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考古学に関するiguchitakekazuのブックマーク (68)

  • 鎌倉時代の「元寇」で日本に襲来 沈没船のいかり引き揚げ 長崎 | NHK

    700年以上前、鎌倉時代の「元寇」で日に襲来し、長崎県の松浦市沖で沈没した船のいかりを引き揚げる作業が行われました。 鎌倉時代に中国大陸で支配地域を広げていた元が2度にわたって日に攻め込んできた「元寇」では当時「神風」とも言われる暴風雨で沈んだとされる元の船が長崎県松浦市の離島、鷹島の沖合の海底で発見され、周辺が国指定の海底遺跡になっています。 1日はこの海底遺跡のすぐそばで確認されていたいかりの一部を引き揚げる作業が行われました。 松浦市の担当者や研究者などが見守る中、水深20メートルの海底から長さ1メートル70センチ余りの木材部分が引き揚げられました。 表面は木目がはっきりしていて石を通していたとみられる穴も確認されました。 松浦市などはいかりに続き、船体の引き揚げも目指すことにしています。 引き揚げ作業を主導した國學院大学の池田榮史教授は「海面から出して折れたり欠けたりしないか

    鎌倉時代の「元寇」で日本に襲来 沈没船のいかり引き揚げ 長崎 | NHK
  • トルコ東部で発掘がすすむ「130世紀前の遺跡」が人類史の常識を覆すかもしれない | 世界で最も重要な考古学的遺跡をめぐる旅

    自然の岩盤から彫られた高さ2.4メートルほどの硬直した朱色の男根が十数個、青天井の小部屋に押し込められているのを私は見つめている。 同様に、天然の岩を切り出して彫られた奇妙な頭像(人間か、悪魔か、司祭か、神か?)がこの男根型のトーテムを睨んでおり、あたかも原始のガーゴイルのようだ。その表情は陰で、ほとんどしかめつらだ。 彼、または彼女、あるいは「それ」は、この状況のすべてが気に入らないかのように見える。白日の下で何もかもがむき出しの状態となり、130世紀ぶりにこの娑婆に晒されているということが。 そう、130世紀ぶりなのだ。というのも、トルコ東部、砂煙の舞うハッラーン平原からいま現われ出でんとするこれらの男根、独特の小部屋、そしてカラハン・テペの名で知られるこの不可思議な場所全体は、信じがたいほどに太古の存在なのだ。言い方を換えれば、推定1万1000〜1万3000年前に建造されたものなの

    トルコ東部で発掘がすすむ「130世紀前の遺跡」が人類史の常識を覆すかもしれない | 世界で最も重要な考古学的遺跡をめぐる旅
  • Gijyou on Twitter: "ちょっと頭が痛くなってくるぐらいのデマなんだけど。 日本列島に水稲耕作が伝播したのは紀元前9世紀頃で、それ以前はコメの痕跡は皆無(土器表面に残る穀物圧痕を調べるレプリカ法による)。 で、紀元前9世紀頃の最も古い水田遺構に伴う夜臼式… https://t.co/cW9qks17i1"

    ちょっと頭が痛くなってくるぐらいのデマなんだけど。 日列島に水稲耕作が伝播したのは紀元前9世紀頃で、それ以前はコメの痕跡は皆無(土器表面に残る穀物圧痕を調べるレプリカ法による)。 で、紀元前9世紀頃の最も古い水田遺構に伴う夜臼式… https://t.co/cW9qks17i1

    Gijyou on Twitter: "ちょっと頭が痛くなってくるぐらいのデマなんだけど。 日本列島に水稲耕作が伝播したのは紀元前9世紀頃で、それ以前はコメの痕跡は皆無(土器表面に残る穀物圧痕を調べるレプリカ法による)。 で、紀元前9世紀頃の最も古い水田遺構に伴う夜臼式… https://t.co/cW9qks17i1"
  • 完全な太鼓の埴輪が出土、全国初 奈良、古代から形変わらず | 共同通信

