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人生と仕事に関するzilog80のブックマーク (12)

  • さよなら東京

    新卒で入った会社の転勤で東京に来た。 もともと東京で働きたかったわけじゃない、でも若手で期待されているのを知ってたしキャリアアップになると確信して部署異動も含めて辞令を飲んだ、後悔はしてない。 でも転勤して、上司の期待通りのことは何一つ出来なくて、オペレーター仕事しかできず、なんのために転勤したのかダンボールだらけの部屋で毎日涙目で自問自答した。 満員電車と人の多さが怖かった、誰かとご飯をべることが減り、醤油がしょっぱくてパンが薄く、空気が乾燥していて、物価が高く、なにより東京は寒かった。 大雪の日の夜、しんしんと積もる雪を見て感じたのは薄い恐怖だった。このまま振り続けたら、生き埋めになるのでは。 朝起きて一面真っ白で深く雪に埋もれた景色を見て叫びそうになった、会社を休んだ、布団の中で泣いた、こんな遠くに来るつもりなかったのに。溶けない雪が死ぬほど怖い。 生まれ故郷は地面そのものが温か

    さよなら東京
    zilog80
    zilog80 2021/07/08
    いっそ、すべてを放り出してみてはどうだろう。何者でもないやつが何かになろうともがくのは見てる方も辛い。
  • 40歳は、惑う。 - AERA × ほぼ日

    ぼくにとって40歳は25年前。 暗いトンネルに入ったみたいで つらかったのを覚えている。 絶対に戻りたくない、というくらいにね。 そのつらさは、自分がまだ何者でもないことに悩む、 30歳を迎えるときのつらさとは別物だと思う。 40歳を迎えるとき、多くの人は 仕事でも自分の力量を発揮できて、 周囲にもなくてはならないと思われる存在になっていて、 いままでと同じコンパスで描く円の中にいる限りは、 万能感にあふれている。 でも、40歳を超えた途端、 「今までの円の中だけにいる」ことができなくなる。 自分でもうすうす、 いままでのままじゃ通用しないと感づいている。 別のコンパスで描いた円に入っていって、 いままでとはぜんぜん違うタイプの 力を発揮しなきゃいけない。 その時、自分が万能じゃないし、 役に立たない存在だと突きつけられる。 ぼくも、40歳を迎えるころには、 コピーライターとして、 ちょっ

    40歳は、惑う。 - AERA × ほぼ日
    zilog80
    zilog80 2014/10/21
    25年前はバブル真っ盛りだったっけ。
  • 就活失敗して良かった

    今年で35歳。超就職氷河期で、就活を失敗してから 10年が経った。新卒当時、出したエントリーシートは50社以上、 面接へ行ったのは30社以上。しかし俺に内定をくれる 企業は1社もなかった。 落ちまくった当時は毎日、死ぬことばかり考えていた。 でも、あの時、死ななくてよかった。 そして、就職活動で失敗して良かった。 就活失敗から得られた事が、今の自分を支えてると 言っても過言ではない。参考になるかは解らないが、 決して就活失敗はデメリットじゃないという事を 書いてみたいと思う。 ■とにかく手に職をつけるという意識ができた。 自分はコミュニケーションが苦手な部類の人間だ。 面接で上手いことやって内定を決めていく友人を横目に 落ち続けた俺は、とにかく手に職を持たないと、 どこも採用してくれないと考えるようになった。 そしてこの時、気付けたことは非常に正しかった。 「自分の技術」と「仕事の結果」だ

    就活失敗して良かった
    zilog80
    zilog80 2014/10/14
    失敗した人は強いな。
  • 部下がくれたアドバイス

    前いた会社を辞めた時に、部下がくれたアドバイスを思い出した。 部下は新人のときから、びっくりするほどできるやつだった。 同僚の三倍程度の仕事量をてきぱきとこなし、涼しい顔で毎日定時に帰っていく。上司の俺が何も指示していないときに、社内を歩きまわって、同僚や先輩に仕事を「お願い」していた。 けれども、そいつを悪く言うやつはいなかった。笑ったときのえくぼが印象深い奴だった。 俺は会社でパッとしない上司をやっていた。 経験だけはあったが、他にその役につく人間がいないという理由で、ロケット鉛筆のように押し出されてそのポジションに付いた。 かつて新人だった頃は、プログラマーとして四苦八苦しながら、作る喜びを糧にしていたものだった。 だが月日が経って、机の位置が変わった。プロジェクトを指揮するようになった。部下が増えた。いつしか俺はコードを離れ、代わりに人間を扱うようになっていた。 責任が増えると共に

