次期名古屋市長選への立候補を表明している国民民主党の大塚耕平参院議員(64)=愛知選挙区=は本紙の取材に、政府の24年度予算案が成立後に離党届を提出することを明らかにした。離党後は無所属で参院議員を務める。17日に同市内で開く後援会の総会で、支援者らに説明する意向という。
次期名古屋市長選への立候補を表明している国民民主党の大塚耕平参院議員(64)=愛知選挙区=は本紙の取材に、政府の24年度予算案が成立後に離党届を提出することを明らかにした。離党後は無所属で参院議員を務める。17日に同市内で開く後援会の総会で、支援者らに説明する意向という。
岸田首相の長男、翔太郎氏が1日付で政務担当の首相秘書官を離任する。昨年10月の就任以来、数度のスキャンダル騒ぎが重なった末、首相公邸で親族が忘年会を行い、痴態をさらけ出した写真の存在が週刊文春の報道で発覚。同席していた翔太郎氏には「致命傷」となり、事実上の更迭となった。 一方で翔太郎氏を巡っては、世襲批判も相まって感情的な非難も目立つ。かくいう筆者もツイッターで「廃嫡もの」と厳しく論じてきた側だが、官邸サイドが批判が増えるのを恐れてか、ファクトを十分出していないために誤解が広がり、過剰に叩かれてしまったようにも感じている。この半年あまり、筆者が取材で得ていた話を明らかにするとともに論評を書き置きたい。 「違法」ではないが… 公邸に外国首脳などの賓客を招くなどの公的スペースもあるが、首相が居住する私的なスペースがある。今回「寝そべり」騒動の舞台になった階段は、公的なスペースだ。 公邸に親族や
自民党の参議院議員会長や国家公安委員長などを歴任した、溝手顕正氏が14日夕方、広島市内で亡くなりました。80歳でした。 溝手氏は広島県の三原市長を経て、平成5年の参議院広島選挙区の補欠選挙で初当選し、5回連続で当選しました。 この間、第1次安倍内閣で国家公安委員長と防災担当大臣で初入閣し、その後、自民党の参議院幹事長や参議院議員会長を歴任しました。 4年前の2019年の参議院選挙に6回目の当選を目指して立候補しましたが、自民党が、定員2の広島選挙区に溝手氏のほかに新人も擁立したため落選しました。 溝手氏は、病気の療養を続けていたということですが、関係者によりますと、14日夕方、広島市内で亡くなりました。80歳でした。
旧ソビエトの最後の指導者で東西冷戦を終結に導いたミハイル・ゴルバチョフ氏が30日に亡くなりました。91歳でした。 国際社会からは、東西冷戦を終結に導き、核兵器の削減に取り組んだゴルバチョフ氏の死を悼む声が相次いでいる一方、その業績に対してはロシアの市民から批判の声が聞かれるほか、ロシアメディアも比較的冷ややかに伝えています。 「ペレストロイカ」「グラスノスチ」 ゴルバチョフ氏は1931年、ロシア南部のスタブロポリ地方に生まれ、共産党の要職を歴任したあと、1985年に54歳でソビエトの最高指導者にあたる書記長に就任しました。書記長として、ペレストロイカと呼ばれた政治改革や、情報公開を意味するグラスノスチなど、閉鎖的な社会を民主化する政策を進めました。 外交政策でも、欧米諸国などとの対立の緩和を目指す「新思考外交」を掲げ、社会主義圏だった東ヨーロッパ諸国の民主化や東西ドイツの統一を容認したほか
米誌タイム(電子版)は4月28日、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領や10人以上の側近らへのインタビューを基にした特集記事を配信し、ロシアによるウクライナ侵攻が始まった2月24日当日、ゼレンスキー氏が命を狙われていた、などと伝えた。 【動画】マリウポリで両軍車両が接近戦、ロシア軍の兵員輸送車が炎上 露軍が2月24日未明、首都キーウ(キエフ)などに爆撃を加え、侵攻が始まった。記事によると、ゼレンスキー氏は当時、家族と一緒だったといい、2人の子供に、爆撃があったことを伝えた。その後、ウクライナの軍関係者から、露軍部隊が自分や家族を「殺害するか拘束する」ため、パラシュートでキーウに降下している、との連絡を受けた。侵入者を防ぐため、大統領府入り口は合板で封鎖されたという。 記事では、24日夜に大統領府など政府庁舎が集まるキーウ中心部で銃撃戦が起きたことも伝えた。大統領府敷地内では明かり
