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yamashiroに関するdrillbitsのブックマーク (44)

  • やましろさんとの思い出、そして送別会 #ymsr - 伝説の講義

    下書きのままにしてたらしいので、こんなに遅れて公開。 自分語り 元々生まれついての運命なのか、私は小さい頃から身近な人がいきなり亡くなる体験を度々体験していた。仲の良かった友達が突然事故死するとか、担任の先生が、夜呑み過ぎて田んぼに落ち、亡くなってしまうとか。また心臓が弱い家系なので、親戚の死因はほとんどが突然の心臓発作。去年も身内を亡くし、あとついでに愛もたった2週間で亡くすといった不幸が立て続けに起きた。流石厄年半端ない。 その結果、どんなに親しい間柄でも、挨拶もなしに突然別れを告げられる可能性は常にある、死はごく身近にある、という認識を持ちつつ育つことになった。だから人の死に対して割と冷淡なリアクションになるのは、少し申し訳ないとは思っている。 またこれは同時に、自分に対しても同じ事が言える。自分の近くにも死神は常にいて、たまたま鎌を振り下ろさないだけだ。だからこそ、自分は行動指針

    やましろさんとの思い出、そして送別会 #ymsr - 伝説の講義
  • yamashiroさんのこと #ymsr

    既に色々な人が言及していますが、去年java-jaの @yamashiro さんが亡くなりました。 先日、 ymsr送別会 にも参加してきました。 私が初めてyamashiroさんの訃報を知ったのは、去年のjava-ja忘年会でした。 幹事がyamashiroさんから @meso さんに交代してこんなツイートがあった時 今読み返すと少し畏まっていて違和感がある文章ですが、この当時は亡くなったという発想が全くなく、それだけに当日の訃報が衝撃的でした。 yamashiroさんとは特別親しかったわけでもなく、あまり書けるような思い出はないのですが、最初にお会いした(というか私が見かけた)のは、たしか 第二回Scala会議 だったと思います。 休憩中、エンジニアの集まりでありがちな光景ですが、みんな人見知りであまり会話もない時間帯がありました。そんな中「なんだ、みんなあんまり喋らないんだなあ」とニ

  • 2014.02.15 第一回チキチキ java-ja ymsr 送別会

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    2014.02.15 第一回チキチキ java-ja ymsr 送別会
  • またな、山城。 - 都元ダイスケ IT-PRESS

    「第一回チキチキjava-ja ymsr送別会」に行ってきた。 ちょっと湿っぽくなった瞬間もあったけど、笑いの絶えない良い会だった。 あいつは絶対準備して待ってる。 というわけで、その時が来たら、「第一回チキチキjava-ja ymsrによる歓迎会」に参加しようと思う。 しばらく待ってろ。

    またな、山城。 - 都元ダイスケ IT-PRESS
  • ymsr送別会

    Takuto Wada @t_wada .@yamashiro と知り合った頃の思い出や最後に遊んだときのことなどを書きました / “#ymsr 送別会に行ってきた - t-wadaのブログ” http://t.co/tMPKmc6C4w 2014-02-16 04:14:55

    ymsr送別会
  • 大切なことは全てyamashiroが教えてくれた #ymsr - 無職?エンジニア?の日々

    タイトルについて、異論は認める。 でもそんなに間違っていない。 Yamashiro0217の日記 やましろさんのブログを読むのが実はすきだった。 マサカリを投げているのを見るのが痛快だったな。 でももう更新されない。。 最後に会って話したのは、 去年の8月14日になったと思う。 自分の夏休みの帰省時に、銀座で集まった。 まさかこんな事になるとは思っていなかったし、 ゲスなことしか話さなかったと思う。 覚えてない、飲み過ぎた。。 でも銀座のど真ん中で胴上げしてもらった。 昨日、そのやましろさんの送別会で東京へ行った。 やましろさんなら花火があがったくらいで、出て来て あるいはだれかのLTでネタばらしがあって 3ヶ月に及ぶ壮大な釣りが完結するはずだった。 そして大ブーイングを浴びせるはずだった。 でも死んだ事、受入れるしかないのだろう。 さよならだけが人生だ。

