さて、最近は「リアルタイム」で情報を追いかけることの弊害を感じることが多く、なんでもあえて一歩遅れて情報に目を通すようにしています。それでも十年前に比べれば、あらゆる情報の伝達速度が向上しているため、同時性としては十分すぎるほどだと感じます。 「リアルタイム」の情報には、おびただしい数の憶測や一時の感情論が混じるものが多く、そんなものにとらわれることのほうが厄介です。とりわけ政治色の濃いイベントを注視し続けると、得体の知れない思惑にいつの間にか乗せられてしまいかねません。東京五輪に関しては選手の勝敗ですら、そうした思惑が遠ざかったあとでないと、結果を知る気にはなれないというのが正直なところです。 そんなわけで今回の五輪については、過ぎ去ったあとで改めて開催が決定した2013年から2021年までを振り返り、その意義や問題、そして今後の物語作りにどのような影響を残したのかを考えたいところです。