この問題に片をつけるかたちで東氏が主張したのは「作り手と受け手を分けて考えたい」なぜなら「受け手のことを考えても、自己肯定や世代論にしかならない」からだという。ある作品をリアルタイムで受容した世代が、まるできれいな地層をなす図が想像される。つまりこの問題で東氏のとりあえずの主張は、作り手の側を考えたいということだろうか。 この文脈で考えるなら、作り手=作家のセクシュアリティという問題を交えた「性の問題」を語った部分は、なるほどおもしろく聞けた。まず竹熊健太郎氏の疑問に答えるかたちで、斎藤氏が「ヒステリー化」を説明。つまり男性が女性に恋愛するとき、男性が女性を「ヒステリー化」すること。これは「表面の魅力にひかれつつ、内面のトラウマを求める」行為だという。『永遠の仔』を例に引きながら、同書のヒロインの魅力はトラウマを抜きにしては考えられないと語る斎藤氏。とはいえ戦闘美少女には肝腎のトラウマがな