遠藤がレギュラー奪取に奮闘していた昨冬、旧知のテレビディレクターが偶然リバプールを訪ねていた。観戦のつもりが、予期せぬ密着取材が始まって――移籍後の初タイトルがかかるカラバオカップ決勝(日本時間2月25日24時)を前に、日本代表キャプテンがこぼした本音と素顔を、全3回にわたってお届けする。
格闘技界を揺るがす木村“フィリップ”ミノルのドーピング陽性問題。なぜ木村はドーピングに手を染めてしまったのか。本人に課されたペナルティは適切だったのか。そして「アンチ・ドーピング」の理念は、選手や関係者の間で十分に共有されているのか。プロ格闘技とアマチュアスポーツを長年取材してきた筆者が、問題を多角的に検証する。(全2回の1回目/後編へ) 「代謝が上がって、いつでも運動できる状態に…」 やはり“噂”は真実だった。 9月2日、RIZINは記者会見を行い、木村“フィリップ”ミノルがドーピング検査で陽性反応を示したことを明かした。契約に則り、罰金とともに半年間の出場停止処分が言い渡された。6月24日に札幌で行われた『RIZIN.43』のロクク・ダリ戦は、木村の1ラウンドKO勝ちから無効試合に変更された。 RIZINの榊原信行CEOとともに会見に出席した木村は、昨年12月28日の『INOKI BO
MLBオールスターの祭典がシアトルのTモバイルパークで、今年も華やかに開催された。無安打に終わるも、同地区のライバルチームの球場ながら「Come to Seattle!(シアトルに来て!)」コールが巻き起こるなど、話題を独占したのは、やはりエンゼルス大谷翔平だった。 前半戦を終わった時点でメジャートップの32本塁打を放ち、投手として被打率や奪三振数でリーグ上位に名を連ねる大谷は、2年ぶり2度目のMVP受賞もすでに有力視されている。しかも今季終了後にはフリーエージェント(FA)となるため、メジャーで今最も去就が注目されている選手。オールスター会場のあちらこちらで、話題は尽きなかった。
相撲、どこに行ったら見られるの? 屋根のある球場だけでなく、選手たちのほとんどは日本に来ること自体が初めて。だからこそ目にするものすべてが新鮮だった。ジーマはうれしそうにこう続けた。 「日本の文化も食べ物も気に入ったよ。スシに、ラーメン。何ていう名前だっけな、あのラーメンは……。とにかく辛くておいしかった。日本の文化や伝統もいいね。お寺とか、細かいディテールにこだわるところとか」 ディテールとは? 「例えばレストランで、箸の置き方とかもてなしの仕方とか。何でもきちんとした決まり、約束事がある。(土俵に上がってから儀式がある)相撲もそうだよね。実はすごく相撲を見に行きたいと思っているんだ。どこに行ったら見られるの? 連れていってほしい」 そう言って人懐っこそうな笑みを浮かべた。 チームの大黒柱は「本業・消防士」 チェコ代表は、昨秋にドイツで行われた予選A組(ヨーロッパ・アフリカのチームが出場
2月24日に始まったロシアによるウクライナへの軍事侵略に伴い、IOCは世界中の国際スポーツ連盟にロシアとベラルーシの国際大会からの締め出しを要請。ISU(国際スケート連盟)もそれに応え、今月末にフランスのモンペリエで開催される世界選手権を含む国際大会に、この二国の代表は出場させないことを決定した。 平昌オリンピック女子銀メダリスト、エフゲニア・メドベデワや、ソチオリンピックペアチャンピオンのタチアナ・ボロソジャルのように、いち早くウクライナ軍事侵略反対のメッセージを出したスケーターもいた。 その一方で、トリノオリンピック男子金メダリスト、エフゲニー・プルシェンコ、同じくトリノのアイスダンス金メダリスト、タチアナ・ナフカのようにロシアの競技締め出しに対して、強い抗議の声を上げる過去の名選手たちもいる。 一体、ロシアの日常は今どのようになっているのか。人々にはどのくらい情報が入っているのか。ロ
