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コミュニケーションに関するgyu-sanのブックマーク (13)

  • 新人と教育係。

    すっごい落ち込んだからここに反省を書く。うちの部署に新人が入って来て、ここ暫く教育してたわけなんだけども。まぁ、平たくいって物凄く物覚えが悪かった。幾ら言っても全然覚えない。叱れば叱るほどミスが増える。指示を出したそばからフリーズする。一度言ったことの9割は翌日には忘れてる。そんな有様で、ついついこちらも語気が荒くなってしまったんだけど。最近、見かねた後輩が「教育係交代します」と言ってくれた。それから二週間。俺が三ヶ月教えてもダメだったことの5倍くらいの量を、新人は難なく覚えてしまった。これは流石に俺に原因があったとしか思えず、後輩と新人にそれぞれ話を聞いてみると「増田さんが言うほど物覚え悪くないですよ、ミスは少なくないですが一つ言えば1、5くらいは覚えます。やる気もあるし素直だし謝れるし、いい新人だと思いますよ」とのこと。俺の感覚としては、幾ら言っても覚えず口ごもるだけの子だったんだが。

  • 暗号ゲームと拡大解釈。曖昧な境界線の上で - wHite_caKe

    レイプ被害についての様々なやりとりが最近、あちこちを賑わせているのです。 この手のやりとりの恐ろしいところは、盛り上がれば盛り上がるほど、男と女というのが無闇に対立するような構造になりやすいところだと思っています。おまけにその構造は男は加害者、女は被害者みたいな二元論ぶりでおまけにその場合の男と女って、ヘテロ前提ですが何か?風に語られている気がして、それもまたよくないよねえ、と感じます。 そしてさらに、しばし待たれよ、ほんとにこの手の性犯罪と自衛を結びつけた議論において、男女は必ず対立するものなのですかどうなのですかそのへん。 『24人のビリー・ミリガン』において、レイプを行った加害者たる人格はアダラナという名の19歳女性の人格だったりすることを思い出したりして。 さて、レイプの話になると、自衛すべきだという意見は、大体こんな風になるのではないかと思います。 「もちろん加害者が悪いのは確か

    暗号ゲームと拡大解釈。曖昧な境界線の上で - wHite_caKe
  • 人間は社会の多様性にどこまで耐えられるのだろうか、みたいな - 世界のはて

    ・「視線の暴力」に関する、なんとも歯切れの悪いエントリー 他者の視線を完全にコントロールすることは、誰にもできない。 ゆえに、僕たちは「視線の暴力」の被害者にさせられる可能性からは、絶対に逃れられない(←前回の記事ではここまで)。 これにプラスして、他者がどんな視線を望んでいるかを完全に知ることもまた、誰にもできない。 ということは、僕たちは他者を「評価してしまった(視線を送ってしまった)」瞬間、「視線の暴力」の加害者となり得る可能性に捉えられてしまう(その視線が『暴力』となるかどうかは相手次第)。 そして僕たちは、他者を「評価」しないということは、絶対にできない。なぜなら僕たちは、他者が(文字通り)眼に入った瞬間、無意識のうちに「第一印象」という名の評価を下してしまうから。 ゆえに、僕たちは「視線の暴力」の加害者となってしまう可能性からもまた、絶対に逃れられない。 つまり、僕たちは誰もが

    人間は社会の多様性にどこまで耐えられるのだろうか、みたいな - 世界のはて
  • 日経BP

    株式会社 日経BP 〒105-8308 東京都港区虎ノ門4丁目3番12号 →GoogleMapでみる <最寄り駅> 東京メトロ日比谷線「神谷町駅」4b出口より徒歩5分 東京メトロ南北線 「六木一丁目駅」泉ガーデン出口より徒歩7分

    日経BP
  • なぜインターネットでは誹謗中傷が多くなるのか?:アルファルファモザイク

    文化祭でカセットコンロ4台の上に鉄板2枚載せて焼きそばを作っていたらガスボンベが爆発、生徒15人負傷…私立豊南高校

  • 明日の消費者との付き合い方 - smashmedia.jp

    Business Blog & SNS World 08 開幕基調講演 ブックオフオンライン株式会社 河野武氏。「明日の消費者との付き合い方~WE... 続きを読む

  • リア充はなぜコミュ力が高いか

    題名は正確ではない。正確には、「非コミュはどうしてリア充よりコミュ力が低いことになるのか」とでもした方がよいだろう。内容はここを読んで考えたこと。 自分に自信のない人間は、基的に周囲の様子を常にうかがっている。場にそぐわない行動をして排除の対象になるのではないかと、多かれ少なかれ怯えている。いわば、誰よりも「空気を読んで」周囲に気を遣って行動しているのはこうした人間だ。しかし、結果的にKYと呼ばれて排除の対象になるのもやはりこの種の人間だ。余りにも悲しい現実だ。 空気なんか読まなくてもリア充になれるでは、どうしてそういうことが起こるのか。これがコミュ力の差なのであると元記事は指摘する。だが、それはむしろ逆ではないだろうか。以下の文章にヒントがある。 では、「リア充」たる基的要件はなんだろうか。その絶対的必要条件は「コミュ力」だろう。「リア充」に慣れるか否かの決定的要因となるのは、新しく

    リア充はなぜコミュ力が高いか
    gyu-san
    gyu-san 2008/04/24
    制空権のことかと思ったけど、コミュがみんな持ってるわけじゃないよね。
  • むしろコメントが(たくさん)つく方が特殊なのではないかという考え - kokokubeta;

