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  • 議論を尽くすのは難しい - レジデント初期研修用資料

    意見の対立を解決するための手段として、合議というやりかたはどこか危うい。 意見の対立があったところで、リーダーに対立した誰かが「じゃあ私は別の場所に行きます」といえる状況ならばまだしも、外の環境から閉じた場所で発生した意見の対立は、合議によらない、むしろなるべく理不尽なやりかたで解決することを心がけないといけないのだと思う。 合議は難しい インターネットで寄付を募ることで立ち上げられた地方紙である「大槌みらい新聞」が、3万5000円をきっかけに瓦解しかけている という記事を読んだ。 リンク先では、メンバーの意見が対立したきっかけから、最終的に歩み寄る余地のない対立に至った会議のログが閲覧できるけれど、意見の対立を解消するための手段として、合議はそもそも難しいよなと思う。 体育会の昔、会議室ではお互いに正論をぶつけあい、トイレ休憩で各大学の主将がトイレに集い、会議の落とし所は、結局トイレで決

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    wander1985 2013/05/28
    ”徹底的な議論を尽くし、折れて譲った相手に向かって「まあ、君の意見にも見るべきところはあったよ」なんて近代的な自我を振りかざしても、状況はむしろ悪化する。”
  • 罵倒の運用について - レジデント初期研修用資料

    罵倒のようなやりかたにも使いかたがある。誰かを罵倒することで、その人の背中を強力に後押しするような効果を期待することもあるし、同じ罵倒のやりかたであっても、誰かを徹底的に否定してみせることで、その人から抵抗の意思を奪い去るような効果が期待できることもある。 海兵隊の教官は新兵を罵倒する 海兵隊訓練教官の罵倒を集めた記事を読んだ。 テレビ番組でときどき紹介される海兵隊の訓練風景は恐ろしいけれど、文章として罵倒の言葉だけを取り出すと、訓練教官をやっている人は、罵倒であっても相当に言葉を選んでいるのだろうなと思う。 訓練教官の罵倒は、読んでいて面白い。新兵に対して、何か「できなかった」ことを叱るのではなく、新兵ごとに到達点を仮想して、「やらなかった」ことを叱る。同じ「できない」を表現するにしても、結果を叱れば「お前は無能だ」というメッセージを送ることになる。できたはずの到達点を仮想して、そこに到

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    wander1985 2013/04/17
    "「俺はお前たちを公平に扱う。すべて平等に価値がない」"
  • ネタ切れの効能 - レジデント初期研修用資料

    インターネット上に日記を公開することの効能というものは、書いている人が「ネタ切れ」の状況を体験できることにある。 ネタが尽き、なおも何かを書きたい人は、見慣れた日常風景を見なおして、なんとかそこから新しいネタを引き出せないものかと考える。そうした試行錯誤を繰り返すと、その人は一つの同じ風景から、切り口を変えた複数の文章を生産できるようになってくる。 日常の風景を様々な角度から描写する練習は、世の中のニュースや風景を、様々な目線で眺めるための助けになるのだろうと思う。 ネタは使い果たしたほうがいい これからインターネットで日記を書こうと考えるのならば、まずは一刻も早く「ネタ切れ」の状況に到達することを、とりあえずの目標にすべきなのだと思う。 「このネタは面白すぎるから、人気が出て文章力がついてからまとめよう」と考えるのはやめたほうがいい。面白い事件に遭遇したとか、どこか珍しい場所に旅行をした

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    wander1985 2013/04/16
    ”インターネットで日記をつける効能は、体験のネタが尽きた先にある。”
  • 名門再起の物語 - レジデント初期研修用資料

    ガールズ&パンツァーはもう毎回が楽しみで、びっくりするぐらいに面白かったのだけれど、続編を期待していいのならば、主人公チームに敗北した側、黒森峰高校の逸見エリカを主役に、敗北の結果として、士気も結束も失った名門チームの再生と、困難な状況の中、隊長職を引き継いだ個人の成長みたいなものをテーマにしてほしい。 味方はどこにもいない 決勝戦を終えた時点で、逸見の置かれた状況は、恐らくは相当に悪くなる。 頼りの隊長は卒業するし、そもそもが家元の娘、国際的にもすでに有名な選手を今さら批判するOBもおらず、伝統校の敗北は、結果として隊長の孤立を許した副官が戦犯として囁かれることになる。 決勝戦には危うげなく勝ち進んだとはいえ、二連敗した名門には後がないし、そんな状況で火中の栗を拾う人もいないだろうから、戦犯たる副官は、消去法でそのまま隊長職を引き継ぐことになる。プレッシャーは莫大で、伝統は消えかけて、逸