多くの人がもやもやした気持ちを抱えたまま、フィギュアスケート女子を観戦することになった。 ROC(ロシア五輪委員会)の北京五輪フィギュアスケート代表、カミラ・ワリエワの検体から禁止薬物が検出されたというニュースが発表されたことで、彼女の個人戦出場は一時不透明な状態になった。そして出場できるか否かはCAS(スポーツ仲裁裁判所)の手に委ねられた。 そして、2月14日午後。ワリエワに「出場許可」というニュースが届けられた。なお、3位以内に同選手が入賞した場合は、表彰式やメダル授与式を実施しないという。 今回の経過、裁定に関してはすでにニュース速報などでカバーされているはずなので、ここでは、今回の一連の騒動、そしてロシアの抱える問題に焦点を当てたい。 ワリエワ本人に“ドーピングの意思”はあったのか? 15歳が禁止薬物を自ら購入し、摂取したのか。 ドーピングのニュースが出た際、多くの人が違和感を感じ
昨年放送された『水曜日のダウンタウン』おぼん・こぼんTHE FINAL。ベテラン漫才コンビが解散宣言から、仲直りするまでのストーリーで“神回”とされる。 そして今回、1965年結成・57年目のおぼん・こぼん、1975年結成・47年目のオール阪神・巨人。東西を代表する漫才コンビの“超ビッグ座談会”が実現。『水ダウ』を見たという阪神・巨人のお2人から、「じつは私たちにも解散危機があった」という告白から話は進んでいく(全3回の1回目/#2、#3へ)。 こぼん「殴り合いですよ」 ――漫才コンビにおける相方って、いつ聞いても、たとえようがないんだな、と思います。友だち同士ではないし、夫婦関係に似ているようで、それも少し違う。かといって、ビジネスパートナーというほどドライでもないと思うんです。 おぼん 漫才コンビって、基本、仲悪いと思うねん。あれだけいつも一緒におったら。夫婦よりも、兄弟よりも、誰より
「いや、お金の問題じゃないんです。これは名誉なことですから」 2021年7月某日11時。山形と東京、そしてロサンゼルスをつないで行われた最初のオンライン・ミーティングで、予想外の言葉が発せられると、J2モンテディオ山形の鳥飼健司事業アドバイザーは思わず目を潤ませた。 現在のチーム名となって25年を機に、長年愛用したエンブレムの変更を検討してきた山形は、12月10日に地元出身の世界的デザイナー、奥山清行氏が手掛けた新デザインの発表を行った。 就任して3年の相田健太郎社長が「時代の変化に合わせ、モノとして使いやすくする必要がある」と考えてきたエンブレム。冒頭の言葉で動き出した“夢”のプロジェクトが形となった。 予算規模の格差は100分の1以上? 奥山清行/ケン・オクヤマと言えば、あのフェラーリをイタリア人以外で初めてデザインしたことで知られる人物だ。創業者の名を冠した記念モデルである『エンツォ
2021年、日本サッカー界最大のジャイアントキリングは、天皇杯2回戦で起きた“おこしやすの奇跡”だった。関西1部リーグ所属のおこしやす京都ACが、J1の強豪サンフレッチェ広島を5対1で破ったのだ。その舞台裏には、「まともにボールを蹴ったことがない」と語るサッカー未経験の分析官がいた。(全2回の1回目/後編へ) 学生時代、部活に所属していなかった“サッカー店長”こと龍岡歩は、サッカーを見ることに多くの時間を費やした。高校卒業後は、9年間の海外放浪を経てサッカーショップに就職。並行して書いていた戦術ブログが関係者の目に留まり、サッカー素人でありながらJ3の藤枝MYFCに分析官として加入することなる。その後、おこしやす京都ACに活躍の場を移した龍岡は、先述したジャイアントキリングの当事者となった。 「試合前に『この試合勝てるよ』って言ったら、チームのみんなに笑われました(笑)。監督ですら10回に
