「自転車を盗む奴とか傘を盗む奴に罪悪感がない」という事を知って驚いた話。 話してくれた人は若いけど割と普通の人だっから更に驚いた。今の自転車は色付きの鍵2つです。 https://t.co/B8lQKSlRah
2017年05月04日18:00 人を傷付けて喜んだり満足する人間が理解できん Tweet 1: 名無しさん@おーぷん 2017/05/04(木)09:59:51 ID:bJN 自分がされたら嫌やん 相手の気持ち考えてみたらええのに ネットの怖い話で打線組んだ http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/5208295.html 2: 名無しさん@おーぷん 2017/05/04(木)10:00:56 ID:7sV 理解できんって馬鹿にされて傷付いたわ こっちの気持ち理解してほしい 3: 名無しさん@おーぷん 2017/05/04(木)10:02:01 ID:bJN >>2 頑張る だから教えてや 4: 名無しさん@おーぷん 2017/05/04(木)10:03:04 ID:2BX 自分がされて嫌なことだからこそ嫌いな相手にするんやで 7: 名無しさん@
なぜ危険を冒してまで誘拐した子供をさらった挙句、殺すのか疑問だった。 何となく想像で、さらったらなるべく長い間見つからないように監禁して愛玩するんじゃないのかね?と思っていた。 近ごろロリコン(犯罪は犯していない)と知り合いになったので疑問をぶつけたみたところ、納得いく回答をもらった。 いわく「さらったロリがママじゃなかったから失望と混乱で殺すんじゃないか」とのこと。 まず、筆者は「ロリコンは子供の幼稚な外見・中身が好き」と考えていたのだが、そこが間違いなのだという。 「ロリコンは幼い外見をして、かつ中身は聖母の精神を宿した子供が好き」なのだそうだ。 いわゆる「バブみ」というやつはネタじゃなかったらしい。 で、当然、リアルの子供は性欲をぶつけてくる大人に対して恐怖と混乱しか示さないわけで、 現実を突きつけられて「お前は違う! お前なんか違う! 何で!」ってなるんじゃないかなあ、と知り合いの
最近、書店に入ると、心理学の本が平積みされているコーナーが目立つ。中でも、数多くの類書が出ているのが、「アドラー心理学」だ。ところが、「これらの中にはアドラーの本当の教えを誤解しているものが少なくない」と、哲学者の岸見一郎氏が警鐘を鳴らしている。岸見氏はアドラー心理学ブームを作った『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)の共著者。では、アドラーが本当に伝えたかったのは何なのか。岸見氏が世に広がる誤解を解きほぐす。 言葉は真理を伝えられるのか 仏陀は菩提(ぼだい)樹の下に座して悟りを開いた後、自分が悟ったことはあまりに深く微妙なので、それを説いたところで理解されず、誤用する人も現れるだろう、それなら、このまま沈黙を守り、直ちに涅槃(ねはん)に入るに如(し)くはない、と考えたのです。 しかし、ためらう仏陀が、再三再四説得されて説法をしたからこそ、仏陀の教えは誤解されもしましたが、今日まで伝えられるこ
株式会社フジテレビジョン 『嫌われる勇気』製作責任者御机下 非営利社団法人日 本アドラー心理学会(以下、 「本学会」と称します)は、国際 アドラー心理学会連合 International Association of Individual Psychology の 連携機関とし て、アルフレッド・アドラーの心理学の研究と啓発を目的として設置された組織で す。約1千名ほどの会員を擁し、研究集会の開催、研究誌の発刊などを行なってお ります。 さて、貴社が製作・放映しておられますドラマ『嫌われる勇気』の内容について、 きわめて重大な問題があると認識いたしまして、善処をお願いいたしたく本書状を さしあげます。これに先だって、図書『嫌われる勇気』の著者、岸見一郎氏にご事 情を伺った上で、貴社に本状をお送りすることをお伝えしております。 貴番組のアドラー心理学理解は日本及び世界のアドラー心理学における
