ブックマーク / c71.hatenablog.com (3)

  • 悲鳴を上げることすらできない - c71の一日

    ネットと世間に流れる「少女はなぜ逃げなかったか」に答える:岡山小6少女誘拐監禁事件被害者保護のために(碓井 真史) - 個人 - Yahoo!ニュース これを読んで、わたしなりに補足できることがあるかなと思って書きます。 犯罪被害と自衛の精神論 - ある精神病患者の一日 これを書いたときに、「普段から自分はもっと気をつけている」「退路をいつも気にして過ごしている、そんなのは当たり前じゃないか」という意見をもらいました。「背後から来ると思うのは当たり前、エレベーターで後ろにひとが来ないようにするのは当然」という意見もありました。 わたしが書きたかったのは、個々の事例ではなくて、病的に、世界に対する信頼感を失ったということです。個人個人が気をつけるのはご自由にと思います。 ただ、子どもにはそれができません。そして、期待してもいけないと思います。 教育することはできます。ただ、彼女たちには責任能

    悲鳴を上げることすらできない - c71の一日
  • わたしは獣になりかけていた - c71の一日

    西原理恵子が朝日新聞でいいこと言ってた。「時間は限られているし、手は二しかない。」 「病と貧困は人を獣にする。プライド高く、日銭を稼ぐことを軽蔑して獣になった人がたくさんいる」 「夫のアル中治療で獣を人に戻すのにとてもお金がかかった。人生の自由は有料だ。」— たかはし けーすけ (@keisuke0528) 2013, 1月 1 お金を稼ぐことは、自分を肯定する力を強めること。 でも、できれば、自分が楽しく過ごせる場所で働ける方がもっと良い。 いつもと逆向きの電車に乗り込むことすらできないほど、追いつめられる前にそういうことがわかって良かった。 そんな単純なことに、気がつくまで、わたしはぐるぐるしていた。 わたしはプライドが高くて、日銭を稼ぐことを軽蔑していた人だった。 正社員であり続けることが失敗しただけで、人生丸ごと終わってしまった気がしていた。 できることが少ないのに、万能感だけが

    わたしは獣になりかけていた - c71の一日
    kbeee
    kbeee 2014/07/07
    正のサイクルが回ってないとつらいのよ
  • 犯罪被害と自衛の精神論 - c71の一日

    わたしが犯罪被害に会ったとき、犯罪者は夜のファミリーマートで、「襲っても勝てそうな女」を物色していたそうだ。だから、それが、わたしであっても、わたしでなくても、誰かが一人は、被害者になるのだった。わたしが自衛しても、被害者の数は減らせない、ということだ。強そうか、弱そうかのジャッジは、もちろん、犯罪者がすることなので、そのテストに受かるかどうかの保障は全くない。 犯罪者から見て、わたしは弱々しいだろうか、と常に自己点検したところで、犯罪者が、「ああ強そうだからやめておこう」と思ってくれる見込みはあまりにも少ない。 あの日、わたしは、会社帰りで、雨の中、いつものように、歩いて帰っていた。これを不用心だというひともいると思う。タクシーで帰るべきだと。でも、手取りで十五万円もない、人間が、そんな贅沢もできるわけでもなかった。十三万円くらいだったかな? 私の後を、ひたひたと足音が追ってくる。わたし

    犯罪被害と自衛の精神論 - c71の一日
    kbeee
    kbeee 2014/06/22
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