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sociologyに関するtukinohaのブックマーク (13)

  • 鈴木涼美『「AV女優」の社会学──なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか』書評 – sociologbook

    私たちはジェンダーやセクシュアリティに関する話が好きだ。とくにセックスワーカーや風俗嬢などに関する噂話が大好きだ。なかでも、そういう仕事をなぜ好んでしているのか、どういうきっかけでその仕事に入ってきたのか、あるいは、そういう仕事に就くような女の子は、どういう家族構成で、どういう暮らしをしていたのか、という、動機や原因を探るような話が大好きである。 しかし、おそらく、セックスワーカーに関するこういう話し方は、彼女たちをなにか逸脱したもの、規範から外れたもの、おおげさにいえば「異常」なものとして扱ってしまうことになる。 書の筆者にとって、序文にも書かれているとおり、風俗やキャバクラ、そしてAVの世界は身近な世界だった。だから、筆者はそういう場所にいる女性たちを、なにか私たちと異なるものとして描きたくなかったのだろう。 性を売る女性たちのなかでもAV女優はとくに、動機や原因を語る圧力につねにさ

  • 上野千鶴子の発言に見る、フェミっぽい人が言いがちなテンプレートに反論してみる | blog.yuco.net

    「女子力を磨くより、稼ぐ力を身に付けなさい!」上野千鶴子さんが描く、働く女の未来予想図 – Woman type [ウーマンタイプ] 一点目。 稼げる方がいい、などというのは当たり前のことだ。私たちはみな貨幣経済の中で生きており、モノやサービスを金銭で購入しているのだ。お金はないよりある方がいいし、稼げる方がいいに決まっている。 「稼ぐ力があれば生きていけます」などというのは「勉強ができれば東大に入れます」とか「野球がうまければプロ野球選手になれます」のような発言で、同語反復に近い。 たとえば、「資産はないよりある方がいいですよねー」という発言があったら、「当たり前だろう、だからその資産をどうやって作るんだよ」という話になると思うのだが、結論が「稼ぐ力が必要ですよねー」だと「何か言った感」が出てしまうのは不思議なことだ。 「稼ぐ力が必要」というのは結論ではなく、話のスタートであるべきで、じ

  • 読書日記:今週の筆者は社会学者・上野千鶴子さん 歴史家だけが審判者ではない- 毎日jp(毎日新聞)

    tukinoha
    tukinoha 2013/09/19
    いいかげん「わたしのかんがえた頭の悪い歴史家」で藁人形叩きするのやめてくれませんかね。古市さんのも、上野さん的にはいいの?
  • 『概念分析の社会学』を巡って:科学史ゼミに参加している人類学・社会学専攻の院生さんへのお返事 1/2 - 2012-07-14 - 呂律 / a mode distinction

    駒場の科学史ゼミで『概念分析の社会学 ─ 社会的経験と人間の科学』をとりあげていただいたようです。 イアン・ハッキング「人々を作り上げる」/『概念分析の社会学』を読む - Togetter ハッキング面白すぎるでしょ。これたぶんwriting cultureの議論の根底にある哲学だわ。この考え方はかなりしっくりくる。 そんで前読んだ要約があんまりにも社会学社会学し過ぎてたのが、僕の肌にあわなかった原因と判明した。 Colonel_John2nd 2012/07/03 14:02:41 ハッキングの社会学社会学した解釈は、残念ながら今の知識レベルの僕の肌にはあいませんでしたー! でもハッキングの文章は面白く感じたから、どっかでわかりあえる線があるかもしれませんね。 Colonel_John2nd 2012/07/03 23:51:06 @Colonel_John2nd 僕もせとやまさんの社会

