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ブックマーク / ohnosakiko.hatenablog.com (13)

  • 「嫌悪感の表明」と「相互理解」の間 - ohnosakiko’s blog

    最近話題になっていた、セクシュアルマイノリティへの施策をめぐる千葉市長の一連のTweet(わかりやすくするため番号を振った) 1 先ほど定例記者会見で、性別が同一である者とパートナーシップを形成している職員が介護休暇や、結婚休暇に相当するパートナー休暇を取得できる制度を発表。 既に事実婚でも休暇の取得が可能なもので、性的多様性に配慮できる項目と判断しました。事実婚で許容されている分野・趣旨を今後も精査します— 熊谷俊人(千葉市長) (@kumagai_chiba) 2016年11月10日 2性的多様性の話でよく少子化の話をする人が居るのですが、では子供が出来ない年齢での異性婚も認めないということなのでしょうか?今でも性同一性障害の方は性別が変更できるのですが、それに反対しましたか?そもそも多様性を認めなければLGBT等で苦しんでいる方は異性婚に行くと思いますか? https://t.co/

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  • 自分の文章が入試問題に使われること - ohnosakiko’s blog

    センター試験の国語に「クソリプ」「パクツイ」問題 著者「俺が正解できるのか」 - ねとらぼ 上のタイトルだけ読んで一瞬「センター試験の問題に、クソリプとかパクツイという単語を散りばめたテキストが採用されたのか、すごいな」と思ったらそうではなく、佐々木敦氏の『未知との遭遇』(筑摩書房)の中のツイッターについて論じられている箇所からの引用で、そこにツイッター・ジャーゴンである「クソリプ」や「パクツイ」に相当する事例が出されているということだった。 ↓問題文 大学入試センター試験 | 解答速報2015 | 予備校の東進 問2で思わず笑ってしまった。『教えて君』と『教えてあげる君』の関係を記述した5つの文から正解を選ぶのだが、「これを作った人、それぞれ具体的な例を思い浮かべていたでしょ」と思えて仕方ない。いや絶対そうだ。試験会場で笑いをかみ殺した受験生もいたのでは。 著者の佐々木氏は自身の文章が掲

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  • 美少女は、男にとってはもちろん女にとっても「異性」 - ohnosakiko’s blog

    Love Piece Club - 美少女はよくてイケメンはダメ!な日のメディア。AKB総選挙報道から見えるもの。から抜粋。 AKB48の報道を見て腹立たしいのは、いかに男が自分の欲望にだけ寛容かということが伝わってくるから。
自分が「良い」「かわいいっ」って思うものは、世の中も多くの人も同じように思っている、という無邪気なまでの自己肯定感。男性評論家がマジメな顔をしてアイドルを論じ、新聞も雑誌も取り上げる。
いいですよ。きっとアイドルは真面目に評論するに値するものなのでしょう。 では、「イケメン」はどうでしょうか。
「たかがお前(女)の好みだろ」「それが報道すべきことかよ」と切り捨てていませんか?
なぜ、女の欲望だけ、こんなに手厳しいんでしょうか。
AKB48がイヤなんじゃない。自分たちの欲望だけでなく、女性の欲望にも、もっとやさしく、敬意を払ってほしいと言っているだけです。 自分のブ

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  • 『アナと雪の女王』にかかったジェンダー観の砂糖衣 - ohnosakiko’s blog

    「過去、女性は素晴らしい能力があっても、それが”幸せな結婚”に結び付くものでなければ女として生きるのに余計なものであるとして、発揮する機会を奪われてきた。女性の生き方として賞揚されてきたのは、生まれて初めて出会った異性と恋に落ち、一生の愛を誓い合って生きること。しかし今やロマンチックラブのベールは剥がれ、一方で女性が能力を発揮しそれを正しく活用することが、社会の発展にも寄与するということになった」 このようなジェンダー観を、この作品も共有しているように見える。 その上でこの物語を要約すると、 「女は自立や自己解放を追い求めるべきだが、それはこの社会では孤立と紙一重。かといって男はもう当てにならない。なぜなら女がこれまで分断されていたのは、男の作った社会規範のせい(女の特殊な能力を封印させるのもその一つ)だから。頼れるのは同じ女だけ。シスターフッド万歳! ただし男社会での出世を望まない男なら

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  • 退屈を巡る現代劇『十三人の刺客』 - ohnosakiko’s blog

