歴史と戦争に関するanatadehanaiのブックマーク (17)

  • 「首を斬る快感」を語るおやじが許せなくて 武田鉄矢さんと父の物語:朝日新聞デジタル

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    「首を斬る快感」を語るおやじが許せなくて 武田鉄矢さんと父の物語:朝日新聞デジタル
  • ネットで「うそつき」と書かれても 語り続ける元731部隊員の覚悟:朝日新聞デジタル

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    ネットで「うそつき」と書かれても 語り続ける元731部隊員の覚悟:朝日新聞デジタル
  • バーベンハイマーの原爆ミームへの抗議は、アメリカ人側となぜ全く噛み合っていなかったのか|THE MAINSTREAM(沢田太陽)

    どうも。 なんか日で話題になってましたね。 このブログでも7月20日の週あたりから報じていました「バーベンハイマー」。「バービー」と「オッペンハイマー」、この2つの批評的評価の高い映画で、アヴェンジャーズの「エンドゲーム」以来の興行的大成功を得たという話。続編映画しか当たらないハリウッドの状況に一石を投じるすごくポジティヴなものとして世界の映画ファンの間ではかなり好意的な感じで受け止められてました。 ところが こうした原爆を茶化しているのかと思えるミームが出回りまして、これに対してワーナーの「バービー」の公式が「忘れられない夏になる」、あるいはキノコ雲を髪型にして「いかしたスタイリスト」なるレスをやっちゃったんですね。 これが日人の逆鱗に触れて猛抗議が起きまして、「バービー」の公式が日人の投稿で荒れまして、日の公式、さらにアメリカのワーナー社が謝罪するという事態に出て、 こういう

    バーベンハイマーの原爆ミームへの抗議は、アメリカ人側となぜ全く噛み合っていなかったのか|THE MAINSTREAM(沢田太陽)
    anatadehanai
    anatadehanai 2023/08/04
    "日本が自分たちの戦争犯罪を認めた上で、その上でかつ、「それでもあの原爆でウケた日本の傷は大きかったのだよ」という風に言っていくのでないと" これは全くその通りですよね。
  • 日中戦争の戦地で何が起きていたのか 従軍日記に「加害の日常」淡々と|社会|地域のニュース|京都新聞

    1939年、日中戦争の従軍中に撮影された小林太郎氏の写真(8月8日、京都市北区・立命館大国際平和ミュージアム) 日中戦争に約2年間従軍した男性の日記が、遺族から立命館大国際平和ミュージアム(京都市北区)に寄贈された。中国軍の敗残兵や農民を殺害した「加害の日常」を淡々とした筆致で書き残しており、ミュージアムは「普通の市民だった末端の日兵が、罪の意識もなく残虐な行為に及んでしまう戦争の恐ろしさを伝えている」としている。 京都市伏見区に司令部があった陸軍第16師団第9連隊に歩兵一等兵や上等兵として所属した小林太郎氏=1972年に61歳で死亡。37年8月に召集されて39年8月に帰国するまで、天津の戦闘や南京占領などに加わった。出征当時は27歳で、京都市左京区に籍があり、前年に日大学工学部を卒業していた。 日記は縦23センチ、横19センチで厚さ6センチ。従軍中のメモを帰国後にまとめたとみられ、

    日中戦争の戦地で何が起きていたのか 従軍日記に「加害の日常」淡々と|社会|地域のニュース|京都新聞
  • 安野光雅 19歳で召集されると棒で殴られ、ギザギザの茎の上を裸足で歩かされて。いやだったのは『戦争』そのものじゃない。意味なんかない、上官の楽しみのための「いじめ」だった 私と戦争|人間関係|婦人公論.jp

