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歴史と日本史に関するhiruhikoandoのブックマーク (1)

  • 信長と対立した僧侶が秀吉に宛てた書状見つかる | NHKニュース

    織田信長と激しく対立した浄土真宗の僧侶、顕如が、信長の死後、羽柴秀吉に接近しようと書いた書状が2通見つかりました。秀吉宛ての書状はほとんど残っていないということで、調査にあたった専門家は「この段階で、秀吉を権力のある人物と認識していたことがはっきりと分かる貴重な史料だ」と指摘しています。 顕如は「石山合戦」でおよそ10年にわたって織田信長と激しく対立し、和睦のあと、拠点としていた大坂の石山願寺を出て紀伊、今の和歌山県に移っていました。 調査にあたった史料編纂所の村井祐樹准教授によりますと、書状は、1通が、信長が討たれた「能寺の変」の翌年の天正11年=西暦1583年に書かれたと考えられ、大坂に入ることになった秀吉に対してあいさつのため使者を送るという内容です。 もう1通は、秀吉の昇進の祝いに刀などを献上するという内容が記され、秀吉が初めて朝廷から位をもらった天正12年に送られたとみられる

    信長と対立した僧侶が秀吉に宛てた書状見つかる | NHKニュース
    hiruhikoando
    hiruhikoando 2018/12/28
    のちに息子の代になって東西に分断するほど親子仲も兄弟仲も悪かったので予見して対策を講じたなら納得がいくが。信徒の暴走を止めれず逆に悪ノリしてたからあんまり同情出来ないんだよなあ。
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