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    wander1985 2013/03/27
    そのアニメ見てないけど。
  • 御札はどうして売れるのか - レジデント初期研修用資料

    神社の御札は、機能がないのによく売れる。構造は簡単で、恐らくは寸分違わぬコピーを量産することも容易であって、神社で販売されている物にしたところで、売っているのは職ではなくアルバイトであることも多い。 熊野神社の牛王符宣誓あたりになると、そもそもあれは和紙に印刷された木版画であって、同じ品質、同じ材料で、レーザープリンターで何枚でも量産できる。同等の機能を持った安価なコピー品をいくらでも作れるはずなのに、神社の御札を求める人達は「物」を求めて、山奥にある神社までわざわざ出向く。 映画であったり音楽であったり、同等機能を持ったコピー品が安価に出回る昨今にあって、神社の御札にはなんのコピープロテクトもかけられていないのに、コピー品を求めるユーザーがどこにもいない。あれはヒントなのだと思う。 宣誓は大事 熊野神社の熊野牛王符は、お守りとして飾られる場合と、誓約書として使われる場合とがあって、

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    wander1985 2013/03/09
    モバマスが思い浮かぶ。課金の本質は「宣誓」。
  • コントロールについて - レジデント初期研修用資料

    問題に対して提案できるプランがあれば、状況はコントロールできる。 問題に対して上司と部下とのチームがあって、どうすればいいのか、正解に到達するためには何が不足しているのか、上司も部下もそうした問いに答えを持っていないのならば、経験年次を無駄に費やしてしまったぶんだけ、上司の方が問題に対してより無能であるといえる。 誰だって自分の無能を認めるのは嫌だから、アイデアの不在は暴言や暴力で穴埋めされて、結果としてチームからはコントロールが失われてしまう。 経験の意識化と体系化 不明の状況に対して説得力のあるプランを提案するのに必要なのは、経験の意識化と体系化なのだと思う。 経験を体系化して持っている人は、不明の状況に対峙してもなお、自分の能力でコントロールできる部分を、不明から切り出せる。問題の大きさは切り出した分だけ小さくなるから、解決はそれだけ近づいてくる。経験の体系化が不十分だと、未知はま

  • 名付けの効果について - レジデント初期研修用資料

    医局でたまたま、免疫について話題になった。 漠然と「抵抗力」のような意味あいで使う免疫という言葉は、医療従事者も「ある」という前提で違和感なく会話をするのに、「免疫力」みたいなものをきちんと測定できるようなパラメーターが存在しない。免疫グロブリンの量を測定することはもちろん可能だけれど、それはあくまでも特殊な蛋白質の量であって、いわゆる的な「免疫力」とは少し違う。 ないものには商売の種がある 「免疫力を向上させる」と自称するオカルトグッズはたくさん販売されているし、実際よく売れている。効果を検証して反論しようにも、そもそもどんなパラメーターで「免疫力」を代表させればいいのか、グッズを売る人と反論を試みる人との間で見解が共通することはありえないだろうから、難しい。 誰もが「ある」と思っているのに測定できない何かを探し出せば、それを商売の種にすることが出来る。あるいは当然測定できると認識されて

  • 選択肢について - レジデント初期研修用資料

    たとえば当直業務を始めるときには、その日に使えるカードのことを考える。 オンコールの技師さんをすぐに呼べる状況ならば、重たい患者さんを引き受けても対処ができる可能性が高くなるし、空きベッドに余裕がある状況ならば、入院の閾値を下げて外来を回すことで、安全マージンを稼ぐことができる。近隣基幹病院にどの程度の余裕があって、自分の施設では引き受けられない患者さんが発生した時に、どのぐらいの確率で患者さんを引き受けてくれるのか、そんなことも考える。 手持ちのカードが多い状況、自分の選択肢に余裕のある状況ならば、追い込まれてもどうにかできる。選択肢に余裕のない状況、「がんばる」ことでしか難しい状況を抜け出すすべがないときには、たぶんその人は自分で考える以上に追いつめられている。 「イエス/ノー」の質問には意味がない いじめを受けている子供に対して「いじめられていないか ?」と尋ねたところで、その生徒か

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    wander1985 2013/01/22
    "いじめを受けている子供に対して「いじめられていないか ?」と尋ねたところで、その生徒から「はい」という返事を引き出すのはそもそも難しい。"
  • 暴力の工学的な側面 - レジデント初期研修用資料