  • ケアのもう一つの社会学 (市野川容孝) - Ichinokawaの日記

    ※『atプラス』08号(2011年5月刊行)143-153頁に掲載。 「ケアの社会学入門」という特集を組んだ誌07号の批評をせよ、と編集部から依頼されてから間もない2011年3月11日に、東日大震災がおきた。 4月11日現在で、死者は13,013名、行方不明者は14,608名と伝えられている。両者の合計は27,621名にのぼり、1995年の阪神・淡路大震災の死者(約6,500名)の4倍をこえている。加えて、約15万の人びとが避難生活を余儀なくされている。特別養護老人ホームの高齢者とそこで働くヘルパーが、数十名、そのまま津波にのみこまれ、死亡、行方不明になったケースも、いくつか報道されている。 誌07号の特集で論じられていたケアは、高齢者や障害者にかかわる介護や介助に限定されていた。しかし、3月11日を経験した現在、ケアという言葉は、もっと広い文脈と射程において考えられるべきものに(再

    ケアのもう一つの社会学 (市野川容孝) - Ichinokawaの日記
  • (2012-02-19)ニクラス・ルーマン『社会構造とゼマンティク1』合評会準備中(その1)

    INOHARA Tohru @tukinoha2 『社会構造とゼマンティク』、27頁が何度読んでもよくわからない。ここで、分化構造の変化→複雑性の増大→ゼマンティクの変化、という議論が「単純化しすぎている」と認識して、何か弁明しようとしているのだが、何を言おうとしているのか。 2012-02-04 21:33:48

    (2012-02-19)ニクラス・ルーマン『社会構造とゼマンティク1』合評会準備中(その1)
  • Tokyo Keizai University Institutional Repository: ホーム

    東京経済大学学術機関リポジトリは、学の学術研究および教育活動の成果を収集・蓄積・保存し、学内外に広く公開することを目的としたシステムです。 どなたでも自由にご利用いただけます。 ご利用にあたって(利用上の注意) リポジトリに登録されているコンテンツの著作権は、執筆者、出版者(学協会)などが有します。 リポジトリに登録されているコンテンツの利用については、著作権法に規定されている私的利用や教育・研究目的の利用などの範囲内で行ってください。 著作権法に規定されている私的使用や教育・研究目的などの範囲を超える利用を行う場合には、著作権者の許諾を得てください。

  • 【私訳】ヨハネウムの生徒としてのニクラス・ルーマン

    リューネブルク時代、つまり大学入学前のルーマンについてはあまり知られていないと思うので、以下の文章を訳出しました。非常に詳しくてためになります。原文はこちら。 2002年12月8日に、ニクラス・ルーマンは生誕75周年を迎えた。これを記念して、2002年12月6日から8日にかけて、リューネブルク大学で『ニクラス・ルーマンと文化理論』と題する会議が催された。国内外から一堂に会した名立たるルーマニアンたちが報告を行う中で、ヨハネウムは「ヨハネウム・リューネブルク校の生徒としてのニクラス・ルーマン」と題する展示を行った。 ニクラス・ルーマンは1927年12月8日にリューネブルクで生まれ、1937年の復活祭の日に、9歳でヨハネウムの生徒としてギムナジウムに入学してきた。そのため最初はラテン語の授業を受けることになった。ニクラスは入学時にすでに1学年飛び級していたので、結局基礎学校には3年在学しただけ

    【私訳】ヨハネウムの生徒としてのニクラス・ルーマン
  • 9月18日日本社会学会シンポジウム・コメント原稿 - shinichiroinaba's blog

    お約束通りこちらにアップします。当日読み上げられたのは2の冒頭までです。 しかしあのシンポ会場は実にいい意味で不穏であったのに不完全燃焼感著しい。壇上に市野川容孝と安藤馨がそろうというだけで十分アレなのにフロア最後列では小泉義之がいつもながらの怖い顔で壇上をまっすぐ睨みつけていたし、その他かなりやばめの面子がそろっていたというに。 なおわたくしごとになりますが、終了後は市野川、更にフロアにいたid:contractio、id:yeuxquiと連れだって梅田に繰り出し、うちで寝ていた岸政彦を呼んでお酒をいただきました。 いっちーは終始上機嫌。「安藤馨スゲー!」を多分百回は言った。かつての東浩紀「ソルジェニーツィン試論」以上の衝撃であったという。 ===================== 1. 著書『社会』前後から市野川容孝が追究してきた「社会的なるものの社会的構築」という問題系、すなわち、