    終戦から77年。戦争の時代に少年少女だった人たちが高齢になっています。平和な時代を生きる私たちにとって戦争は無縁に思えますが、過去の大戦を体験した人々も、平穏な日常生活を送っていたのです。画家、絵作家、装丁家として幅広く活躍し、2020年に逝去された安野光雅さんもその一人。その緻密で不思議な作品世界は、国境を越えて子どもから大人までを魅了し続けていますが、安野さんは19歳の時に召集されて兵隊になりました。安野さんの体験した「戦争」とは──(聞き手=堤江実 撮影= 藤澤靖子) 「生きて虜囚の辱を受けず」 僕は最後の兵隊なんですよ。僕より下に兵隊はいなかったから、ずっといじめられっぱなしで、いじめたことがない。(笑) 生まれたのは1926年3月20日です。島根県の津和野で旅館を営む両親のもとに生まれました。早生まれで体は小さかったけれど、すごく元気な子どもだったの。何しろ赤ん坊の品評会で健康

    安野光雅 19歳で召集されると棒で殴られ、ギザギザの茎の上を裸足で歩かされて。いやだったのは『戦争』そのものじゃない。意味なんかない、上官の楽しみのための「いじめ」だった 私と戦争|人間関係|婦人公論.jp
    anatadehanai
    anatadehanai 2022/08/14
    "アメリカと戦争していたって、アメリカに憎い人なんか誰もいない。ロシアにも中国にも。でも強引に憎しみをかきたてて戦争していた。"
  • https://twitter.com/zackys/status/1539434505395912704

    https://twitter.com/zackys/status/1539434505395912704
  • 水木しげるが50年前に書いた文章が発掘...「ぼくが書きたいのは敗け戦の話だったんだがそれは許されないのだ」 (2017年5月13日) - エキサイトニュース

    そこにはこんなことが書かれていた。 〈戦記物は勝たないとつまらないらしく「レイテ海戦」なぞかくとトタンに売れなくなるのだ。(中略)ぼくが書きたいのは敗け戦の話だったんだがそれは許されないのだ。少年たちは花々しいガダルカナル戦あたりまでしか読んでくれないのだ。だからがあいついで売れるためには戦争に肯定的にならざるを得ない。自分が思ったことを書いて売れるなんて、マンガはソンナもんじゃない〉(原文ママ) 水木しげるといえば、まず思い浮かぶのは『ゲゲゲの鬼太郎』をはじめとした妖怪漫画の数々だが、ご存知の通り、漫画家としてのもう1の柱として、自身の戦争体験を多分に反映させた戦争漫画を描き続けてきた作家でもある。 水木はこの文章が書かれた数年前から「少年戦記」という、貸向け戦記もの漫画専門誌の編集を任され、自身もそこに寄稿していた。そこで、読者にどんな漫画がうけるのか色々と試行錯誤していたのだが

    水木しげるが50年前に書いた文章が発掘...「ぼくが書きたいのは敗け戦の話だったんだがそれは許されないのだ」 (2017年5月13日) - エキサイトニュース
    anatadehanai
    anatadehanai 2022/05/30
    "自分としては、下級兵士たちのカッコ悪い日常を描くことで意味もなく死んだ彼等の無念さを伝えたいと考えたのです"
  • 宗教界の歴史認識~戦争責任表明とその後(年表付き) | 宗教情報センター

    【国策について】いずれも戦争協力した過去を教団の過ちと認識しているが、ほとんどの教団が国策や軍部の圧力について言及している。戦争協力については、当時は仕方がなかったという意見も多いが、自ら進んで協力したという指摘もある[16]。国策の影響は事実かもしれないが、反省の弁にしては責任転嫁や被害者意識がうかがわれる。 【アジアの人々について】アジア諸国の人々に対しては、1995年の村山談話でも「植民地支配と侵略」の被害者として謝罪がなされた。被害者としての認識が広く共有されており、教団の交流相手として意識されているためか、ほとんどの教団が犠牲者として言及している。仏教教団では「懺悔」が多いため謝罪対象が明確ではなく、懺悔以上に踏み込んで謝罪した教団は、曹洞宗と日基督教団のみである。また、教団が直接の加害者として宣撫工作したなどの表明は、曹洞宗のみである。ただし、曹洞宗の歴史認識は後日に揺らいで