    顧問の体罰が集中して、キャプテンの学生が亡くなった事例は、あれは「暴力を用いた統治」というものを考えると、ひどい事例とはいえ、工学として理にかなっているようにも思えた。 暴力は疲れる。暴力を行使する側は、「統治」という目標を達成するために投じる暴力量は、できることなら減らしたいだろうから、そこには「効率」の考えかたが入ってくる。説得みたいなやりかたは、暴力を好む人には甘すぎるように見えるだろうから、たぶん最初から選択肢に入らない。 選択枝を持たない人を探す 生徒を死に追いやった顧問の先生は、キャプテンに対して体罰を集中したらしい。 暴力を統治の道具として行使するときには、「選択枝を持たない」人間を選ばないと意味が無い。暴力というのは不快なやりかただから、その人に付き従う以外の選択肢がある人に暴力を振るったところで統治は達成できないし、警察に通報されれば詰んでしまう。 「いつでもやめられる」

    wander1985
    wander1985 2013/01/10
    "不謹慎だけれど、顧問のやりかたは工学としてよく考えられたものでもあって、こうした事例を「頭のおかしな顧問が招いた犯罪」であると切断処理してしまうと、再発はむしろ遠のいてしまう"
  • JASRAC の謝罪文について - レジデント初期研修用資料

    音楽著作権協会(JASRAC)が最近出した謝罪の告知 は、組織へのダメージを最少にするという意味において、上手な謝罪のお手に思えた。 以下引用。 雅楽演奏者へのお問い合わせについて. 昨日よりJASRACが雅楽演奏者の方へ著作物使用料の支払いを求めたなど、SNS等での書き込みや報道などがなされていることについて、ご説明いたします。. JASRACでは、全国各地で行われる演奏会などの催物において、JASRACの管理楽曲(以下「管理楽曲」という。)を利用される場合には、催物の主催者の方から手続きのお申込みをいただいた上で、 著作物使用料のお支払いをいただいております。管理楽曲の利用を確認せずに、著作物使用料のお支払いを求めることはございません。. 管理楽曲の利用が定かでない演奏会等の場合、主催者の方に電話や書面等でご連絡をし、管理楽曲のご利用の有無を確認させていただくことがあり、著作権消

  • 見栄の力について - レジデント初期研修用資料

    同じ領域で仕事を続ければ、たいていの人はその分野に熟達していく。このときに、単に仕事がこなせるレベルに留まる人と、その分野の話題を深く理解して、ひとつの世界のように語れるレベルに到達する人とがいるのだ、という文章が話題になっていた。 両者を隔てる要因はいくつもあるのだろうけれど、「見栄」の有無という要因は、案外大きいのではないかと思う。 その分野を面白く思う人は、物事を深く理解するかもしれないけれど、学んだ知識を系統だって語れる人は案外少ない。見栄という動機で得られるのは上っ面の理解でしかないかもしれないけれど、見栄を張り続け、知ったかぶりをあらゆる角度から極めたその人もまた専門家と呼ばれ、実際問題としてその領域を一番詳しく、系統だって語れる場所に到達してしまう。 面白くあり続けるのは難しい 特別な経験は誰もが持っていて、ネット上で日記を始めた最初の数カ月、話題は多く面白く、それほど大きな

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    wander1985 2012/11/21
    見栄と説明力。…俺のブログのことか!?と思いながら読んでた。あと、いわゆる「センス」では生きていけない、という状況に置かれると、ロジック特化というか屁理屈特化に進化する場合があるなー、と。
  • 意味のない書き出しには意味がある - レジデント初期研修用資料

    コピーを書くときには、まずは頭で何かを考え、次にメモ紙に「要するに」と書きだし、「要するに」に続く文章をそのままメモに書き、最後に「要するに」を削除するとうまくいく、というコピーライターの話をどこかで読んだ。 「要するに」という書き出しは、結果として削除されてしまう、不必要なものだけれど、頭にある発想を形にしていく上で、書かなくてもいい書き出しをあえて書くことには大切な意味があるのだと思う。 Twitter は話し言葉で書く Twitter はふだん、話し言葉をそのまま書くように心がけている。そうすることで、頭の中にある漠然とした考えが、文章として具体化する可能性が高くなるような気がしている。 Twitter ではだから、自分が書いた文章には、「こう、」とか、「なんというか、」とか、「なんとなく、」とか、それだけでは何の意味もない書き出しがたくさん出てくる。書き出しの言葉は意味を持たないけ

