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societyとcommunicationに関するyookudのブックマーク (3)

  • 総合地上学へ向けて──ランドスケール、キャラクター、生態学的視点からのアプローチへ

    『ランドスケール・ブック』から始まる地上学 ──約3年前の『ランドスケール・ブック地上へのまなざし』(LIXIL出版、2012)についての日埜さんの書評は、「地上の唯物論」というとても魅力的なタイトルを持ったものでした。まず当時の日埜さんの応答からお伺いしたいと思います。 日埜──あの書評は、言ってみれば「気配」について書いたものだったと思います。『ランドスケール・ブック』は多くの各論が取り集められているわけですが、それらがざっくり5つにグルーピングされ、さらに全体が「スケール」という言葉によってまとめられていました。体系づけられた全体像が提示されるというわけではないけど、しかし将来これがどのような全体像としてまとまっていくのか期待させるような、「地上学」への気配を含んでいました。 地面あるいは地上はわれわれの生活において背景に廻りがちです。日々のもろもろのことが前景化し、その背景となる。

    総合地上学へ向けて──ランドスケール、キャラクター、生態学的視点からのアプローチへ
    yookud
    yookud 2015/08/15
    「その場所をデコードするための固有のアプローチがあるというようなことでしょうか。その違いについてのリテラシーを持つためにも、自画像をシェアすることにポジティブな可能性があるんじゃないでしょうか」
  • 八馬智 on Twitter: "期せずしてリンクした大山さんの言葉「自分と、他者とに認められて、はじめて愛着はふるさとになりうるのではないか」が、本当にうまい具合にまとめてくれた。"

    yookud
    yookud 2013/05/23
    「自分と、他者とに認められて、はじめて愛着はふるさとになりうるのではないか」
  • SYNODOS JOURNAL : 「ゼロリスク幻想」とソーシャル・リスクコミュニケーションの可能性 山口浩

    2011/4/1923:17 「ゼロリスク幻想」とソーシャル・リスクコミュニケーションの可能性 山口浩 2011年3月11日に発生した東日大震災と、それによって引き起こされた福島第一原発の事故は、1ヶ月以上経過した現在もなお、大きな余震や放射線漏れ、あるいは風評被害など、現在進行形のリスク要因としてわたしたちの生活を脅かしつづけている。 わたしたちが何をして何をしなかったか、何がどういうふうに起きて現在の状況がもたらされたのかを検証していく作業には大きな意味がある。この手の話はえてして責任追及に関心が向きがちだが、それが重大なものであればあるほど、再発防止のための事実の把握や背景の分析に大きな力が割かれなければならない。 ◇深刻な風評被害◇ なかでもいま個人的に気になっているのは、国内外で発生している風評被害だ。とくに今回は原発事故が関係しているため、被災地への観光だけでなく、被災地の産

    yookud
    yookud 2011/04/25
    「「ゼロリスク」(おそらく「安全・安心」もそうだろう)は、それ自体がリスクコミュニケーションにおける一種のヒューリスティックなのだ。」
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