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ブックマーク / diary.lylyco.com (14)

  • 偽物のポジティブを、殲滅せよ|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    ポジティブを装ったタチの悪い欺瞞が、ウイルスのごとく蔓延している。 ぼく自身、生来あまりポジティブな人間とはいえない。だから、なおさら目に余るのかもしれない。それにしても、だ。たとえば、ライフハックだのフリーランサーだのスタートアップだのといった界隈の胡散臭さ!これはもう、格別だ。ちょっと鼻をつまんだくらいじゃ防ぎきれないレベルの腐臭を発して、止まるところを知らない。しかもそれは、一見、ポジティブを装っている。包装紙も、熨斗も、風呂敷も何もかもがポジティブだ。もはやパソコンの前にいるだけで満願成就して生涯幸せになれるんじゃないかと思うほどである。が、そんなうまい話はない。せいぜい奇人だけが使える劇薬が少々、残りはただの欺瞞である。 ○ 欠点を誤魔化すためのポジティブ たとえば、自尊心が強すぎて他人とうまくやっていけないことを、自立心が強くて馴れ合うことが苦手などと言い換える。あるいは、どん

    soratokimitonoaidani
    soratokimitonoaidani 2013/02/09
    ときには気休めもいい。が、ネガティブをネガティブとして受け止めないようなポジティブは嘘だ。それも甘くて癖になる。偽物のポジティブは麻薬だ。
  • 書きたい欲求だけがあって書くべきことがない|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    ほとんどブログを書かなくなった。 理由はあるといえば、ある。直接的には結婚と転居だ。これで自室と通勤電車の隙間時間を失った。自然、ひとり物思いに耽ることが少なくなった。を読み倒したり、ネットに入り浸ったり、映画漬けになったりすることもなくなって、インプットの質はかなり変わった。これは文字通り変わったという話であって、質や量の低下を嘆いているわけではない。失ったものが占めていた場所には、いま別のものが居座っている。ただ、インプットが蓄積される感覚はかなり薄れている。会話や行動の中で逐次アウトプットされることが多くなったせいかもしれない。いずれにしても、結婚と転居は確かに可処分時間の使い方を変えてしまった。 けれどもそれは、ぼくがブログを書かなくなった、あくまで消極的な理由でしかない。実のところ、ぼくにはそもそもブログを書く積極的な理由はひとつしかなかった。それは「作文の偏愛」とでもいうべき

  • 「魔法の本棚付き」の電子書籍はとてもお買い得なのではないか?|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    「書籍」って何?…というのは案外答えにくい問いだと思う。 ・ Kindleで購入した電子書籍は、実はユーザーのものではない ≪ WIRED.jp こういうのを読んでまず思うことは「コンテンツ」と「所有」のとても微妙で曖昧模糊とした関係性についてだ。紙のを買うとき、ぼくたちは何を手に入れるのか?そこに書かれたコンテンツそのものだ、というのはちょっと考えにくい。それはきっと権利者たちのものだろう。ぼくたちは差し出されたコンテンツを消費する権利を手にしたにすぎない。しかし、手元には「コンテンツが印刷された紙のメディア」が残る。これも、たぶんぼくたちがを買うことで手に入れたもののひとつだろう。とすれば、「紙のを買う」という行為は、そこに記録されたコンテンツを読む権利と、記録されたメディアそのものを所有することを意味しているように思われる。 つまり、Kindleで売られている電子書籍と紙の

