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yokohamaに関するyookudのブックマーク (7)

  • 中区に流れる見えざる川!? 歴史とともに姿を変えた「千代崎川」とは? - はまれぽ.com 神奈川県の地域情報サイト

    はまれぽ調査結果! 千代崎川はかつて中区に存在した河川。歴史と共に姿を変えて、現在は小港の河口付近にのみその姿を見ることができる。 かつて中区を流れていた「千代崎川」 かつて横浜市中区に千代崎川(ちよざきがわ)という川があった。 関東大震災前の千代崎川の流路(画像提供:長沢博幸) 南区山谷を源流として最後は中区小港の河口から海に流れ出たこの川はかつて全体にいくつかの支流を持ち、中区の柏葉・麦田・大和・上野・千代崎・北方・牧・小港を横断した。 多くの住人の思い出に残りさまざまなエピソードの舞台となった川であったが、現在その姿を見ることはできない。1962(昭和37)年に川の大部分が暗渠(あんきょ)化され(蓋をされ)地下に潜った“見えざる川”になったからである。 わずかに小港から東京湾に流れ込む部分のみが覆われず開渠(かいきょ)として、道行く人々の視線にさらされている。 現在「千代崎川」と言

    中区に流れる見えざる川!? 歴史とともに姿を変えた「千代崎川」とは? - はまれぽ.com 神奈川県の地域情報サイト
  • 根岸線桜木町と石川町界隈はかつて川だった!? 横浜発展の礎とされる「河川」が消えた謎に迫る! - はまれぽ.com 神奈川県の地域情報サイト

    ココがキニナル! その昔、大通り公園や根岸線・首都高横羽線の桜木町から石川町までは川でした。それぞれ、中川と派大岡川だったと思う。知らない人も多いのでその秘密と当時の写真を調べて!(浜っ子五代目さんのキニナル) はまれぽ調査結果! 明治30年頃から昭和50年代までは派大岡川・吉田川(中川)などの運河があったが、首都高速道路の工事などに伴い、埋め立てられて姿を消した。 最初の川は江戸時代に作られた!? 江戸時代の初めごろまで、現在の中区と南区の一部は大岡川が流れ込む入江、入海(いりうみ)だった。 これは、キニナル投稿にある「根岸線の桜木町から石川町までは川だった」という前の状態である。 埋め立て以前の入海の様子(『川の町・横浜』より) 以前にはまれぽで、それらに関する内容はいくつかの記事になっている(JR桜木町駅周辺に存在した幻の島「姥島」って!?など)が、今回のキニナル投稿に関係しているの

    根岸線桜木町と石川町界隈はかつて川だった!? 横浜発展の礎とされる「河川」が消えた謎に迫る! - はまれぽ.com 神奈川県の地域情報サイト
  • かつて新子安にあった海水浴場はどんな感じだった? - はまれぽ.com 神奈川県の地域情報サイト

    ココがキニナル! 昔の新子安は海水浴場で有名で、昭和初期までにぎわっていたそう。夏は京急も特別ダイヤで運行し、新子安駅から海水浴場までの道沿いには露店が軒を並べていたそう。当時の様子を知りたい(ねこぼくさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 京急が1909年に埋立地に開設した「新子安海水浴場」は、休憩所や桟橋も備え人気を集めたが、工場の増加にともない20年ほどで幕を降ろした 海は遥か遠い 今、新子安駅を出ると、海側には首都高が壁のように立ちはだかっていて何も見えない。それでは、と駅の上にある新子安橋の上までのぼって海のほうを眺めてみても、今度は見渡す限り工場と倉庫があるばかりで、遠くに小さく見える横浜ベイブリッジの橋脚が、その方向に海があることを知らせるばかりだ。 工場や倉庫でびっしりと埋め尽くされた現在の新子安沿岸部 新子安駅の上に架かる新子安橋の上に架かるスカイオルトデッキからの眺め 上

    かつて新子安にあった海水浴場はどんな感じだった? - はまれぽ.com 神奈川県の地域情報サイト
  • ドヤ街宿泊レポート第2弾!ライター井上がドヤ街の実態を調査! - はまれぽ.com 神奈川県の地域情報サイト