    宗教界の歴史認識~戦争責任表明とその後(年表付き) | 宗教情報センター
  • 沖縄「10・10空襲」高校教科書にない…無差別攻撃も「なかったこと」に 文科省検定 - 琉球新報デジタル

    10・10空襲によって破壊される那覇の街 =1944年10月10日(沖縄県公文書館所蔵) 文部科学省は29日、2023年度から高校生が使用する教科書の検定結果を公表した。「日史B」に代わる新設の選択科目「日史探究」の清水書院の教科書では、太平洋戦争時の空襲について「最初の無差別攻撃は、1945年3月10日未明におこなわれた東京大空襲」として、44年10月10日に沖縄であった10・10空襲を無視した記述があった。また検定に合格した5社7冊全てに10・10空襲の説明記述はない。沖縄戦の「集団自決」(強制集団死)についても「軍命」を明記した教科書はなかった。 文科省は清水の空襲の記述について、同内容を記した歴史書籍が多数出ていることを理由に「誤りとは言えない」と回答した。検定意見は付かなかった。 10・10空襲は、米軍が第5次攻撃にわたって島と周辺離島に爆弾や焼夷(しょうい)弾を投下した。

    沖縄「10・10空襲」高校教科書にない…無差別攻撃も「なかったこと」に 文科省検定 - 琉球新報デジタル
    anatadehanai
    anatadehanai 2022/03/31
    空襲もだし、沖縄住民が「日本軍に殺された」という事実は全国の学校できちんと教えるべき。知っているかどうかで戦争というものへのイメージがかなり変わるはず。
  • 「銃後の女性たち〜戦争にのめり込んだ“普通の人々”〜」 - NHKスペシャル

    「銃後の女性たち〜戦争にのめり込んだ“普通の人々”〜」初回放送日:2021年8月14日 かっぽう着にたすき掛け。戦時中のドラマでたびたび登場する「国防婦人会」の女性たち。新たに発見された資料や取材から、戦争を支えた女性たちの意外な「思い」が明らかになった。女性の活躍の場が少なかった時代、国防婦人会への参加は「社会参加」の機会だった。「社会の役に立ちたい」と懸命に生きた女性たちがなぜ自身を抑圧するようになったのか。戦争に協力していった女性たちの、これまで語られてこなかった心の内に迫る。

    「銃後の女性たち〜戦争にのめり込んだ“普通の人々”〜」 - NHKスペシャル
  • 「空襲は怖くない。逃げずに火を消せ」――戦時中の「防空法」と情報統制/大前治 - SYNODOS

    空襲の安全神話 1枚の写真をご覧いただきたい。 畳の上に炎があり、男女3人が水をまいている。昭和13年に東部軍司令部の監修で作られた12枚組ポスターの一つで、今でいう政府広報である。表題には「落下した焼夷弾の処理」とある。 それにしても不思議な光景である。屋根を突き破って落ちてきた割には弱々しい炎。天井や畳は燃えていない。焼夷弾の間近に迫って怖くないのか。アメリカ軍の焼夷弾はその程度のものなのか。一杯目のバケツで水をかけた後は、一体どうするのか。この一つの炎のために次々とバケツリレーをするのか。謎が深まる。 もう1枚。同じ12枚組の1つである。 ショベルの先に小さな「焼夷弾」らしき物体があり、「折よくば戸外に投出せ」と書かれている。こちらも、畳や障子はまったく無傷である。 こんな対処法が可能とは思えない。実戦で使用された焼夷弾は、発火装置と燃焼剤が一体となっており、投下されると数十メートル

    「空襲は怖くない。逃げずに火を消せ」――戦時中の「防空法」と情報統制/大前治 - SYNODOS
    anatadehanai
    anatadehanai 2021/08/04
    これ本当にこの通り学校で習ったと当時中学生だった人に聞いた。「まずよく見て、爆発したらバケツの水をかけろ、爆発しなかったらスコップですくって窓から放り出せ」と言われたとか。
  • 「シュン@ひろしまタイムライン」について出典元やその他の書籍との比較 - 電脳塵芥