  • マインドコントロールの基礎 - レジデント初期研修用資料

    うちの家を、まったくの他人が支配してたことがあったという逸話を読んで思ったこと。 リンク先では、「母の友人」としてやってきた正体のよく分からない人が、家族のそれぞれに怪しい働きかけを行うことで、一家が離散寸前まで追い詰められる。 マインドコントロールというと、なんだか怪しげな、複雑怪奇な技法を想像しがちなのだけれど、リンク先の物語で行われていることはたぶん、「君、なんだか評判悪いみたいだね。でも僕は君の味方だから」という文言を、家族の全員に、何度も繰り返していただけなのだろうと思う。 心理的な隔離の効果 上司に当たる人が、組織から誰かをつかまえて、「君、なんだか評判悪いみたいだね。でも僕は君の味方だから」といい含め、組織に戻すと、呼び出されたその人は、他の人を信じられなくなる。他ののメンバーに自分の評判を確認すれば、もちろん「そんなことはない」という返事が返ってくるのだろうけれど、それが嘘

  • 制約が楽しさを作り出す - レジデント初期研修用資料

    面白さというものは、「上手な制約の押し付け」が生み出すものなのだと思う。 ユーザーに行なってもらうのは「作業」だけれど、単純作業にルールや制約をかぶせることで、作業をした当人は、それを「判断」とか「学習」、あるいは「成果」だと錯覚する。それが「面白さ」の正体なのだと思う。 戦車の模型とジオラマの関係 小学生の大昔、戦車の模型を組み立てて、ジオラマというものを自分でも作ってみたくて、模型を前に途方に暮れた。子供なりに、模型をどれだけ一生懸命作ったところで、それはよくできた模型ではあっても、その先にジオラマは見えなかった。 田宮模型の出版物だと記憶しているのだけれど、ジオラマの作りかたを探しているうちに、「板に紙粘土を敷き、そこに戦車の模型を置いたら、それはもうジオラマなんです」という文章が目に飛び込んで、あれで前に進めた気がした。板に紙粘土を盛って、そうして作った真っ白な「地面」に模型を置い

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    wander1985 2012/10/11
    制約なしに与えられる自由はイコール「自由の刑」でもある。望ましい自由とは与えられるのではなく「見出す」ものだと思う。"役割が成果をもたらす"
  • ゲームの進化について - レジデント初期研修用資料

    「シューティングゲームは、「弾をよけながら敵を撃破するゲーム」ではなく、「弾幕デザイナーの意図にそってレバーとボタンを操作する作業」であるといえる。RPGも同様に、プレイヤーは操作や判断を洗練させるほど、それはゲームデザイナーの意図した通りの動きに収斂していく」とTwitter に書き込んだら、「そんなことはないだろう」という反響がけっこうあった。そのあたりのいいわけ。 昔話 小学生の昔、ブロック崩しにこそ出遅れたけれどスペースインベーダーは現役で間に合って、ギャラクシアンに驚き、ムーンクレスタ3号機の理不尽に泣き、ディグダグの画面がカラフルなのに驚いたらもう中学受験は目前だった。 中学校に入って、久しぶりのゲームセンターではボスコニアンが稼働していて、よく聞こえない合成音声に首を傾げる真横では、同級生がハイパーオリンピックに熱中していて、ゲームセンターではそれからしばらく、ボタンが溶けた

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    wander1985 2012/10/06
    "「その人の実力を歪みなく反映する鏡」があったとして、それは果たして「いい鏡」と言えるのだろうか ?" …自分の趣味の合唱についても考えたい。
  • 扇動をスケールさせるのは難しい - レジデント初期研修用資料

    最近のニュースを見て思ったことのまとめ。 「大成功した」と言っていいぐらいに人数を増やした維新の会が、ここに来て支持率が上がらない、というニュースを見た。 橋市長のやりかたは、「扇動」の方法としてはいまでも成功であったと考えているのだけれど、扇動で得た成功を拡大するのはとても難しい。橋市長は間違いなく成功した政治家ではあるものの、その成功は大阪というある程度閉じた場所が前提のものであって、その勢いを全国区に持ち出すと、勢いは減じてしまう。 二番手は「敵」をどこかに探す 二番手の企業が市場を支配しているトップ企業に挑むときには、トップ企業がトップであり続けるためにどうしても妥協せざるを得ない何かが攻める場所になる。それは汎用性であったり、安全性であったり、平等であったり様々にせよ、トップ企業にはそれを提供する義務が半ば課せられて、二番手はあえてそれを手放してみせることで、「全部」を諦める

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    wander1985 2012/10/03
    "扇動の成功には前提がある"
  • 人は禁じられた方向に努力する - レジデント初期研修用資料