夫は、高学年になってベンチにいることが増えた娘に対し「先発で出られないならサッカーをやめろ」となじった。なかなか試合に出られないわが子に苛立つようだ。練習や試合を見に行っては帰宅した娘に「もっと走れよ」と説教三昧。「自主練しろ」「朝練やったのか?」と厳しく迫り、「試合に出られないならやめろ」と言い放つ。 「練習や試合の前夜になると眠れないと泣いて訴えます。このままでは娘が壊れてしまう」 「プロを目指さないなら高い金を出す意味がない」 彼女の話を聴きながら、これはデジャブかと思った。 少年スポーツの現場を十数年取材するなかで、3年ほど前に似た状況の母親を取材したからだ。彼女もサッカークラブでプレーする中学生の息子への父親の対応に手を焼いていた。母親は「もともと男の子は厳しく育てるものだという人でしたが、ことサッカーになると特に攻撃的になる」と困り果てていた。 父親は「プロを目指さないならやる
井上尚弥、井岡一翔、村田諒太ら7人もの世界王者を輩出するなど、黄金期の只中にあると言っていい現在の日本のプロボクシング。 しかし、「拳闘」と呼ばれた黎明期について書かれた書籍は思いのほか少ない。もちろん、ボクシングだけに関して言えば一連のモハメド・アリの書籍をはじめ、マイク・タイソンの半生を赤裸々に綴った『真相─マイク・タイソン自伝』などのノンフィクション、『一瞬の夏』(沢木耕太郎)、『殴り殴られ』(安部譲二)、『遠いリング』(後藤正治)など一流の書き手による名作もあるにはあるが、野球やサッカーと比較して、ルーツを詳細に記した書籍は、市民権を得たプロスポーツにしては少ないかもしれない。 「最高最大の豪傑ボクサー」とは何者か 筆者は『沢村忠に真空を飛ばせた男/昭和のプロモーター・野口修評伝』(新潮社)を著述するにあたって、主人公野口修の父、野口進の人生もつぶさに追った。 「最高最大の豪傑ボク
2020年12月16日。 箱根駅伝に向けての最終合宿を終え、青山学院大の主将、神林勇太の右脚は悲鳴を上げていた。 内転筋、大腿四頭筋、臀部に痛みがあった。それでも、鍼治療などを施した結果、ほぼ完治した。ところが、一か所だけ、どうしても痛みが取れない箇所があった。 仙骨である。 神林はいう。 「ポイント練習を抜いて、ジョグで1週間ほどつないだ時期があったんですが、それでも痛みが引かなくて。『これ、折れてるんだろうな』と思ってました」 改善しないまま、区間エントリーの前日である12月28日にMRI検査を受けることになる。 仙骨が折れていた。 「もう、走ることはないんですか?」 神林は、今回の箱根駅伝を陸上人生最後のレースと決めていた。 「箱根駅伝は、自分の人生を変えてくれた大会でした。これを区切りにして、陸上にはピリオドを打ちたいと思います」 就職先はサッポロビール。最終面接では、 「もう、走
森且行がオートレーサーを目指し、SMAPを脱退したのは1996年5月のことだった。グループの冠番組『SMAP×SMAP』放送開始の翌月である。 今では珍しくなくなってしまった、現役のジャニーズアイドルのグループ及び事務所からの脱退だが、当時は異例中の異例のことだった。特に森は、その歌唱力の高さから初期のSMAPを引っ張っていたメンバーでもあり、6人の中で最も早く連続ドラマで主演を務めたのも彼だった。 しかも、抜けたのは“1996年のSMAP”。 1991年に発売されたデビュー曲で、ジャニーズとしては珍しく1位を取れなかった当時を本人たちが「僕ら、落ちこぼれだったからね」と振り返った話は有名だが、この年はそれまで溜まったパワーをいよいよ爆発させんとしているとき。 前年にはジャニーズとして初めて日本テレビ系列24時間テレビのパーソナリティーに抜擢。前月から香取慎吾の初主演ドラマ『透明人間』と、