    Published 2022/05/30 19:18 (JST) Updated 2022/05/30 19:35 (JST) 奈良県田原町の宮古平塚古墳(6世紀前半)から完全な形の太鼓形埴輪が出土し、同町が30日発表した。町によると、太鼓単体を表現した埴輪はこれまでに3例確認されているが、完全な形が残っているのは全国初で最古級。町文化財保存課の渡瀬加奈子技師は「現代と変わらない当時の太鼓の形が分かる貴重な史料だ」と話した。 見つかった埴輪は横置きで長さが28センチ、直径17.5センチの太鼓面が両面にあり、革を留めるびょう(直径1.5~2センチ)や、革の端を表現した線もあった。 太鼓形埴輪は31日~8月31日、唐古・鍵考古学ミュージアム(田原町)で無料展示する。

    完全な太鼓の埴輪が出土、全国初 奈良、古代から形変わらず | 共同通信
  • 謎だった家畜ウマの起源、ついに特定

    内モンゴル自治区西ウジムチン旗にある繁殖センターの文化紹介イベントで疾走する馬の群れ (PHOTOGRAPH BY PENG YUAN/XINHUA VIA GETTY) 数千年前から、ウマは世界中の社会で重要な役割を果たしてきた。古代から耕作に力を貸し、人々を短い時間で遠くへと運び、戦場では兵士に闘いにおける優位性をもたらした。こうしたことを分かっていても、では家畜ウマはどこから来たのかというシンプルな疑問には、専門家はずっと頭を悩ませてきた。 最近、2つの大陸の100人以上の専門家の尽力で、その謎がようやく解けたようだ。家畜ウマのルーツは「ロシア南部」にあるという答えにたどりついたのだ。 アナトリア半島(小アジア)、イベリア半島、ユーラシア大陸のステップ地帯西部という3つの地域のいずれかが家畜ウマのルーツとして有望視され論議されてきたが、今回の発見で、その起源は、ユーラシアステップ地帯

    謎だった家畜ウマの起源、ついに特定
  • 1000年前にヴァイキングが北米に入植していた証拠が見つかる、コロンブス到達よりも約500年前

    オランダ・フローニンゲンやカナダ国立公園局などの考古学チームが、1000年前にあたる西暦1021年に北欧のヴァイキングがアメリカ大陸に入植した証拠を発見したと発表しました。この証拠は、ヨーロッパからアメリカ大陸へ渡った人類に関する歴史を塗り替える可能性があります。 Evidence for European presence in the Americas in ad 1021 | Nature https://www.nature.com/articles/s41586-021-03972-8 Breakthrough Discovery Shows Vikings Were Active in North America 1,000 Years Ago https://www.sciencealert.com/breakthrough-discovery-shows-vikings-w

    1000年前にヴァイキングが北米に入植していた証拠が見つかる、コロンブス到達よりも約500年前
  • イスラエル 1500年前に造られた巨大ワイナリーの遺跡発掘 | NHKニュース

    中東のイスラエルで、およそ1500年前のビザンツ帝国時代に造られた巨大なワイナリーの遺跡が発掘されました。当時、商業用のワインが大量生産され、地中海周辺で広く流通していたことを示す貴重な発見として注目されています。 イスラエル考古学庁は11日、最大都市テルアビブ近郊のヤブネで、およそ1500年前のビザンツ帝国時代のワイナリーの遺跡を発見したと発表しました。 遺跡の規模はおよそ1平方キロメートルで、区画されたエリアにブドウの果汁を搾る場所やワインを熟成させるための倉庫の跡などが確認されていて、ワインを入れていたとみられる大小さまざまな土器も出土しました。 考古学庁によりますと、当時としては世界最大級のワイナリーだったとみられ、年間およそ200万リットルのワインを製造していたと推測されるということです。 発掘調査にあたった考古学者は「これほど規模が大きく、ワインを製造するためのさまざまな機能を

    イスラエル 1500年前に造られた巨大ワイナリーの遺跡発掘 | NHKニュース
  • 日本人の「完成」は古墳時代だった? DNAを分析、ルーツに新説:朝日新聞デジタル

