京都には衣笠丼がある。油揚げと九条ねぎを卵とじにしたものだ。肉がなく質素だ。 似たような丼としてお隣りの大阪では木の葉丼があり、この辺りはソウルフードというより「あることは認識してるが実際にはあんまり店で食べない」ものだと思っている。 だって地味だろう。10代20代なら100円追加してカツ丼を食べるだろう。しかし今や30代。天下一品なら"あっさり"が気になるお年頃。衣笠丼の地味さに向き合ってみたい。 ※この記事はとくべつ企画「○○丼と○○ライス」の1本です。
1988年神奈川県生まれ。普通の会社員です。運だけで何とか生きてきました。好きな言葉は「半熟卵はトッピングしますか?」です。もちろんトッピングします。(動画インタビュー) 前の記事:時は来た! 「シロコロホルモン」と今こそ向き合う 忘年会が終わった翌日、京都へ 会社の飲み会でベロベロになり、ほとんど覚えていないのだが隣に座った人に「ロックマンをやりたい」と熱弁していたことは覚えている。ごめんな。 ベロベロのときに撮った。全員ベロベロなのでぶれている。 おいしかったのだが、鍋が出なかった。読み会というのは鍋を食べなければ飲み会は終わったことにならないので、鍋を食べる必要がある。そういう風習が自分の中であります。 なので京都に来た。鍋を食べるために京都に来るタイプの人間です。 早く起きて午前中には京都に着いて観光やら御朱印集めなどをしようと思っていたが、到着したのは14時半。敗因は12時に家を
大津市から京都市の山科(やましな)、蹴上(けあげ)を経て鴨川へと至る「琵琶湖疏水(びわこそすい)」が存在する。明治時代に入り、首都が東京となったことにより衰退していた京都の産業復興と近代化を推し進める為、飲用水、工業用水、農業用水、そして船運を確保すべく明治18年(1885年)から明治23年(1890年)にかけて築かれた琵琶湖を水源とする水路である。 その水の流れは現在も様々な用途に使われているが、船運に限っては陸上交通の発達によって衰退し、昭和初期に途絶えたままであった。……のだが、なんと2018年春より観光船として船運が復活することになったという。 その事業開始に先立ち、京都市職員の方から「新しい船が完成したので関係者を招いて試乗会をするのですが、よろしければ参加しませんか?」というご連絡を頂いた。琵琶湖疏水に少なからずの思い入れがある私は、もちろん二つ返事である。 1981年神奈川生
僕は京都にはあまり土地勘がないのだけど、観光客視点のイメージだと、祇園界隈といえばそりゃもういわゆる「京都」イメージの代表格、そこで飲食店といえば、高級料亭?なんて思ってしまう。 そんな界隈の一角に、ひっそりと存在している飲み屋がある。そこはネコと一緒に飲める店、ただしかなりのディープスポットだというのだ。 インターネットユーザー。電子工作でオリジナルの処刑器具を作ったり、辺境の国の変わった音楽を集めたりしています。「技術力の低い人限定ロボコン(通称:ヘボコン)」主催者。1980年岐阜県生まれ。 本『雑に作る ―電子工作で好きなものを作る近道集』(共著)がオライリーから出ました! 前の記事:おとなの算数ゲーム「つり銭たくさんもらい競争」 > 個人サイト nomoonwalk 別件で京都に行くことになったので、ついでになにか取材できないかと思い京都在住の友人に尋ねたところ、この店の名前が出て
まあ僕の場合、中年の一人暮らしであるからして、終電なんぞ関係なく飲み会ではカプカプと飲み続けることが常なのだが、それでも電車がなくなると帰宅手段がタクシーになってしまい、飲み代よりも高い交通費となってしまう。 そんなとき、マンガ喫茶に入ったり、カプセルホテルに泊まったりという選択肢もあるが、始発を待つまでの間、ひと駅ふた駅歩くというのを僕はときおりやっている。
昨年、『ふしぎな県境』(中央公論新社)という、日本各地の県境を巡った記録をまとめた本を出版させていただいた。たいへんありがたいことに、いまだにいろいろなところから県境にまつわる取材を受けることがある。 そのなかでよく質問されるのが「おすすめの県境はありますか?」というやつだ。 正直なところ、本に掲載した県境はどこもおすすめはしたいと思っているけれど、先日めずらしく「これは人にはおすすめできない、ダメな県境だ」というところにうっかり行ってしまった。 せっかくなので、その前にいったおすすめの県境と、おすすめじゃない県境をまとめて紹介したい。 大阪、奈良、京都の三県境 「おすすめの県境」ということを聞かれたばあい、大抵は「柳生の三県境」をおすすめする。 柳生の三県境は、埼玉県、栃木県、群馬県の3つの県が、一箇所に集まっている場所で、日本に48箇所以上ある三県境の中でも平地に存在し、かつ、鉄道駅か
変わった生き物や珍妙な風習など、気がついたら絶えてなくなってしまっていそうなものたちを愛す。アルコールより糖分が好き。 前の記事:ショウリョウバッタの醤油入れを作る > 個人サイト 海底クラブ 田畑(現在は住宅地)の真ん中に唐突にあらわれる楕円 楕円が描かれていたのは、明治42年(1909年)に測量された縮尺20000分の1の地図である。つまり、今から111年も前に作られたものだ。 明治42年(1909年)に測図された20000分の1京都北部図。 鴨川と現在の左京区に色を塗ってみた。 市内を南北に流れるのが鴨川、そしてオレンジに塗られたエリアが現在の左京区だ。 この地図に書かれた範囲は今では残らず市街地に覆われているが、当時は市の中心部以外はほぼ田園地帯が広がっていた。 京都御所から見て川向うにあたる左京区も例外ではない。 知っている建物が全然見当たらない。その代わりに巨大な楕円がある。
1日1便しか運行しないバス路線に乗りに行ったことがある。 運行本数が極端に少ないバス路線は、出入庫系統まで含めると地方だけでなく、都市部にもわりと存在する。 しかし、更にその上をいく1年に1便というバス路線が、京都に存在する。
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