    ココがキニナル! ライター井上が、身一つでドヤ街を調査。その実態をレポート!(はまれぽ編集部のキニナル) はまれぽ調査結果! ドヤ街宿泊レポ第2弾!ドヤ管理人に突撃インタビューを敢行!日雇い労働者の街は今、手彫りヤクザと生活保護受給者の街と化していた 「・・・それがまた・・・・・畳に小便漏らして・・・」 「・・・だからよ、『このハゲ!』って言ってやったんだよ」 6月某日。雨湿による陶(うっとう)しさを感じながら、寿町に足を踏み入れる。 これは街の佇まいや住人の会話のせいなのだろうか。そのエリアに入った瞬間から空気のよどみを感じる。どの道を見ても、そこかしこに中年男性が座り込み、ビールとタバコを手に大声で駄弁っている。部外者に対する辛辣(しんらつ)な視線を感じ、目深に被ったキャップをさらに深く下げ、彼らと目を合わせないようにしつつ歩を進める。 はまれぽでは2回目となる寿町の宿泊取材 先だっ

    ドヤ街宿泊レポート第2弾!ライター井上がドヤ街の実態を調査! - はまれぽ.com 神奈川県の地域情報サイト
  • 横浜の水辺 「見る」から「使う」へ 「水辺荘」1年 広がる「水辺の楽しみ方」

    ■「平成の一寸法師」みなとみらいに現る!?新しい水辺の楽しみ方 櫂(かい)を1、両手で握り、サーフボードのような板に乗り、水面を歩くくらいのスピードで移動する人影。この夏、週末になると大岡川から周辺の港湾エリアに出現したこの乗り物は、SUP(スタンドアップパドルサーフィン)という。もともとは、ハワイが発祥といわれるウォータースポーツだ。 サーフィンのような疾走感はないが、水辺を散策するようなスローな移動感と水辺のスポーツにしては落下が少ないという安定感に、ファンが増えつつある。特に運河の多い横浜の沿岸部は波も少なく、SUPを楽しむ絶好のスポットだ。 この新感覚の乗り物の初心者講習会を開き、町歩き感覚で運河をクルーズする横浜体感ツアーを毎週末のように開催しているのが、「水辺荘」(横浜市中区日ノ出町2)だ。 SUPに乗り込み、水面から見上げる街の様子は、見慣れたいつもの風景とは違って見える。

    横浜の水辺 「見る」から「使う」へ 「水辺荘」1年 広がる「水辺の楽しみ方」
  • 『はまれぽ.com』 神奈川のスポット、入りたいけど入れない場所、不思議なモノ・オブジェ、真面目な疑問を徹底調査 - はまれぽ.com

    創業123年!伊藤博文から営業許可を得て開業した老舗「川村屋」の閉店の瞬間を取材! 324 8 2 2023.04.20

  • 「レッドライト」 (連載第9回) 窒息する水面、混沌の思い出 | ヨコハマNOW | よこはまなう | 横浜なう | 横浜流行通信

    APEC開催に伴って撤去された船の休憩所「北斗星」。この手の船は「ドヤ船」とよばれ、終戦後の大岡川を中心に最盛期には一三隻浮かんでいた。しかし昭和28年8月、陸上宿泊施設がふえるに従って廃止され、引揚げられた。 いまさら言うまでもないが、東京の中心は皇居である。私は右翼ではない。これは街の構造から明らかなことである。 一方、横浜はどうか。横浜港が中心なのは、やはり論を待たないと思う。実際の所、象徴的にも地図の上でも中心を皇居に据えた東京とは異なり、横浜の地理上の中心は港ではなく、保土ヶ谷である。しかしここでは細かいことは言わない。 さる知識人が皇居を「空虚」と呼んだように、見渡す限り水ばかり拡がる横浜港もまた広大な無である。なにもないからこそ、さまざまな可能性を見いだし得るわけだが、実際はそうでもないらしい。 今年9月、赤レンガ倉庫の岸壁に接岸して行うはずだった「横浜ふね劇場をつくる会」主

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