    部下がくれたアドバイス
    zilog80
    zilog80 2014/07/29
    それでも俺は自分で考えたい。/以前にこれと似たような記事を読んだような。もっとメンヘル寄りの内容だったけど。ある事象について些細なことでも深く考えすぎだから仕事がうまくいかないと指摘されたとか。
  • わたしは獣になりかけていた - c71の一日

    西原理恵子が朝日新聞でいいこと言ってた。「時間は限られているし、手は二しかない。」 「病と貧困は人を獣にする。プライド高く、日銭を稼ぐことを軽蔑して獣になった人がたくさんいる」 「夫のアル中治療で獣を人に戻すのにとてもお金がかかった。人生の自由は有料だ。」— たかはし けーすけ (@keisuke0528) 2013, 1月 1 お金を稼ぐことは、自分を肯定する力を強めること。 でも、できれば、自分が楽しく過ごせる場所で働ける方がもっと良い。 いつもと逆向きの電車に乗り込むことすらできないほど、追いつめられる前にそういうことがわかって良かった。 そんな単純なことに、気がつくまで、わたしはぐるぐるしていた。 わたしはプライドが高くて、日銭を稼ぐことを軽蔑していた人だった。 正社員であり続けることが失敗しただけで、人生丸ごと終わってしまった気がしていた。 できることが少ないのに、万能感だけが

    わたしは獣になりかけていた - c71の一日
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    zilog80 2014/07/07
    “わたしは日銭を稼ぐ楽しさを知った。人生が単純になった。今日、生きていくためのお金を稼ごう。嫌なことがあったら我慢しないで、次を探そう。”
  • 「40歳定年」して食っていく、3つの心構えと5つのノウハウ(井上 久男) @gendai_biz

    40歳定年」。その意味は概ね、40歳で自分のキャリアを棚卸して新しいことに挑戦し、健康である限り、生涯現役でいられるような職業人生を送ることである。得意分野を持つサラリーマンがそれを活かして、コンサルタントなどとして独立することや、ポストもなく停滞気味の大企業から事業拡大を狙う元気な新興企業に転職することなどがイメージできる。 筆者は「40歳定年」を実行した人間である。今からちょうど14年前の2004年、その言葉が世間にまだない頃、約13年間勤めた朝日新聞社(経済部記者)を40歳で退社、どこの会社にも属さないフリーのジャーナリストに転じた。 月給とボーナスが確実にいただける身分の安定したサラリーマン記者を捨てて以来、著述業という自営業で何とか生計をたてている。記者は特殊な職業なのかもしれないが、40歳で大企業を辞めてっていくには何が必要かを、自分の経験を踏まえて考えてみたい。独断と偏見

    「40歳定年」して食っていく、3つの心構えと5つのノウハウ(井上 久男) @gendai_biz
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    zilog80 2014/05/26
    “独立して食っていくためには、(ⅰ)自己中心的(自分勝手)であること(ⅱ)興味の対象は広くもっておくこと(ⅲ)不快なことがあってもくよくよと考えないこと”
  • 成功確率が高い人=チャレンジしていない人

    ※image via http://www.asahi.com/ 正直、自分はこれまで成功確率が高い人というのに憧れていたのですが、最近その考え方を変えないとマズイなと思うようになりました。 きっかけは為末さんのツイートです。 スポーツをやっていると、結果が全てだと強く思っている人に時々会う。基的にはそれは動機の強さにつながっていい効果が多いのだけれど、あまりにも結果に潔癖になりすぎると、皮肉な事に結果にこだわりすぎて結果が出なくなったりする。

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    zilog80 2014/03/31
    失敗してもいい。どんどん失敗していい。失敗を恐れて何もしないと成功もありえなしな。
  • 国が定めた「表向きの退職年齢」と「実際の退職年齢」を国家や男女別に比較したグラフ

    byAlex E. Proimos 人生は80代が最も幸せを感じるという研究結果もありますが、幸福な老後を迎えるにあたって重要なのが退職年齢、いわゆる定年です。 日を含めた世界中のさまざまな国において、公的に定められた退職年齢と実際の退職年齢との間にはズレがあるようで、ある国では65歳を退職年齢としていますが、実際にリタイアするのは73歳というケースなどもあります。 表向きの退職年齢と現実の違いは以下から。Effective Retirement Age vs. Official Retirement Age | Graphic.is この画像は「表向きの退職年齢」と「実際の退職年齢」が男女別にまとめられたものです。折れ線状のグラフは「表向きの退職年齢」を表し、棒グラフは「実際の退職年齢」となっています。 まずは男性のグラフ。実際の退職年齢が高い順に見てみると、メキシコがトップで73歳、

