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現代哲学と30pに関するjrfのブックマーク (3)

  • 格差社会って何だろう - 内田樹の研究室

    「格差社会」という言葉が繰り返し紙面に登場する。 格差がどんどん拡大しているから、これを何とかしなければならないという現実的な(あるいは非現実的な)さまざまの提言がなされている。 どなたも「格差がある」ということについてはご異論がないようである。 だが、私はこういう全員が当然のような顔をして採用している前提については一度疑ってみることを思考上の習慣にしている。 「格差」とは何のことなのか? メディアの論を徴する限りでは、これは「金」のことである。 平たく言えば年収のことである。 年収数億の人もいるし、数十万の人もいる。 とくに年収が低い階層のヴォリュームがこのところ急増している。 パラサイトシングルというのも、フリーター・ニートというのも、ネットカフェ難民というのも、過労死寸前サラリーマンも、要すれば「金がない」せいでそういう生活様態の選択を余儀なくされている。 そういう説明がなされている

    jrf
    jrf 2007/07/25
    下層の人々の自律的厚生を高めること、世に難あれば一丸となれることは必要だと思う。そこから格差を憂う。「拝金主義」としか見ない者との間に壁はできた。今の私は人に省みられない無価値の策を唱えるのみ。
  • 個人の自由を支える国家の権力 - 数学屋のメガネ

    『自由とは何か』(佐伯啓思・著、講談社現代新書)というに大変興味深い記述があった。そこでは3年前のイラク人質事件に関連して、自らの自由意志でイラクに行った彼らの責任が、意志の「自由」というもので論理的に導出できるかと問いかけていた。 佐伯さんは、彼らがたとえ自分の意志で、国家の勧告に反して行ったとしても、どのような事件に巻き込まれようと自業自得で放っておいてもいいのだということにはならないという。近代国家には国民を守るべき責任があるというのだ。彼らがある意味では勝手に行ったのであろうとも、彼らの危機に対して国家はそれを救うのに全力を尽くさなければならない責任があるという。近代国家(民主主義国家ということだろうか)はそうでなければならないということだ。これは僕もそう思う。 これは感情面で同意できるというだけではなく、民主主義というものは、そのような原則を基礎にしなければ国家の安定が得られな

    個人の自由を支える国家の権力 - 数学屋のメガネ
    jrf
    jrf 2007/01/16
    自由のために「何か」が必要。だが「何か」の地位を占めようとするのが何であるかを同定するのにリベラリストならばもっと注意をおくべき、と、まず思った。再考し一般的「自由」のためというのが問題だと思った。
  • ララビアータ:選民(その3) - livedoor Blog(ブログ)

    われわれは、レヴィナスのヨブ記解釈(または、内田樹氏によるその解釈)を要約して、「主体が象徴界に生まれる時、主体は象徴界に遅れをとらざるを得ない」と記した。主体にとって根源的な遅れとは、言語への参入によって初めて主体が成立するものである以上、主体は象徴界に対して常に遅れを取ったものとして登場せざるを得ないという事である。 象徴界への遅れは、万人にとっての宿命であるにもかかわらず、それが何故私の責任の根拠(そして自由の根拠)となり得るのであろうか? それは、どのような象徴界といえども、その中への私の同定、「それが私だ」を必要とするからである。テクストの中の私の同定とその引き受けを通して、私たちは言語主体になるのだ。私のことは、私が主体として成立する前から、すでに語られてしまっていたのだ。だからこそ主体は、テクストの中にすでに語られてしまっている自分自身を認知しなければならない。象徴界(言語的

    jrf
    jrf 2006/11/27
    他者の中にサタンがいる。だが「我々」の中にサタンはいない。かといってサタンが神の現れでは、ベルゼブブの宗教だ。でも時代がそういう「許し」を求めることもある。〉師がいかなる意味で師であるのか〈。
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