F1と同じく世界自動車連盟(FIA)が管轄する“モータースポーツの甲子園”FIA-F4は、日本国内では全14戦で競われる。 レーシングドライバーは言うまでもなく、レーシングカーを使ってサーキットを誰よりも速く走ろうとしている人々のことだ。では、誰よりも速く走るために彼らは何をしているのか。じつはここに大きな誤解がある。 一般に、サーキットで速く走るためには、まず恐怖感を押し殺してブレーキをあまり踏まず、アクセルを踏み続け素早くステアリングを回さなければならない、と思われがちだ。レーシングドライバーに「怖いもの知らず」で「死と隣り合わせで走る」などという形容がついて回るのは、こうした勝手な思い込みのせいである。 しかし、本当にサーキットを速く走ろうとしたら、ブレーキを遅らせすぎてはいけないし、アクセルは踏みすぎてもいけない。ステアリングに至っては急操作は禁物だ。ましてや恐怖心を無理矢理抑え込
前代未聞の事故だった。 アゼルバイジャンGP初日の4月26日、フリー走行が開始して間もなく、セッションは赤旗中断となった。ウイリアムズのジョージ・ラッセルが駆るマシンに、コース上のマンホールの蓋が直撃するという珍しい事故が発生したからだった。 その衝撃は消火器が誤噴射してしまうほど大きく、乗っていたラッセルも火災が発生したと勘違いして、コース上にマシンを止めて、コクピットを脱出したほどだった。 マシンと地面との間を流れる空気の力を利用して、F1マシンには強力なダウンフォースが発生している。このダウンフォースによってマシンは地面に押し付けられるが、同時に路面とマシンとの間には強大な負圧が発生する。そのため、モナコやバクーのような一般道を使った市街地コースでは、グランプリ期間中は排水口やマンホールの蓋などが負圧によって浮き上がらないように、溶接などによって、路面に完全に固定させる処置がとられて
記事を書いたデイリーの小林記者はイチローがメジャー1年目の2001年に初めて野球を担当したという。そんなルーキーに当時27歳のイチローは容赦なかったと振り返る。 《「次どうぞ」、「それ、答えなきゃいけないかな」。記者の質問をことごとくはねつける。無言でスルーされる。そこまで厳しくされる理由が分からなかった。》(デイリー・3月22日) それから3年後に初めて単独インタビュー。イチローが求めていたのは「プロフェッショナル」だったことを知る小林記者。 後年、「(あの頃は)地獄でした」とイチローに語ったという。引退を伝える記事の最後は「イチローには感謝の言葉しかない」。 「僕に鍛えられたんだから……」 同じ紙面には「'94年~'97年までオリックス担当」の記者が、 《記者泣かせの選手だった。》 《想定通りにやりとりが進んだことなんてなかった。》 《「学級新聞じゃないんだから」。時に叱られ、呆れられ
取材は欧州選手権直前の1月中旬のことだった。 平昌五輪メダル最有力候補のエフゲニア・メドベデワとアリーナ・ザギトワ。彼女たちが所属するロシアのトップアスリート養成学校「サンボ70」の強さの秘密を探るべく、現地潜入取材を行うというのが今回のミッションだ。 サンボ70のフィギュアスケート部門は「コニョク・チャイコフスコイ」と「フルスタリヌィ」の2つがある。2人が練習しているのは後者のフルスタリヌィで、スケートリンクはモスクワの南西、中心部から車で40分ほどのところにある。 取材当日。入り口でセキュリティゲートをくぐり、屈強な警備員にカバンの中身を調べられ、パスポートの顔写真と名前を確認され……といった手続きを済ませてようやく中に入る。 というとずいぶん物々しく聞こえるかもしれないが、ロシアの日常風景である。 ロシアの虎の穴は……名古屋のスケートリンクと似てる!? いったん中に入ると、そこはいた
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