    国が定めた「表向きの退職年齢」と「実際の退職年齢」を国家や男女別に比較したグラフ
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    zilog80 2014/02/04
    長く働けるというのはいいことだ。生活のためというのもあるのかもしれないけど、働くというのはそれ以外にもいろいろな意味がある。
  • 未来の働き方を考えよう : 池田信夫 blog

    2013年07月02日08:07 カテゴリ 未来の働き方を考えよう 著者は2010年に外資系企業を辞め、いま流行の「ノマド」的な生き方をしているらしい。元マッキンゼーの伊賀泰代氏だともいわれているが、経歴はほぼ一致する。一度、隣合わせに座ったときも、覆面だったがそんな感じだった。 書のテーマは「人生を2回生きる」ということで、これは私とも共通する。著者は40前後で会社を辞めたらしいが、外資系ではそれほど珍しいことではないだろう。しかし20年前のNHKでは驚天動地の出来事で、部長や人事や組合に呼び出されて大騒ぎだった。そのとき私が思っていたことも、著者とよく似ている。人生80年と考えると、終身雇用のサラリーマン人生の後半には無駄が多すぎるのだ。 特にマスコミでは、40過ぎると現場には出なくなり、各地の放送局や外郭団体の行政職を転々とする。仕事は基的には番組の品質管理で、調整や会議などの

    未来の働き方を考えよう : 池田信夫 blog
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    zilog80 2013/07/02
    40歳定年制も人生を再スタートしやすくするための仕組みだろう。早く導入した方がいい。大きな会社をはみ出した人が次をより生きて行きやすくするために。
  • Make: Japan | Frank Catalfumo:靴を作り続けて70年

    ニューヨークを拠点に活躍する映画製作者で写真家のDustin Cohenは、職人、Frank Catalfumoの短くも美しいビデオプロファイルとフォトエッセイを公開した。91歳のFrankは、1945年からブルックリンのF&C Shoesでの製作や修理を行ってきた。今でも週に5日、息子のMichaelと一緒に仕事をしている。「私は引退はしません。先へ進むだけです。人生は前に進まなければなりません」と彼は話す。4分間のビデオの中で、Frankは、長い間に近所の様子や作りの環境がいかに変化したかを語っている。

    Make: Japan | Frank Catalfumo:靴を作り続けて70年
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    zilog80 2013/04/23
    使い込んでなお現役の美しい道具たちと職人の腕。
  • 流行りの自分語りをしようと思う。俺にもブクマをくれ。

    実家暮らし20代後半独身所得50万借金60万フリーター時々ニート童貞。正規雇用になれなかった下人。 何かを書くまでも無いな。某原発案件の面接を受けに行ったが、受け答えがテンパりまくって不審だったのか、落とされた。誰でも取る訳じゃねーんだな、アレ。よほど危険人物に見えたのかな。 履歴書に書く内容が思い浮かばず何日も立つ。面接の受け答えが分からない。テンパらないで電話をする方法が分からない。職場の人間関係を円滑にするのが分からない。仕事ができるようになるにはどうしたら良いのか分からない。 人の金で生き伸びてきたのが心残りだ。15の時、一度自殺未遂を図ったが、やはりあの時死んでおくべきだったか、と思う。中学の時、僕は20までに死ぬだろうと思った。高校は行かない、大学は行かないと必死に訴えたが、結局は行ってしまった。 しかし、僕はできるだけの事はしたと思う。今の記憶のまま、人生をやり直しても、もが

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    zilog80 2013/04/15
    ハロワで面接の講習会やってたぞ。
  • 田舎はオープンワールドRPGみたいだった - phaのニート日記

    今年の十一月は一週間ほど和歌山県の山奥の熊野のあたりに滞在していたんだけど、東京に帰ってきた今も、あそこで過ごした日々は何か神話とか昔話のようなフィクションのできごとだったように感じる。そこで過ごした時間はそれくらい東京での普段の暮らしとはかけ離れていたんだけど、でもそれは同じ現代の日に存在している暮らしだし、よく考えたらそういう暮らしも全然ありかもしれないし、いい加減東京にも飽きてきたし、ああいう場所に生活の軸を少し移してみようかと考えはじめている。 このあたりには熊野三山と呼ばれる三つの有名な神社(熊野宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)がある。昔から天皇とかが熊野詣をしたり、天皇だけじゃなく一般庶民も詣でまくっていたという歴史があって、最近では神社とその参拝道である熊野古道とがまとめて世界遺産に指定されたという伝統のある土地だ。神話っぽさを感じたのはそういう背景のせいもあるのかも

    田舎はオープンワールドRPGみたいだった - phaのニート日記
    zilog80
    zilog80 2012/11/28
    日本の60万人のニートが、全員こんなニートだったらいいのに。
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