    豪華キャストの中でも残虐非道な殿様の異常っぷりを淡々と演じた稲垣吾郎が素晴らしいとか、50分にも及ぶ殺陣が圧巻だとか、「武士道」という建前を根拠とした殺し合いの虚しさを上手く描いているとか、リアリティに拘りつつも三池監督得意のバイオレンス表現とエグ味が全開とか。以上どれにも特に異論はない。 そうした目下「退屈」とは無縁と評判の「時代劇」エンターティメントについて書くのに、このタイトルは何なんだ‥‥ということだが、遅ればせながら話題の映画を見に行っての第一印象は、細部の面白さや見所だらけのチャンバラ乱闘シーンなどにも関わらず、全体としてなんだか物足りない、釈然としない、「よく出来てるけどそんなに言うほどのものか?これ」であり、筋としては極めて単純な話を2時間半に渡って盛り上げるための衣の部分が分厚過ぎて中身の肉がいまいち薄いみたいな、脂っこいけど噛み応えがないみたいな、なんかすごく派手なもの

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  • 楽しい共学時代 - ohnosakiko’s blog

    中学の屈辱 私の中学時代はジェンダーという言葉もまだない、70年代前半の昔である。テレビでは、スポ根ドラマや学園ドラマが人気だった時期。 学園ものでは、喧嘩が強いガサツな男子、秀才くん、か弱い美少女といった布陣に、可愛くて気の強い女子というものが登場し、「○○くん!謝んなさいよ!」とか「女だからってバカにしないで!」みたいな啖呵を切り、「やれやれ、女子にはかなわねえな」みたいな‥‥まあ何かそういうノリだった。別学の人は「楽しそうだなあ」、共学の人は「ないよこんなの」と思っていたのではないか。 中学の三年間を振り返ると、異性との思い出はほとんどない。特に仲のいい男子もいなかったし、気になってしょうがない男子もいなかったし、モテもしなかった。 私の心のアイドルは、教科書に写真が載っていた中原中也と、『ベルサイユのばら』のアンドレと、画家のモジリアニ(男前)。 「セカチュー」みたいな微笑ましいカ

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    emiladamas
    emiladamas 2012/06/01
    ”協議の結果、勉強はできるが地味なA君を一位に決めた。A君は今思うと共産党の志位委員長みたいな顔をしており、見かけもっさりしていたが、誰にでも態度が丁寧で密かに「人格者」と言われていた”
  • 「どや」と紳助は言った。 - ohnosakiko’s blog

    「どや、俺の引退記者会見。100点満点やったろ。解説したるわ。まずは相手に恩義があったということの強調や。恩義のある人だから無下にはできんかった。人として当たり前のことやないか。俺、「人として」「心」「感謝」各2回言ったわ、前半で。これ視聴者の気持ちをつかむ豆知識な。紳助、義理人情に厚いなと世間は思うやろ。ヤクザとつきおうとるのが悪い言われることは知ってんねん。だからバレんよう気ィつけてやってきたんやから。ほんまにどっから漏れたんかな。ま、俺の足引っ張りたい奴はぎょうさんおるから、それは今はおいとこ。でな、最初に「正直に話します」言うたからって、「内心はバレたらヤバいと思ってました」とか素直に言うてみ、「ヤバいと思ってやっとったんか!」て大バッシングに決まっとる。そやから「悪いと思ってなかった」で通さないかんねん。自分で悪いと思てることはせん紳助、義理人情に厚くて芸能界の「ルール」に疎い不

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  • 半ズボン要求のためのスカート着用の政治的効果 - ohnosakiko’s blog

    校則に抗議するためスカートをはいて登校したイギリスの美少年 - GIGAZINE 女性は女装も男装も可能だが、一般的に男性は男の格好しかできない/しないことが多い。そして学校や軍隊の制服はジェンダー規範に則った正装に準じるものだから、男子のボトムは大抵長ズボンになる。 この学校の校則では長ズボンかスカート(形には条件がつく)という選択があるだけで、男女の指定はないらしい。それを態々明記していないのは、「女子はスカートでもズボンでもいいが、慣習、規範からしてスカートをはく男子はいない」という暗黙の前提があるからだろう。 この少年の「女子だけ衣替えできるのは男女不平等。男子に半ズボンという選択肢を作れ」という主張も、その世間的な暗黙の前提を共有するところから出てくる。涼しいからってスカートなどはきたくないのだ。あくまで男の子の格好に拘っている。 「男女不平等」な校則への抗議行動が、女子のスカー

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  • 寂れゆく街、消えゆく店 - ohnosakiko’s blog

    中古でいいから一戸建てに住みたいという夫の願望とマンションでは制作がしづらいという私の不満が一致し、経済状態を鑑みた上で名古屋からJR快速で10分のこの一宮市に店舗付き中古住宅を買って引っ越してきて、もう18年になる。*1 戦後、繊維で栄え全国から女工さんが集まり、映画館も10館を数えたという一宮だが、この30年余りの間に産業は衰退し映画館は消え、近頃は駅前のメイン商店街もシャッターを降ろした店が目立つようになった。唯一喫茶店(カフェではない)の数だけは往年の繁栄の名残で、全国一らしい。 「名古屋で商売が成功したら全国どこでも成功する」と言われているほど名古屋人はケチで締まり屋ということになっているようだが、一宮はそれに輪を掛けて財布の紐の固い土地柄で、逆に言えばセコくがめつく、モーニングサービスが豪華な喫茶店*2は繁盛し、いくらコーヒーが美味しくてもほんの20〜30円高かったりするだけで

