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仕事と退職に関するmk16のブックマーク (16)

  • RE: 最終出社日について - megamouthの葬列

    松田部長 お疲れ様です。システム戦略グループの山下です。 最終出社日についてのお返事ありがとうございました。 先日ご連絡した来年1月20日を最終出社とする退職は難しい、とのご回答でしたが、申し訳ありません、こちらとしましても、諸事情を考慮のうえ、最終出社日をご提示させていただいている次第となりますので、退職日を3月末まで延期するというご希望に沿うことはできません。 あしからずご了承下さい。 また、同時にご連絡させていただいた業務の引き継ぎについてですが、引き継ぎ人員が存在しないことにより、未だ一切の進捗がございません。 おそらくは、この点が、松田部長のおっしゃっている「就業規則上に明記されている業務上の支障が発生する事由」に該当すると思われます。 この点につきましては、システムインフラを解する人員が私以外に存在しない現状において、とり急ぎ解消の目処はたたないかと愚考いたします。 よって、勝

    RE: 最終出社日について - megamouthの葬列
  • ゼネコンを九ヶ月で辞めた話 - (。・ω・。)ノ・☆':*;':*

    この日記はKMCアドベントカレンダー2016の13日目記事です。 前日は、sorah先生のsystemd-nspawn で portage の binary package (binpkg) ビルドをいい感じにする - diary.sorahでした*1。 去年もポエムを書いていましたが、今年もポエムを書きます。進化がないのか・・・。 いいわけ。 なんでポエムを書くのか、それは忙しくてプライベートのアウトプットが殆どなかったからです。最後にアウトプットしたのはZabbixで電気の使用ログを取る話で、それ以降ほとんど進捗がありません*2 言い訳はこの程度にしておいて。 わたしは新卒でゼネコンに入って九ヶ月(2016年1月末)で辞め、今は都内にある小さなソシャゲ会社でサーバの面倒を見たりしています。 ということで、およそ10ヶ月遅れの退職エントリです。退職直後は正直思い出したくなくて、ようやくT

    ゼネコンを九ヶ月で辞めた話 - (。・ω・。)ノ・☆':*;':*
  • ソニー株式会社を退職しました

    表題の通り、数年勤めたソニー株式会社を退職しました。 個別具体の退職理由はいろいろあってそれらは後述しますが、退職を決めた基的な理由は、個人的なキャリアパスの設計と会社の方針のミスマッチ、労働観のミスマッチ、技術投資の考え方のミスマッチの三点に集約できると思っています。 キャリアパスの設計と会社の方針のミスマッチ私はソニーでソフトウェアエンジニアとして働いていました。 ソフトウェアエンジニア(を目指す人間)にとってソニーと言えば、"自由闊達な理想工場"、エンジニアが自由に活躍できる会社、日のメーカーなのにソフトウェアもちゃんとつくれる会社、などのイメージがあるかと思います。私もそう思っていました。 実際会社は説明会などでそういった説明をしましたし、そういったイメージを前提に私はソニーを選び、「エンジニアとしてプロフェッショナルになる。品質が高く、お客の求める体験を作り出せる人間になる」

    ソニー株式会社を退職しました
    mk16
    mk16 2017/04/03
    真の売国奴は技術者軽視の企業全般である。
  • 富士通を退職して思うこと - はてな匿名ダイアリー

    筆者は、新卒で入社した富士通を三年で退職した。 退職から一年が経過し、新しい職場(WEBベンチャー企業)での仕事に慣れたこと、 また、富士通の同期入社の友人から頻繁に転職相談を受けるようになったこともあり、エントリを執筆する。 はじめに、筆者の退職理由を簡単に述べると、富士通という会社に未来を感じなかったことと、やりたい仕事はできないだろうと判断したためである。 参考までに、筆者は公共機関向けのシステム開発部門に所属していた。 担当していた業務は様々で、小規模なシステム開発や、子会社・下請企業の管理であった。 1.成果主義を謳いながら実態は年功序列主義 富士通には、人材キャリアフレームワークという社員評価制度があり、現場には、入社何年目はこのレベルの仕事、といった暗黙の了解がある。 人の能力や意欲とは全く無関係に、入社後の経過年数で、仕事の裁量の幅が大きく制限される。 このことはいわ

