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ブックマーク / rhodiolarosearoot.blogspot.com (3)

  • 佐藤亜紀『吸血鬼』

    吸血鬼というと貴族的な怪物を思い浮かべる者も多いだろう。医師ポリドリが詩人バイロンをモデルにして作り上げた吸血鬼やブラム・ストーカーが創造したドラキュラ伯爵などによって生み出されたイメージである。一方、民間伝承の吸血鬼という奴がいる。こちらには貴族的なところなどまるでない。何だかぶよぶよしたもの、もしくは死人、である。この作品ではウピールと呼ばれている。ジェキの村の領主クワルスキはこう解説する。 ――吸血鬼だ、とクワルスキが口を挟む。――ゲーテが書いたような美女でも、バイロン卿が書いたような青褪めた美男子でもない。この辺で信じられているのはもっと野蛮なやつだ。よくある話では、最初は形がない。家畜や人を襲って血を吸うと、ぶよぶよの塊になる。更に餌を貪ると、次第に人の形を整える。別の説では死人だ。生まれた時に胞衣を被っていたり、歯が生えていたりした者が死ぬと墓から出て人を襲う。大抵は余所者や

  • 佐藤亜紀『醜聞の作法』

    ディドロの『ラモーの甥』を読んだことがあれば、『醜聞の作法』の冒頭がそれを踏まえたものだということはすぐにわかるだろう。 空が晴れていようと、いやな天気だろうと、夕方の五時頃パレ・ロワイヤルの公園へ散歩に出かけるのがわたしの習慣だ。いつもひとりぼっちで、ダルジャンソンのベンチに腰をかけて、ぼんやり考えこんでいる男がいたら、それはわたしだ。わたしは、政治について、恋愛について、趣味について、さては哲学について、自分を相手に話をしているのだ。わたしは自分の精神を放蕩にふけらせておく。よく、フォワの並木路で、だらしのない若者たちが、気のぬけたような様子の、笑顔を作った、眼の敏い、しゃくり鼻の娼婦の後をつけて、別のが来ればそのほうに行き、どれもこれもの尻を追いかけて、さてどの一人にも執着しない有様を見かけるが、そんなぐあいにわたしは、賢明なものだろうが馬鹿げていようが、どれでも手当たり次第頭に浮か

  • 佐藤亜紀『金の仔牛』

    ジョン・ゲイの『乞オペラ』では、薄い皮膜の下にあるものがこれ見よがしに剥き出しにされる瞬間がある。最後の乞の口上だ。 この芝居全体をご覧になって、貴君もお気づきだと思うんだが、当節は上層と下層の人間の行状が互いにすこぶる似通っているんだよ。目下人々が耽っている種々の悪徳にしたって、お歴々が追い剥ぎの真似をしているのか、それとも追い剥ぎがお歴々の真似をしているのか、区別ができかねるほどさ。芝居の結末が当初私の意図したままだったら、素晴らしい教訓を観客に伝えられたと思うんだがね。つまり、下層の人間も金持ち連中と同様に悪徳に染まっていて、その結果立派に罰を受けているってことをね。(P140、141『乞オペラ』) 『乞オペラ』は下層の追い剥ぎたちを描いたバラッド・オペラだが、当時の観客には、それが実は上層の人間たち――ロバート・ウォルポールなど――を描いたものであり、真の狙いが下層の追い剥

    yukatti
    yukatti 2013/09/18
    『乞食オペラ』と比較しながら考察
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