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批評に関するy-yoshihideのブックマーク (3)

  • 暴力的演劇 - jun-jun1965の日記

    その昔、村上龍が「演劇は暴力的な装置だ」という文章を朝日新聞に書いたことがあった。演劇が好きだった私は、へえ村上龍は演劇が嫌いなんだ、と思った。 柴幸男の岸田戯曲賞受賞作「わが星」は、戯曲を読んだ時点で、なんだかうるさそうな舞台だなと思った。ずっと時報が流れ続け、ラップ音楽みたいなのが随伴している。選評でも、ソーントン・ワイルダーの「わが町」の翻案で、と言われていたが、内野儀なども、この作品がもたらす感動はワイルダーの作品のものではないかと言っていた。 それが、DVDになって安価で出ていたので買って観てみたら、案の定うるさくて、感動どころではなかった。劇場でなんか観て(聴いて)いたら、それこそ暴力装置だろうと思った。あまりうるさいので、せりふに耳を傾けることもできず、へえこれで感動するのかねえと思ったくらいである。 あの、みんな遠慮して言わないだけだが、ラップってのは、うるさい。私がラップ

    暴力的演劇 - jun-jun1965の日記
    y-yoshihide
    y-yoshihide 2011/06/02
    「日本であると海外であるとを問わず、女性同性愛こそが最下層に置かれている」
  • どんどん批判してもらって結構。 - Something Orange

    わざわざケータイ小説を声高に否定するオタクって何なの? あんなのオタク向けに商品企画も製作もされてないんだからオタクが読んでも面白くないのも当たり前なんだし、 わざわざ「これのどこが面白いのかわからない」「これ読んで楽しめる奴はバカ」「ゆとり」「スイーツ(笑)」とか言わなくていいのにって思う。 逆に考えよう、ケータイ小説を面白いと思う層にニコニコで人気の初音ミクの歌をいくつか聴かせたらどんな感想を言うと思う? (中略) その感覚を共有できる人にしてみれば大衆の誰でも出来るだけ好かれるようにパッケージされた市販ものなんかより、ずっと楽しめるものになる。 逆に言えばそれ以外の層には全く楽しめないけど、そもそも楽しんでもらおうとも思っていないのだ。 そこにあるのは『私たちが、私たちによって、私たちだけのために作って共有して消費する』エンタテインメントの世界なんだと思う。 「わざわざケータイ小説

    どんどん批判してもらって結構。 - Something Orange
  • 自称批評家にならないようにするための自分用メモ

    ・はてブコメントに批判的なコメントをのせないこと(100文字程度で見ている人を納得させるようなコメントが書けるならば別だけど) ・自分の価値観を絶対だと思わないこと ・他人の作品と比較をしないこと ・批評するんなら、きちんと読むこと ・作者の言葉を捻じ曲げて解釈しないこと ・作者じゃなくて作品を見ること ・優越感に浸らないこと ・自分ができないことをえらそーに言わないこと メモメモ

    自称批評家にならないようにするための自分用メモ
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