    富士通を退職して思うこと - はてな匿名ダイアリー
  • 富士通を退職した話

    少し前に新卒で入社した富士通株式会社を退職した 理由は簡単に言ってしまえば自分の目指すキャリアパスとのミスマッチ。 おそらく人事部の書類にも、今頃そんな感じのことが書かれているんだと思う。 ただ、それだけで済ませてしまっては腹の虫が治まらないので、 なぜ好き好んでそんな会社に入社して、短期間で退職するはめになったのかを書こうと思う。 入社する前は大学の情報系学部に通い、大学院まで進学して専門分野の研究にそれなりに熱意をもって取り組んでいた。 それもあって、同じ分野の研究を企業として行なっている同社に入社しようと考えた。 内定の前後にいくつかの職種のマッチングを行う機会はあり、自分の希望についてはしっかりと主張したつもりだったけれど、 入社して1週間後に告げられた自分の配属先は、山奥の工場でメインフレームを主とするシステムの開発・保守を行う関連会社への出向だった。 当然この決定に対して人事に

    富士通を退職した話
  • 最大月収6ヶ月得する!楽々わかる自己都合での退職の全知識

    最大月収6ヶ月得する!楽々わかる自己都合での退職の全知識
  • 任天堂を退職しました | 破竹の勢い

    2014年12月をもって、約15年勤めた任天堂を退職しました。 思い起こせば、就職氷河期の真っ最中、劣等生の私はなんとか滑りこむ形で入社できました。 入社して10年間は、ハードに関する仕事をしていました。 抜き取り検査員、EMI対策、半導体評価、製品安全法令調査、生産工場の品質指導や不具合是正、トランプ麻雀牌の品質指導、ライセンスグッズの技術的監修、顧客クレームの技術サポートなどです。 そして、退職間際の四年間、私は「ユーザー目線評価」という業務についていました。 今振り返ると、この業務が一番自分の能力を発揮できた仕事でした。 ユーザー目線評価=任天堂で行う新作ソフトの評価システム。製造部のベテラン社員にお客さんの視点で遊んでもらい、評価レポートを書いてもらう 出典:任天堂HP 社長が訊く『スーパーマリオ 3Dランド』プロデューサー 篇( http://www.nintendo.c

    任天堂を退職しました | 破竹の勢い
    mk16
    mk16 2015/06/26
    >不祥事の発覚を恐れて救急車を呼ばないという人命軽視の判断がまかり通すのは酷い話です。
  • 株式会社リコーを退職しました - 月曜日までに考えておきます

    2003年に新卒で入社し、10年以上お世話になった株式会社リコーを退職することになりました。 正式な退職日はまだ先なのですが、最終出社は2/7(金)でした。 無名エンジニアの個人レベル日記で、知り合い向けへのお知らせなので興味が無い人はスルー推奨です。内容が無いよー。 やってたこと リコーというとコピー機&プリンタのイメージが強いと思いますが、実はそれ以外のことも結構やっています。自分が直近でやっていたのは、「リコー ユニファイドコミュニケーションシステム」( http://www.ricoh.co.jp/ucs/ )というビデオ会議のシステムに関わっていました。こちらのAPIやWeb画面の設計開発、CIに携わっていました。 GitHubを使ってpull reqベースで進めるとか、Jenkinsのpipelineを組んでテスト〜デプロイの流れの構築とか、最近流行りの開発手法が経験できたのは

    株式会社リコーを退職しました - 月曜日までに考えておきます
  • 株式会社 Impress Watch・窓の杜編集部を退職しました。

    執筆日時: 2014年2月1日03時07分 1月31日付けで退職いたしました。在職中はご迷惑をおかけしたことも多々あるというか、喋りまくったり貧乏ゆすりしたりで迷惑そのものであったかもしれませんが、今後も生暖かい目で見守っていただければ幸いです。 (@shibayan 撮影、@tworks 加工。多謝) 話はここで終わりなので、もう読まなくてもいいです。 窓の杜でやったことと得たもの まぁ、ほとんどライティングばっかりで、ひたすら記事を量産するだけの日々だった。初めての記事が 窓の杜 - 【NEWS】表示設定やカーソル位置を一発で初期化するExcelアドイン「ExcelAdjuster」 だったので、6年ちょっとになるのかな(引き算あってます?)。辞めるまでに 2589 の記事を書いたことになる*1。多いような、少ないような、そんな気分。 窓の杜に来る以前は父の(傾きかけた)会社を手伝っ

    株式会社 Impress Watch・窓の杜編集部を退職しました。
  • 退職時にやってはいけないこと

    退職をしました。 と言って、別に自分の決意とか今いる会社の限界を書こうとは思わない。 今回書いたのは、やってはいけないことを自分がやったから戒めに書く。 ①次に行く会社がばれた 「辞める。別の会社に行く。」と言ったら、見事に鎌かけられた。気付いたらばれてた。最悪だ。双方にとって最悪だと思う。うちの会社の方がいいぞ、あそこはダメだぞ、と具体的な話を散々された。 ②カウンターオファーを提示された。 何でやめるのか。いろいろ理由があるが優位性が最も高いのはお金だと言った。そしたらカウンターオファーを出すと言われた。「要らないです、辞めさせてください。」と言っても、「お前がこれを受けない理由はないだろ」と説得された。金が大事なんだと言った手前、受けないのは確かにありえない。しかし、これがものすごく長い道のりだった。時間がかかる。その間、なんどもmeetingする。衆目にさらされていることに気が付か