    なんでコメントよりブックマークとかトラックバック使うのを好むんだろう。過去にも似たような話はあって、最近のだと コメントが全然つかない・・・。 こんなのだろうか。わざわざブログ主に大きな声で言いたいわけでもないけど、文章に書き起こしておきたい、という場合が多いのかな。(はてなダイアリーユーザーってなんでコメント欄使わないの?) このブクマ含めて見回すと、ひとつの仮説が浮かび上がる。初心者ユーザーにとっての「ネット世間」は、自分と作者(見ているコンテンツを書いた人)しかいない。だから、コミュニケーションを取ろうと思ったら、作者にしか目が向かない。なので直接コメント欄に書く。しかしはてなユーザーに代表されるネットリテラシーの高いユーザーはにとっては、「ネット世間」は作者以外にも、自分同様にブログを見ている人たち、同じくブクマを利用している人たちなどたくさんいて、その人たちと、元記事をネタにコミ

    むしろコメントが(たくさん)つく方が特殊なのではないかという考え - kokokubeta;
  • キャンペーンプランニングで大切にしたい視点

    広告コミュニケーションの成功要件はいろいろあるだろうが、このところ大切にしたいと思っていることをメモしておく。 ▼情報提供(体験創出)の順序とタイミングを工夫する 恩田睦の小説『夜のピクニック』に「世の中、当にタイミングなんだよな。順番といってもいいけど」という台詞がある。これは広告キャンペーンでも同じだろう。適切なメディアで適切なメッセージを届けたいわけだが、メッセージを送る順序やタイミングによって届く価値は変化する。時間という概念を丁寧に扱いたい。 ▼企業の気度(熱意)を伝える 稲垣正夫は『「全員経営」のすすめ』において「営業成績は訪問頻度×滞在時間に比例する」と述べている。熱意はひとを動かすと信じたい。消費者が企業の気度を判断する尺度として、ヒト(売り手が見える)、モノ(商品価値)、カネ(投資額)、情報(自分向けの情報)、時間(継続性)などが考えられる。特に注目したいのはヒト。

    キャンペーンプランニングで大切にしたい視点
  • ページが見つかりません

    ごめんなさい。smashmediaのブログは削除されました。 10年に渡り、あちらこちらに書き連ねてきましたが、ご愛読いただきほんとうにありがとうございました。またリンクしてくださった方にも、心からお礼申し上げます。 以下、少し駄文を書きます。 ブログには「パーマリンク」という基的な考え方があり、すべての発言や記事は半永久的に固定されたURLによって公開され、未来におけるアクセス権(閲覧可能性)を担保するという、じつに素敵なコンセプトなのですが、一方で古い情報が永遠に残り続けてしまうという弊害も生んでいます。 ブログというものが「ストック」であるならば、そこに書かれた内容に対して、書き手であるブログ運営者は責任をもつべきで、自らの考え方が変われば内容を更新し、状況や情報が変われば現在にあわせて修正すべきです。 でも現実問題として、そこまでさかのぼって更新や修正をできるほうが稀で、結果とし

    gyu-san
    gyu-san 2008/02/08
    コミュニケーション・デザイナー
  • 私は、あなたは、他人を抑圧せずにはいられない。 - シロクマの屑籠

    http://d.hatena.ne.jp/kusamisusa/20070905/p1 他人に何かを言及すれば、そこには抑圧可能性が含まれる。それは不可避で、コミュニケーションのある限り、他人への言及がある限り永遠に続く出来事だということをここで確認しておこう。 「不特定多数の人に関して」「一般論として」という前置きがあろうが、特定個人を狙い撃ちするような言及であろうが、コミュニケーションの発信者と受信者がいて、且つ受信者が「ちょっと嫌な感じを受けた」「抑圧されたと感じた」局面があったとすれば、それは発信者による抑圧、と呼称することは確かに可能だし、このような前提にたって『抑圧』という語彙は運用されている。 しかし、この抑圧、というものに対して過敏になった時、おおよそ人間間のコミュニケーションというものはまともに成立しないような気がするのだが、如何? 極端な話、コミュニケーションの発信者

    私は、あなたは、他人を抑圧せずにはいられない。 - シロクマの屑籠
  • その場を楽しめばいいじゃないか - 鼻が赤くなりにくいティッシュです

    草日記−すごく楽しいことがあると思わずその場でブログを更新してしまう人がいて たいへんに興味深いと思った。楽しいのならばその時間を楽しめばいいのに この部分に大変共感した。 ブクマ米には一回「twitterに対してもそう思ったことがある」と書いたのだが、それではfeather_angelのfollowsに向けた書いた内容に見えること確実で「書いてんじゃねーよ」的に取る人も出てくるだろうと思い、消去。 そして、その補足でこの記事を書くことにした。 私が違和感を覚えるのは「結婚式の二次会、大盛り上がり中です!」とか「パーティーの最中です」とか「友人達とドライブ中です」などの書き込み。 これが「二次会言ってきました。楽しかったです」などの事後報告ならわかるのですが、多数の人間の中で楽しんでいるであろう最中に「彼/彼女ら」はつぃったに書き込みする訳です。 みんなが楽しくやっている時にこの人たちが下

    その場を楽しめばいいじゃないか - 鼻が赤くなりにくいティッシュです
  • しあわせのかたち - しあわせの自分騙し

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

    しあわせのかたち - しあわせの自分騙し
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