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社会と読み物と批評に関するkommunityのブックマーク (2)

  • より正しい物語を得た音楽はより幸せである ~佐村河内守(新垣隆)騒動について~

    被爆二世、独学で音楽を学んだ全聾の天才作曲家と謳われた佐村河内守氏のほぼ全作品が、実際には桐朋学園大学の講師を勤める現代音楽作曲家・新垣隆氏の手になるものだった、という衝撃的な事件が世間を賑わせている。これに関連して、少し自分の思うところを書いておきたい。 メディアや音楽出版社のあり方、またはポリティカル・コレクトネスについての議論はほかに譲るとして、音楽そのものについての話になる。今回の事件はかなり根源的な問題まで浮き彫りにした、というのがもっぱらの認識のようだ。人は音楽にいったい何を聴き、何を根拠に評価しているのかということ。また純粋に音楽を聴くのはいかに難しいかということ。そんな問題についてだ。ここで私は、純粋に音楽を聴くことなど不可能であるのは当然として、そんなことを目指す必要さえない、という主張を述べたいと思う。 私が初めて佐村河内氏の名前を知ったのは昨年、おそらく例のNHKスペ

    より正しい物語を得た音楽はより幸せである ~佐村河内守(新垣隆)騒動について~
  • レジーのブログ(旧) ロキノン、ボカロ、アイドル、インディー、そんな「ムラ」を越えるということ

    15/4/23 昨今の諸々を踏まえて移管します。詳細は最新記事をご確認ください。ブックマークいただいていた方は変更をお願いします! レジー「この前の月曜日、ダイノジ大谷さんがやってるトークイベントに行ってきました」 司会者「やっとご挨拶できましたね」 レジー「うん。年初のロックとアイドルの記事が爆発したときに面白く拾っていただいたのは今でも感謝してますよ。ブログのこともちゃんと認識していただけてて嬉しかった」 司会者「その日の夜こんなツイートされてましたね」 レジーさんもだけど、柴さんや宇野さんやスージー鈴木さん、ジャニ研の皆さん、鹿野さん、それにもちろん許可局の皆さん、全員集めて今日のテーマでやりたい。答えなんか全然いらない、それぞれの主張聞いてみたい。 — ダイノジ大谷 (@dnjbig) June 17, 2013 レジー「いやーこんなメンバーと名前並べてもらって恐縮ですよ」 司会者

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