    退職時にやってはいけないこと
  • パナソニックを退社しました

    5月31日で、2年とちょっと働いたパナソニックを退社しました。最初半年ぐらいは研修だったので、実質1年半ぐらいで辞めたことになります。 辞めた理由はシンプルで、私はソフトウェアの開発がしたかったのですが、実際にはソフトウェアの開発が出来なかったこと。それから、社内の雰囲気が合わなかったことです。 もし今就活中、または来年就活の方で製造業を志望されているソフトウェアエンジニアの方がいたら参考になるかもしれませんので、少しだけ書いてみます。 ただ、大きな会社なので、部署によっては全然雰囲気が違うようで、楽しく仕事をしているところもあるようです。たまたま、私が合わなかっただけです。実際離職率は低めです。 それから、仕事の方針にはミスマッチはありましたが、部署の皆様には大変お世話になりましたし、私の考えに共感して助けてくださることもありました。特定の方を非難する意図はないことを申し添えておきます。

  • Google 辞めました - アスペ日記

    Google辞めました。 最終出社日は 5月11日。 5月31日まで有給消化。 その後は無職。 転職先が決まっていて有給消化している「なんちゃって無職」ではなく、ガチ無職。 とりあえずハロワでも行こうと思う。 まず初めに。 この記事は、Twitter で @takeda25 をフォローしてくれている人たちが想定読者だ。 また、これは相当長くなると思う。さらに、中ではたとえ話を使うので、読んでもさっぱりピンと来ないかもしれない。 だから、長い文章を読んで「読んで時間を無駄にした」と思うタイプの人は、ここで読むのをやめてほしい。 もう一つ。 この記事を書いた人間(真鍋宏史)は無名の一社員で、ろくに業績もない。 そういう人間が何かを言っても聞く価値はないと思うなら、やはり読むのをやめてほしい。 この記事では、自分のいた場所に対してネガティブなことも書くと思う。 そのため、なぜそういう行動を取るか

    Google 辞めました - アスペ日記
  • 退職 - naoyaのはてなダイアリー

    グリー株式会社を退職しました。昨日が最終出社日でした。 最終日の昨日はちょうど四半期の〆の日ということもあって、開発部全体での納会 (飲み会) の中で盛大に送り出していただきました。いただいた花束が自分の身長の半分もあろうかというくらい大きさで、徒歩で帰宅途中、通行人にまじまじと見られるという、なかなか得難い経験をさせていただきました。 在職期間は一年半とちょっとと短かったのですが、その中でもたくさんのことを経験することができました。iOS / Android のスマートフォン版の立ち上げに始まり、SNSの開発、直近では US に出張したりしつつグローバル化の推進ですとか。何より、入社当時3名だったチームを一年半で 50人強まで拡大させる中、その人事権をまるごと任せてもらえたのは大きかったです。一緒にやっているメンバーには、自分の試行錯誤で振り回してたくさん迷惑をかけました、ごめんなさい

    退職 - naoyaのはてなダイアリー
  • nokunoの日記

    nokuno Software Engineer at a Web Company. Interested in Natural Language Processing, Machine Learning, and Data Mining. Skillful in C/C++, Python, and Hadoop.

  • http://twitter.com/bulkneets/status/22629470007

    http://twitter.com/bulkneets/status/22629470007
  • 退職のお知らせ - naoyaのはてなダイアリー

    日8月31日をもって、はてな退職しました。 入社は2004年9月1日でしたから、今日でちょうど6年です。6年間の間に、はてなブックマークをはじめとする各種サービスの企画開発やディレクション、インフラの構築、技術チームのマネジメント等々、色々な経験を積むことができました。その一方で、なかなか自分の思うようにはサービスを成長させる、会社を伸ばすことができず自分の力量不足を感じる毎日でもありました。その足りない能力と経験を埋め合わせる日々が、成長を促してくれたとは思います。 この6年は、はてなという会社が、個人あるいは家族のような繋がりから組織に変っていく過程でした。会社というものが何なのかを全然知らなかった自分が、Webサービスの開発と運営に、組織がなぜ必要かというのを体で知ることになりました。なかなかに得難い経験でした。 遠回りもありましたが、はてなは組織になりました。新サービスは日々ユ

    退職のお知らせ - naoyaのはてなダイアリー
    mk16
    mk16 2010/08/31
    お疲れ様でした。はてなブックマークは、今では私の趣味の一部です。
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