タグ

社会とlifeと文章に関するmk16のブックマーク (6)

  • それでよい、と思う。(地震から一週間)

    地震から一週間が経った。 1. 人々の買いだめによる品と電池の品薄は、西日へと波及した。連休中には、全国的な現象になるのだろうか。それとも、そろそろ落ち着きを取り戻す頃合なのだろうか。 私はというと、地震後、徒歩通勤がつらくて中古の自転車を1台買ってしまったが、他は何も買っていない。あれこれ料を備蓄していた甲斐があった。うどん、そば、などを合計すれば、まだ15分ほどある。幸い、私の暮らす街ではガスも水道も早期に復帰したから、乾パンや水の在庫は20分以上も残っている。 2. 強い人は弱い人のために、賢い人は愚かな人のために、健康な人は病を抱えた人のために、力持ちの人は非力な人のために、冷静な人は動揺している人のために、用意のいい人は備えを怠った人のために、寛容な人は狭量な人のために、周囲に配慮できる人は自分しか見えていない人のために、いるのだと思う。 いま、べ物、飲み物、電池な

  • 職を失いそうです

    現在4年目で来年5年目なんですが、6年目はないよと言われまして、 なるほど思った通り、あるいは、うすうす感じていた通り、 頑張っていたつもりでも、それはあくまでつもりであって、 全く評価されてはいなかったのだなあと思いまして、 悲しくなんかなるものかと思っていたのですが、 このところ毎朝、とても早くに目が覚めて、悲しくないのに涙も出まして、 この際だから、休みをとって映画を楽しもうと思ったのですが、 手につかず、頭に入らず、なんとなく目がチカチカして、 クシャミをすれば、目の前を星が飛ぶようなこともありまして、 駅の階段をホームのほうへ降りている際には、逆になんだか妙な笑いがこみ上げてきて、 精神の不調が肉体へも影響を与えている様子でありまして、 酒はうまくなく、タバコは元々吸わず、ギャンブルもよく分からないので 何も発散することができず、黒いドロッとしたものが胃のあたりにたまっていく

    職を失いそうです
  • 31歳の夢と希望〜俺はもうたいへんに疲れた〜 - 関内関外日記

    金曜日ともなると俺はもう大変につかれてしまって、疲弊して、もううんざりしている。 はっきりいってうんざりしているし、もうたくさんだという気持ちで、もう誰の言うことも聞きたくないし、ともかく自由になりたい。 俺に支払われる年金は月に2万円という予想だし、運良く、当に運良く今の水準の稼ぎをあと30年続けたとして、もらえる年金は月に4万円だとかいう。 俺はもうたいへんにつかれたし、こんなのはもううんざりしている。 どう足掻いても、もう俺の収入が今後も続くことは考えられないし、下がったところでこの水準で生きていける気もしない。だいたいそもそも足掻く気もない。金銭的に頼れる親戚などいない。 アップダウンクイズの滑り台、別に俺は進んで滑り落ちる気もないけれども、へばりつく気もない。俺はたいへんにつかれたし、もううんざりだ。土曜日も仕事だし、日曜日は寝ているだけで終わってしまう。 このままの自意識とか

    31歳の夢と希望〜俺はもうたいへんに疲れた〜 - 関内関外日記
  • 静岡にいったことはありますか - 空中キャンプ

    帰りの電車のなかでおかしな男に絡まれた。きっかけは、閉まりかけのドアにわたしが飛び込んだことだ。むりに入ったので、閉まるときに、ひじのあたりががつんとドアにぶつかった。すると、近くにいた土木作業員風の若い男(坊主頭、ピアス)がわたしに向かって、「迷惑なんだよ、オイ」「オマエみたいな奴がいるとむかつくんだよ」と悪態をつきはじめた。もとはといえばわたしが悪いのだが、ややこしいことになった。 しばらく無視をしていたが、「聞こえてるんだろう、テメー」「オイ、このやろう」などと言い続けるので、しかたなく急いで別の車両に移動した。もう、まいったなあ。ところが、移動したとなりの車両でしばらく立っていると、あろうことか、そいつもわたしを追ってくるではないか。どうしていいかわからない。男は「逃げんじゃねえ、オイ、テメー」と因縁をつけてくる。うーん、ややこしすぎる。しばらくうしろを向いて立っていたが、さすがに

  • 「今何してるの?」という質問は禁句となっていた - 諏訪耕平の研究メモ

    正月に久々に会った友人たちは皆元気そうで安心した。ただやはり我々ももう30歳を迎え,気になることはいくつかあった。まず,一番面白いというかショックというか複雑な現象だなと感じたのは,「今何やってるの?」という質問が禁句になっているということだ。 10人ぐらい集まると,ご時世なのかもしれないが,1人2人はフリーターのような生活を送っているものもいる。そういう人間への配慮だろうか,「今何やってるの?」は禁句であり,仕事の話も極力避けようという空気があった。 さらに,ある友人は彼女を連れてきていたのだが,この2人に対して「結婚」の話題を持ち出すのもタブーである。以前私はある友人に彼女を紹介され,「結婚するの?」と聞いたところ空気がものすごくどよーんとしたことがあった。同席者には後から,「あんなこと聞いちゃ駄目だよ」と怒られた。そうなのか。 思い出話も悪くないが,それだけでずっと持つものではない。

    「今何してるの?」という質問は禁句となっていた - 諏訪耕平の研究メモ
  • 神の子どもたち - 空中キャンプ

    渋谷駅前の交差点、路上に設置されたスピーカーから流れてくるのは、いくぶん抑揚に欠けた男性の声で、その声は「キリストを呼び求める人は救われます」と何度も繰り返していた。たくさんの通行人が行き交う年末の渋谷。強風で、外は寒い。信号待ちをしながら、わたしはふと気がついた。「キリストは罪を赦し、永遠の命を与える」──そう書かれた看板を持って立っていたのは、小学校五年生くらいのちいさな女の子だった。 われわれは親を選択することができない。どのような親のもとに生まれるのかを選び取ることができない。両親は、彼らにとって「善きこと」を子どもに伝えようとするし、そこにはそれぞれの親の価値観が大きく関係してくる。それはときに宗教であったり、ある種の思想であったりもする。親は「善きこと」を子どもに伝える。それはあたりまえのことで、他人があれこれと口をだす問題ではないのだとおもう。 両手でしっかりと看板を支えなが

  • 1