    「シュン@ひろしまタイムライン」についての朝鮮人記述と実際の「日記」との比較 - 電脳塵芥 NHKが出典としている『激動の昭和史を生きて : 戦争の時代を乗り越え半世紀』を読んだので新しく記事を……、なのですがその前にタイムリーにも新井氏が朝日新聞の取材に答えていたので、その記事を少しだけ引用します。 "新井の日記をシュン日記として出すのは、私の日記の偽造では」と言った。すると担当者が、「新井さんの日記を原作として、子どもたちと一緒に創作をしている」と言った。私はそんなことを許した覚えは一切ないと激怒” (中略) ――「朝鮮人の奴(やつ)らは『この戦争はすぐに終わるヨ』『日は負けるヨ』と平気で言い放つ」という6月16日のツイートも問題となっています。 朝鮮人の「奴ら」とかは一切話をしておりません。「軍国少年」シュンちゃんの日記だから、子どもたち(投稿を担当した高校生たち)がそういう表現で

    「シュン@ひろしまタイムライン」について出典元やその他の書籍との比較 - 電脳塵芥
    anatadehanai
    anatadehanai 2020/09/09
    前回に続き詳細な検証ありがたい。しかしなんでこれをNHKがやらずに一ブロガーがやってるんだ?という根本的な問題が……
  • 膨大な「反戦」「不敬」発言の集積 書評:髙井ホアン著『戦前反戦発言大全』『戦前不敬発言大全』 - 虚構の皇国

    歴史修正主義な御仁がよくふりまわす言葉に「現在の価値観で過去を断罪するな」というものがある。たとえば、日中戦争当時の帝国臣民が南京陥落を受けて提灯行列に繰り出してバンザイバンザイとはしゃぎまわったことも、「戦後の平和主義から見ると異様だろうが、当時としてはあたりまえだった」的に使用する。大日帝国による欧米植民地への侵略をはじめ日軍の捕虜虐待や華僑系住民の虐殺などなど、枚挙にいとまがないひでえことがらの数々を正当化してゆくためにも、この論は駆使されている。 この「現在の価値観で過去を断罪するな」という愚論については、E・H・カーの「歴史は現在と過去の対話である」をひきつつ、歴史を見る主体と歴史的過去との関係から〈歴史とは何か〉に及ぶまじめな考察も可能だろう。しかしその前に、この論が前提としている「現在の価値観」とそれに対立する「過去の価値観」なるものが、そもそもよくわからないしろものなの

    膨大な「反戦」「不敬」発言の集積 書評:髙井ホアン著『戦前反戦発言大全』『戦前不敬発言大全』 - 虚構の皇国
  • 「シュン@ひろしまタイムライン」についての朝鮮人記述と実際の「日記」との比較 - 電脳塵芥

    続編的記事。 「シュン@ひろしまタイムライン」について出典元やその他の書籍との比較 - 電脳塵芥 NHKの「ひろしまタイムライン」というツイート企画の中で以下の内容が投稿されました。 この企画は1945年の広島を生きた3人の日々をSNSで毎日発信するというものでありますが、その内容は原そのままではなく原となる日記をもとに今の10代の若者たちがアレンジして発信というもの。上記の「朝鮮人」記述は現代の差別的状況を鑑みた場合や戦争への反省、加害責任を考えた場合には前提となる知識や注釈なしで情報を発信するにはあまりにも迂闊な事であり、朝鮮人が受けてきた被害の歴史をある時点での来比較にならないほどの「加害」によって日人が与えてきた加害を感情的に相殺させる作用さえあります。また戦後に朝鮮人による暴力事件があったのは事実でありますが、それを在特会などが誇大的に発した「朝鮮進駐軍」という【デマ*1

    「シュン@ひろしまタイムライン」についての朝鮮人記述と実際の「日記」との比較 - 電脳塵芥
    anatadehanai
    anatadehanai 2020/08/23
    非売品の日記原文との対照など、迅速な作業に感謝。この件いろいろな問題があるが、まず事実を確認することは重要。
  • 人種差別を流布した「ひろしまタイムライン」に「表現の不自由」を見る - 法華狼の日記

