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細野晴臣に関するkkrrのブックマーク (6)

  • 細野晴臣が“音楽の謎”を語る「説明できない衝撃を受けると、やってみたいと思う」

    世界各地の土地柄と音楽について語り尽くした新著『HOSONO百景』(河出書房新社)の刊行を期に行った細野晴臣へのインタビュー後編。1940年代音楽の”再発見”など、ポピュラー音楽の豊かな鉱脈について語った前編に続き、後編では自身のキャリアを振り返りつつ、リズムに対する考え方や、音楽における"謎”について含蓄あるトークを展開してもらった。聞き手は小野島大氏。(編集部) 「僕がやってきた時代を通して、ずっと少数派でした」 ――文化の継承という点でいえば、この書にも、今の日音楽家はルーツの意識が薄らいでいるんじゃないかということを述べられてますよね(21P)。異文化を受け入れて自分のものにしていくという過程が欠如してるんじゃないか、と。 細野:まあそれも何にも知らないで言ってる意見なんで、実際はどうなんだか。昨日テレビ見てたら、リトル・リチャードに影響受けたような若いバンド…名前忘れちゃった

    細野晴臣が“音楽の謎”を語る「説明できない衝撃を受けると、やってみたいと思う」
  • asahi.com(朝日新聞社):夜ごと車走らせ、生まれた歌 ミュージシャン細野晴臣 - 音楽 - 映画・音楽・芸能

    夜ごと車走らせ、生まれた歌 ミュージシャン細野晴臣2009年5月30日 ほその・はるおみ 47年生まれ。日語ロック、テクノポップ、アンビエントなど、戦後日音楽界を一歩先を行く感性でリード。多摩美術大客員教授。門間新弥撮影。 人には定住できる人とできない人がいるみたいだね。僕は後者。24歳で結婚したんだけど、音楽に集中したいこともあって、27歳のころに家庭を離れたんだ。それからずっと一人暮らし。引っ越しは30回以上したかな。 いまは隅田川に架かる佃大橋の近くに住んでいて、門前仲町や浅草のおかず横丁に足を延ばすこともあるよ。この辺りに引っ越したのは、建築会社の現場監督で佃大橋を担当していたおとうさんが建設現場を見せてくれた記憶や母方の祖母が「深川のお不動さん」に毎月出かけていた記憶が頭の片隅にあったからかもしれない。縁(えにし)だね。 江戸っ子は芝で生まれて神田で育つって昔から言われてい

  • recomints.com

  • haruomi hosono: タヌキの神さま

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 細野さん・慶一さんと、トリロー先生の話を。

    この間のコンサート 「三木鶏郎と異才たち~Sing with TORIRO」について、 終わってみての感想を ちゃんと聞いていなかったのですが、 いかがでした? 番でも、楽屋でもね、 皆さん、楽しそうにしていたので、 それは良かったですよ。 終わった後に打ち上げがありましてね。 あれが、また、良かったな! 二次会で、出演者が頭の1曲目から、 もう一回、全部やったの。 ウクレレとピアニカだけで、ずーっと。 最初は無伴奏だったけど。

  • haruomi hosono: ミキサー:吉野金次さんのこと

    昨日はとても珍しい小さなコンサートがあった。或る人物を支援するチャリティで、北沢タウンホールという、やけに音の良い「小屋」で行われたそのライブには、矢野顕子が呼びかけた多くのミュージシャンが集まり歌を捧げた。小さなホールに収容しきれないほどの人が観に来てくれたので、とうとう前代未聞の「公開リハーサル」ということも試みることができた。夜の番にステージに立ったラインアップは、矢野顕子、友部正人、大貫妙子、井上陽水、佐野元春、ゆず、そして矢野顕子から最初に声をかけられたぼくと、最近一緒に活動している仲間の高田漣、高野寛、コシミハル、浜口茂外也、伊賀航、鈴木惣一郎、そして徳武弘文という錚々たるメンバーである。  これだけのミュージシャンを急きょ一夜に集めたその人物とは、エンジニア+ミキサーの吉野金次氏である。吉野さんは現在、脳梗塞のダメージを克服中なのだ。謂わばトム・ダウドやアリフ・マーディンが

    kkrr
    kkrr 2006/08/30
    吉野金次と風をあつめて
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