私はとても真面目だ。制服のスカートを折ったことも無いし、メイクをして学校へ行ったことも無い。課題は確実に出していたし、授業中自分から話したり、先生に横暴な態度を取ることも無かった。 私は母子家庭で育ったが、祖母と兄と母と一緒に暮らしていて、親戚同士の仲も良好だったため、たくさんの人に愛されて育ってきたと自負している。小学生の頃いじめられ、中学校に入ってから全く学校に通えなくなった時も、母が私のためを思い「どうして学校に行かないんだ」と怒られたことがあるこそすれ、無理やり学校へ行けと怒られたこともなく、なんなら「中学三年間なんてこれからの人生に比べれはちっぽけな時間なのだから、ゆっくり休めばいい。好きなことをしなさい」と言ってくれたおかげで、私は無事に高校へ進学した。 多少の家庭問題はあれど、それでも余るくらいに私は愛されてきた。ひきこもろうがどんなに反抗しようが、それでも常に私の心配をして
ところで私は、かつて「手を動かさない人」でした。 仕事にせよ、勉強にせよ、創作にせよ、音楽にせよ、どんなことでも「ごちゃごちゃ考えているより、まずやってみて場数をこなした方がスキルは育つ」というのは、大体の場合で当てはまる普遍的なセオリーであると思います。 ゲーム開発、アプリ開発なんかでも、実績を残している人はみんな「いいからまずやってみろ」って言いますよね。 手を動かすこと、超大事です。手を動かすことによって、課題が生まれ、自信が生まれ、ノウハウが蓄積されていく。頭で考えているだけでは何も始まりません。考えたものは、出力しなくてはいけません。 ところが、世の中には「手を動かさない人」がいます。取り敢えずやってみろ、というアドバイスを受けつつも、なかなか「取り敢えずやってみる」という実施タームに移れない、もしくは移らない人ですね。先日、Books&Appsさん内でもそれについての記事が掲載
夢見がちでまじめなうお座A型、社会人14年のうちフリーランスを10年もやりましたが、相変わらず人見知りですぐに自信をなくしてしまいます…。そんなわたしですが、最近ではこうやってブログやセミナーで自分の考えを発表する機会も増えてきました。「自信がない」じぶんとのつきあい方について書いてみたいと思います。 自信とは何か わたしにとって自信とは、「MP(マジックパワー)」のようなものです。その自信(MP)の根拠は、これまでの経験や他人から得た評価です。 じぶんを評価されるということ 人の評価というのは大きく2つあります、今回は「事実起因評価」と「感情起因評価」と呼ぶことにします。 学校や仕事で、評価を受けるときの物差しは、主に「事実起因評価」です。 しかし、人の能力というのはこれまで培ってきた感性というものと深く関わりがあります。例えばわたしはデザイナーですが、じぶんのデザイン能力や感性は「これ
災害や事故で大きな被害が出た時、あるいは不正行為や犯罪が明らかになった時、マスコミによる集中豪雨的な報道がなされることがある。そして往々にして、悪者探しが行われ、何が原因であるのかより、誰が悪いのかが追及される。すなわち、責任主体が不明確な場合でも、特定の人や集団がターゲットとして選び出されて非難されることもしばしばである。 これは、人が曖昧な状況やフラストレーションに長時間は耐えきれず、早急に責任者を選び罰することによって心の安寧を回復しようとするためであると考えられる。このような現象がスケープゴーティングであり、その対象となったものがスケープゴートと呼ばれる。 様々なスケープゴーティングが考えられる。例えば「いじめ」である。いじめられっ子の存在により学級の安寧が保たれている可能性があるため、その子がいなくなれば、別の子が対象として選び出される可能性が高い。それからいわゆる「バッシング」
心が弱い人と強い人のちがい ある人が自殺したときに、「そんなことで死ぬなんて」と言う人がいます。 Aさんには「そんなこと」でも、Bさんには同じことが死ぬほど苦しい場合があります。 たとえば、身長148cmのきゃしゃな人と、身長190cmの筋骨隆々な人がいるとします。 どちらが肉体作業に向いていないかは一目で分かるでしょう。 そんなふうに、心が弱い人と強い人のちがいが一目で分かるといいなと思い、それぞれの心の許容量を入れ物にたとえてみました。 心が弱い人は、口は大きいのに容量は小さい、不安定な入れ物です。 同じ量の雨(つらいこと)が降っていても、心の弱い人の入口(感受性)は広いため、雨がいっぱい入ってきます。 なのに、容器(心の許容量)は小さいため、すぐにあふれてしまいます。 また、同じ量の雨でも、一つ一つの雨つぶ(つらい事実)の受けとめ方も、弱い人と強い人ではちがいます。 たとえば、「家族
