人気漫画「ちびまる子ちゃん」で知られる漫画家のさくらももこさんが、がんのため亡くなりました。53歳でした。
フィギュアスケート男子で14年ソチオリンピック(五輪)銅メダルのデニス・テンさん(25)が19日、強盗に襲われて刺殺された。カザフスタンの国際ニュース通信社「カズインフォルム」をはじめ、複数メディアが報じた。 「カズインフォルム」は、カザフスタンの保健・社会開発省関係者が一部の報道を認めたと報じた。広報のイエナル・アキムクロフ氏は「不幸なことに、彼は我々とともには、もういられません」と声明を発表した。同氏は、テンが死亡したことについて会見を開くと明らかにしたという。 テンさんは16年3月30日、フィギュアスケート世界選手権の公式練習中に、同大会で2年連続の銀メダルを獲得した羽生結弦(ANA)の曲をかけた練習中にリンク中央でスピンを続け、羽生とぶつかりかけた。 その場で羽生は「それはねえだろ、お前」と激怒。羽生はその後「彼自身苦しさもあっただろうし、もちろん僕にもあった。この試合で和解したい
人気演芸番組「笑点」で長く親しまれた落語家で落語芸術協会会長の桂歌丸(かつら・うたまる、本名・椎名巌=しいな・いわお)さんが2日午前11時43分、死去した。81歳。 1951年、15歳で五代目古今亭今輔に入門し前座名今児(いまじ)を名乗った。2年半ほど落語界から遠ざかったが、61年兄弟子の桂米丸門下に移り米坊として出直し。64年歌丸と改名し、68年に真打ち昇進した。 66年に始まった日曜夕方放送の「笑点」では、一時降板したが、当初からのレギュラーメンバー。三遊亭小円遊さん(80年死去)や三遊亭楽太郎(現六代目円楽)さんとの掛け合いが、茶の間の人気を呼んだ。2006年には五代目円楽さん(09年死去)に代わって5代目の司会者を16年まで務め、高視聴率番組の安定した人気をけん引した。
先日書いた栗城史多さんの記事、このブログを始めて以来最大のアクセスを集めました。ある程度拡散するかなとは思っていたけど、予想以上。ツイッターやフェイスブックでもたくさんシェアされて、その後会ったひと何人からも「読みましたよ」と感想を聞かされました。なんと栗城さん本人からもフェイスブックの友達申請が来て、ひえーと思いつつもOKを押しておきました。 となるとやっぱり気になるので、栗城さんがらみの情報をいろいろ見てみました。これまで栗城さんを特段ウォッチしていたわけではないので、知らなかったこともたくさんありました。そのひとつはルート。栗城さんがねらっているのはエベレスト西稜~ホーンバインクーロワールと思っていたのだけど、これは結果的にそちらに転身しただけで、もともとは北壁ねらいだったようですね。 直接・間接に、いろいろ意見や情報もいただきました。ひとつうまい例えだなと思ったのは、「栗城史多はプ
栗城事務所の小林と申します。このようなお知らせになり大変申し訳ございませんが、エベレストで下山途中の栗城が遺体となり発見されました。下山を始めた栗城が無線連絡に全く反応しなくなり、暗い中で下から... コメント一覧 1.たけちゃん 2018年05月21日 15:17 お疲れ様でした!ご冥福お祈り申し上げます🙇 2.SANA 2018年05月21日 15:25 記事を読んでびっくりしました。 いつも拝見させていただいてまして、 残念です😭😭 3.りるりる 2018年05月21日 15:26 何があったのでしょうか。ショックです。 ご冥福をお祈りいたします。 4.SANA 2018年05月21日 15:27 いつも拝見させていただいてまして、 今回このようになってしまい本当に 残念です😭 御冥福をお祈りいたします。・:+°( ・´ー・`) 5.miho cozynail niko(ふっ