    9月18日日本社会学会シンポジウム・コメント原稿 - shinichiroinaba's blog
  • SYNODOS JOURNAL : 斜めからみる「日本のポストモダン教育学」(2) 稲葉振一郎

    2011/8/1512:2 斜めからみる「日のポストモダン教育学」(2) 稲葉振一郎 撮影:鈴木理策 承前 http://synodos.livedoor.biz/archives/1809780.html 2 佐々木輝雄――職業教育という辺境から このように考えたとき、森の没する(2006年)そのさらに20年ほど前(1987年)に倒れた職業教育研究者、佐々木輝雄の到達点はきわめて興味深い。森については、その活躍時期のみならずその仕事の内容についても「先駆的ポストモダニスト社会科学者」と呼ぶことに異論は出にくいだろう。しかし華麗で攻撃的なレトリックを駆使する(そして勇み足をしでかす)森とは対極的に、一見したところ佐々木はいかにも地味で伝統的で、しかも周辺的な教育学者である。 没後編まれた全3巻の著作集の第1巻の題名『技術教育の成立』はミスリーディング、を通り越して間違いの域に達していると

  • SYNODOS JOURNAL : 斜めからみる「日本のポストモダン教育学」 稲葉振一郎

    2011/8/1215:0 斜めからみる「日のポストモダン教育学」 稲葉振一郎 撮影:鈴木理策 日の人文社会科学における「ポストモダニズム」の格的受容はいつごろはじまったのであろうか? 80年代初頭の浅田彰の華々しい活躍はとりわけ印象深かったが、もちろんそれに先立つ1970年代に、「1968年」の余燼冷めやらぬなか、フランス文学出自の書き手を中心に、雑誌『現代思想』や『エピステーメー』などを拠点としてジャック・デリダやミシェル・フーコーらの紹介が精力的になされてきた。 さて、そのような状況に、日教育学はどう対応していたのだろうか? 日教育学における近代批判は、内発的にはたとえば、やはりポスト「1968年」の一環としての反差別運動に呼応するかたちで現われ、すでに70年代に、障害者教育や発達心理学の内在的批判から立ち上がった反発達論(先駆的には山下恒男『反発達論』現代書館、197

  • 書評の書き方 | Theoretical Sociology

    私が編集した『フリーターとニートの社会学』の書評が某誌に掲載されたので読んでみたががっかりだった。まあ、書いてあることはだいたい正しいのだが、「はずれくじを引いた」「こんな書評書いて何の意味があるんだろう?」というのが私の正直な感想である。 書評では、「1章では....、2章では....、3章では、.....」といった調子で最後の章まで各章の簡単な内容紹介がなされ、その後、著者の文句が並ぶ。第1に、調査データの詳細が掲載されておらず、詳細が掲載されている調査の報告書を参照するよう述べられていないこと(調査報告書のURLは掲載されており、書評者はちゃんと報告書にたどり着いているのだが)。第2にサンプルが高学歴に偏っており、そのことが分析結果をゆがめている可能性があること。第3に、章ごとに「フリーター」や「ニート」の定義が異なっていること。最後におざなりなフォローが入って終わりである。 おそら

    書評の書き方 | Theoretical Sociology
  • 質的研究と量的研究について - 社会学者の研究メモ

    とある出版企画でそういうお話を書かなければいけないので、社会学におけるいわゆる「質的研究」と「量的研究」の区別についてメモを書いておく。 結論から言うと、次のように考えるとミスリーディングである。つまり、「まずある<理論>があって、それを<実証>する手段として質的な研究と量的な研究がある」という考えである。こういう考え方は、混乱のもとであるから、避けたほうがよい。多くの社会調査論のテキストでは調査手段の選択として「質的調査」と「量的調査」を選択することがあるかのように書かれているが、少々説明不足である。そうではなく、さしあたり量的研究とその他のタイプの研究が、量的研究とどのような関係にあるのか、と考えたほうがスッキリする。 分野外の研究者からすれば見えにくいが、実際には量的研究と言っても様々である。が、現状からして、「複数のパラメータを含むモデルを構築し、それをデータに当てはめて統計学的推

    質的研究と量的研究について - 社会学者の研究メモ
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