    soratokimitonoaidani
    soratokimitonoaidani 2012/10/27
    紙の本だってなくしたり遠く離れた場所においたりすりゃ読めないだろ? 空間をとらず常時たくさんの本を持ち歩けるというのは電子書籍の充分なメリットだろう……という話(要約難しい)
  • 「ぼくは年間500冊」「私は質の50冊」「オレは本より実体験」|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    について自らのスタンスを表明する人は多い。 ぼく自身もいつかやらかしたような気がするし、わりと誰しも通る道なのかもしれない。いうこともだいたい決まっている。タイトルはその典型。顕在化するパターンにまで典型があって、まず、読書量を自慢気に発表しちゃうウッカリ者が現れる。それが100冊だろうが500冊だろうが人にとっては「つい発表したくなっちゃうような読書量」だったのだから「へえ、凄いね」といって印象に残ったの話でも訊いてやればいいのである。が、よほど腹に据えかねるのか、今度は水を差すウッカリ者が現れる。曰く「読書は量より質だ」或いは「書を捨てよ、町へ出よう」 をたくさん読むのは悪いことじゃない。上には上がいるとわかっていても、初めて100冊に達した年の瀬につい吹聴したくなる気持ちはよくわかる。書店に平積のミステリやラノベやビジネス書や自己啓発書、雨後の筍のごとくに湧いて出る新書など多

    soratokimitonoaidani
    soratokimitonoaidani 2012/01/23
    超絶久しぶりに@lylyco さんが更新していてすごく驚いた。RSS登録しといて良かった。
  • 何をやっても「面白くない」のは何故か?|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    それはたぶん、最初から「面白そうなこと」しかやらないせいだろう。 或いは「(有形無形の)成果が得られると予想できること」といい換えてもいい。目的をもって行動し結果を得ることばかりにぼくたちは慣れ過ぎてしまったんだと思う。それは要するに先が見えていることしかやらないということだ。もっというなら、行き着く先に「報酬」やそれに類するものが解りやすい形でなければ動かない。無駄を嫌う。「泣ける」映画を観に行ったり、「儲かる」仕事を探したり、「モテる」ファッションに身を包んだり、「面白そう」という言葉の向こう側に誰にも解りやすい形の見返りを期待している。だから、それらが得られないと「面白くない」。 それだけじゃない。期待したものがそれなりに得られても、それほど面白くはないだろう。当然だ。何かが得られることを想定して行動しても、成果が当初の期待を超えることはまずない。良くて期待通り。実際には、それすら稀

    soratokimitonoaidani
    soratokimitonoaidani 2009/10/09
    面白くないから一所懸命になれないのではない。一所懸命にならないから面白くないのである」。
  • 匿名ダイアリーの自分語り=物語化という病|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    最近、こうした自分語りをはてな匿名ダイアリーで頻繁に見かける。 ・他人に興味を持つにはどうしたらいい? 過去の裏切り体験で他人への厚い壁を作ってしまった。よくある話すぎて失笑しそうになる。昨日取り上げた「勝ち組になれなかったこと」もそうだけれども、この手の自分語りは総じてこれ以上ないくらい陳腐だ。書き手の個別的な体験がまったく欠けている。誰かと別れるのも、誰かに裏切られるのも、誰かを裏切るもの、来は極めて個人的な体験のはずだ。ところが、こうした文章において、そうした個別性は一切排除されている。自分の体験を陳腐な物語に昇華し、客観化してしまっている。そこにあるのは、自虐的なナルシシズムと真情の籠もらないポエトリーだけだ。 もちろん、当人に表現力がないという問題はあろう。はっきりいえば、この種の文章のほとんどは丸きり紋切り型でつまらない。ただ、自分の物語をここまで陳腐化してしまうというのは、

  • 連休を有意義に過ごすためにいますぐにすべきこと|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    楽しいはずの連休が終わって忸怩たる思いに囚われる。 何をしていたのかよくわからないうちに終わってしまった。予定をこなすばかりでどっと疲れた。ありがちな話だ。そこには共通する陥穽のようなものがあるように思う。ひと言でいうなら「自分にとって」という視点の欠如である。せっかくの休みなんだから…という考えが心を支配するとき、人は有意義な連休を過ごすことにほとんど失敗する。連休はこうやって過ごすものという漠然とした固定観念が各々の中にあって、自分の気持ちよりもその思い込みに支配されてしまう。だから心底では気が進まない。それで満足な休日が過ごせるはずがない。では、どうすればいいか? ----- 01:いまの自分に不足しているものは何かを考える 何気なく過ごしていると、案外人は判断を誤る。何よりも休息が必要なのに焦燥感に駆られてますます疲労を溜めてみたり、何よりも適度な運動と刺激が必要なのに日がなゴロゴ