タイトルで大体完結しているんですが。 世の中には、「〇〇全然面白くなかったんだけど、これのどこが面白いの?」と悩んでいる人がどうもたくさんいるようで、「どこが面白いの」でぐぐっただけで実に400万件ものページがhitします。ダブルクオーテーションで括って、”どこが面白いの”でぐぐっても16万8000件です(しんざき環境で) ぐぐっただけの話ではなく、SNSだニュースサイトだはてブだといったいろんなページを見て回っても、「〇〇のどこが面白いんだ!」と叫んでいる人は山のようにいます。で、その人にわざわざ面白さを伝えようと頑張ったり、その人を攻撃しにいっちゃう人もたくさんいます。 結論から言いますと、面白さが分からなかった作品について、「これのどこが面白いのか?」と悩むことは時間の無駄です。その人に、「〇〇は××だから面白いんだよ!」と説明することも時間の無駄です。まだその時間を使って、スキタイ
幼い頃から、自分が生まれてきたことに負い目を感じてきた。それを克服できたと思っていたけれど、本当は何一つ変わっていなかった。 両親は若い頃共に夢を追っていた。私が生まれたことでそれを叶えることが出来なくなった。もともと堅実な生活をする道から外れてきた人たちだから、私を養うことが難しく、常に家計は逼迫していた。両親は必死に働く中ですり減っていった。それが私のためにされていることだということは、幼い頃から言い聞かされてきたから分かっていた。私はいつもありがとうと言っていた。でも本当は、その愛情が苦しかった。 私が生まれなかった人生だったら、二人は歌と絵で成功することができたかもしれない。芸術家として生きることができたかもしれない。その可能性を潰したのは私だ。だから、私なんていなければよかったのにと、いつも思っていた。そのことを口にしたことはない。口にしてしまえば、その愛情を裏切ってしまうから。
こんにちは。ヨッピーです。 よく「目が死んでる」と言われますが、目以外は一応生きています。 さて、最近「瞑想」が流行りつつあるのをご存知でしょうか。 なんでも、生活に瞑想を取り入れることで、 集中力が上がる 記憶力が上がる ストレスが減る などといった効果があるということなのですが、 僕が最初にその話を聞いたときは「瞑想? そんなもんどうせ嘘でしょ? 気のせい気のせい! 完~全に気のせい!」なんて思っていたのに、 Appleの創業者であるスティーブ・ジョブズが瞑想を行っていたとか、Googleでも瞑想のプログラムを取り入れて実践する社員が増えているっていう話もありますし、ハーバード大学などの研究*1によって、「どうやらマジで瞑想って効果あるらしいで」みたいなことが証明されつつあるようです。マジかよ。集中力ないし記憶力もないし嫌なことがあるとすぐ歌舞伎町に逃げ出す僕がこれ身に着けたら最強やん
今日は「自己肯定感」の話。 ちょっと重い話だけど、いつか書かなくちゃな~と思ってて。 これ、すげ~大事なんだよね。 人生を左右する。 致命的なまでに。 「自己肯定感」とは何だ? まず一応、自己肯定感って何よ?っていうのをザックリと。 読んで字のごとく 「自己を肯定する感覚」ですね。 (当たり前っちゃ当たり前か) 「自分には価値がある」 とか、 「自分は素晴らしい存在だ」 みたいなことを漠然と感じてるわけですよ、自己肯定感が高い人っていうのは。 まず、そこからスタートだと思うんだよね、人間って。 これって遺伝とか、子供(特に乳幼児)の時の育てられ方に左右されるらしいんだけど。 「自分はこの世に存在していてOKなんだ」っていう感覚がまず最初に無いと、本来はその次のステップには進めないワケですよ、実を言うと。 だって、自分自身のことを 「この世にいなくていい存在、いちゃいけない存在」 って思いな
2016年09月17日16:00 回避性人格障害のやつwwwwwwwwwwwww Tweet 1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/09/14(水) 00:05:34.43 ID:yWWU1qbqr ・恥をかく、批判されることを怖がってチャレンジができない ・他者からの拒絶や馬鹿にされることを恐れるあまり信頼関係を築けない ・人と交わることを恐れ、社会的または職業的活動を避ける ・好意を持たれていると確信しなければ人に近寄れない ・人といる時に、いつも通りの自分を出せない ・人より長所が少なく、劣等感を強く持っている これあてはまったら回避性人格障害やぞ 転載元:http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1473779134/ 淡々と画像を貼るスレ 奇病・奇形編(閲覧注意) http://blog.livedoor.jp/nwk
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