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大東亜戦争に関するstraysheep19のブックマーク (4)

  • 埼玉の陸自連隊、公式Xから「大東亜戦争」表現削除「誤解招いた」 陸幕「適切な表現で」

    陸上自衛隊第32普通科連隊の8日の投稿。当初の投稿から「大東亜戦争最大の激戦地」などの表現が削除された 陸上自衛隊第32普通科連隊(さいたま市)が、公式X(旧ツイッター)で「大東亜戦争」の表現を使っていたことが明らかになり、連隊は8日午後、該当する投稿から「大東亜戦争最大の激戦地」などの表現を削除した。 当初の投稿は5日で「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島において開催された日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式に参加しました」などと記されていた。 防衛省陸上幕僚監部によると、連隊は激戦地だったことを表現するために当時の呼称を使用。削除理由を「来伝えたい内容が伝わらず、誤解を招いた」と説明している。

    埼玉の陸自連隊、公式Xから「大東亜戦争」表現削除「誤解招いた」 陸幕「適切な表現で」
    straysheep19
    straysheep19 2024/04/20
    下らない批判に屈するな。靖国神社の資料をそのまま引用しただけだろう。全く問題ない。今や学術書でも「大東亜戦争」をタイトルに入れた本が何冊も出ている。米国に奪われた我々の言葉を取り戻すべきだ。
  • <主張>大東亜戦争 言葉狩りを朝日は恥じよ 社説

    陸上自衛隊第32普通科連隊の8日の投稿。当初の投稿から「大東亜戦争最大の激戦地」などの表現が削除された 先の大戦、大東亜戦争(太平洋戦争)の終戦から79年経(た)つ今でも朝日新聞は「大東亜戦争」を言葉狩りの対象にした。自由な表現の封じ込めで、恥ずべき振る舞いである。 陸上自衛隊第32普通科連隊(さいたま市)が5日投稿した公式X(旧ツイッター)に「大東亜戦争」の表現があった。 朝日は8日、投稿をめぐり「政府は太平洋戦争を指す言葉として、この呼称を公式文書では用いていない」「戦後、占領軍の命令で『大東亜戦争』の呼称は禁止された」と報じた。同連隊は誤解を招いたとして、投稿から「大東亜戦争」を削除した。自由の国日で、言葉狩りによって表現の変更が強いられてしまったのは残念だ。 5日の連隊の投稿は、隊員が「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島において開催された日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式」に参加した報

    <主張>大東亜戦争 言葉狩りを朝日は恥じよ 社説
    straysheep19
    straysheep19 2024/04/20
    共産党ほか野党と組んだ朝日の言葉狩りはお家芸。こんなものに屈する防衛省は恥ずかしい。いや、防衛省を守ろうとしない岸田内閣や自民党も問題だ。みんなで「馬鹿なことを言うな」と一蹴すればいいのに。
  • 堂々と大東亜戦争と呼ぼう 阿比留瑠比の極言御免

    木原稔防衛相(春名中撮影)前回の11日付当欄では、陸上自衛隊第32普通科連隊が公式X(旧ツイッター)への投稿に「大東亜戦争」という表現を用いたことに対し、朝日新聞など一部メディアが問題視している件について、連合国軍総司令部(GHQ)が占領政策の一つとして禁じていただけで、現在では使っても「何の問題もない」と書いた。 ところが、防衛省・自衛隊が朝日などの言葉狩りを真に受けて大東亜戦争と記された部分を削除したことで、かえって整合性を問われる事態に陥っている。 共産党の機関紙「しんぶん赤旗」は14日、スクープとして以下のような記事を掲載した。

    堂々と大東亜戦争と呼ぼう 阿比留瑠比の極言御免
    straysheep19
    straysheep19 2024/04/20
    「大東亜戦争」は禁止されていない(政府見解)。なのに削除したのは、朝日新聞に攻撃され、「戦前体質の残った自衛隊」という虚偽イメージを拡散されるのを嫌がったから。朝日を鵜呑みにする愚かな国民も問題だ。
  • 「指導部ではなく個々の精神にあり」敵国の司令官が評した日本軍の強さ インパール作戦80年 2

    8日で作戦開始から80年を迎えた先の大戦終盤のインパール作戦。作戦の一環としてコヒマの占領を命じられた元陸軍曹長の佐藤哲雄氏(104)は英印軍の反撃に遭い、多くの仲間を失った。その壮絶な最期と、無念の思いを胸に刻んで生き続ける。 インド国民軍を訓練昭和19年3月、コヒマに向け猛進を続けていた佐藤氏。激戦の末に敵陣を占領したが、左足に迫撃砲弾の破片を受けた。所属部隊である第31師団の野戦病院に入院し、軍医が麻酔なしの手術で弾片を取り出した。術後はガーゼを当て、ベニヤ板に穴をあけて通したひもで足を縛って固定した。 23歳、陸軍にいたころの佐藤哲雄氏。中国・宜昌の写真館で撮影したインパール作戦では、英国支配からの武力解放を目指し、インド国民軍6千人が日軍と行動を共にしていた。ただ練度の問題などで全てが実戦参加したわけではなく、多くは道案内や通訳、英国軍の下で敵対するインド人兵士への投降の呼びか

    「指導部ではなく個々の精神にあり」敵国の司令官が評した日本軍の強さ インパール作戦80年 2
    straysheep19
    straysheep19 2024/04/11
    ハゲタカ、トラ、ヒョウに襲われて死んだ兵士が多い。凄惨としか言いようがない。
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