(スタッフの起承転結 その1のつづき) たとえば、今年のアニメーション映画「時をかける少女」は、「結」が監督に委ねられた例ではないかと思う。 筒井康隆作「時をかける少女」は、テレビドラマや実写の映画で繰り返し映像化されているので、今度はどのように映像化されるのかと期待させる猶予のある素材だった。そして、細田守監督と言えばファンも多く、作家として認められている数少ない監督の一人かと思う。 この「起承転結」の枠組みで言うところの「結」を担えるかどうか、つまりは自分なりの主張を盛り込めるかどうかが、作家と呼べる監督かどうかの境目になるのかもしれない。 原作の話を変えればいいというものではもちろんない。原作を変えたから、その作り手は作家だというのなら、そんな簡単な話はないからだ。なんとなく変わってしまったのか、意図的に主張を盛り込んだのか、その主張が独特のものであるかないかによって、作り手が何を担