僕が35歳のとき、父親がガンになりました。 父は印刷会社を創業し、以来ずっと社長をしていました。しかし、ガンのこともあったのでしょう。急に僕を呼び出して「おまえ、来年から社長な」と告げたのです。 ちなみに治療はうまくいき今はピンピンしていますが、病気のことがなかったら、このタイミングで社長になることはなかったかもしれません。 僕は36歳で、印刷会社の二代目社長になりました。 このnoteは、印刷会社の息子として生まれ、36歳で継承し、業界が下降トレンドのなか、なんとか生き延びる道を探り出した話です。 同じような後継ぎの経営者や、いわゆる斜陽産業で踏ん張っているみなさんに届けばいいなと願いながら書いてみます。 * 経営方針がなくてもうまくいっていた 父は何ひとつ言語化しない経営者でした。 経営方針も、経営理念も、一切言語化しない。年度が変わっても「今期の戦略はこうです」などと示されたりはしま
![36歳で印刷会社の社長になった僕が、減り続ける売上をなんとか立て直した話|工藤太一/印刷会社二代目/glassy株式会社代表取締役](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/9140c6be8c9d6e915c1778435a6c3a081c48dc9b/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fassets.st-note.com%2Fproduction%2Fuploads%2Fimages%2F43938671%2Frectangle_large_type_2_428f943a02c5d0f599bbf43db1b09484.jpeg%3Ffit%3Dbounds%26quality%3D85%26width%3D1280)