  • ブックマークコメントに精神汚染されないための5つの心構え|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    はてなブックマークのコメント一覧非表示機能が変更されたらしい。 ・コメント一覧非表示機能の改善について - はてなブックマーク日記 - 機能変更、お知らせなど なんだかんだいったところで、はてブには付和雷同的な「流行」を助長する性格が抜き難くある。たとえ発火元のコメントが誤読や曲解や牽強付会に基づいたものであっても、罵倒の集中砲火が止まらないなんてことはままある。悪意の喧伝が比較的カジュアルに可能だというのは、確かに危険な面があるだろう。だから、風評被害みたいな実害まで想定するなら、それなりに有効な改変だろうとは思う。一方で、発信者が「コメントを見てしまう」ことで被る精神的ダメージに対してはまったく無力な改変だなあとも思う。そこで、その辺りのショックを和らげるための心構えで一席。 ----- 01:そもそも自分のエントリーは完璧ではない まさに見出し通りの話で、どんなに緻密な理論もどんなに

  • 文体を意識して書く愉しみを身につける方法|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    文章で何かを伝えたい。ならば、文体は重要だ…と素人が力説してみる。 文体に無頓着。それは文章の愉しみの大方を放棄しているに等しい。何をどう書くか。或いは、描くか。それは書く愉しみの大きな一面だろう。文体を意識するということは語彙を意識し、語尾を意識し、文の長短を意識し、漢字や仮名の表記を意識することだ。それはつまり、リズムを選ぶことであり、キャラクターを選ぶことであり、ターゲットを選ぶことでもある。であれば、何を伝えたいか、誰に伝えたいかによって、文体は戦略的に選ばれるべきである。何も意識せずに紡がれた文章は、自らの思考のリズムと、自分という茫洋としたキャラクターと、無意識の自分という極めて限定的なターゲットに縛られてしまう。当然、「自分のためだけの文章」にしかなり得ない。 伝えたい内容についてよく知らない人たちに、まずは興味を持ってもらいたい。広く浅くでもいいから、とにかく自分の知識を伝

  • 6hotからのアクセスアップ・5つのポイント|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    最初に断っておく。このブログは1日平均500PV程度の超零細だ。 ということで、ここから先、そこそこアクセスのあるブログ主には恐ろしく低レベルな話となる。要するに6hotから脱するためにこのブログで試みた手法のまとめである。念のために書いておくと、6hotは日々のアクセスが6hit程度の意。つまり、何の戦略も人脈も持たない新参のブログ主が最初に突き当たる壁である。特に、勢い込んでレンタルサーバーに独自ドメインなんかで始めてしまうと事態は深刻だ。世間に溢れるブログサービスでは大抵、新設時やエントリー投稿時に自動的に宣伝される。その点自前では発見される機会自体が限りなく乏しい。まさにこのブログである。 また、このブログの戦略性のなさは見ての通りだ。中でも最大級なのがこれ。テーマに一貫性がない。好きなことを好き勝手に書いている。というか、好きなことを好き勝手に書くのでなければ、ぼくの場合書き続け