鄧小平により不当に失脚に追い込まれた華国鋒・元主席は名前さえ出すことが禁止されていたが、習近平はその禁を破った。自分の父・習仲勲を失脚させた犯人が鄧小平だからだ。 ◆毛沢東に後事を託された華国鋒 1976年9月9日、建国の父・毛沢東が他界したが、4月30日には「あなたがやれば、私は安心だ」というメモを残して、後事を華国鋒(1921年~2008年)に託している。 このメモの信憑性を疑う論調もあるが、1972年2月21日に訪中したニクソン元大統領の通訳をした章含之氏が『分厚い大紅門を乗り越えて』(2002年)という本の中で証言しているので確かだろう。 しかし毛沢東亡き後、毛沢東夫人の江青(ジャン・チン)を中心とした文化大革命(文革)4人組が政権を奪取しようとしたので、華国鋒は間髪を入れずにクーデターを起こして武力で4人組を逮捕し、文革を終了させた(1976年10月6日)。 その結果、華国鋒は、
『国家はいかに「楠木正成」を作ったのか 非常時日本の楠公崇拝』(谷田博幸 著) 昭和初期の歴史学界や教育界等において、楠木正成の忠臣像がいかに喧伝されたのかを検証したのが本書である。しかし著者の視線は、実は過去ではなく現代に向けられている。本書の真の目的は、近年見られる楠公(なんこう)顕彰の動向を批判し、警鐘を鳴らすことである。 本書で参考文献に挙げられている拙著『南朝の真実』(吉川弘文館、二〇一四年)で、知覧特攻平和会館に展示されている特攻隊員の遺書の多くが楠公父子に言及していることを指摘したとおり、戦前の楠公崇拝教育が日本人にきわめて大きな(負の)影響を与えたことは厳然たる事実である。また本書で批判される平成二八年(二〇一六)開始の産経新聞の楠公顕彰キャンペーンでは、実は評者も取材を受けた。評者は室町幕府執事高師直(こうのもろなお)を現実的な改革派政治家として高く評価しており、それにつ
ロシア・モスクワの書店で著書を紹介するミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領(2017年10月10日撮影、資料写真)。(c)Vasily MAXIMOV / AFP 【3月3日 AFP】ミハイル・ゴルバチョフ(Mikhail Gorbachev)元ソ連大統領が2日、90歳の誕生日を迎えた。同氏は新型コロナウイルスの感染予防で自主隔離中だという。 ゴルバチョフ基金(Gorbachev Foundation)の広報担当者、ウラジーミル・ポリャコフ(Vladimir Polyakov)氏によると、ロシアのウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領、米国のジョー・バイデン(Joe Biden)大統領、ドイツのアンゲラ・メルケル(Angela Merkel)首相ら各国の指導者から祝電が寄せられた。 ポリャコフ氏によると、ゴルバチョフ氏は新型ウイルスの感染を予防するため病院で自主隔離し、
「戦後政治の総決算」を掲げ、国鉄の民営化や日米安全保障体制の強化などに取り組んだ、中曽根康弘元総理大臣が29日、東京都内の病院で亡くなりました。101歳でした。 そして、昭和22年の衆議院選挙で、旧群馬3区に、当時の民主党から立候補して初当選し、その後、自民党の結成に参加して、20回連続で当選しました。 この間、昭和34年に第2次岸改造内閣の科学技術庁長官として初入閣し、防衛庁長官、運輸大臣、通産大臣のほか、自民党の幹事長や総務会長などを務めました。 また、改進党に所属していた当時、被爆国の日本でも、原子力発電に向けた研究開発が不可欠だとして、原子力関係の予算案の提出を主導したことでも知られました。 中曽根氏は、当時の佐藤栄作総理大臣の長期政権のもと、三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫と並んで、いわゆる「三角大福中」の一角をなし、「ポスト佐藤」の候補として、党内の実力者のひとりに数えら
切手というモノを、ちょっと違った角度から眺めてみると、あなたの知的好奇心をくすぐる新たな発見がイロイロあるのです。そんな切手の面白さを綴っていこうと思っています。 1989年9月7日、ポーランドで“連帯”出身のタデウシュ・マゾヴィエツキ内閣が成立し、ポーランド統一労働者党(以下、共産党)が下野したことでポーランド人民共和国は消滅し、現行のポーランド第三共和国が成立してから、きょうで30年です。というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます) これは、1989年5月18日にポーランドで発行予定だったものの、共産党政権崩壊の過程で、不発行に終わったグジェゴシュ・コルチンスキの切手です。 1987年以降、ポーランドでは政府の経済失政により急激なインフレが進行し、暴動とストライキが頻発。当初、政府はこれを力ずくて抑え込んでいましたが、1988年8月になると、“連帯
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く