑問を投げかけながら、人間と世界の関係、人間とものの関係を、現代における哲学的な観点からひも解く。 21世紀に世界の捉え方はどのように変わったのか小野:清水さんの著書を拝読すると、哲学や思想の世界では、21世紀になって人間と世界、あるいは人間とものの関係の捉え方が大きく変容しているように感じました。 まず、非常に大きな問いから入りますが、清水さんは、人間は世界やものをどのように認識しているとお考えですか。 清水:だいたい世紀の変わりめには、15年くらいかけて新しい思潮の流れや形が出てく
3月1日に虚実特集号が発売されてから約2カ月半が経ちました。『広告』編集部では毎号、SNSやネットの反響や実売数をチェックし、書店ともコミュニケーションをとりながら、最新号がどのように世の中に受け止められたかを振り返っています。 5月19日時点でAmazonでは2,225冊が売れていて、流通を特集した前号のAmazon実売数が発売後1年以上たった現時点で1,781冊だと考えると、とても好調に見えます。しかし、書店での実売数を見ると、現在確認できている範囲で6店舗から完売の連絡が入っているものの、正直かなり苦戦しています。 現時点の書店での販売数は933冊(224店舗中、回答があった188店舗の販売数)。流通特集号の発売後2カ月半頃の販売数1,922冊(211店舗中、回答があった201店舗の販売数)と比べると、半分以下に留まっています。 取り扱っていただいている書店は2019年のリニューアル
『広告』虚実特集号を開くと、1ページめにドーン!と出てくる巨大なQRコード。 『広告』虚実特集号1ページめのQRコード このQRコードから専用アプリをダウンロードして、各ページの下部にあるマーカーとバーコードを読み込むと、スマホ越しに実際の風景とCGが重なり合う様々なAR(=拡張現実)を体験することができます。誌面全ページと連動したこの特別企画。みなさま、お試しいただきましたでしょうか? 『広告』虚実特集号のARの一例 このARは、プログラマー/ARクリエイターである北千住デザイン・渡邊敬之さんとのコラボレーションにより実現しました。 リアルとバーチャルが混じり合う体験を届けるべく企画したこのARはいかにしてつくられたのか。AR制作の背景や完成に至るまでの経緯を詳しくご説明していきたいと思います。 北千住デザインとは何者か 『広告』では2019年のリニューアル創刊以降、毎号ビジュアルページ
3月1日に『広告』虚実特集号が発売されてから1カ月と少しが経ちました。 みなさんが今回、『広告』虚実特集号を知ったきっかけは何でしたか? 編集部のnoteやSNS、メディアの紹介記事、書店やAmazonのサイト……いろんな入り口がありましたが、「店頭で初めて見た」という方以外は、『広告』虚実特集号の装丁はこの写真のイメージだったと思います。 『広告』虚実特集号の書影(撮影:伊丹豪) そして、もしこの写真のイメージを持ったまま実際の雑誌を手に取ったのであれば、「思っていたものと違った」と感じたのではないでしょうか。 『広告』では2019年のリニューアル以降、雑誌を知ったり、手に取ったりする段階から特集について考えるきっかけをつくろうと装丁や販売方法などに様々な工夫をしてきました。 「価値」を特集したリニューアル創刊号では、全680ページの分厚い雑誌を1円(税込)で販売。価値と価格の非対称性を
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