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社会と歴史と旅行に関するmk16のブックマーク (4)

  • あの清里に行った

    もっぱら工場とか団地とかジャンクションを愛でています。著書に「工場萌え」「団地の見究」「ジャンクション」など。(動画インタビュー) 前の記事:駅の漏水対策「駅もれ」がすてき > 個人サイト 住宅都市整理公団 70、80年代に「高原の原宿」と言われ、首都圏の学生や若い社会人の間で定番の小旅行先としてたいへん賑わっていた清里。「清里」という言葉を見聞きするだけで当時の雰囲気が甦るのではないか。っていってもそれってぼくより上の世代だよな。 ぼく自身もテレビや雑誌で目にするだけで、訪れたことはなかった。清里で楽しむ年齢としてはまだ若すぎたし、家族で行くようなところではないと感じていた。あそこはカップル(当時はアベックといったかもしれない)の聖地だったはずだ。ぼくの10歳ぐらい上、現在50歳前後の方々が清里経験者ではないか。 自分と親の世代には無縁な清里だったが、それでもファンシーな店舗とペンション

  • 日本の世界遺産って世界的にレベル高いの?:アルファルファモザイク

    ■編集元:世界遺産板より「日の世界遺産って世界的にレベル高いの?」 1 名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/08/01(月) 19:10:20 ID:0twg8Zg00 名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/08/02(火) 01:27:01 ID:S4nGaT2z0 何をもってレベルが高いというのか分からんが 一つの目安になるのが遺産の種類だな「自然、文化、複合」の3種類だ この内、複合遺産は珍しく数もあまり無い 日には残念ながらなかったと思った 4 名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/08/03(水) 08:29:14 ID:nYGqndWO0 何を基準に判断するか難しいけど、少なくとも韓国のよりは高い気がするw 中国のは、九寨溝とか黄山なんか見たらさすがに凄いと思った。 南京大虐殺記念館を登録しようとしているのはあれだが。 6 名無しさん@お腹いっ

  • ついに上陸解禁! 日本一有名な廃墟、軍艦島に行ってきた!【後編】 (1/6)

    廃墟マニアの聖地として有名な“軍艦島”だが、今年の4月末より一般観光客の上陸が許可されることになった。その情報をキャッチしたASCII.jp取材班は、一足先に長崎市の協力を得て軍艦島に上陸した。 軍艦島に上陸直後から目の前に飛び込んでくる廃墟の様子に完全に飲み込まれてしまった我々取材班(【前編】参照)は、今回長崎市が安全な通路として整備した全長220mの見学通路を見て回るべく取材を開始した。 見学通路があるのはドルフィン桟橋から島の南端に向かう方向で、鉱員社宅や、端島小中学校付近は遠目でしか目にすることができない。とはいえ、炭鉱関連施設を間近で見られるので、これだけでも時間の流れと大自然の脅威を十分に感じ取ることができるだろう。

    ついに上陸解禁! 日本一有名な廃墟、軍艦島に行ってきた!【後編】 (1/6)
  • 何もない村が成し遂げた国家的プロジェクト:日経ビジネスオンライン

    (前回から読む) 宮崎県南郷村(現美郷町)は、明治、大正、昭和初頭と、林業で栄えた村だった。材木景気が去るとダム建設で口を糊した。公共事業にすがった一時代があった。それも過ぎれば、山の緑と蒼天が美しいばかりの、静かな村になった。村外に流出する人の数が増え続け、やがて過疎の村といわれるようになる。 村の所在地を聞かれれば“椎葉村の隣、若山牧水の生家のそば”と説明してきた「何もない村」の住民は、諦観に甘んじるようになっていた。同じ「何もない村」でも、椎葉は、ないことを逆手にとって「秘境」で全国に名を馳せた。観光客は秘境へ、椎葉へなびく。大型バスが、県外ナンバーの乗用車が、南郷村を素通りしていった。 「神門神社(みかどじんじゃ)の銅鏡は、どげんかならんもんじゃろか、祖母の話じゃと、昭和の初めころ神門神社の銅鏡を研究に来た広瀬都巽(とせん)という学者は、ご飯をべるのも惜しんで鏡を見つめておったそ

    何もない村が成し遂げた国家的プロジェクト:日経ビジネスオンライン
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