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    日本人の「完成」は古墳時代だった? DNAを分析、ルーツに新説:朝日新聞デジタル
  • 縄文人の家、「茅葺き」から「土屋根」へ 研究30年の成果

    かつて近世の古民家のような茅葺きに復元された縄文時代の住居が、土をかぶせた屋根に変わってきた。発掘調査に基づいており、新たに復元整備される遺跡では土屋根が主流になるとみられる。31日まで開催中のユネスコ世界遺産委員会では、土屋根が複数箇所で見られる「北海道・北東北の縄文遺跡群」が登録される見通し。縄文集落の景観イメージは大きく変わりそうだ。 まるで土饅頭裏側から見ると、まるで土饅頭だ。「北海道・北東北」を構成する17遺跡の一つ「入江貝塚」(北海道洞爺湖町)の復元住居は土で覆われ、従来の茅葺きとイメージを大きく違える。「風が入らず、保温性が高い」(同町教育委員会)という。 茅葺きのイメージがあるのは、現在見られる復元住居の多くが茅葺きのためだ。縄文や弥生時代の家は、地面を掘りくぼめて複数の柱を立て、その上に屋根を掛けた半地下式の竪穴住居。床のくぼみや柱穴は全国で見つかっているが、失われた屋根

    縄文人の家、「茅葺き」から「土屋根」へ 研究30年の成果
  • 日本最古「三種の神器」が出土。弥生時代の早良平野に繁栄した王国があった | 西日本新聞me

    最古「三種の神器」が出土。弥生時代の早良平野に繁栄した王国があった 2021/5/4 6:00 (2021/5/12 9:29 更新) [有料会員限定記事] 吉武高木遺跡から出土した青銅製の武器やヒスイの勾玉、多紐細文鏡など=1992年 【博学博多】 福岡市の西部に広がる早良平野。中央を室見川が流れ、中流の西岸域にはここに弥生前期末に早良王国が存在していたことを語る遺跡群がある。西区の飯盛山の麓の扇状地に広がる吉武遺跡群だ。天皇の証しとされる「三種の神器」(鏡、剣、玉)に相当する副葬品を持つ木棺墓が発掘されて話題を呼んだ。紀元前2世紀ごろのものとされる出土品は、日最古の三種の神器である。ここが「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」の金印で知られる奴国や卑弥呼の邪馬台国よりも以前にクニであったことを示している。弥生社会の成り立ちを考える重要な意味を持つ早良王国とは? 飯盛遺跡の発掘現

    日本最古「三種の神器」が出土。弥生時代の早良平野に繁栄した王国があった | 西日本新聞me
  • m-take on Twitter: "2019年7月のTweetだけど。訂正しなければならない。この数年のDNA考古学の進展は、新石器時代から青銅器時代の人類文化の全貌を驚くべき正確さで明らかにしつつある。 https://t.co/n49UB3CoeE"

    2019年7月のTweetだけど。訂正しなければならない。この数年のDNA考古学の進展は、新石器時代から青銅器時代の人類文化の全貌を驚くべき正確さで明らかにしつつある。 https://t.co/n49UB3CoeE

    m-take on Twitter: "2019年7月のTweetだけど。訂正しなければならない。この数年のDNA考古学の進展は、新石器時代から青銅器時代の人類文化の全貌を驚くべき正確さで明らかにしつつある。 https://t.co/n49UB3CoeE"
  • 名大など、数学と考古学を融合させた新分野で人類進化史の説明に成功

    名古屋大学(名大)は1月12日、旧人と新人というふたつの人類集団の空間分布動態を表現すると同時に、集団間の資源競争による人口密度の変化を示す数理モデル「生態文化分布拡大モデル」を用いた人類進化史の説明に成功したと発表した。 同成果は、名大博物館・大学院環境学研究科の門脇誠二講師、明治大学 総合数理学部の若野友一郞教授らの共同研究チームによるもの。詳細は、科学誌「Quaternary International」にオンライン掲載された。 ここ最近10年間の人類進化史の研究における進展はめざましく、現在の中学校や高校の歴史や生物の教科書が追いつかない状況となっている。それら教科書では、我々ホモ・サピエンスこと新人は、ネアンデルタール人などのさまざまな旧人よりもあとに登場し、より発展した文化を最初から持っていたと説明されている。しかし、もはや大きな更新が必要だという。 まず新人の登場時期が、約3