    原爆投下時の広島にSNSがあったという仮想で、過去を現在に再演するNHKの企画が「ひろしまタイムライン」。 1945ひろしまタイムライン|NHK広島放送局 当時を記録した3人の日記を細分化して編集し、現在の日付にあわせて実際にツイッターへ投下していく。 そして中学一年生の日記にもとづくアカウントが投下したツイートひとつが、民族差別をあおる状況になっている*1。 【1945年8月20日】 朝鮮人だ!! 大阪駅で戦勝国となった朝鮮人の群衆が、列車に乗り込んでくる!#ひろしまタイムライン#もし75年前にSNSがあったら— シュン@ひろしまタイムライン (@nhk_1945shun) 2020年8月19日 【1945年8月20日】 朝鮮人だ!! 大阪駅で戦勝国となった朝鮮人の群衆が、列車に乗り込んでくる! 一応、内容が人種差別を扇動するものであれ、当時の幼い視点による生の感情を記録したものとして興

    人種差別を流布した「ひろしまタイムライン」に「表現の不自由」を見る - 法華狼の日記
  • 6月16日・8月20日のツイートについて | 被爆75年ブログ|NHKブログ

    6月16日、および8月20日にシュンが発信したツイートについて、多くの方々から、さまざまなご意見をいただきました。一連のツイートは、被爆された方々の手記やインタビュー取材に基づいて掲載しましたが、「差別を助長しているのではないか」というご批判も多数いただきました。戦争の時代に中学1年生が見聞きしたことを、十分な説明なしに発信することで、現代の視聴者のみなさまがどのように受け止めるかについての配慮が不十分だったと考えています。 また、手記を提供してくれた方が、1945年当時に抱いた思いを、現在も持っているかのような誤解を生み、プロジェクトに参加している高校生など関係者のみなさんにも、ご迷惑をおかけしたことをおわびいたします。 「1945ひろしまタイムライン」は、戦後75年がたち、戦争や原爆の記憶が薄れつつあるなか、若い世代に関心を持ってもらうため、身近なメディアであるSNSと放送を連動させた

    6月16日・8月20日のツイートについて | 被爆75年ブログ|NHKブログ
  • 特攻隊員の自爆機が敵に突っ込んでいく時、なぜ基地の無線で「最後の瞬間」を聞いていたのか | 文春オンライン

    パイロットが搭乗したまま航空機を敵艦に突っ込ませる特攻隊の「体当たり作戦」は、「私には、100パーセント死ぬ命令をだすことはできない」と語った海軍航空部隊の隊長がいたというほど、生還の望みをもてないものだった。 作家・保阪正康さんの著書『昭和史七つの謎と七大事件 戦争、軍隊、官僚、そして日人』(角川新書)より、特攻の始まり、そして特攻隊員たちの知られざる音について一部を抜粋する。 ◆ ◆ ◆ 特攻の始まり 初めて戦術としての組織的な特攻隊の出撃は、昭和19年10月25日。海軍の神風特攻隊である。 この年、各地の守備隊が次々玉砕するなど、戦況は著しく日に不利となった。軍事指導者たちの無能ぶりからなんら打開策が見いだせないまま、戦争はズルズルと泥沼に陥り、犠牲者をいたずらに増やしていた。その中から出てきたのが「体当たり攻撃」作戦だった。 まず海軍が、人間魚雷「回天」を開発した。もっとも初

    特攻隊員の自爆機が敵に突っ込んでいく時、なぜ基地の無線で「最後の瞬間」を聞いていたのか | 文春オンライン
    anatadehanai
    anatadehanai 2020/08/07
    「海軍の馬鹿野郎」と叫んで死んだ者もいれば、本気で「天皇陛下万歳」と叫んだ者もいる、というのが当時にすらあった個人の多様性ということだろうけれど……ともあれ特攻作戦自体の愚劣さは疑いを容れない。
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