    大切なことは全てyamashiroが教えてくれた #ymsr - 無職?エンジニア?の日々
  • 山城さんの送別会に行ってきた - heroween.log

    昨日、山城さんの送別会に行ってきました。 http://ymsr.peatix.com/ ブログに書くまでがjava-jaという訳で、はてブロ作って書きました。 経緯 山城さんが亡くなった事を知ったのは1月のこと。 送別会の参加募集ページの方を先に見つけ、内容からjava-jaの悪ふざけだろうと断定し、山城さん海外にでも行くのかな?くらいに思っていたのですが、その後に太一さん経由で事実を知った会社の同僚から、当に亡くなったそうだと教えられました。 私は山城さんとは顔見知り程度の仲で、さほど親しかった訳ではありません。しかし、同年代でありながら、java-jaやその他の勉強会で大いに活躍される姿を遠巻きに見ていて、彼に対しては正直なところ憧れを持っていました。 彼の死というものは、私にとっても少なからず衝撃でありました。 親しい方が多かったであろう山城さんの送別会への参加は、多少憚られたの

    山城さんの送別会に行ってきた - heroween.log
  • 親友のymsr先生が死んだ。 - 想像の斜め上から

    ymsrさんと初めて会ったのは、たぶん2004年の12月くらい。私が当時学生で、バイトしてた店によく来ていた。んで2005年4月くらいに@rimirimiと3人で遊びに行ったのが、初めて店以外で会ったときかな。そのときに「経験人数教えて」とかいきなりゲスいこと聞かれたのは今でもよく覚えてる。 それからはほんとによく遊んだ。色んなところに行った。特にカラオケとメイド喫茶は数え切れないくらい行った。@mikimofuと4人で鍋したり、高いとこが好きだから色んな展望台にもよく行ったし、マクロスとかグレンラガンとかけいおんの映画みに行ったり、コミケもいつも一緒に行った。新橋は混んでるから豊洲で待ち合わせるのが定番で、ゆりかもめの先頭陣取って、帰りはららぽーとをぶらぶらしたりymsrさんの恋愛相談にもよく乗った。でもいつも成就しなかった。 彼がビリーズブートキャンプのビリー隊長のコスプレをしたときは

    親友のymsr先生が死んだ。 - 想像の斜め上から
  • ymsr送別会へ行ってきた - 虎塚

    土曜日、ymsr送別会へ行ってきた。 やましろさんがその場にいる皆に愛されていたことが分かるイベントだった。送別会の概念が自分の中で覆るくらい、あるいは一周してしっくりくるくらい盛り上がっていた。参加した人から、「これ絶対頭おかしいですよね」と何度か確認された。(特に、遺品を奪い合うゲーム大会の後、景品のMacBook Airでスイカを割って、皆で故人を偲ぼうとしたあたりで) 思い出 やましろさんと初めてTwitterで絡んだのは2009年だった。やましろさんが「深夜だし、好きだったAV女優挙げていこうぜ」とか言っていて、「古都ひかるとか好きでした」とリプライしたのが最初だった。 初めて対面で話したのは、あるイベントの懇親会で、今回の送別会の二次会と同じ店だった。当時同じ会社にいた[twitter:@shot6]さんが、やましろさんに「これ、うちの後輩」と自分を紹介してくれた。「えっ。とい

    ymsr送別会へ行ってきた - 虎塚
  • 山城さんについて思い返す - rokujyouhitoma's blog

    第一回チキチキjava-ja ymsr送別会に行ってきた。 先日、知人の山城さんが亡くなった。山城さんについて思い返す。 初めて会ったのはjava-jaが新宿で開催されてた時の懇親会か、BBQやった時のどちらか。間違いなく神奈川のBBQで会ったのは覚えてる。山城さんは子供と遊んでいたのを鮮明に覚えてる。 技術的な懇親会で一緒に飲む機会があった。Rubykaigiの懇親会、渋谷で知人数人で飲んだりもした。 会った記憶で一番鮮明なのは近年行われたjava-ja.childrenとクルーザー貸切東京湾花火大会。 人に打ち解けられない私だけど、私のことを山城さんは名前を覚えてくれてて、会うと話しかけてくれた。「ろくじょー。最近どう?」とか。最近だと「人生荒波にもまれている俺」について語ってくれたり、「不格好経営読み終わったしあげよか?」と気を使ってくれていた。 私の結婚祝いに『プログラミング言語の