    名大など、数学と考古学を融合させた新分野で人類進化史の説明に成功
  • 平安期の土器に古今和歌か 京大構内で出土、墨書の平仮名 | 共同通信

    京都大医学部構内(京都市左京区)の発掘調査で出土した平安時代後期(12世紀)の土器片に、勅撰和歌集「古今和歌集」に収められた歌人凡河内躬恒の和歌とみられる平仮名が墨書されていることが分かり、京都大の笹川尚紀助教(日史学)らのチームが15日、発表した。 笹川助教によると、土器が出土したのは平安後期に院政の中心地として栄え、皇族や貴族の邸宅があった場所。京大の金光桂子教授(国文学)は「古今和歌集は当時から必読の書とされ、基的な教養の証しだった」と話している。紙でなく土器に墨書きされた理由は不明という。 土器は2000年に平安後期の井戸跡から出土した。

    平安期の土器に古今和歌か 京大構内で出土、墨書の平仮名 | 共同通信
  • 絶滅した巨大動物などが描かれた1万2000年前の壮大な壁画がアマゾンの熱帯雨林で発見される

    by Marie-Claire Thomas/Wild Blue Media コロンビア南東部に位置するアマゾンの熱帯雨林で、およそ1万2000年前に先住民が描いた膨大な数の壁画が発見されました。3つの遺跡にまたがる壁画は合計で数万点に及び、その中にはすでに絶滅した巨大動物の姿も描かれていると研究者らは報告しています。 Colonisation and early peopling of the Colombian Amazon during the Late Pleistocene and the Early Holocene: New evidence from La Serranía La Lindosa - ScienceDirect https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S1040618220301907 Re

    絶滅した巨大動物などが描かれた1万2000年前の壮大な壁画がアマゾンの熱帯雨林で発見される
  • 南アの洞窟から17万年前の焼き芋 最古の調理の証拠か:朝日新聞デジタル

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    南アの洞窟から17万年前の焼き芋 最古の調理の証拠か:朝日新聞デジタル
  • 日本列島は紀元前から文字使用か 発掘された石は「すずり」 | NHKニュース

    列島で文字が使われ始めた時期が大きくさかのぼるかもしれません。弥生時代や古墳時代の遺跡から発掘された石が調査の結果、「すずり」と判断される事例が九州北部を中心に相次ぎ、調査に当たった専門家は、紀元前100年ごろから文字が使われていた可能性があると指摘しています。 刃物などを研ぐ「砥石(といし)」と判断されていた石などを詳しく調べ直した結果、これまでにおよそ130点が「すずり」と判断されました。 ほぼ同じ時代の中国や朝鮮半島の遺跡から見つかったすずりと形が似ていることに加え、石のすり減り方が砥石と異なるほか、一部には墨とみられる黒い付着物が付いていたことなどから、「すずり」と判断したということです。 調査に当たっている弥生時代の専門家で、國學院大学の柳田康雄客員教授によりますと、「すずり」と判断した石は、九州北部を中心に西日の各地に分布し、このうちの5点は弥生時代中期の紀元前100年ご

    日本列島は紀元前から文字使用か 発掘された石は「すずり」 | NHKニュース
  • 平家一門の屋敷の一部か 堀の跡見つかる 京都 | NHKニュース

    平安時代後期に勢力を伸ばした平家一門の屋敷の一部とみられる堀の跡などが京都市内の発掘現場で見つかり、19日、一般向けの現地説明会が行われました。この付近に平家が拠点を築いたことは記録に残っていましたが、実際に遺構が見つかるのは初めてだということです。 ホテル建設に伴って、民間の発掘調査会社が去年12月から調査を進めていました。 堀の跡は東西に長さ15メートル、深さ1メートル40センチで、いちばん上の部分の幅は3メートルほどですが、深くなるほど狭くなっています。 南側に土塁が積まれた跡があることから南に屋敷が広がっていたとみられ、堀の中からは平安時代後期に当たる12世紀ごろの土器が多く出土したということです。 発掘調査会社によりますと「平家物語」には当時、この付近に平家一門の軍事的な拠点が築かれたとされていて、見つかった堀は、その一部と見られるということです。 この地域で、平家一門のものとみ

