1995年にサービスが開始され、その安さと通話品質の良さで、根強いファンがいた日本発の簡易携帯電話サービス「PHS」。そのPHSは2018年3月31日で新規受付を終了します(法人向けのテレメーター用プランを除く)。 PHSの中でも大ヒット商品だったのが、2004年に発売された京セラのAH-K3001V、通称「京ぽん」でした。日本初のフルブラウザ搭載ケータイであり、当時は画期的だったパケット定額制にも対応。 「月々4200円程度で、PCサイト閲覧も含めたインターネットが使い放題」という夢のような環境に、熱狂の渦が巻き起こりました。発売後数カ月は品薄が続き、入手困難の状態だったのです。 【参考記事】愛称は「京ぽん」 日本初のOpera搭載ケータイ「AH-K3001V」(懐かしのケータイ) 発売当時は入手困難だった、京ぽんことAH-K3001V このヒットのおかげで、当時既に落ち目と考えられてい
かつてインターネットで一世を風靡したテキストサイト、別名日記サイトの歴史を知ろう。 「侍魂」「兄貴の館」「ろじっくぱらだいす」「一流ホームページ」「かまくら」「オレイズム」……。ネットで日記を書いているだけでモテる時代がかつて存在した!? こんにちは。ヨッピーです。皆さん、同窓会はしてますか? 元同級生や部活の仲間など、久々に会う仲間たちと懐かしい話に花を咲かせるのは楽しいものです。 そんな「同窓会」を後押ししようと、ビールの定番としてお馴染みのキリン一番搾りが「同窓会メーカー」というサービスを開始しまして、このサービスのPRのために「同窓会をやってほしい」と依頼されました。 同窓会メーカーはテーマを決めて仲間と気軽に同窓会が開け、予定調整まで出来るWEBサービス。会の後も集合写真を加工できる同窓会カメラで盛り上がれるそうだ。その同窓会メーカーの中身を見てみると、「え?それって同窓会なの?
プレイステーションというゲーム機が、そもそも衝撃的です。 3Dポリゴンのゲームが家庭で出来るという価値観が塗り替わった瞬間です。 そんなプレステのゲームの中で、わたしが一番最初に触れたゲームが「ファイナルファンタジーVII」です。 いつもは自室でゲームをするのですが、この時は家族総出でリビングのテレビの前で起動した記憶があります。 今回は、そんなFF7ことファイナルファンタジーVIIの音楽とともに、思い出のシーンを振り返っていきます。 ファイナルファンタジーVIIの名曲と思い出 永遠に忘れることはないであろう、衝撃のオープニング バトルミュージックがカッコいい フィールド曲を初めて聞いた時の感動はヤバい 初見殺し、ルーファウス歓迎式典 J-E-N-O-V-A おそらくFF7のプレイ中に最も訪れる場所・ゴールドソーサー まさかの展開すぎる、忘らるる都を忘れない ダイヤウェポンとは何だったのか
今回は「1992年の東京の日常風景」を映した映像から。 動画のタイトルどおり、映像は1992年に撮影されたものですが、 20年以上前に撮影されたものとは思えないほどの高画質になっています。 詳しい説明はなかったのですが、恐らくアナログハイビジョンでしょうか。 アナログハイビジョンの本格的な研究は1964年にNHKが始め、 80年代に入ると、実用化の準備が整い始めることになります。 89年にはアナログハイビジョンによる放送が実験的に開始されており、 次の段階である実用化試験放送は1994年からということですので、 恐らくこの映像は、実験段階時に撮影されたものだと思われます (ソニーが制作に関わっているので、カメラはソニー製か)。 とにかくも、大変貴重なこの映像。 外国人からも、様々な反応が寄せられていました。 (HD)1992年の東京の日常風景 1/2 (HD)1992年の東京の日常風景 2
100年以上の歴史ある銀塩写真が崩壊した要因は、デジタルカメラの需要がフィルムカメラを上回り、銀塩写真の必要性が失せたということである。だれもがご存知のことと思う。さて、そのときの業界の現場ではなにが起きていたのだろう。 それ以前のロールフィルムの需要はどうであったか。1990年代後半は出荷本数が4億本を超え、1997年(平成9年)から1998年(平成10年)では、日本国内で最多の約4億8283万本を出荷していた。そして、デジタルカメラの普及で売り上げが激減。 全盛期の10年後である2008年(平成20年)には、10分の1近くの約5583万本にまで落ち込んだ。 一部のフィルムメーカーでは倒産や写真フィルム事業からの撤退。存続のメーカーでもラインの縮小という事態に陥っている。カメラ用フィルムの製造には巨額の設備投資が必要なため、一度廃業すると再生産は極めて困難といわれている。 ちなみに、最盛
およそ八十年前の東京・上野桜木に、現在のデジカメ感覚で写真を撮り続けた少年がいた。 少年が手にしたカメラは、小さな家が買える程の高価なカメラだった。 カメラが貴重だった時代に、家族や街並み、海水浴や学校など、少年は思いのままに撮り続けた。 プロカメラマンとしての目線ではなく、少年の目線での普段着の目線で・・・ 忘れ去られつつある普段着の昭和初期が今蘇える。
人は誰しも、一眼レフのカメラを買ったら、まっさきに「仏像や埴輪や土偶の写真を撮りたい!」と思ってしまう、おかしくも哀しい生き物です。友だちや恋人の写真などを撮ってもろくなことがありません。目が半開きの瞬間を捉えてしまって「これ、わたしじゃなーーい!」などと怒られるのが関の山。心をこめて撮ったのになんで怒るのかと小一時間問い詰めたいところですが……。それに比べて文化財はさすがに多くの人に愛されてきた逸品たちなので、変な写真になったりしないし、なっても文句を言わないので被写体の中でもかなり優等生と言えるでしょう。 お寺や資料館などで、「文化財保護の観点から撮影禁止」と書いてあるところは多いです。仏像なら「神聖だからアカン」的なのも。撮影したくらいで損なわれる神聖さっていうのも脆弱やなーと思うのですが、それはさておき、こういうときは国立博物館がおすすめ。静かな場所なので撮影禁止のイメージが強いで
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