    組織やチームの文化というものは、スローガンや目標ではなく、日常の動作やおしゃべりにおけるちょっとした制約が作り出す。 「全部英語」は極端であるにせよ、その会社、その組織、その業界独自の言葉や言い回しを作ったり、あるいは「その場で発してはいけない言葉」を作って共有すると、その場には独自の空気が生まれる。外から入ってきた人が「その組織の人」になるまでの時間は、そうした空気がある場所では大幅に短くなっていく。 制約が空気を作る 「ノー」を禁じた組織には、「ノー」を表現するための語彙が増えていく。「現実的に」を禁じた会議室からは、実際に実現できるアイデアが増えていく。 何か到達したい状態があるのなら、それを目標として声高に叫んでみせるよりも、目標と反対側の単語を禁じてやると、人間は案外、その方向に能力を発揮する。 内科医の会話から「外科」という言葉を禁じると、「外科に相談」みたいに便利な言葉が一切

  • ワークショップ雑感 - レジデント初期研修用資料

    知識の伝達を目的とする「講習会」と、態度の変革を目的とする「ワークショップ」とは区別される必要があって、両立は難しいか、あるいは両立を目指すと失敗する。 「いい講習会」と「いいワークショップ」とはそれぞれ目指す「よさ」が大きく異なる。何かの講師やインストラクターを引き受ける際には、自分が提供するコンテンツが「講習会」なのか、それとも「ワークショップ」なのかをよく考えておかないと、努力を無駄な場所に投じたり、期待しただけの成果が得られなかったりするのだと思う。 講習会に参加した 心肺蘇生のインストラクターになるための講習会に参加した。教わる側としてでなく、将来的に教える側になるために開催されたものだから、「こうしなさい」よりもむしろ、「こうほめなさい」が話題の中心 演者の先生は、講習生を「ほめること」の重要性を強調しておられた。よく見ること。ほめるときには「全体によくできた」ではなく、個々に

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    wander1985 2012/09/18
    この感覚!!わかるわー "「ほめる」訓練士は、犬に対して一切の期待をしていないからこそ犬をほめ、「叩いてしつける」訓練士のほうが、犬の内面みたいなものをよほど期待して、むしろ人間的な何かを犬に仮想する"
  • 上司に怒られるための参考書がほしい - レジデント初期研修用資料

    研修医の仕事は「正しくやること」ではなく「正しく怒られること」であって、正しくやりすぎて怒られる機会を得られなかった研修医は、もしかしたら急変に弱くなる。 教科書はよくできすぎている 市販されている研修医向けの参考書はどれもよくできていて、論文に基づいた記載が並んで、そのとおりにすれば正しくやれる。そつなくまとまった参考書は研修医を保護する機能が備わっていて、上司が何かを突っ込もうにも、参考書が先回りして穴を塞いで守ってくれる。 研修医向けの教科書は、そういう意味で「良いお手」には間違いないのだけれど、あれをどれだけ読み込んだところで、むしろ読み込んでそれを身につけた人ほど、上司から怒られる、学びの貴重な機会から遠ざかることになる。それを失うのはもったいない。 いい間違えかたがある 「いい間違えかた」をすることが、いい学びにつながる。まるきり間違えたやりかたを上司に示して怒られたところで

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    wander1985 2012/08/13
    "論理に基づいたオーバーな間違えをやらかすことで、研修医と上司との間にいい衝突が生まれる。"
  • 必要なものとほしかったもの - レジデント初期研修用資料

    「必要なもの」の反対語は「ほしかったもの」なのだと思う。 必要なものは目的が作り出す。たいていはいつでも買えるし、買った結果は見通せる。ほしかったものは出会いが作り出す。出会ったその瞬間まで、お客さんは「それがほしかった自分」がいたことなんて想像だにしない。 必要なものはあらかじめ想定された選択肢であって、買い叩かれる対象でもある。それが必要なものになったその途端、その商品は価値を失うと言い換えてもいい。欲しかったものは、出会う時まではお客の頭に存在しない。選択とは無縁の何かで、価値は下がらない。 田舎のホームセンターは十分に大きくて、必要な物はなんだって揃っているのに、欲しいものが何もない。何かの機会に東京に出かけると、地下街を歩くのが常なのだけれど、欲しかったものばかりがそこにあってびっくりする。実際にそれが必要かといえばそうでもないし、ホームセンターを探せば、欲しかったその商品と同じ

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    wander1985 2012/07/30
    出会わないと、「欲しかったもの」に気づけない、という話。