    山城さんについて思い返す - rokujyouhitoma's blog
  • やましろ - nekop's blog

    昨年末にうっかり死んでしまったやましろさん。第一回チキチキjava-ja ymsr送別会に行ってきた。 やましろとは誕生日がほとんど変わらない同い年の友達で、焼肉いに行ったり、java-ja.childrenという次世代java-jaと遊ぶ会をやったり、やましろがうっかりチャーターした東京湾花火クルーザーに自分がガチ船酔いする体質なの忘れててうっかり乗ったりした、そんな仲だった。俺の家にも2回来てもらって一緒にパーティしてる。こねこぴーもずいぶん遊んでもらった。最初に知り合ったのがどこだったかハッキリは覚えていないのだけど、java-jaの開催ログを見ると第三回にはやましろが参加していて第四回にはメイド喫茶について語っていた。 やましろが死んだことを発端としていろいろなことを考えてはや十数時間みたいな状態で、頭の中はどうにもまとまりそうにない。ダンプすると壮大なやましろポエムができあがり

    やましろ - nekop's blog
  • ymsr送別会へ行って来ました - newta(にゅーた)の日記

    やましろ先生の送別会に行ってきました。 最初に亡くなったのを知ったのは1月に入ってからでした。 最近はjava-jaのコミュニティともそれほど絡んではおらず 関係者ともすっかり疎遠でした。 ただtwitterなどで技術に対する意識や発信力を一方的に見て尊敬していながら 自由な発言や奔放な行動にも憧れを感じていました。 そんなやましろさんの異変に気がついたのは QiitaのScalaのAdventCalendarでした。 http://qiita.com/advent-calendar/2013/scala いつまで経っても更新されない。そういえば最近つぶやき見ないな?と思って Twitterを見てみると最近つぶやきが全く無く さらに調べて行くと事故に合ったらしいと言う情報が書かれていました。 情報が少ないしjava-jaだし、イタズラじゃないか?と疑ったりもしましたが そんなことは無いと言

    ymsr送別会へ行って来ました - newta(にゅーた)の日記
  • 知人の死 - hogelog blog! blog!

    送別会で皆々が彼の死について語っているので、彼について少し書く。 訃報は業務時間中、DのOBが集まるLineのグループで知らされた。一つ前のC、その更に前のDと同じ会社に所属していた人の死には思いのほかショックを受けた。これは無理だと判断し一旦思考停止して仕事を続けた。 ちょうどインフラに依頼する作業があったので同じタイミングで彼の死を知ったDのOBであり今も同僚であるインフラさんに何か作業依頼したことを覚えている。同僚さんもショックを受けていないはずはなかったが、自分は淡々と依頼し、同僚さんも淡々とそれに応えていた。お互いまだまったく現実味がわいていなかったのだと思う。 結局自分は昨日(2/16)の夜、奥さんに伝えるまで、彼の死について口に出して語ることはしなかった。 うちの奥さんが彼に会ったのはたぶん一度、僕と奥さんの結婚パーティの時だけだ。 主に奥さんの大学の後輩や先輩などの華やかな

  • ymsr送別会 - じゅんいち☆かとうの技術日誌

    第一回チキチキjava-ja ymsr送別会 に参加してきたよ。 最後の餞として花火を送った。 山城花火! #ymsr pic.twitter.com/oY9dvAQBwY— (λ_ → かとじゅん) (@j5ik2o) February 15, 2014 ついろぐで@を送った相手を調べてみたら、山城が一番多かったな。 そのツイートを調べたがほとんど中身がないなと思ったら、Facebookメッセンジャーで結構話してた。 山城との最初の出会いは、たぶんSeasar Conferenceの懇親会だったと思う。彼もScalaが好きということで2011年5月ぐらいから話すことが多くなった気がする。同年8月には彼の紹介でドワンゴ社に転職した。彼を通してドワンゴ社内の人間関係を作ったといってもいいかもしれない。 ドワンゴに入社してしばらくして、Scalaを使うことができる新規案件をゲットした。チームに

    ymsr送別会 - じゅんいち☆かとうの技術日誌
  • ymsrさんの送別会 - ほげほげふがふがもぐもぐ。

    一年くらい前に、とりあえずとっておいたはてなブログを初めてきちんと書く。 去年末のこと。至るところで書かれてるけれど、昨日はymsrさんの送別会だった。最初に報せを聞いたのは、仕事中で後輩からのIMだった。現実感が全然なくて、でも、その報せは社内で所縁のあった方々に回っていっていて、こんなにも突然で、こんなにも人生って非情なのかー、と思った。帰宅して、周りの所縁のあった方々がネット上で悲しんでるのを見て、ちょっとずつ現実感が湧いてきて、「ああ、もういないんだ」ととても悲しくなったのを覚えている。 思い出。当時自分がインフラを担当していたシステムのメンバーとしてアサインされてからいくらか経った頃だったか、その前だったか今となっては記憶があやふやだけれど、彼から誘われて囲まれる飲み会に行ったのが、なんやかんやと彼と飲むきっかけだったと思う。 それから色々とIRCでくだらない話をしたり、ちょいち

