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<1988年12月> 昭和最後の年越しとなった88年末、ラジオが一本の「実話童話」を放送した。この話が「涙なしでは聞けない」と評判を呼び、ついには社会現象になった。作者もマスコミの寵児(ちょうじ)となるが、過去を知る人に告発され、一転して疑惑の人に。 大晦日にFM東京は、「ゆく年くる年」の中で「一杯のかけそば」と題した童話を朗読で放送した。作者は民話の語り部活動を行っている栗良平(当時45)なる人物。 この作品は70年代初頭、2人の子供を連れた貧しい身なりの女性が、札幌のそば屋を訪ねるところから始まる。女性が頼んだのは150円の一杯のかけそば。店主は何も言わずに半玉をサービスし、親子3人はそのそばをおいしそうに分けて食べた。こんな交流が毎年、大晦日に数年間続く。 ところが、ある年から3人はパタリと現れなくなった。店主はその後も、大晦日は彼らの席を予約席にして待ち続けたが……。そして
今年3月から、タモリが消費者金融大手「アコム」のイメージキャラクターとしてCMや広告に露出していることに対して、世間では動揺と失望の声が広がっている。この件では、現在のタモリのイメージの良さと消費者金融のイメージの悪さが改めて浮き彫りになったと思う。 タモリ好きを自認する多くの人にとって、サラ金の広告塔になるのは「タモさんらしくない」行為だと映ったということなのだろう。だが、そもそも「タモリらしさ」とは何なのか。サラ金のCMに出ただけでがっかりされてしまうくらい、タモリが聖人君子のような扱いを受けるようになったのはいつからだろう。むしろタモリは、そのような世間のタレントに対するレッテル貼りに逆らい続けて、そこから逃れながらキャリアを重ねてきたのではないだろうか。 タモリはもともと、山下洋輔や赤塚不二夫らにその才能を見いだされるまでは、福岡出身のただのド素人だった。タモリが彼らを魅了したいわ
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