    soratokimitonoaidani
    soratokimitonoaidani 2009/06/03
    1 : まずは100エントリー2 : はてなとアルファブロガーの胸を借りる3 : 最大限魅力的なタイトルを捻り出す4 : 言及したなら躊躇わずにトラックバック5 : はてブのセルクマはありだと割り切る
  • 読まれる記事にはやっぱりそれなりの文章技術が要る|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    ブログはネタが命だ、という点に疑問の余地はない。 ・読まれる記事を書くために、文章技術よりもはるかに有効なこと - 分裂勘違い君劇場 ただ、勘違いしてはいけない。「分裂勘違い君劇場」はそれなりの文章技術を背景にして書かれている。さらには、フォント弄りや箇条書きなどの視覚表現も含めて「伝わりやすさ」に相当な配慮がなされている。が、そうした副次的な要素を別にしても、fromdusktildawn氏の文章はかなり通りがいい。いわゆる文芸的な「味わいのある文章」や「独特の癖のある文章」ではない。ただ、言葉はよく選ばれているし、リズムも悪くないと思う。リンク先の冒頭部分を文字修飾や改行抜きで読んでみたけれど、やっぱり十分に読みやすい。修飾、改行抜きにしたものを少し引用してみる。 ブログ記事をより多くの方に読んでいただくために、小手先の文章テクニックや場当たり的なアクセス稼ぎテクニックなどよりもはるか

    soratokimitonoaidani
    soratokimitonoaidani 2009/06/03
    分裂勘違いの文章は上手いよ、って話
  • 「なりたい自分」とあなたの価値|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    「目標を持って生きよ」 この手の言葉には言外の圧力がある。補うなら「(立派な)目標を持って生きよ」…そんな圧力である。なりたい自分なんかあるものか。そういう人は、たぶん、(立派な)を勝手に補っている。当は、目標はある。きっとある。ただ、分不相応な夢物語だと思ったり、社会的価値がなかったり、漠然としすぎて具体性がなかったりする。だから、「なりたい自分なんてあるものか」ということになる。ならば、(立派な)を補完しなければいいのである。「なりたい自分」はある。もっとも漠然としたそれは「幸せな自分」である。定義はしない。自分にとっての「幸せ」でいい。 「なりたい自分」はあるとき具体的な像を結ぶかもしれないし、そうはならないかもしれない。ときとともに変化もするだろう。だから、終わりはない。そして、「社会的に価値ある自分」だけが「なりたい自分」だとは限らないし、そうである必要もない。運悪く反社会的な

  • 脱ヲタに必要なたったひとつの行動|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    これ、いきなりハードル高いよな、というのが正直な感想。 ・脱ヲタ出来たのでまとめる。 指南が具体的なのはいいけれど、項目が多いし一般的じゃない項目もある。たとえば、帽子なんかは頭の形や全身のバランスによってかなり難易度高めなアイテムになったりする。これは似合う帽子が極めて少ないぼくがいうんだから間違いない。それに、ポイントの2~3は脱ヲタという目標を超えて、少しばかりファッションを楽しむ域に踏み込んでもいる。このあたりは、いきなり不慣れな人がこの通りにやっても変なコーディネイトになる可能性が高いと思う。ただ、重要なこともちゃんと書かれている。それは美容院に行くことだ。むしろこれだけでいい。 ぼく自身は別にオシャレじゃないけれど、件のエントリにある「普通」の定義には当てはまっていると思う。とはいえ、フリーターをしていて半ヒキコモリ状態だった時期は、自分でいうのもなんだけれども相当にヤバかった

  • 服を買いに行くための服を買いに行く準備はいいか?|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    そもそも、脱オタファッションを実践する必要はあるのか。 実際問題として、衣服に金をかけるということは、どこからか資金を捻り出さねばならないということだ。オタを自認する以上、可処分所得の大半はオタ趣味に費やされているはずである。ならば、まずは3ヶ月分のオタ出費を算出することから始めよう。月平均2万のオタ出費なら3ヶ月で6万。そこで、6万の内訳を反芻する。そのすべてにオタクの情熱は傾けられているか?未開封のまま死んでいるゲームはないか?その長編コミックは買い続けるほど面白いか?惰性買いや衝動買いで無駄にした金はないか?ないというなら脱オタファッションの必要はない。趣味に邁進すべきだ。 情熱なき出費がある。むしろ、オタ趣味行為の大半が惰性と化している。当に好きなものだけに絞れば出費は半分になる。そう思った瞬間から、脱オタファッションへの道は拓かれる。当に好きな趣味を捨てる必要はない。3ヶ月で

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