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  • 罪悪感と復讐心 - ohnosakiko’s blog

    毎年、ジェンダー入門の授業で『風の谷のナウシカ』を見せて感想や意見を書かせている。7割くらいの学生がアニメは見たことがあるが、そのうちの半分以上は子供の頃であまりしっかり覚えておらず、漫画も読んだという学生は非常に少ない。そういう中で、今年こんな分析をしてきた学生がいた。 彼によると、ナウシカとクシャナは共に女ジェンダー規範から自由な立ち位置の女性として描かれている(ここまでは大抵の学生が書いている)が、彼女達の「正義」の行動は、実は過去のトラウマ的な体験から生まれた感情に支配されているというものだ。 つまりナウシカは、幼少の頃に可愛がっていたオウムの幼生を父親に取り上げられてしまった(おそらくその後廃棄された)ことで、虫に対して深い罪悪感を抱くようになり、クシャナは虫との戦いで腕を失い満身創痍(「我が夫となるものはさらにおぞましきものを見るだろう」)となっているために、虫ともども腐海を焼

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    emiladamas
    emiladamas 2010/11/21
    TRPGやってて罪悪感とか復讐心で動くキャラのロールプレイをしていて、妙に感情移入しすぎて面白いけど危ないなと思うことはあった。
  • 飛ぶ少女 - 天使達と「戦闘美少女」 - ohnosakiko’s blog

    宮崎駿のアニメーション作品においては、これまで頻繁に「空を飛ぶ少女の身体」が物語の核となって登場してきた。80年代以降、日のアニメにあまた現れる空を飛び闘う美少女の原形、元祖は、宮崎駿監督作品『風の谷のナウシカ』(1984)のヒロイン、ナウシカに見ることができる。 風の谷のナウシカ [DVD] 出版社/メーカー: ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント発売日: 2003/11/19メディア: DVD購入: 12人 クリック: 393回この商品を含むブログ (400件) を見る 宮崎アニメにおける映像的側面の最も重要な要素は、「重力を伴った浮遊感覚」の描写のリアルさにあるだろう。ある一定の重さを持った少女の身体が、重力に逆らってあやういバランスで飛んでいる、という状態の表現の力量において、彼は他のアニメーターから抜きん出ている。 この想像力と造形力とカメラワークの見事さによって、空を飛

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  • 中村翫右衛門はルパン三世 - ohnosakiko’s blog

    山中貞雄(1909〜1938)の残存する三のフィルムのうちの二、『河内山宗俊』(1936)と先日取り上げた『人情紙風船』(1937)に、河原崎長十郎と中村翫右衛門のコンビが出演しているのだが、先日からDVDを見直していて思うのは、中村翫右衛門がルパン三世に似ているということだ。 (『河内山宗俊』で浪人を演じる中村翫右衛門) 元は髪結、今は博打打ちで生活している『人情紙風船』の新三の、憎めない小悪党ぶりはルパンそっくりで、小気味良い軽妙な口調まで(山田康雄に)どこか似ている。望まぬ結婚をさせられそうになっている深窓の令嬢を攫うというプロットの一部は、カリオストロの城。 (上:河原崎長十郎、右下:中村翫右衛門) 『河内山宗俊』の浪人、金子市之丞も新三と同じく、飄々としたルパンキャラである。とぼけた顔で言う人を喰った台詞が面白い。 弟の不祥事で生じた借金返済のため、身売りを決意する甘酒屋の少

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  • 第十六師団の山中貞雄 - ohnosakiko’s blog

    映画監督 山中貞雄 作者:加藤 泰キネマ旬報社Amazon映画監督 山中貞雄』(加藤泰 著、(株)キネマ旬報社、1985)を読み終えた。 山中貞雄の甥でやはり映画監督であった著者が、膨大な資料収集と関係者へのインタビューを経て、8年がかりで書き上げた労作である。山中貞雄論の中でも、映画に入れ込んだ一人の若者としての山中貞雄と、彼を取り巻く1920〜30年代の「カツドウ屋」たちの熱気に満ちた交友関係を、ここまで生き生きと描いたものはおそらく他にはないだろう。*1 山中貞雄が映画人として生きた時代は、恐慌と戦争の時代だった。 1928(昭和3)年に治安維持法の改悪で思想言論の自由が制限され始め、企業の倒産や首切りが相次いで昭和恐慌が厳しさを増す中、1929(昭和4)年10月のニューヨーク株式市場暴落をきっかけに世界的大恐慌時代に突入する。小津安二郎の『大学は出たけれど』が公開されたのはこの頃

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