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考古学とモンゴルに関するtweakkのブックマーク (6)

  • 古代の遊牧民が築いた帝国の秘密、DNAで解明

    (CNN) ある遊牧民の帝国が、紀元前200年から3世紀にわたりアジアの平原を支配していた。彼らはシルクロードで交易を行い、精巧な墓地を死者のために築き、馬を駆って遠方の土地を征服した。 匈奴(きょうど)の名で知られるこの帝国と強力なライバル関係にあった古代中国の王朝は、防衛のため万里の長城を建設。その一部は現在も残っている。 しかし、当時の歴史を伝える文字史料は中国の年代記作者による記述のみ。その中で匈奴は蛮族とみなされているが、帝国や民族の実像は長く歴史の陰に閉ざされてきた。 だがここへ来て、古代のDNAの証拠と近年行われた考古学上の発掘の成果を組み合わせることにより、あの時代最も強大だった政治勢力の一つにまつわる秘密が明らかになろうとしている。 国際的な科学者チームがこのほど、匈奴の支配地域の西側にある墓地2カ所についての遺伝子研究を完了した。現在のモンゴルに位置するこれらの墓地は、

    古代の遊牧民が築いた帝国の秘密、DNAで解明
    tweakk
    tweakk 2023/04/20
    "両方の墓地に埋葬された17人の遺伝子情報を解析。「極めて高いレベルの」遺伝的多様性があることを突き止めた。これにより匈奴の帝国は多民族、多文化、多言語だった公算が大きくなった"
  • 匈奴時代の貴族の古墳から発掘された約400点の遺物を展示・公開する 11月30日から来年3月1日まで モンゴル国立博物館

  • ノヨン・オール - Wikipedia

    ノヨン・オール(モンゴル語: Ноён уул)またはノイン・ウラとは、モンゴルのウランバートル北方、トゥブ県にある山で、西暦紀元前後の匈奴の古墳群によって知られる。 遺跡の概要[編集] ノヨン・オールの「ノヨン」は領主、「オール」は山を意味する[1][2]。 ノヨン・オールには200を越える古墳群があることで知られる[3]。古墳群には規模の大きな方墳(日でいう前方後方墳の形)が多く含まれている[4]。 主な出土遺品には、青銅製容器・装身具・玉器・馬具と車蓋などその装具類がある。漢の遺物も多く出土しており、漆器には建平5年(紀元前2年)の銘があった[3][5]。絹織物も多数出土した。一方、棺の下に敷いた毛氈や壁飾りの装飾はスキタイ・サルマタイの文物の特徴を持つという[3]。 ノヨン・オール遺跡は1924年から1927年にかけてピョートル・コズロフ率いるソ連の探検隊によって調査された。出土

  • 大阪大学、モンゴル東部で最大級かつ唯一の突厥碑文に囲まれた遺跡を発掘

    大阪大学大学院言語文化研究科の大澤孝教授とモンゴル国科学アカデミー歴史・考古学研究所との合同調査隊は、2015~2017年の3年間にわたる共同発掘調査で、モンゴル東部のドンゴイン・シレーと呼ばれる広大な高原から、モンゴル高原及び中央ユーラシア地域を通じても唯一の、大型の突厥碑文(とっけつひぶん)14から囲まれた方形列石タイプのユニークな碑文遺跡を発掘した。 この遺跡の一番の特徴といえるのが、遺跡の中央に配置された被葬者を埋葬・追悼した石槨(せっかく=石でつくった、棺を入れる外箱)を14の碑文が取り巻くという配置構造(ただし、そのうちの2はなお原位置が不明)。これは、モンゴリアのみならず、中央ユーラシアにおいても極めて稀な特色をもっており、古代突厥帝国時代の東部モンゴリアにおける突厥王侯の支配構造や活動範囲を知る上で極めて貴重な歴史文化遺跡といえる。 また、碑文の解読によって、碑文の

    大阪大学、モンゴル東部で最大級かつ唯一の突厥碑文に囲まれた遺跡を発掘
  • 匈奴、独自に鉄生産か 愛媛大など、モンゴルで炉跡発見:朝日新聞デジタル

    【編集委員・今井邦彦】モンゴル高原を中心に紀元前3~紀元1世紀ごろに遊牧国家を建てた騎馬遊牧民族、匈奴(きょうど)の製鉄炉跡が、モンゴル中東部で見つかった。匈奴は中国の秦・漢帝国からの略奪で鉄を入手したと考えられてきたが、独自に鉄を生産していたことを示す遺構とみられる。 愛媛大とモンゴル科学アカデミー考古学研究所の共同調査団が2011年以降、ウランバートルの東約120キロのホスティン・ボラグ遺跡で小型の製鉄炉跡5基を発見。放射性炭素年代測定で紀元前1~紀元1世紀ごろのものと判明し、11月に愛媛大であったシンポジウムで匈奴の製鉄遺跡と報告された。 幅数十センチ~2メートル、深さ30~40センチほどの穴や地下に延びる細いトンネルに、鉄と分離した不純物(スラグ)や炭が詰まっていた。地上に大きな炉を作る秦・漢と異なり、黒海周辺から中央アジアにかけての遺跡で多く見つかる地下型の炉とみられる。

    匈奴、独自に鉄生産か 愛媛大など、モンゴルで炉跡発見:朝日新聞デジタル
    tweakk
    tweakk 2013/12/18
    「ウランバートルの東約120キロのホスティン・ボラグ遺跡で小型の製鉄炉跡5基…前1~1世紀ごろのもの」「匈奴は中国の秦・漢帝国からの略奪で鉄を入手したと考えられてきたが、独自に鉄を生産していたことを示す」
  • 朝日新聞デジタル:モンゴルで遊牧民の巨大碑文発見 「我が土地よ、ああ」 - カルチャー

    碑文から採取された突厥文字の一部(右から左に向かって読む)。解読の結果、被葬者が故郷や部族との別れを惜しむ言葉が記されていた=大澤教授提供碑文を調査するモンゴル人の研究員ら=大澤教授提供碑文の発見場所  【編集委員・今井邦彦】8世紀中ごろのトルコ系遊牧民族「突厥(とっけつ)」の巨大な碑文をモンゴル東部の草原で発見した、と大阪大大学院の大澤孝教授(古代トルコ史)が16日発表した。中国の隋・唐の各帝国と時に対立し、時に結びながら中央アジアを支配した突厥の国家体制や制度を解明する貴重な史料となりそうだ。  大澤教授とモンゴル科学アカデミー考古学研究所は5月、ウランバートルの南東約400キロにあるデレゲルハーン山近郊のドンゴイン・シレーと呼ばれる遺跡で、それぞれ全長約4メートルと約3メートルの碑文の残片を発見した。計20行、2832文字の古代トルコ文字(突厥文字)が刻まれ、解読の結果、「我が家よ、

    tweakk
    tweakk 2013/07/17
    「刻まれた部族の紋章から、突厥第2帝国(682~744年)の王家、アシナ氏の一員の墓碑とみられる」
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