    ymsrさんの送別会 - ほげほげふがふがもぐもぐ。
  • やましろのこと

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  • ymsrさんに捧ぐ - 実はhokkai7go

    送別会には行ってないけど、僕もやっぱりお別れが言いたくてblogを書いた。 誰にも言ったことがなかったけど、艦これやってて山城という戦艦を見かける度に思い出してる。 ymsrさんに会ったのは、java-ja.jojo #2が初めてだったと思う。 その次が、Kuniaki.rb(main):001:0> - Kuniaki.rbだった。 訃報を聞いた時に、なんだか信じられなくて Kuniaki.rbで会った時に、LTをしていた姿がずっと脳内ループしていた。 joker1007さんが言ってるけど、僕も当に同じことを思った。 人の死に触れたことが無いわけじゃないけど、自分より少し年上ぐらいの人間が死ぬなんて事はまだまだ遠い話だと思っていました。今でも良く分からない。 http://d.hatena.ne.jp/joker1007/20140215/1392482953 気持ちばかり先行して、う

    ymsrさんに捧ぐ - 実はhokkai7go
  • Ymsrの壮大な送別会 - おおたに6号機blog

    ブログ書くまでがなんとやらで。遅くなりますた。 さてYmsrの送別会に逝ってきた。いろんな人が色々書いているので詳細は書かないけど、花火もあがり、MBAで包丁もしたし、ベルギービールではれてMBAも破壊して、これでみんな前向けるんじゃないかなと。というかそのための会だったと思いたい。太一、よしおり、Mesoたん、他幹事みなさん当にお疲れさまでした。とても良い会だった。 山城と僕は実はそんなに親しい関係というわけじゃない。ただちょっとアレがアレな感じでwww、お互い意識せざるを得ない関係であった事は間違いないw 一時期は確実に一歩ひかれていた。「おー、山城元気」(山城一歩あとずさりする)、みたいな。しかし、このネタ、当の人がこの世を去ったあたでもまだ引っ張るのかと思いつつ、まあそれはそれで関係があってうれしい気もする。まさかお別れの会でもこのゲスいネタをやるとは思いもしなんだよ。。。 正

    Ymsrの壮大な送別会 - おおたに6号機blog
  • 山城とお別れをした

    人間は死ぬ 身近な友人が死ぬというのは人生初めての経験だった。送別会は悲しい一方で最高に楽しかったのは事実で、印象的だったのは参加者がくちぐちに「気持ちに区切りがついた」と言っていた事だ。自分は一昨日まで葬儀の存在意義がわからず、葬式など必要無いと考えていたのだが、それは死者のためでは無く、生き残った人々のためにあるというのが理解できた。弔いの儀式は人類が古くに編み出した文化的な行為であると。 Bye Bye Yamashiro. この様なバカ騒ぎをしながら氏を偲ぶのはjava-jaに必要な儀式なのだ。 俺と山城 彼とは職場が一緒になった事は無いが、java-ja.jsというイベントを一緒にやったりしていた。歯に衣を着せぬ物言いをしてくれる貴重な友人でもあった。 最後にちゃんと話をしたのは、同じビルで働いていた時に、職場の近くでランチをした時だ。彼は「Google AnalyticsをGo

    山城とお別れをした
  • ymsr送別会 #ymsr

    Ymsr送別会 #Ymsr Sun, Feb 16, 2014 One-minute readこのエントリは #ymsr というハッシュタグについて書かれている。なんのことかわからない人はタブをそっ閉じしてね。 メッセで済まない用件はだいたいロクでもない山城という男が死んだ。去年の12月のことだ。交通事故だったらしい。 仕事してたら、 @regtan からFBで「電話していい?」ってメッセージが入った。メッセで済まない用件はだいたいロクでもないものだってことはよく知ってる。対衝撃姿勢で覚悟を決めて「さあこい」と電話に出たら、この話。 人間心底びっくりすると「・・・まじで?」としか言えないもんだな、と改めて思い知らされた。 またよりにもよって、その日はjava-ja.忘年会2013の当日。 @meso が急遽幹事を引き継いだので、俺も勝手に手伝うことにして受付係をやっていた。近くのコンビニに