1982年、京セラ経営方針発表会の決起コンパにて、稲盛和夫氏の語りを身を乗り出して聴き入る社員たち。むせかえるような熱気が伝わる(写真:京セラ) 稲盛和夫氏は常に社員のベクトルを合わせ、会社全体が同じ方向を向くことを重んじてきた。稲盛氏のもと、京セラとKDDIで副社長を務めた山本正博氏は、京セラに転職してきた際にはその厳しい規律に驚き、すぐ疑問を感じた。 稲盛氏の情熱の思想を、未発表の文献と関係者13人ヘのインタビューで綴った新刊『熱くなれ 稲盛和夫 魂の瞬間』から、当時のエピソードを一部抜粋して紹介する。 【写真】2022年8月、90歳で逝去した稲盛和夫氏 ■「社長、おかしいじゃないですか、この会社は」 京セラには中途入社で入りました。それまでは11年間、旭化成にいて、2~3年ごとに転勤する生活でした。私は長男だったので、大阪に住む両親の面倒を見ながら働ける会社はないかと探していました。
日本銀行の黒田東彦(はるひこ)総裁(78)は7日、任期満了を8日に迎えるのを前に、日銀本店で退任の記者会見を行った。10年続けた大規模な金融緩和によって「物価が持続的に下落するデフレではなくなった」と振り返り、「物価目標を安定的に達成できる時期が近づいている」と語った。 【表】新日本銀行法以降の総裁、副総裁の変遷 黒田氏は就任直後の2013年4月の金融政策決定会合で、異例の規模で国債や上場投資信託(ETF)を買い入れる金融緩和策の導入を主導した。その後も、マイナス金利など異例の策を採用した。黒田氏は「政府の政策と相まって経済・物価の押し上げ効果をしっかりと発揮した。政策運営は適切だった」と総括した。
「世界のサカモト」と評された音楽家の坂本龍一(さかもと・りゅういち)さんが3月28日、死去した。71歳。東京都出身。葬儀は近親者のみで営まれた。 【写真】1979年ワールドツアーを行っていた頃のYMO(左から)坂本龍一さん、高橋幸宏さん、細野晴臣 スポニチ本紙の取材では都内の病院で亡くなった。日本における坂本さんのマネジメント会社「キャブ」も「坂本龍一が去る2023年3月28日71歳にて永眠いたしましたした」と発表した。20年6月に直腸がんと診断され、両肺などにも転移しステージ4と公表していた。「キャブ」は「がんの治療を受けながらも、体調の良い日は自宅内のスタジオで創作活動をつづけ、最期まで音楽と共にある日々でした」とした。 1980年代に3人組バンド「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO)で世界的ヒット曲を生み出した。映画音楽でも知られ、88年には米映画「ラストエンペラー」で米アカ
岸田総理大臣がウクライナを電撃訪問です。岸田総理が訪問先のインドから極秘で、ウクライナに向かいました。経由地のポーランドでの姿をNNNのカメラが捉えました。この後、首都キーウで、ゼレンスキー大統領と会談するとみられます。 【動画】ウクライナに向かう岸田首相を撮った 日本時間の21日午前9時20分すぎ(現地時間の午前1時20分すぎ)、ポーランド南東部のウクライナとの国境の町、プシェミシルの駅で列車に乗り込む岸田総理を捉えた映像では、岸田総理が黒塗りの車列から降りた後、現地の警護隊員とみられる男性に付き添われながら、列車に乗り込みました。 岸田総理を乗せた列車は、現在、首都キーウに向かっているものとみられ、この後、ゼレンスキー大統領と会談するものとみられます。 インドのニューデリーを訪問中だった岸田総理は、一切情報を公開せず、チャーター機を使って、ポーランド南東部、ジェシュフの空港に到着しまし
2月25、26日の両日、島根県大田市の「さんべ荘」で将棋の王将戦七番勝負(毎日新聞社・スポーツニッポン新聞社主催)の第5局が行なわれ、藤井聡太五冠(20)が挑戦者の羽生善治九段(52)を101手で下した。藤井は対戦成績を3勝2敗とし、王将位防衛まであと一つ。通算タイトル100期の偉業を目指す羽生は後がなくなった。第6局は3月11、12日の両日に佐賀県で行われる。【粟野仁雄/ジャーナリスト】 【写真】藤井五冠午後のおやつは「香木の森クラフトハーブソーダ」「アイスレモンティ」 激しい将棋 これで両雄の対戦成績は藤井の10勝3敗。レジェンドに10勝したのも藤井が最速だ。 局後、藤井は「1日目から激しい将棋になって、長考する場面、どうなっていたかわからない局面も多かった」と語った。羽生は「まとめづらい難しい将棋だった。終盤のどこかで間違えた気がします」と振り返った。 先手の藤井が初手の直前、お茶を
歌手の黒崎真音さんが16日、持病の悪化に伴い死去した。所属事務所が28日、公式サイトなどで発表した。年齢は公表していないという。葬儀は近親者のみで執り行った。 【写真】1月には…ライブに出演し笑顔を見せていた黒崎真音さん 同事務所は「弊社所属、黒崎真音が2月16日に持病の悪化に伴い急逝いたしました」と報告。「自身の映画の公開、夏以降のスケジュールや新曲の発表など、今後の事を話し合っていた中での突然の出来事でした」とし、「あまりにも突然のことで社員、スタッフ一同深い悲しみに包まれております」と心境を明かした。 通夜・葬儀について「静かに見送りたいとのご遺族の意向もあり近親者のみにて執り行われました」と説明。「今まで黒崎真音を応援して下さったファンの皆様、関係者の皆様に心より感謝いたします」と記した。 黒崎さんは1月13日生まれ、東京都出身。『薄桜鬼 雪華録』『とある魔術の禁書目録』『がっこう
大学再編問題で、浜松市の鈴木康友市長は静岡大学の日詰一幸学長を「学長失格」と痛烈に批判しました。 浜松市 鈴木康友市長:「私は大変に、あの会見は遺憾だったと。学長として失格だと」 27日午前、定例会見で怒り露わにした浜松市の鈴木市長。きっかけは、静岡大学・日詰学長のこの発言でした。 静岡大学 日詰一幸学長(9日):「2つの大学を1つの大学にしていくことが、ひとつの選択肢、あるいは最善の選択肢としてあるのではないか」 2018年に動きだした静岡大学と浜松医科大学の再編問題を巡って9日、静岡大学の日詰学長は個人的な考えとした上で、「1法人1大学案」を示したのです。 浜松市は県西部の自治体を中心に、大学再編の期成同盟会の発足を決めていますが、日詰学長はこの件について「大学の主体性」を強調。困惑していると表明しました。 浜松市 鈴木康友市長:「何を考えているのかと。大学同士の話はもう終わっている。
【ワシントン共同】国連環境計画は9日、南極上空のオゾン層が2066年ごろまでに、極端な減少がみられるようになる前の1980年の水準に戻るとの予測を発表した。北極では2045年、他の地域で40年までに回復する見込み。国際協調でオゾン層破壊物質が99%近く削減されており、対策が続くことが前提だとした。 【写真】南極・昭和基地、日本の観測隊はオゾンホール発見など成果を重ねてきた 成層圏のオゾン層は太陽からの有害な紫外線を吸収する。エアコンの冷媒やスプレー缶の噴射剤などに使われた物質「フロン」に破壊され、南極でオゾンホールが発生。皮膚がん増加の懸念も強まり、1987年のモントリオール議定書でフロンなどの生産と消費が禁じられた。
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