    平家一門の屋敷の一部か 堀の跡見つかる 京都 | NHKニュース
  • ローマ皇帝ネロの黄金宮殿、「秘密の部屋」を発見

    新たに発見されたドムス・アウレアの秘密の部屋。コロッセオ考古学公園提供(2019年5月8日提供)。(c)AFP PHOTO / PARCO ARCHEOLOGICO DEL COLOSSEO 【5月11日 AFP】約2000年前に建てられたローマ皇帝ネロ(Nero)のドムス・アウレア(Domus Aurea、黄金宮殿)で、修復作業中にきめ細かなフレスコ画で飾られた秘密の部屋が見つかった。作業を監督するコロッセオ考古学公園が10日、AFPに明らかにした。 【編集部おすすめ】「平民席」の眺めは最高 ローマのコロッセオ最上階40年ぶり一般公開へ 考古学チームは、秘密の部屋につながる穴を偶然発見。部屋は、ケンタウロスやギリシャ神話の神パン(Pan)などの神話に関する絵で彩られていたという。 チームはこの部屋を「サーラ・デッラ・スフィンジェ(Sala della Sfinge、スフィンクスの間)」と

    ローマ皇帝ネロの黄金宮殿、「秘密の部屋」を発見
  • 曹操の墓と見られる遺跡で出土のつぼ 最古の白磁か | NHKニュース

    「三国志」に登場する古代中国の英雄、曹操の墓とみられる3世紀の遺跡から出土したつぼが、この時代には存在しないとされてきた「白磁」の特徴を持っていることが分かり、調査に当たった東京国立博物館の研究チームは、これまでの発見例を300年以上さかのぼる最古の白磁だとしています。 この墓は出土品の特徴などから3世紀に作られたと考えられ、中国政府の研究機関は「三国志」に登場する英雄、曹操の墓だとしています。 見つかったつぼは、高さ13.4センチ、口径8.7センチの大きさで、去年12月、東京国立博物館の研究チームが現地で詳しく調べたところ、表面に透明な釉薬がかけられているうえ、それが高温で焼き上げられてガラス質に変化しているなど、白磁の特徴を備えていることが確認されました。 研究チームによりますと、白磁はこれまで中国の6世紀末の遺跡から出土したものが最も古いとされてきましたが、今回見つかったつぼは墓が作

    曹操の墓と見られる遺跡で出土のつぼ 最古の白磁か | NHKニュース
  • イエスの処刑命じた総督名? 2000年前の指輪に「ピラト」の刻印 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

    ヨルダン川西岸にある古代遺跡ヘロディウム(1998年5月25日撮影)。(c)SAAR YAACOV / GPO FILES / AFP 【12月3日 AFP】イスラエルの研究チームはこのほど、エルサレム周辺で発見された古代の指輪に、イエス・キリスト(Jesus Christ)の処刑を命じた人物として聖書に記載されているローマ帝国の総督、ポンテオ・ピラト(Pontius Pilate)の名前が刻印されている可能性があると発表した。ピラトの名前が記された現存する遺物はほとんどなく、実際に人の名前であれば極めて珍しい例となる。 考古学誌イスラエル・エクスプロレーション・ジャーナル(Israel Exploration Journal)に掲載された論文によると、この指輪は約50年前に見つかったもので制作年代は約2000年前。銅の合金製で押印に使用されていた。 研究チームは指輪の刻印がギリシャ語で

    イエスの処刑命じた総督名? 2000年前の指輪に「ピラト」の刻印 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News