北朝鮮に拉致され、その後、帰国を果たした曽我ひとみさんの夫で、平成16年から曽我さんの故郷、新潟県佐渡市で暮らしていたチャールズ・ジェンキンスさん11日亡くなりました。77歳でした。 その間に拉致被害者の曽我ひとみさんと結婚し、平成16年からは、日朝首脳会談のあと帰国を果たした曽我さんの故郷、新潟県佐渡市で暮らしてきました。 佐渡市の観光施設でみやげ物の販売員として働き、観光振興に貢献したとして感謝状を贈られたこともありました。 ジェンキンスさんは、北朝鮮の同じアパートに、拉致被害者と見られるタイ人やルーマニア人の女性がアメリカ人の脱走兵の妻として暮らしていたことを明らかにするなど、拉致が国際的な問題となる1つのきっかけを作りました。 また、平成19年には、タイのバンコクで開かれた北朝鮮の人権問題を話し合う初めての国際会議に出席し、拉致被害者と見られるタイ人の女性の北朝鮮での様子などを証言
歌舞伎俳優、市川海老蔵さんの妻で、乳がんの治療を続けていることを公表していた、フリーアナウンサーの小林麻央さんが、亡くなりました。34歳でした。
小林麻央さん死去 34歳、乳がん闘病もついに力尽く…幼子2人残し 拡大 乳がんを公表し、闘病中だったフリーアナウンサーの小林麻央さんが亡くなったことが23日、分かった。34歳の若さだった。夫の歌舞伎俳優・市川海老蔵(39)はきょう午後2時30分から、都内で緊急会見を開く。 昨年6月に海老蔵が麻央さんの病を公表。抗がん剤や輸血などで治療を続けていた。5月29日に在宅医療に切り替え、都内の自宅に戻り、家族と過ごす姿をブログで公開していた。7月21日には35回目の誕生日が迫っていたが、ついに力尽きた。残った幼子が2人。麗禾ちゃん(5)、勸玄くん(4)の成長を見届けることなく天国へ旅立った。 回復を目指して懸命の治療を受けてきた麻央さんだが、7月21日の誕生日を前に力尽きた。海老蔵は23日午前7時54分、公式ブログを更新し、「人生で一番泣いた日です。」と、愛妻の死去を示唆するような内容を記述。8時
声優の肝付兼太(本名・肝付兼正【きもつきかねまさ】)さんが20日、肺炎のため死去した。享年80。所属事務所が発表した。
大相撲の元横綱・千代の富士の九重親方が、31日午後4時ごろ亡くなりました。61歳でした。元千代の富士の九重親方は北海道福島町の出身で、現役時代31回の優勝を果たして、「ウルフ」のニックネームで圧倒的な強さと人気を誇り、相撲界初の国民栄誉賞も受賞しました。
日本を代表するピアニストで、世界的に活躍した中村紘子さんが、今月26日、大腸がんのため、東京都内の自宅で亡くなりました。72歳でした。 昭和40年には世界の一流ピアニストへの登竜門として知られる「ショパン国際ピアノコンクール」で、日本人で初めて4位に入る快挙を成し遂げ、その後も繊細さと躍動感を兼ね備えた演奏で多くのファンを魅了し、日本を代表するピアニストとして世界的に活躍しました。 これまでに国内外で3800回を超える演奏会を行い、平成20年に紫綬褒章を受章したほか、翌年には日本芸術院賞・恩賜賞に選ばれています。 所属事務所によりますと、中村さんは、おととし大腸がんが見つかり、その後、演奏活動の休止と復帰を繰り返していましたが、およそ2年半の闘病の末、今月26日、東京都内の自宅で亡くなったということです。
プロボクシングの元世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリ氏が3日、アメリカ西部・アリゾナ州の病院で亡くなりました。74歳でした。 アリ氏は、世界チャンピオンとして通算19回の防衛を果たすとともに、人種差別の撤廃を訴えました。引退後は、難病のパーキンソン病を患い、闘病を続けていました。
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