タグ

関連タグで絞り込む (0)

  • 関連タグはありません

タグの絞り込みを解除

intelligenceに関するtomemo508のブックマーク (2)

  • 知力とは、わからないことをどれだけ考えられるかという度合い: DESIGN IT! w/LOVE

    前に、友人のフランス人女性が言っていた「日語には美味しいを示す言葉のバリエーションが少ない」という言葉が記憶に残っている(正確には、その女性がそう言っていると彼女のパートナーの日人男性が教えてくれた)。 一方、フランス語には、美味しいを表すたくさんの表現があって、例えば、 C'est bon !C'est délicieux !C’est succulent !C’est excellent ! のような表現がある(日語にしようとしても、どれも「美味しい」になってしまいそう)。 もちろん、これに très をつけて、C'est très bon !(とても美味しいです)と言ってみたりもするから、確かに日語にはない「美味しい」の言い分けのバリエーションができる。 「美味しい」という言い方にバリエーションなんてなくてもいいじゃないかと思うかもしれない。けれど、そうじゃない。 フランスで

  • わかることよりも感じることを: DESIGN IT! w/LOVE

    文脈がわからなければ「わからない」。 『わかったつもり 読解力がつかない当の原因』の著者・西林克彦さんはそう言っている。 言い方を変えれば、「わかる」とは、既知の文脈に、その直前までわかっていなかったことがピタッとあてはまることで起こる心の動きだということができる。 いや、わかっていなかったことじゃなくてもいい。 すでにわかってたことでも、それが今までの理解とは別の文脈にあてはまり、別の意味がそこから見えてきたときも人は「わかった」となるはずである。 西林さんもこんなことを書いている。 文脈の交換によって、新しい意味が引き出せるということは、その文脈を使わなければ、私たちにはその意味が見えなかっただろうということです。すなわち、私たちには、私たちが気に留め、それを使って積極的に問うたことしか見えないのです。それ以外のことは、「見えていない」とも思わないのです。 既知の事柄でも、それを理解

  • 1